『第一王子』って、どういうこと!?

 ネーロが指定した隠れ家、セーフハウスには問題なくたどり着いた。

 郊外に建つ地味で目立たない一軒家。

 背景と同化して周囲に埋没しているが、さりげなく広く造られていて、中に大勢で入っても手狭さは感じない。


 一同、尾行には細心の注意を払っていたがその様子はなかったし、どうやら本当に一息つけそうだ。

 それでもアズリオの私兵たちが玄関と裏口の内側、二階の窓にも見張りに立って、最大限警戒を続けている。


 で、残りの主要な面々は現在、隠れ家の居間に集まっていた。

 ロッソとアズリオの双王子に、ネーロとルナ。

 レモンはキッチンのほうでお茶と、食事の用意をしているらしい。

 まだ昼下がりだが、ネーロを匿う以上はそういう準備も必要になってくる。


 並んでソファに座る王子たちと、その対面には顔を洗って涙の跡を落ち着かせたネーロ。

 なんとなく立ち位置を掴みかねたルナは、少し離れた壁に背をもたせかけていた。

 ちょっと格好つけたポーズで。


 なんかの会議みたいだな――というのは、ルナの率直な感想だったが。

 実際のところ、これは本当に実際的な作戦会議の場だった。


 で、口火を切ったのはアズリオだった。


「積もる話をしたいところだけど。まずぼくからひとついいかな。そっちの黒ローブの君、身元がはっきりするように、ちゃんと自己紹介できるかい?」


 途中で合流した彼からすれば当然の疑問だろう。

 信用できない人間をこんなところに置いておけるわけがない。


 ネーロが咎めるような視線をアズリオに向けたが、どう考えても彼の疑念と言い分が正しい。

 ていうか、なんでネーロがそこまでルナに肩入れしてくれるのか、いまだもってそれが逆に疑問なくらいだ。


 とはいえ、まずはルナのほうが彼らを信頼するのが当然の流れだろう。

 腹を割って話すことに決めて、軽く内容を整理してから口を開いた。


「――私の名前はルナ。ルナ・ダイヤル。ダイヤル機関っていう暗殺組織の殺し屋で……元、殺し屋。今はクビになってフリーだし、もう誰かを殺そうとは思ってない。というより、殺したくないから組織を足抜けしてきた」

「ということは、一昨日の夕方、ビアンカと兄さんを襲ったのは?」

「お察しの通り、それが私よ」


 空気が固くなる。

 アズリオの視線に険が混じり、ルナの肌に突き刺さった。


 それが当然の反応だろう。

 どう言えば信じてもらえるか分からないが、ルナは嘆息して言葉を継いだ。


「鞍替えと、心変わりした理由だけど……申し訳ないけど、明確な根拠は示せない。あの時、なりゆきでビアンカを連れ去ってしまって、彼女と話をしている内に、情にほだされた」

「わけが分からないな。暗殺者が感情論で標的の側に寝返るなんて、そんな馬鹿な話があるかい?」

「普通はないでしょうね。だから、誠意を示して落とし前をつけられるとしたら、今後の行動とその成果――有り体に言えば、手柄を立てるしかないって私は思う」

「兄さんとネーロと……ひょっとしてビアンカもかな? みんなが今の時点で君を信用してるのは、どういう理屈なんだ」


 試すように問われて、ルナは指折り数えてみた。


「まず、私は人を殺したことがない。手を汚す寸前でビアンカに救われて、今は真人間に戻ろうと頑張ってる。ビアンカを逃がしたこと、それがバレてダイヤル機関の手先に今も追われてること。今後の身の安全のために情報を得ようとネーロに接触して、これもなりゆきなんだけど、ネーロとレモンを助けたこと――」

「いかにもそれっぽいね。取ってつけたみたいに整然としてる。ただぼくはもう一個、どうしてもムカついてしょうがないことがある。なんで君は兄さんの“傷痕”を知ってた? 人のトラウマを抉るようなやつをどうやって信じろと?」

「……詳しく知ってたわけじゃない。ただ、ダイヤル機関で指示があったのよ。ターゲットの――ビアンカの周辺人物の特徴として。あの場を切り抜けて、生き延びるには、それを利用するしかなかった」

「暗殺教団なんかが過去の王室の過誤まで知ってるって? どうにもいちいち胡散臭いな」


 さすがに嘘が露骨すぎただろうか。

 とはいえ、『私』が知るゲームの話なんかできないし、これで誤魔化すしかないのだ。


「先生はビアンカを守るために戦っているんです」


 と、横から口を挟んだのはネーロだった。

 アズリオがそちらに目を向けると、彼女は続けた。


「それはロッソ様やアズリオ様、わたくしたちみなと同じ想いでしょう。立場は違えど、その点に関しては協力し合える。わたくしはそう判断して、先生を信じることに決めたのですわ」

「天下の公爵令嬢、凄腕エージェントの“シュラーガー”にそうまで言わせるのは大したものだけどね。で、また疑問が増えたんだけど、その先生っていう呼び方なんなの? 見た感じぼくらと同世代じゃない?」

「歳は関係ありません。ただ、尊敬できるお方を知識の師と呼ぶことになんの不思議が?」

「頭こんがらがってきた。まずネーロ、今の君はなにかの洗脳状態に見える。目を覚ませ凄腕スパイしっかりしろ。もうひとつ。なんで一介の殺し屋くずれがそんな知恵者なんだ。そもそもこんなに弁が立つのも不自然だけど、どこでなにを習ってきたら公爵令嬢に崇拝されるまでに至るんだ?」


 突っかかられながら、なのにむしろルナは安心していた。


 ビアンカは例外だとしても、ネーロやロッソがチョロすぎたのだ。

 アズリオの反応のほうが誰がどう考えても自然で当たり前だ。


 さて、といったところで――

 ここが機転の利かせどころ、つまり『私』の出番だ。


 まさか馬鹿正直に「異世界から来た別人なので超天才なんです」なんて言うわけにはいかない。

 そんな妄言を言えば今の紙一重の信用もブチ壊しになる、というか、今後一切なにを言っても信じてもらえなくなるだろう。


 もっともらしい嘘をでっち上げなければならない。

 それもこの場の全員、ことさらにアズリオを納得させられるだけのストーリーを。

 うまく嘘を言う時のコツ、鉄則は、ところどころに真実を織り交ぜることだと生前の知識にあった。


 今度こそ筋道を組み立てて、こう答えた。


「――私は、機関でも珍しい貴族の家の出身なの。取り潰された伯爵家のね。だから根っこに最低限の教養があるし、地頭の良さの遺伝もあったかもしれない。そういう人間が暗殺機関でなにを教育されるか、王子様なら想像がつくんじゃない?」

「……なるほどね。同族殺しだな。貴族たちの懐に潜り込み、溶け込んで、確実に背中を刺すスタッブするために教育された人材。それが君か」

「そういうこと。さすがに公爵令嬢のネーロほど頭も口も回らないし、取り繕うのも無意味だから、今はタメ口で話させてもらってるけどね。ただ、勘違いがひとつ。殺し屋やその組織“なんか”が決まって頭の悪い輩だと思うのはやめておきなさい。暗殺者の恐ろしさの本質は、いつ、どこで、どんな手で、どんな人間にいつまで・・・・狙われるのか、なにひとつ分からないこと――やつらは標的の意表を突くためなら、物乞いから上位貴族までなんにでも擬態するわよ」

「…………」


 アズリオは口を閉ざした。

 ルナの言葉を吟味し、確かめるように考え込んだのだろう。


 とはいえ、これで信用されずとも構わなかった。

 疑われるのは当たり前のことだし、大事なのは一朝一夕にそれを晴らすより、最大限の誠意を示し続けること。

 ビアンカを守る、お互いにその意志が同じである限り、ルナはアズリオを、彼らと彼女らを信じ続ける。

 それこそ、いつまでかかってでも、『ルナ・ダイヤル』を売り込み続けるだけだ。


 疑いたければ疑えばいい。

 腹の底は見せた。

 見せると決めた。


 疑い続けた果て、最後の最後まで興味を失わずに付き合って、疑う余地がなくなれば、そこに本当の信頼が生まれる。

 信じることと疑うことは、必ずしも矛盾する概念じゃない。


 それもまた、人を信じるということのひとつの形だ。

 まあ、もっとも――


(私があなたたちを信じるのは、ちょっとズルいチートな理由からなんだけどね)


 だって、向こうは初対面でもこっちは一方的に彼らの人となりを知っている。

 『ハーモニック・ラバーズ』をプレイした、生前の『私』からの付き合いなのだ。


 ビアンカたちの青春の悲喜こもごも、真摯に生きて駆け抜けた嘘のない彼らのことを、『私』はとっくに友人のように認識している。

 一方通行で信じ続けても、絶対に裏切ったりしない“おひとよし”な彼らをよーく知っていたから。


「――いいだろう。なら、最後にひとつ。君の魔法を見せてくれ」


 アズリオが言った。


「貴族の血筋を名乗ったなら、そういうことだろう? 君の切り札は魔法だ。それを明かしてくれるなら、この場は君を信じよう」

「分かった」


 当然想定内、お安い御用だ。

 うなずいて、ルナは目を閉じて意識を集中した。


 隠れ家には閉ざしたカーテン越しに、窓から日が差し込んでいる。

 落ちる影はやや薄く頼りないが、ルナの魔法に支障はない。


 ……ちなみにだけど、夕暮れとかの濃い影のほうが潜航時間と移動距離が伸びて便利だよ。

 逆に完全な夜、真っ暗闇だと影も生まれないからその場合も潜りにくくなって……


 と、これは『ルナ』の声が囁いてきたのだが、今は雑念なので返事せずにおく。

 そして。


「――――!」


 とぷん、と足元の“影”に落ちて姿を消したルナに、居間にいた一同が驚く。

 眼下にその様子を見下ろしながら、影をかき分けてルナは泳いだ。


 大した距離ではない。

 ソファの後ろ側に回り込んで、すっと音もなく居間の空間に戻った。


「う、おわぁ!?」


 ぽん、と後ろからロッソの肩に手を置くと、彼は驚いて振り返った。

 気配で察知されるかと思ったが、そっと現れれば彼ほどの達人にも気づかれないものらしい。


 内心でひとつ収穫を得ながら、ルナは口を開いた。


「……これが私の“影”魔法。影の中を泳いで移動して、その範囲の中から奇襲できる。制限が多くて実戦ではなかなか使えないけど、そうね、一昨日の憲兵隊の追跡からのがれられたのはこの魔法を使ったから」

「なるほど……」


 同じようにこちらに振り返って、思慮深げにアズリオがうなずいた。

 こうまであからさまに不思議現象なら、手品やトリックを疑われるということもないだろうが。


 とりあえず納得してくれたようで、アズリオはヒョイと肩をすくめた。


「分かった。ありがとうルナ。どうやら本当に、今のところは君を信じておいたほうが利口そうだ」

「そうだと嬉しい。見ての通り、大した力じゃないわ。今はたまたま不意を突けたけど、ロッソ王子と正面から戦えるほど、そんなに私自身も強くないし」

「みたいだね。ま、とはいえ謙遜もほどほどにね。今といい、一昨日のことといい、どうも兄さんは君が相手だと途端に弱っちくなるみたいだ。剣しか取り柄がないくせに、これ以上株を下げたらさすがに哀れになってくる」

「気をつけるわ」

「お前ら、揃いも揃って人を試金石や噛ませ犬みたいに扱うなよ……」


 ロッソに恨みがましい目を向けられながら、ルナは歩いてさっきの位置に戻った。


 こちらの見せるべき手札は見せた。

 十分とは言えないだろうが、ともかくこの場で用意できる限りは。


 というわけで、ネーロに習った通り、交渉術の出番だ。

 一問一答が基本、であれば、真っ先に教えてもらわなければならないことがある。


 緊張で唇が乾いている。

 それを舐め湿し、慎重に間を置いてから、ルナは口を開いた。


「――ビアンカの暗殺を指示したのは、いったい誰なの?」


 その質問に。

 ビシリ、と場の空気が凍った。

 あまりの反応に、訊ねたルナも思わず身構えてしまったくらいだ。


 ――ネーロが一度、口を閉ざしたことだけに、それがかなり致命的な問いかけなのは覚悟していたつもりだが。

 なんにせよ聞かずにいるわけにはいかない、最重要の問題なのだ。

 改めてハラを据えて、ルナは答えを待った。


 次に声を発したのは、ネーロだった。


「……先生。それを聞いてしまったら、もう、あなたは逃げる先を失ってしまいます。よろしいのですか?」

「殺し屋くずれに、今さらどこへ逃げ場があるっていうの。知る必要があるのよ――私と、ネーロと、それにビアンカを守るためには。知る権利はあると思う。私だって利用されて、殺されかけた」

「ですが――」

「ネーロ。もう、俺たちに気を遣うな。ここまで来たら彼女も一蓮托生だ、それに言う通り、ルナにも知る権利と必要がある」


 なおも躊躇する様子のネーロを、制したのはロッソだった。

 目を閉じ、息をついて、彼は続けた。


「これは本来、王室の恥だ――だから、ネーロを責めないでやってくれ、ルナ。俺たちがもっとしっかりしていれば、未然に防げた事件だった」

「……どういうことなの?」

「俺たちは黒幕を知ってる。ネーロじゃないなら、アズリオでもないなら、俺でもないなら。答えなんて最初から出てたんだ。でも、最後の最後まで考えたくなかった」


 沈痛な表情で、ロッソはうめくように言った。

 隣でアズリオも同じ顔をしている。


 それは怒りと悲しみと、なにより哀れみの込もった切実な表情だった。


 ロッソが告げた。


「……そいつの名はゴルドー・グランシーザー。この国の第一王子・・・・だ。表向きには難病の治療のために、遠い僻地で静養していることになってる」


 それは。

 それこそがすべての元凶であると、ロッソは苦みを吐き出すように言葉を継いだ。


「治るわけがないんだ。兄は、俺たちの異母兄は、絶対に王位を受け継げない。幼い頃、いや、生まれた瞬間にその資格を失った。陰謀なんてものじゃない。この事件はただの憂さ晴らし、だから、動機は私怨だ。怨恨なんだ」


 王家の汚点。

 絶対に表沙汰にはできない、ゆえにネーロが口をつぐんだ、秘密の最奥。


「ゴルドーは魔法が使えない・・・・・・・。王と、貴族だった王妃の正式な子でありながら、その素養がないんだ。だから忌み子として捨てられた。実の母親と――そして、俺たちの父である、王その人に」

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