『ビンタ』って、どういうこと!?

「逃げるな殺し屋ぁ!」

「ちょ、ま、待て待て待って誤解だからタイムアウトー!」


 叫びながら攻撃を避けるというのは、まあ控えめに言っても無駄でしかない。

 どちらも酸素を大きく消費する行為で、それを同時に行えば倍々算で消耗していくわけで、つまりはめちゃくちゃ疲れるわけで。


 それでも両方を同時にやらなければならない状況というのはあるもので、実際、今のルナの立場がそれだった。

 立ち止まったら斬られて終わりだし、ロッソを止められなければやはり斬られて終わりだ。

 反撃するという選択肢は論外であり、下手にここで彼と敵対したら終わりを通り越した『詰み』である。


 まあ要するに、ルナは無駄を承知で叫びながら駆け回って、ロッソの剣を紙一重でかわし続けているのだった。

 荒々しくも鋭く正確な太刀さばきは、逃げに徹してすら何度となくルナのすぐ脇をかすめ、肝を冷たく冷やしていく。

 狭い路地でそれほど逃げ場もなく、そもそも、どこに逃げ込めば終わるのかそれすら分からない。


 と、その横合いからネーロの声が響いた。


「お、お待ちくださいませ、ロッソ様! そのお方は違う、違うんですの!」

「止めるなネーロ! こいつ、ビアンカに続いてお前の命まで――! いったいなにが目的だ!」

「訊ねるんならまずその剣止めてくんないかなあ!?」

「問答無用ぉっ!」


 もうめちゃくちゃである。

 完全に頭に血が上っていた。


 それでもなんとか続く3太刀をかわして(恐ろしく速い袈裟斬り、胴薙ぎ、斬り下ろしの連係だった)どうにかこうにかしのぐ。

 が、それでさすがに限界だった。

 壁際に追い詰められ、とうとう逃げ場すらなくなる。


 じりじりと据わった目でにじり寄ってくるロッソに、ルナは心底から震え上がった。


「追い詰めたぞ……」

「じゃ、じゃあ尋問タイム? なんでも答えるから剣を収めてくださ」

「トドメだ!」


 まあそうなるわよね、という胸中の悲鳴とともに、ルナはやけっぱちで身構えた。

 振り下ろされるロッソの剣、それを素手で白刃取りしようなどとは、真実本当にやけくその発想でしかなかったがこれしかない。


 けれど、その直前だった。


「だめっ!」


 咄嗟に飛び出してきたネーロが、ロッソの脇からしがみついてその動きを止めていた。

 ロッソは、反射的に振り払おうとして、その相手に気づいて踏みとどまる。


 じたばたともがきながら、ロッソが叫んだ。


「なにをするんだ、ネーロ! こいつは危険すぎる、お前は下がっているんだ!」

「逃げて、逃げてくださいませ先生! この場はわたくしが命にかえても――」

「お鎮まりください、ロッソ王子ー!」

「どわあああああ!?」


 と、さらにはレモンにまで体当たりされて、とうとう三人もつれ合って転倒する。


 ……なに、これ……

 もはや驚いていいのか呆れていいものか、本当に逃げ出したい気持ちにルナはなりつつあったが。


「ネーロ……! これ以上駄々をこねると、いくらお前でも容赦しないぞ! どうしてあの殺し屋をかばうんだ、ビアンカと俺の命も狙った悪党だぞ!?」

「ですからっ、それが、誤解なんですぅ!」

「誤解……? ま、まさか。さっきからあいつを『先生』って呼んでるのは、お前、まさか」


 ギリ、とロッソは歯噛みして、悲壮な表情でしがみつくネーロを睨み返した。


「用心棒とかの『先生』って意味で――お前があの殺し屋を雇って、俺とビアンカを襲わせたのか!? お前がそんなことするはずないって、俺もアズリオもすぐに分かったから、騒ぎを聞いてすぐさま駆けつけたのにっ! お前は本当に裏切ったのか、ネーロ!」

「どうしてそうなりますのぉぉぉ!」


 しっちゃかめっちゃかだ。

 収拾つかない。

 もう本当にどうしたらいいんだ、とルナは頭を抱えた。


 いくら全力でしがみついていても、所詮は女ふたりの体重である。

 ロッソは拘束から無理やり抜け出すと、立ち上がって自分の剣を拾った。


 ルナは、今度こそ本気で身構えたが――

 見ていると、ロッソは片手で器用に手袋を外して、それをルナのほうに向けて投げつけてきた。


 左手のものだ。

 意味はすぐに分かった。


「――俺と戦え。殺し屋」


 断ることは許さないと、燃える紅蓮の瞳がルナを射抜いていた。


「もはやどんな事情があろうと、お前を生かしてはおけなくなった。ネーロのことは……残念だが。それでも俺はお前を許せない。お前が!」


 目の端に涙すら浮かべて、なにかを振り切るように、覚悟を込めてロッソは叫んだ。


「お前がすべてを狂わせた! 決闘だ! 変態の殺し屋とはいえ、お前も同じなら、まさかこの期に及んで逃げようなんて考え――」


「え」

「え?」


 と。

 つぶやいたのはレモンと、それからネーロだった。

 ロッソの長口上の間に立ち上がって、後ろからもう一度飛び掛かろうとしていたようなのだが。


「え……?」


 ロッソも、さすがに異変を察したらしい。

 ふたりの声は小さなつぶやきだったが、それがかえって場の空気にそぐわず異質に響いたのだ。


 それを感じ取ったのだろう、構えた剣の切っ先をわずかに下げて、ロッソが肩越しにネーロたちに振り返った。


「……男……だよな? その、この、殺し屋って」

「……………………」


 耳に痛い沈黙が、その答えだった。


 また向き直るロッソに、ルナはローブのフードを下ろして自分の顔を見せた。仕方なしに。

 びしりとロッソが固まって、また剣を取り落とす。


「……先生は立派なレディですわ。お若いですが、わたくしが尊敬する偉大な、淑女の見本……そうなられるべき尊いお方。それを」


 いや、そこまで言われるほど大層な女のつもりはないが。

 ネーロはズカズカと大股でロッソに歩み寄り、右手を振りかぶって、


「それを言うに事欠いて、変態の殺し屋野郎呼ばわりとはどういう了見ですの、このバカ男――っ!」


 パシィィィンっ、と、路地裏に高らかに平手打ちの音が響いた。




 で、なにがどうなったものやら――


「すまん。すまない。ごめん。ごめんなさい……」

「い、いや、いいの、いいんです。私も正体を隠すためにフード被ってたんだし」


 ぐったりうなだれて、ロッソがルナに頭を下げていた。

 一国の王子が殺し屋に平謝りするという珍事である。

 ルナは恐縮するやら困惑するやら、ワタワタと手を振って言い訳めいたことを口にするしかなかった。


 あの後、ネーロが大泣きしながら、ルナが命がけで自分たちを守ってくれたこと、ビアンカの件は本当に誤解であること、もう駄目だと思っていたところにロッソが駆けつけてくれたこと……めちゃくちゃに全部しゃべって、どうにか事は落ち着いた。


 半ば支離滅裂にまくし立てたような声だったし、ロッソも事情すべてを把握したわけではないだろうが、一応ルナの今の立場は分かってくれたらしい。

 ビアンカを守ろうとしていること、ネーロを守ったこと、殺し屋組織は抜けてきたこと。

 正直に話すと、ようやく頭を上げて答えてくれた。


「つまり、今の君は俺たちの仲間だと。そう思っていいんだな?」

「信じてくれるんですか?」

「この状況を見れば、信じるしかないさ。嘘を言ってる様子もない」


 それと、とまだルナのすぐ後ろについてグズグズ泣いているネーロを見やって、ぐったりうめく。


「正直、こんなに泣かれると……罪悪感がすごい。ネーロが大泣きするのなんて、子供の頃に見たっきりだから」

「緊張の糸が切れたのもあったと思う。私も、あなたが来てくれてとても助かった」

「君にもとんだ失礼をした。ていうか、今はどう見ても女の子にしか見えないのに、どうして俺はあんな勘違いを……」

「あ、はは……」


 それは多分、元のゲームでは性別不明の顔無しモブだったからです。

 とはもちろん言えず、曖昧に笑って誤魔化しておいた。


 とはいえ、突っ込んで聞かれれば誤魔化しきれないのも事実だ。

 異世界転生後のゴタゴタで心変わりしたとはいえ、一度は本気でビアンカの命を狙った身であり、諸々引っくるめて全部説明できる自信はルナにはなかった。

 そのあたりは今後の行動で示すしかない……本当にそれくらいしか汚名返上の方法もなさそうで、さしあたっては。


「それで、その。襲ってきた騎士隊はさっきあなたが倒したのでさすがに打ち止めみたいだけど、移動したほうがいいと思うの。新手か伏兵がすぐに来るはず」

「ああ。その通りだが、もう少し待ってくれ。すぐに味方が合流するはずだから」


 味方? とルナが疑問符を浮かべた直後。


「――後始末を人に押しつけて、なんで自分は女の子3人に囲まれて和やかにしてるんだ。ビアンカに密告チクるぞ、兄さん」

「終わったか。アズリオ」


 ロッソが振り返った先、通りのほうから、ひとりの青年が姿を見せていた。

 いや、ひとりというのも違うか。

 何人かの兵士とおぼしき格好の男たちを後ろに伴っている。


 涼やかでいて深い色合いの青藍の瞳。

 どことなく見覚えがあるような顔立ちと雰囲気だった――とルナは思いかけて、すぐにふたつ思い当たった。

 カラーは違えど、その面差しはどことなくロッソに似ているのと、名前に聞き覚えがあったのだ。


「……ひょっとして、アズリオ・グランシーザー王子?」


 ロッソの弟で、『ハーモニック・ラバーズ』の第2攻略対象だ。

 ゲームの画面越しに見るのとではまたイメージが違うし、ロッソもそうだが、生で見ると凄まじい美形イケメンだった。


 アズリオはルナ、その裾を掴んで泣いているネーロ、それをあやしているレモン――と順に見回して。

 さすがにコメントに困ったのだろう。

 なにかをこらえるように眉間を押さえてから、そのままロッソに話しかけた。


「……危なっかしいボウガンの狙撃手と、残ってた騎士たちは制圧してきた。警戒は続けてもらっているけど、こっちの動かせる信用できる兵士は多くない。修羅場ラブコメやってないでさっさと逃げるべきだよ」

「別に好きこのんでこんな状況なわけじゃ――いや、まあその通りか。助かったアズリオ。行こうネーロ、レモン。ルナ……も、一緒に来てくれるな?」


 促されて、ルナはうなずいた。

 こうなれば是非もあるまい。


 アズリオがぼやいた。


「見るからに怪しい子が仲間になってるし、しかもネーロはその子になついてるっぽいし、なんで天下の公爵令嬢ネーロが大泣きしてるんだろう。本気でひとつも分からないんだけど、誰か一発で分かる気の利いた説明してくれないものかな」

「後で話すけど、多分、お前が納得するのはこの一言だな。『全部俺が悪い』」

「なるほどね」


 本当にそれで納得したらしく、アズリオが苦笑した。

 アズリオが連れてきた兵士たちを先頭に、全員で移動を始める。


 とはいっても、いったいどこへ逃げればいいものなのか。

 一旦は退けた敵も、おそらくは全体の一部に過ぎないだろう。

 この国に安全な場所などあるのだろうか?


「“シュラーガー”。ぼくらはおっとり刀で駆けつけたから隠れ家まで確保できなかった。君のツテでどこか、この人数で逃げ込める場所に心当たりはないかな?」


 出し抜けにアズリオが言った。

 てっきりルナは、引き連れた兵士の誰かに話しかけたのかと思ったが。


 なぜか答えたのはネーロだった。


「ぐすっ……郊外に、民家に偽装したセーフハウスが。ここからならそう遠くありませんわ」

「敵は王室そのものだ。表沙汰の別荘とかだと足がつくけど――」

「いつまで保つかは保証できませんが、安全です」

「了解だ」


 またそれで納得したらしい。


 そうして今度はレモンが前に進み出て、先導する兵士たちに指示を出し始めた。

 どうやらネーロに代わって道案内を買って出たらしい。


 まだネーロは足がふらついている。

 なんとなく近くにいたなりゆきで、ルナが支えに入った。

 聞いていいものか迷ったが、流れで訊ねた。


「あの、ネーロ。シュラーガーっていうのは? そういえば確か、ビアンカが護衛って言ってその名前を口にしてたけど」

「わたくしの通り名、ですわ。コード“蝙蝠シュラーガー”。表では『黒鳥』で通っていますが、今回のような裏の事件ではそう名乗っています」

「それって――」


 驚いて目をみはる。

 ビアンカの護衛につけられた謎の人物“シュラーガー”――それがつまり、ネーロのことだった?


 と、『私』の頭の中で点と点が線で繋がる。

 王室に仕えるネーロ。それがアズリオ王子の指示で密かにビアンカの護衛と、監視の任務についた。そしてその直後、ビアンカの元に不自然な“自称友人”が現れた。

 “シュラーガー”ことネーロはビアンカの護衛を、学園の警備隊、ないし、信用できる自分の手の者に委ねて、自らは露骨に怪しい闖入者ルナの正体を探ろうと足取りを追った――


 ルナはルナでネーロに接触しようとしていたため、そこでかち合ったのだ。

 やはり偶然の出会いではなかった。

 図らずもお互いに互いの尻尾を追っていたという構図だ。


 しかし、ただ者ではないと思っていたが、表と裏で名前を使い分ける?

 それはまるで、本物のやり手のスパイかなにかの手口じゃないか。

 いや――


 考え直す。

 ネーロの今までの立ち回り、貴族令嬢という肩書きだけでは説明のつかない頭の回転や機転の利かせ方、諸々を考えれば、まるでどころか本当に“王室に仕えるエージェント”だ。

 今さらそれに気がついて、ルナはめまいを覚えた。


 魔法、暗殺組織、王室の陰謀に続いて、とうとう裏社会のスパイまで出てきた。

 ただでさえファンタジー世界だったのが、いよいよ本当に現実感のなくなりそうなとんでもない展開になってきた。


(……これが元は乙女ゲームって、どういうことよ?)


 誰にともなく胸中でつぶやいて、ルナはネーロのぐったりした身体を抱え直した。

 株券と合コンを取り仕切ってイキってた前世から、気がつけばもう後戻りできないとんでもないところに足を踏み入れてしまったみたいだった。

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