『色仕掛け』って、どういうこと!?

 さて。

 ルナは今、扉の前に立っていた。

 つまりは部屋の前である。


 『ホワイトリリー』寮の一室。

 表札にはビアンカ・サマサの名前がある。


 またここを訪れることになるとは、正直あんまり思っていなかったが。

 それも昨日の今日で、もうお別れになることも考えていたのに。


 ――ぶっちゃけた話、『私』としては『あなた』に出てほしいんだけどさあ。

 ……む、無理だよ、恥ずかしいもん。

 ――そうやってすぐヘタれるけど、こっちはそろそろ休みたいわけよ。なんだかんだずっと出ずっぱりじゃない? これでも転生者よそものなのよ、『私』。

 ……水臭いこと言わないでよ、お願いだから……

 ――それ言えばなんでも許されると思ってない? ったく、ほんとしょうがない。


 やれやれと嘆息して、『私』モードで戸を叩く。

 ノックの後、ややしばらくあってから返事があった。


「はーい? どなた?」


 と、扉が開いてすっかり見慣れた顔がのぞいた。

 転生してからこっち、3日も続けて顔を合わせれば、そりゃあ一番馴染み深い相手にもなる。


 ビアンカはルナの顔を見ると、ぱっと破顔した。


「ルナ――じゃなくて、コロナ。遊びに来てくれたの?」

「そんなところよ。上がっていいかな」

「もちろん。お茶、淹れるね」


 笑顔でうなずいて、招き入れられる。

 やっぱりどこかデジャブを感じる部屋に上がり込んで、「そこで待ってて」と言われるまま、ベッドの縁に腰を落ち着けた。


 ちなみに今はあの黒ローブは脱いで、一張羅の脱色したワンピース姿である。

 そりゃああんな格好で街を歩くわけにはいかないから、ネーロの隠れ家で脱いでそのまま置いてきたのだ。


 さて、ビアンカが一人部屋なのにはいくつか理由がある。

 プロローグに出てきた偉い賢者からの推薦入学、途中入寮という特別扱いだから。

 それでも彼女の身分はあくまで平民であり、他の貴族の子女たちから一線を引かれているから。

 予備の物置きだった部屋を無理やり空けて用意した部屋だから。

 ビアンカの後に入寮してくる子がいなかったので、なんとなくその流れで。


 『ハーモニック・ラバーズ』ではそんな理由付けがされていたはずだ。

 ネーロのいた『ブルーローズ』上級寮と違い、下級貴族の寮である『ホワイトリリー』には世話役の側仕えは一生徒にひとりまでという制限もあるが、そもそも平民のビアンカにお付きの者なんかいないので関係なく。

 色々あるようでいて、まあ結局のところ『主人公だから』に理由が集約されてる気もする。


 ぼんやりそんなことを考えていると、ビアンカが戻ってきて声をかけてきた。


「お待たせー。ごめんね、お茶菓子はありあわせになっちゃうけど」

「大丈夫。気を遣わなくていいわ、私なんかお貴族様でもなんでもないんだから」


 そもそも日も暮れかけた時間だ。

 夕飯まではまだ時間があるはずだが、あんまり食べたらルナはともかくビアンカが困るだろう。


 それでも郊外の隠れ家からこの寮まで、警戒して物陰から遠回りでやってきたルナには紅茶の水分と温かみがありがたい。

 手渡されたカップを傾けて一口――


 と、驚いて目をみはる。


「――え? なにこれ。すごく美味しい」

「えへへ、びっくりした? 実は学園に来て最初の頃に覚えた、私の特技なんだ。今ではロッソ様やネーロ様のお墨付きなんだよ、私の紅茶の味」

「あ、ああー。そうなんだ」


 そういえばそうだった。と、『私』がゲーム知識で思い出す。

 でもそれにしたって、実際に口にすると、前世でだって味わったことないくらい深い味わいのお茶だった。


 馥郁ふくいくたる香りとでも言うのか、ちょうどいい温度や舌触りに、味覚だけじゃなく五感のすべてで味わうような芳醇さ、柔らかさ。

 あいにくとこの世界の茶葉の種類まで分からないが、近い味を探すなら、秋摘みのダージリンのミルクティーっぽいだろうか。


 『私』が色々と感心しても、『ルナ』のほうはいまいちピンときてないみたいだったけど。

 無理もない。

 暗殺組織の中で育てられた彼女には、紅茶の味と香りを楽しむなんて余裕も文化も無縁だったはずだから。


 ――言っとくけど、こういうのも覚えていかなきゃ駄目よ。人生やり直したいっていうなら、それなりの教養ってもんを身に着けなきゃ。

 ……面倒くさい。いいよ、そういうのは『あなた』が担当してよ。

 ――こんにゃろう。


 ここぞとばかりに丸投げされて、ムッとするが。

 頭の中で喧嘩するより、先にするべきことがあった。


 ベッドの脇の棚に飲み干したティーカップを置くと、ルナは口を開いた。


「……今日、ネーロに会ってきたわ。私の目的、昨日の夜に話したわよね?」

「あ、うん。事件のことを知るためにネーロ様に話を聞く、って。どうしてそうなるのかは分からなかったけど」

「あえて伏せたからね。寮の住所を聞くために話したこと以外、確証がない内にペラペラ言える内容じゃないから。私を雇ったのが悪役令嬢ネーロかも、なんて話はね」

「え?」


 言うと、ビアンカはぴたりと動きを止めてこちらを見つめてきた。

 予備知識のあったルナと違って、ビアンカには意外すぎる話だったのだろう。


 肩をすくめてルナは続けた。


「安心して。っていうのも、変な話だけど。真実は違ったわ。彼女が濡れ衣だって調べるために話を聞きに行ったの」

「そうなんだ……じゃあ、本当のなんていうか、私を狙った人も。分かったの?」

「まあね」


 曖昧に言葉を濁す。

 ネーロに念を押された通り、むやみに人に話していい真相じゃなかった。


 王家の醜聞――ゴルドー・グランシーザー。

 その正体が、魔法が使えないという事実を隠匿され、半ば放逐された第一王子であるなど。

 余人が知ればそれだけで身が危うい、言葉通りの国家機密だった。


 そう。ロッソたちの口から聞かされた真実は藪の中の蛇、いや、泥沼に潜んでいた大蛇竜ヒドラだ。

 迂闊につついて噛まれるのはもちろん、誰を信じて話していいかも分からない、狂気めいた猛毒の災厄。


 ビアンカ、ネーロと、そしてルナ。

 下手をすれば三人ともが死ぬか破滅させられていた――そう、実際はヤバイなんてものじゃない。

 巨大で邪悪な陰謀、すべての根源にあったのは、禍々しくとぐろを巻く悪意の大渦だったから。


 それをわざわざ、なにも知らないビアンカに伝えるつもりはない。

 軽く肩をすくめるにとどめて、ルナは話の矛先を逸らした。


「――『ブルーローズ』寮での、今日の騒ぎ。あなたも聞いてない?」

「うん。なんだか、軍の人たちが押しかけたとか、噂になってるよ。護衛の騎士様たちも話を聞いてピリピリしてたし……私も、ネーロ様がどうなったか心配で」

「そうね。ややこしいからかいつまんで教えるけど、ネーロは無事よ……安全なところに匿われてる。すんでのところでロッソとアズリオが駆けつけて、それが、私とネーロが一緒にいる場面だったから――彼女の証言もあって、私の誤解は解けた」

「じゃあ、ルナはもう本当に殺し屋じゃないって、みんな知ってるの?」

「おおむねそういうことよ。とはいえ事が事だから、あなたも口外無用でよろしくね?」

「分かってるよ。私もそこまでおばかさんじゃないもの」


 冗談めかして言うと、ビアンカも合わせてくすくすと笑った。

 隠し事をするのに、罪悪感を覚えないでもなかったが――ともかく、噛み砕いて説明するとしたらこんなところだろう。


「要するに、みんな無事ってこと。このまま無事のまま切り抜けるために、今もロッソたちやネーロは頑張ってる」

「ルナも一緒に?」

「ええ。今日もここへ来たのはそのためよ。あなたの護衛を“シュラーガー”さんから引き継いできたの」

「私の?」


 そう、つまり身動きの取れないネーロの代わりに、ビアンカの一番近くで、彼女を守れる人物として。


 まだビアンカの身の安全は保証されたわけではない。

 ちょうど、ネーロが襲われた直後でもある。

 ビアンカにも同じような襲撃がないとは限らず、ならば、誰かがそばについて守らなければならない。

 昨日までの時点ではそれは“シュラーガー”ネーロの役目だったから、言ったように、それをルナが交代した形だ。


 どうしたって人目につくロッソやアズリオでは駄目だし、都合よくフリーの立場にいるルナに、さしあたっての懸念のひとつを任された。

 動ける人材が他にいないから――というのもあるだろうが、あのアズリオも同意した指示だ。


 ちゃらり、とルナは懐から小さな木の札を取り出してみせた。

 あの隠れ家でネーロから預かった、身分証代わりの手形だ。


「今日は忍び込んできたんじゃないのよ。寮母さんにこれを見せて、正門から堂々と上がらせてもらった。やっぱりネーロの公爵家って凄いのね。泊まりたいんですけど、って言ったら、事情も聞かずに逆に頭を下げられちゃったわ」

「な、なんか凄いね?」

「この印籠が目に入らぬか、ってなもんよ。で、ここからは実際的な確認事項……今、この寮を警戒して守護してるのは、ヴェルデっていう男なのよね?」


 『ハーモニック・ラバーズ』の第3攻略対象、騎士団長の息子のヴェルデ・アリギエーリだ。

 こっちの世界での面識はないが、ゲームで知る限りは実直で熱血、頼れる武闘派の兄貴肌キャラである。

 まったく余談だが、若干第1攻略対象ロッソとキャラ被ってない? なんてファンの間では言われていた。


 ともかく、ビアンカはうなずいた。


「うん。ヴェルデ様はまだ学園生だけど、お父様の騎士軍の一部を預かってるの。凄いお話だよね。それで、私が個人的に親しくさせてもらってるからって、無理を通して護衛についてくれたの」

「でも、ここは女子寮だから、騎士団が中まで守るってわけにはいかない。万全を期した内側の守りとして私が派遣された。まあ、言ってみれば『コロナ』はビアンカ姫の忠実な騎士、ってことね」

「お、お姫様って……」


 さすがに馴染みのない言われ方だったのだろう、ビアンカはちょっと赤くなって照れたように苦笑していたが。

 でも、なんだかその表情は、まんざらでもなさそうだった。


 ――だからそれを見て、『私』は、ちょっとした意趣返しを思いついていた。

 誰に対してって?

 そりゃあもちろん、こんなオイシイ見せ場をヘタレ根性で見逃すおばかさんな『ルナ』にだ。


 ここぞとばかりにキメ顔かましてやりながら、ルナというか『私』は言った。


「誰が来ようと指一本触れさせない。言ったでしょ? あなたは『私』が守るって。だからこれからは、絶対に私のそばを離れないで――ずっと、あなたのこと、守るから」

「え……あ、う、うんっ?」


 がっしり手を握って、がっつり顔を近づけて言い切ってやると、ビアンカは顔を赤くしながら戸惑い気味にコクコクうなずいた。

 そして言葉の意味を理解するにつれ、次第に茹でダコみたいに真っ赤になって目もグルグルさせて、まあ、なんともお可愛いこと。


 別に芝居ってわけじゃない。

 守ると誓った言葉に嘘はないし、嘘にさせる気もない。

 ただちょいとばかり、『ルナ』の気持ちを脚色して伝えただけ。

 あくまでベースは本気ルナの上に、女子大生わたし悪知恵まごころを乗せて放った、ただそれだけの『殺し文句』だ。


 暗殺者だけに――とかいうブリザード級のギャグはともかく、脈のありなしを探ろうと、その程度の下心はあって告げた言葉だが。

 なかなかどうして、ビアンカの反応は予想外の期待以上だった。


「あの――は、はい。よろしくお願いします。ふ、ふつつかものですが」

「ふふふ。変な言い方ね。なにか誤解してない?」

「わ、笑わないでよぅ」


 試しに軽く押してみただけなのだが、思いのほかいい感じな雰囲気だな?

 これはイケるのでは?

 そのまま顔をさらに近づけて、なんだか柔らかそうでいい匂いのする唇と、吐息が触れ合うほど距離を詰めようとして――


 ……なにしてるのーーーー!!!!!


 怒号めいた大音声が頭の中に響いたので、ぱっと『私』は意識を切り替えた。

 放り出すように『ルナ』に交代する。

 間近でビアンカの赤面顔に迫った『ルナ』は、瞬時に同じように茹でダコになった。


 ――ざまぁみろ。

 あれもこれもサボろうとした罰だ。

 合コンクイーン謹製、特大の色仕掛けハニートラップを喰らうがいいわ!


「――る、ルナ?」

「あ、え、あぇぇぇ!? ごめっ、ちが、ごめん違うの!」


 慌てて身を離す『ルナ』に、思いっきり調子ぶっこきながら『私』は言ってやった。


 ――違わないでしょ? なにカカトトぶってんのよ、せっかく据え膳整えてあげたのに。ちゃんと『守って』あげなきゃ駄目じゃないー?

 ……うううう、うるさいばか! 私はビアンカにそういう、そんなんじゃないもん!


 からかう『私』に対して、『ルナ』が必死に抗弁する。


 あー、こいつほんと可愛いな。

 ういやつ、ういやつ。

 恋バナは『私』の大好物だ、油断してたらこうなるんだから、ちょっとは自分の気持ちも自覚しろっての。


「あ、あのっ! お茶のおかわり、もらえるかな? なんだかいっぱいしゃべって、喉渇いちゃったから」

「う、うん! もちろん。待っててね」


 盛大に露骨に誤魔化して、『ルナ』は結局ヘタれて終わった。

 ビアンカも素直に流されて、そそくさって感じにティーカップを持って流し台のほうに向かった。


 ――ふたりして顔を赤くしちゃって。可愛いったらないわねえ。若いっていいわー、羨ましいなー青臭いなーねえ今どんな気持ち? どんな気持ち? 恥ずかしがらずに言ってごらん、ほら?

 ……………………ばか。ばかっ!


 めちゃくちゃ煽ってやると、もう『ルナ』はまともに言い返すのも諦めたようだった。

 ただただ赤面顔で仏頂面して、なんていうか、傍から見たら今のルナがどんな表情なのか見てみたかったが。


 その後は『ルナ』に代わったまま、サボらせずにきちんとしゃべらせた。

 報告や今後の方針について相談した後は、普通に雑談して、女子トークして、間を持たせるために『私』が当たり障りのない話題を振って援護射撃したりもしつつ。

 それも終わったらお茶を飲んで、なんだかもじもじした『ルナ』とビアンカを、『私』が微笑みながら見守る時間が続いた。




 で、夜。

 また毛布を借りて部屋の隅で丸まっていると、ビアンカがベッドのほうからルナを見て言ってきた。


「あの、ね。ルナ。最初に会った時のこと、覚えてる?」

「……私があなたを殺そうとした時?」

「うん。あの後、あなたにさらわれて、言われた時の――ロッソ様は、全然、私の恋人とかじゃないよ。そんなの全然、畏れ多い、っていうか」

「そうなんだ……」

「誤解してたら、あの。ごめんね? へ、変な話で本当にごめん。おやすみ!」

「うん……おやすみ。ビアンカ」


 そんな話をして、その日を終えた。


 『私』が転生した3日目。

 決戦の1週間前の――きっと『私たち』の、最後にほど近い会話ユメだった。

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