3、仮面、元奴隷商の家に行く

「それはそれは、痛ましい事件があったんですねえ」

 元奴隷商、デレク・フラハティは穏やかな口調でそう言った。

 年齢は五十代半ばあたりか。白いものが混じり始めた灰色の髪と、小さく細長い青い瞳。腹がやや前にせり出しているが、身につけているスーツは貴族のものと変わらない高級品だ。

「まだ若い女性が殺害されるだなんて。惨いことです」

 革張りのソファが置かれた応接間。フラハティの対面には、まだ十代後半あたりの少女が座っていた。

 黒髪黒瞳の小柄な少女だ。上から下まで黒尽くめで、そのせいで露出している手や顔の白さが際立っている。

 長い髪をうなじのあたりで結い上げ、背筋を伸ばして座っていることもあって、外見だけならどこかの商人の秘書のようだ。だが、その華奢な肩には、いくつもの短刀が仕込まれた太いベルトが斜めに掛けられている。

 彼女の隣には、二十代前半らしき青年が座っていた。

 日に焼けた金髪に、青い瞳。フラハティよりも頭半分ほど背が高く、このなかの誰よりも長身だが、線が細くまるで針金のようだ。

 身につけているのはどこにでも売っていそうな上着にシャツとズボンだが、顔の左半分を、大きな白い仮面が覆っている。

「それで、国家治安維持異能部隊こっかちあんいじいのうぶたいの仮面くんと··········黒猫さんとか言ったかな。その事件について、わたしに何を聞きに来たのかね」

 急に口調が砕けたフラハティに、黒尽くめの少女────黒猫が答える。

「被害者の身体には、鳥の刺青がありました。元奴隷の証です。··········彼女達の似顔絵を用意しました。このなかで、見覚えのある方はいらっしゃいますか?」

 黒猫は、フラハティの前に三人の被害者の似顔絵を広げた。それをまじまじと見て、フラハティが低い声で言う。

「一番右の··········いや、似ているだけだが··········」

「彼女をご存知ですか?」

「いや、似ているような気がしただけだ」

「構いません。アイラさんを買った方を、教えてください」

「そんなことを聞いてどうするんだね」

「彼女たちの身元をはっきりさせたいんです」

「そう言われても、覚えていないものはどうしようもないだろう。私が力になれそうなことは無さそうだ。申し訳ないが、ここで失礼させてもらうよ」

 フラハティが席を立つ。黒猫が慌てたように腰を浮かせた。

「あの、すみません。せめてアイラさんを買った人だけでも────」

「私だって暇じゃないんだ」

 地を這うような声でそう言われて、黒猫が凍りつく。

 一瞬忌々しげな表情を浮かべたフラハティだったが、すぐに穏やかな笑顔になった。

「君達も知っているだろうが、慈悲深い国王陛下が、お前の商売は非人道的だから今すぐ止めろと仰ったものだからね。私も必死なんだよ」

 今の国王が即位をしたのは、二年前だ。

 若き国王が真っ先に手を着けたのが、奴隷制度の廃止と人身売買の禁止だった。

 それまでは貴族や富裕層の持ち物、あるいは愛玩動物扱いだった奴隷達は、二年前から『人間』として扱われるようになった────。

「··········今は何を?」

 それまで成り行きを見守っていた仮面が、口を開く。フラハティは肩を竦めた。

「今は香辛料を扱ってるよ。私の人脈は国内よりも外の方に広がってるからね。もういいかな。これから大事な商談なんだ」




 国家治安維持異能部隊。その名の通り、ライン王国の治安を守る能力者の組織である。

 ライン王国が他国との戦争に明け暮れていた頃、彼らは非常に優秀な兵士であり、また兵器でもあった。

 だが、生まれついての能力者は少ない。また、兵士として役に立つ能力者は、更に少なかった。

 故に、国は能力者を創ることを思いついた。

 身寄りのない子供や奴隷、たとえ死んだとしても誰も困らない貴族の私生児などを実験台にして、国にとって都合の良い能力者を創り出そうとした。

 実験台にされた子供達のなかには、名前を持たない者も多かった。そのため、国家治安維持異能部隊員としての名前を改めて与えられることになった。

 『黒猫』や『仮面』などがそれに該当する。

 今ではもちろん非人道的な実験は禁止されている。だが、国家治安維持異能部隊に所属する時に二つ名が与えられることは、伝統として残っていた。



「何ですかアレ。『私だって暇じゃないんだ』ですって」

「まあまあ、そう怒りなさんなって。アイラちゃんの名前がわかっただけでも良しとしないと」

 フラハティが応接間から去った後。

 使用人達から話を聞こうと、黒猫と仮面は長い廊下を歩いていた。

 裕福な商人の屋敷らしく、壁のところどころに風景画や抽象画が架けられている。床には塵一つなく、階段の手すりは鏡のように磨きあげられていた。

「『慈悲深い国王陛下が、お前の商売は非人道的だから今すぐ止めろと仰ったものだからね』だそうですよ。本当は慈悲深いだなんて思ってもないでしょうに」

 黒猫がフラハティの言葉を真似する時だけ、声がフラハティのものそのものになる。

 彼女の能力は《声帯模写》だ。一度聞けば、男だろうが女だろうが、本人と同じ声を出すことができる。

「あれは確かにただの嫌味だろうけどさ、そりゃ急にお前の商売禁止ーとかやられたら、ああなるのもちょっとは仕方ないかなーって」

「あの··········」

 細い女の声が割り込んでくる。

 仮面のすぐ後ろに、メイド服を着た少女が立っていた。

 年齢は黒猫と同じか、やや下あたりだろう。黒髪黒瞳に褐色の肌を持つ、大柄な少女だ。

「はい、何でしょう?」

 それまでの不満顔を一瞬で消して、にこやかな笑顔で黒猫が応じる。少女はしばらくの間、もじもじと胸の前で組んだ手を揉んでいたが、

「お話が、あるんですけど··········」

「俺達に?」

「はい、あの、でも、ここでは··········」

「確かに廊下で立ち話というのも何ですね」

「あの、ご案内、します··········」

 メイド服の少女の先導に従って、歩き出す。どうやら、廊下の突き当たりの部屋を目指しているらしい。

(今回はやけに『黒』に縁があるな)

 被害者は全員黒髪黒瞳。相棒の黒猫も、今先導に立っているこの少女もそうだ。

 そんなことを思っている間に、目的地に到着する。

 部屋の中央に、大きな丸テーブルがあった。その周りを囲うようにパイプ椅子が置かれている。

 壁際の大きな布袋から、使用済みのものと思われるメイド服の端が覗いていた。

 メイド達の休憩室なのだろう。誰かの香水の残り香か、ほんのりと甘い匂いが漂っていた。

「ど、どうぞ··········」

「ありがとうございます」

 少女の勧めに従って、黒猫がパイプ椅子に腰を下ろす。

 仮面は立ったまま、黒猫のすぐ近くの壁に背中を預けた。

「あ、あの」

「あ、気にしないで。ほら、俺ってば見ての通り足が長いからさ。その椅子だと窮屈なんだよね」

「ということにしたいみたいですが、この人、最近腰痛に悩まされていて、長時間座ってられないんですよ。歳を取るって怖いですね」

「こらこら。人を年寄り扱いするなよ。俺、まだ二十だ」

「二十歳超えたらみんなおじさんおばさんだって、仮面が言ったんですよ」

「確かに言ったけど。黒猫だってすぐだぞ」

「あと二年猶予があります」

「あ、あの··········喧嘩、しないでください··········」

 か細い少女の声で、仮面と黒猫は我に返った。

 黒猫の対面に座った少女が、困り果てたように俯いている。

「あ、ごめんごめん」

「失礼しました」

 仮面は顔の前で両手を合わせ、黒猫は居住まいを正す。

 少女は顔を上げたが、なかなか口を開かなかった。

「あの、お話というのは────」

 ぱたり、と。

 上半身をテーブルの上に投げ出すようにして、少女が突然倒れ伏す。

「どうしましたっ!?」

「ちょ、大丈夫!?」

 半ば椅子を蹴り飛ばすようにして黒猫が立ち上がり────そのまま膝から崩れ落ちた。

 壁から背を離して、少女の元へ駆け寄ろうとした仮面は、一歩踏み出したところで、ぐらりと視界が揺れるのを感じた。

 テーブルに両手を突き、何とか倒れないように身体を支える。

(何だ、何が起きてるんだ!?)

 次に襲ってきたのは、急激な眠気だった。腕だけでは自分の体重を支えきれなくなり、ゆっくりと沈み込むように床に膝を着く。

(眠り薬? どこから? 大体、何のために?)

 部屋の中に漂うかすかな甘い匂い。

 メイド服の端が覗く、大きな布袋。

(あれか────!)

 目の前が暗くなる。瞼を開けていられない。

 仮面は、ゆっくりと意識を手放した。

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