『ターニングポイント』って、どういうこと!?

 さっきまでの不遜さ、立場そのままの強気はすっかり内側に引っ込めて、ネーロの雰囲気は穏やかだった。

 もう元のテーブルの向こうには戻っている。

 そうしてうやうやしいほど声をやわらげて、両手を膝に重ね置いて告げた。


「手間は省きましょう。率直に申し上げますと、わたくしは、そしてオルニティア公爵家は王家に仕えています」

「……それは、すべての貴族がそうなんじゃないの?」

「建前の責務としては、そうです。実態的には富と私腹を肥やし、地位と名声を得るために動く俗物が大半ですが。我が公爵家はその成り立ちの頃からして『王の血筋そのもの』に仕え、守り、時に動かすことが存在意義なのですわ」


 急に話が難しくなってきた。


 とはいえ、あまり深い話をされてもルナには関係ない。

 ルナの目的はただひとつだ。


「こっちも腹を割らせてもらうけど。今の私は、ビアンカを守るために動いている。私が知りたいのは、彼女の暗殺指令の真相よ。その件にあなたが関係しているって聞いて真実を探りにきたの」

「ならばそれが答えです。オルニティア家が仕える王家とはすなわち表と裏のその両面。先生が知りたい情報は、王家と公爵家の影の繋がりにあると考えるのが妥当ですわ」

「…………」


 沈黙する。

 先生って呼ばれ方落ち着かないなあっていうのと、とんでもなく大きくなった話のスケールを呑み込んで。


 ネーロが続けた。


「オルニティア家の名前をおおっぴらに利用できるのは、御家自体をのぞけば王家だけ。わたくしでないなら答えはおのずと知れます。この陰謀は王室そのものが絡んでいる」

「……つまり、王か、王子か、王妃様の誰かってこと? なんか悪大臣あたりが糸を引いてるって可能性は?」

「甘い見積もりは捨てるべきでしょう。その程度の輩ならば、我々の情報が遅れを取るなどあり得ない」


 相当な自信だ。というより事実か。

 ご令嬢のネーロがこれだけの人物なら(その割にチョロかったが)、当主である公爵その人がどれだけの大物であるか予想はつく。

 確実にルナの想像以上であるのは間違いない。


 実のところ『私』も『ルナ』も、この国や王家のことにはまったく詳しくない。

 『ハーモニック・ラバーズ』ではそんなところに焦点は当たらなかったし、ダイヤル機関でもそうした教えを受けることはなかった。

 せいぜいが平民程度の知識しかないのに、知ったかぶって話すのは危険だろうが、ネーロにそれを白状して教えを請うてもいいものかどうか。

 弱みを見せてまたぞろ舐められては、またあちらの土俵で不利な勝負を強いられる羽目になる。


 ルナは少し考えて、告げた。


「……王家に仕えているのなら。あなたがロッソ王子に恋い焦がれているのも?」

「いいえ。それはあくまでわたくし個人の感情。本来なら押して殺すべきたぐいの気持ちですが……というより、公爵家がこれ以上に王家と接近するのは、暗部としての活動も政治バランスの観点からも望ましくないとさえ言えます」

「ままならないわね」


 まあ気持ちは分かるかもしれない。

 『ルナ』だって損得を抜きにして、ビアンカを守ることをただ誓ったのだから。

 それが同質の感情かはともかく、人が理屈だけでどうこうなるものじゃないのは確かだった。


 見た感じの印象だが、ネーロはそのあたりの機微というか、バランス取りがまだうまく行っていない。

 王家と公爵家の影である自分と、年相応の少女らしさと。

 案外とそのへんのミスマッチが『悪役令嬢』ネーロ・オルニティアを形成した要因なのかもしれない。

 そういう見方をすれば、今のルナとは似た者同士なのかもしれなかった。


 ネーロがくすりと笑った。


「いっそのこと、先生がビアンカをさらって逃げてくだされば話は早かったのですが」

「変な冗談を言うのね、あなた……それで。手っ取り早く聞きたいんだけど、あなたはこの事件の黒幕に当たりがついているのかしら? それを教えてもらえると」

「……正直、察しはついていますが。その問いにはお答えできません」


 その返答に、ルナが怪訝に眉をひそめると、ネーロはびくりと身を震わせた。

 違う。怒って睨んだのではない。

 ただ本当に分からなかっただけなのだが、ネーロは勘違いしたようだった。


「申し訳ありません。ですが先に言った通り、オルニティア家は王家の表と裏に仕えています。同時に、です。わたくし自身もいくつもの密命を帯びた身であり、先生相手であっても口にすることを許されない事柄があるので……」

「ごめん。そんなつもりじゃないわ。私は知りたいことを聞きたいだけで、それ以外のことまで無理強いする気はない」


 そもそも今の状況自体が奇跡でしかない。

 まさかたかだかロッソの落とし方ひとつ教示しただけで、ネーロがこれほど恩に思ってくれるなんて。

 当初の想定からしても望外の幸運だった。


 そして、知りたかった情報はあらかた手に入った。

 マトが絞れた以上、これ以上ネーロの部屋に留まる理由もない。

 彼女の口から語れないなら別の切り口から真相に詰め寄ればいい。


 敵は王室そのもの。

 まったく言葉の通り、ネーロは値千金の情報を与えてくれた。


「ありがとう。おかげで次にどう動くべきか定まった。私はもう行くけど、聞き残したことはない?」

「……先生はおひとよしですわね。もうお別れだというなら、これ以上の譲歩など必要ありません。貴族との交渉で情けなど」

「よく言われる。でも私は、ただの暗殺者くずれだから。バチバチやり合うより、たとえ甘っちょろくても自分の感情のために動く」


 要は気が済むようにやりたいってこと。

 公爵令嬢様とのお目通りが適っただけでも十分だろうに、ネーロは必要以上のことを教えてくれたし、教えようともしてくれた。

 恩に着られるのもやぶさかじゃないが、貸し借りはその場できちっと精算したいっていうのが『ルナ』と『私』の総意だった。


 ネーロは、少しためらってから、そっと訊ねてきた。


「では、ひとつだけ……先生のお名前をうかがっても?」

「ルナよ。ルナ・ダイヤル。覚えなくていいわ。もう会えるかどうかも分からないし」

「わたくしが処刑されるからですか?」

「そんなことはさせない。ビアンカはもちろんだけど、自分自身やあなたのことも守るために私は動いている」

「ふふ。やはりおひとよしが過ぎますわ」


 まあそうだろう。

 名前を知られるということは所属や正体を知られるということで、自分から逃げ場をなくすようなものだ。

 もう組織は抜けたつもりだけれど、古巣から情報を手繰たぐればルナの情報なんていくらでも手に入るだろう。

 それこそ、影魔法の正体から、スリーサイズに至るまで。


 ルナはソファから立ち上がった。

 一応、冗談混じりに訊ねた。


「ひょっとしてこの部屋、都合よく外に出られる秘密の抜け道とかあったりする?」

「残念ながら。今度造っておきます。レモンが戻ってきたら送らせましょう、公爵令嬢の側仕えが一緒なら、顔パスで正門から出られますから――」


 と、その瞬間だった。


「お嬢様!」


 バタン、と勢いよくドアが開いて、あのメイドが帰ってきた。

 レモンだ。かなり慌てた様子で、ノックすら忘れていたようだ。


 驚いて振り向くルナとは違って、ネーロは落ち着き払ったまま訊ねた。


「――何事ですか、レモン。落ち着いて話しなさい」

「は、はい……その、正門に、今、軍警察が。それもネーロお嬢様の逮捕状を携えていて」

「逮捕状……?」


 ルナは口の中で怪訝につぶやく。

 ただならぬ表情のメイドの口から、穏やかでない単語が出てきた。


 レモンが続けた。


「ビアンカ様の暗殺を企てたとがで、お嬢様を捕らえに来た、と。あの騎士たち、デタラメをまくし立てています……!」

「な……」


 この瞬間。

 事態は急転し、誰も予想だにしない方向へと転がり始めた。

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