『ギャップ萌え』って、どういうこと!?

「――興味深いですわね。身に覚えのない罪を、それも見てきたような断定口調で」


 実際、ルナはその“断罪イベント”の現場を見ているわけだが。

 ゲームの画面越しの『私』が。


 ともかくルナは続けた。

 これがネーロにとって、価値ある情報だと信じて。


「詳しく聞きたいなら、話すわ」

「その前に。どうしてあなたがそれを知っているの? 根拠のない情報では意味がない」

「私が暗殺の実行犯だったから」


 そのもの事実を告げると、ネーロがしばし口を閉ざした。

 可能性と、現実性を吟味したのだろう。


 そしてひとつ、うなずいた。


「……手配書によれば、犯人は口元に傷の男。確か逃げる際に、犯人はロッソ王子の剣で頬を斬り裂かれたと」

「ビアンカが治してくれた。どうしてか分かる? 聞きたいなら、教えてあげる」

「やめておきましょう。対価にどんな情報を吐かされるか、割に合わないですもの」


 ネーロが薄く微笑んだ。

 どうやら興味を引くこと自体には成功したらしい。


 本番はここからだ、とルナは気を引き締めた。


「というより、理由と事情に察しがついてるからじゃないの?」

「ええ、まあ。あのおひとよしの庶民が同情して軽はずみにやったことでしょう? つくづく忌々しい。あの娘はいつも私の予定を狂わせる」

「そして今は、濡れ衣で破滅させられそうになってる……」

「あり得ないことですが、実現する可能性と危険性は無視できない。わたくしには誰より明らかな“動機”がありますもの」


 ルナは言葉を引き継いだ。


「ロッソ・グランシーザーの婚約者だからね、あなたは」

「ビアンカとの確執……というか、まあ貴族学校にあるまじきはしたない振る舞いの数々を注意してきただけのつもりですが。どうこじれたものかしら。わたくしの学園での評判は散々なことに」

「そこに今回の件が重なれば、どうなるか」

「オルニティア公爵家がお取り潰しにされかねませんわね」


 冗談のように言うが、おそらくその通りになる。

 『ハーモニック・ラバーズ』のエピローグでは軽く触れられるだけだが、のちにネーロは追放された辺境の地で病死、オルニティア家は没落する運命だ。

 実際にどうなるか、どうなったのかは分からないが、それは今は関係ないだろう。


 ついでにルナは告げた。


「これは親切心で教えるんだけどね、ご令嬢。あなたは人を数や情報や単位でばかり捉えて、感情をその秤に乗せていない。だから思うほど人望が集まらない。だからビアンカに見通しを狂わされる。だからロッソ王子の心が離れていく」

「…………」


 もっとも、これはネーロ個人への分析と考察ではなく、ビジュアルファンブックの受け売りだ。

 ここが正念場だ、たまには役に立ったっていいだろう、前世知識チート


 ネーロが、嘆息した。


「どうやら見くびっていたようですわね。最初の3つの貸し程度、これで相殺かしら」

「どうかな。こっちがひとつかふたつくらい優勢に思えるけど?」

「そういうことにしておきましょう。初心者ビギナーには優しく。そんなマナーもありましたわね」


 苦笑する。

 そしてネーロが続けた。


「せめても、こちらから白状しましょう。なぜわたくしが今、学園ではなくこの寮にいるのか――あなたをこの目で監視するためですわ。先ほど廊下で声をかけたのも」

「…………?」


 言われて、分からずに首を傾げそうになる。

 どういうことだ? 監視?

 ルナの正体、暗殺者という素性を知らなかったのに、どうして面識もなかったネーロからマークされることになるのだ……?


 ネーロと出会ったのが偶然でなく、あちらが意図した必然だというなら、確かに疑問のひとつに筋は通るが。

 それで代わりに謎がひとつ増えるのではキリがない。


 ネーロがふっと笑った。

 また顔に出てますわよ、と無言で注意されたようだった。


「あの子、ビアンカの元に突然現れた村の友人。明らかにタイミングがおかしいでしょう。『コロナ』という名前も初めて聞きましたし、警戒すべきだと直感しました」

「……もともとあなたは、ビアンカを監視していた? 昨日から――いや。ずっと前から?」

「鋭いですわね。その通り」


 そして、コロナという偽名まで知っている。

 それが偽物だということまで分かるのは、つまり。


「もしかして……あの6人組の騎士に、スパイが?」

「トマという男がそうですわね。ご存知かどうか分かりませんが」

「ビアンカが村に送った手紙も盗み見してる?」

「郵便省にツテがありまして」


 一気に悪役令嬢らしくなってきた。

 というか普通に犯罪だ。乙女ゲーム世界にとんだ悪党もいたものである。

 これも公爵家の娘という立場、権力のなせる業か。


 気づいたことがあって、ルナは告げた。


「……もしかして、なんだけど。あなたの注意が私に向いたのが、致命的な隙になったのかも。一見無関係なビアンカ襲撃、そちらに目が行って、あなた自身の守りがおろそかになったんじゃ」

「嫌な想像ですわね。わたくしに対処を余儀なくさせる良い手です。レモン、すぐに情報部へ指示を」

「かしこまりました」


 さっきのメイドさん(レモンというらしい)が足早に退室して、どこかへ向かう。

 話の流れから、公爵家の協力者への連絡に向かったのだろう。

 部屋にはルナとネーロだけが残された。


 ――と、そう見えるが。ルナは疑問に感じた。

 部屋にご令嬢と殺し屋モドキがふたりきり、これは許される状況なのか?

 ルナが信用されているわけがないし、護衛なしでネーロの身の安全はどうなる?

 まだ伏せている手札があるのか――


「さて。他になにか有力な情報がありまして?」


 パンと手を打って、ネーロが切り替えた。

 というか、基本の一問一答とやらが今どちらに傾いたのか、誤魔化されたようなタイミングだったが。


 話を合わせるのに必死で数えてなかった『私』の失敗だった。

 『ルナ』はなんかもうほとんど息してなかった。

 情報量の多さで頭(?)がパンクしてるみたいだ。


 といったところで、ルナも困ってしまった。

 最初に切り札を切ってしまったから、もう情報と呼べるものがほとんどない。

 状況からすれば仕方なかったが、まだ知りたいことはあるのに、差し出せるものがないのだ。


「ええと……あ、あなたのスリーサイズとか」

「……やはりあなた、馬鹿なの?」


 素で呆れられたっぽいが。


 ちなみにネーロはさすが公爵令嬢、相当なスタイル自慢である。

 見たところBはダイヤ並み、Wはビアンカと同じくらい細く、Hはりんご6個と半分くらい。

 ビジュアルファンブックに載っていた実数値も覚えているが……その対価になる情報ってなによ、って話なわけで。


 苦し紛れに、ルナはまくし立てた。


「ええと、ええと……ろ、ロッソは犬より猫派!」

「それくらい知ってます。見逃してあげるから、もうお行きなさいなあなた」

「それから、あー、苦手な食べ物はスイカとメロン!」

「贈り物の候補からは外しておきましょう」

「ぐあああああ! ああ見えて案外スケベで、いっつもビアンカの胸を見てるっ!」


 それはただの、捨て鉢の個人情報プライバシー流出だったのだが。


 言うやいなや。

 凄まじい速度だった。ソファから飛び出したネーロが、がしりとルナの右手を掴む。

 表情にも同じく凄まじいものを宿らせて、ネーロが据わった目で告げた。


「……詳しくお聞かせ願いましょうか」

「あ、え、ええ……? そこ食いつくの?」

「胸ならばビアンカよりわたくしのほうがよっぽど。いえ、あれも庶民にしてはなかなかですがそれでもサイズならわたくしが上のはず。なぜ!?」

「いや、なんかフェチ入ってて、ドレス姿で見せびらかすより制服とかでこっそり盛り上がってるのがいいとか、なんとか……」


 思いっきりメタ知識、ビジュアルファンブックの記述の受け売りなのだが、本当になんでそこに食いつくのか。


「制服……確かに、上流の貴族は自前のドレスで学園へ通うのが通例。周囲に埋没せぬようにと、わたくしも余念なく常に最新のトレンドを……そ、それが裏目に? ロッソ様はきらびやかな見てくれより、中身を……胸に詰まった夢を見ている……?」


 なにやら虚空を見据えたまま、謎の執念と言葉を燃やすネーロ。

 それは――なんというか。

 あれほど強大に見えたネーロという存在が、まるで等身大の、激しい恋情に我が身を焦がす年頃の娘に縮んだように見えて。


 いいや、戻ったと評するべきか。

 たとえどれほどの辣腕と頭脳を誇ろうとも、ネーロの素の姿はただの16歳の少女なのかも。

 一途な恋に邁進する、他のやり方を知らない、その点に関してだけは本当に、不器用なだけの箱入り娘なのではないか?


 ――そして、そうであるならば、そんな相手を『私』は山ほど・・・知ってた。

 前世ではいくつもの場をセッティングし、合コンクイーンとして君臨した『私』の直感が言っている。

 彼女もまた道に迷える者――ならば教え、導くことが、2度目の人生を生きる先達(?)の務めではないかと。


 なお、幹事役ばっかりやってたせいか彼氏ができた経験はなかったりするが、それはともかく。


「……これは経験則……というか、まあ、簡単なコツなんだけど。ここだけの話、ロッソみたいな男を落とす鉄板テンプレがあるの」

「ほ、ほほう?」

王子ボンボンっていう立場から、彼はいつだって美人に囲まれてきた。ことさら強調された巨乳にもね。その最筆頭は言うまでもなくあなた。あまりに身近に最強の美人がいたから、正攻法に容姿やスタイルを磨いて押しても、今さら効果は薄い」

「なんと!? そういうものなのですか? ではいったいどうすれば……」


 どう見ても交渉術の基本も忘れ、話にのめり込んできているネーロ。

 そもそも情報の出どころ、信憑性を疑わなくていいのか?


 色々と突っ込みたい衝動を抑えて、ルナは続けた。


「ギャップ萌え、よ」

「なんとギャップ萌え!」

「ロッソがビアンカに目を奪われたのは、つまり彼女がかつて周りにいなかった『面白いタイプ』だから。彼女自身の魅力もあるにせよ、とかく人は慣れやすく飽きやすい。美人は3日で飽きる。それが10余年。ロッソは刺激に飢えている」

「では、ロッソ様の身分を越えた懸想けそうとはつまり――」

「貫けば真実の愛。だけど、彼の想いを軽く見るつもりはないけど、それでも叶わなければひと夏の恋で終わる見込みは十分ある」


 実際、攻略対象ライバルは他にもいるのだ。

 『ハーモニック・ラバーズ』の『ビアンカ』が他になびいた場合、ロッソの想いはそうして美化される。

 順当に考えれば、その場合は誰か有力な貴族のご息女と改めて婚姻を結び、国と王家の繁栄のために尽くしていただろう。

 無論、ネーロが破滅せず存命なら、その役回りは現婚約者である彼女が勝ち取るはずだ。


 勝機ありと見込んで、ルナは続けた。


「男は馬鹿なようでいて、よく見てる。俗に女の勘なんて言うけど、あんなの迷信と幻想だってのが私の持論ね。男も女も同じように育てば同じにしか育たない」

「――ひるがえって、大なり小なり差はあれど、わたくしもそこらの貴族娘と出来は変わらない、と?」

「ざっくり言えばそう。質ではなく性質の問題、相性と相関の話よ。そもそもロッソの好みのタイプは『きちんと努力する女』。一見それはビアンカの持ち味に見えるわね」

「くっ」


 歯噛みするネーロ。

 認めてはいるのだろう。

 平民のビアンカがそれでも今は、貴族学校で恥ずかしくない程度に振る舞えるようになった、その努力の道筋を。


 ルナはギラリと目を光らせた。


「ただし、それはあくまで相対的に見た場合。意味合いと方向性は違えど、私から見てネーロ、あなたほど真剣に自分磨きに励んできた女性はいないわ。ただ悲しいかな、あなたはどこまでも不器用で悲しい悪役令嬢おんな――意中の相手に袖にされる運命さだめ

「ど、どうしてそう思いますの? いえ、それよりなぜロッソ様どころか、わたくしについてもそれほど詳細にあなたはご存知なのです?」


 当然の疑問だが、ファンブックチート知識ですなんて答えるわけにはいかない。

 ニヤリと意味深に笑って、ルナはグッと力強く拳を握ってみせた。


「一目で分かるわ。その美貌とスタイルを造り出し、維持するのがどんなに大変か。恵まれた生まれ、容姿だけじゃない。立ち振る舞いのすべて、所作のひとつひとつにまで、あなたの美には貫徹した意志がある。すべてはロッソを振り向かせるため。そのために積み重ねてきた研鑽と追求と魂の輝きを、いったい誰が笑うというの!?」


 『私』は絶好調だった。

 恋バナは前世からの大好物、その点では人を見る目には相当以上の自信がある。

 合コン百人斬りの実績と経験、なにより同じ女として、ネーロの努力の痕跡が見抜けないようではてんでお話になりはしない!


 先ほど、男と女にさほど違いはないとルナは言った。

 それでもたったひとつだけ、明確に違うと断言できるものがあるのだ。


「――男はね。女ほど美醜にこだわらないのよ。もちろん見ないわけではないけど、熱量が違う……むしろ内面を見る。いえ見たがる。見ているふりをしたがるの」

「な、それはどういうことですの!?」

「真実の愛がそこにあると信じているからよ。だからネーロ、ネーロ・オルニティア公爵令嬢。あなたがすべきはこれ以上の自分磨きじゃない。ビアンカをいじめてロッソの気を引くことでもない。その強い想いを、心の内に押し隠した弱さを、水面下のバタ足の必死さを、ロッソに打ち明け、見せつけるの――あなたがどれほどロッソを愛しているのかをねっ!」


 白鳥ならぬ『黒鳥』、ネーロは雷に打たれたように身体を震わせた。

 ズギャーンという効果音まで鳴り響きそうな、あからさまなほどの動揺だった。


 恐れおののくようにネーロがうめいた。


「そ、そんな……そんなの……そのような、は、はしたなく、恐ろしいことを、いったいどうやって!?」


 プライドの高い者はことさらに神経質だ。

 あえて想い人ロッソに弱さをさらけ出し、隙を見せろなんて、ネーロからすれば正気の沙汰とは思えないだろう。

 だがしかし、そこに付け入る隙があるのだ。


「無敵の大貴族、ネーロ・オルニティアには確かに難しいかもしれない。けれどだからこそ『ギャップ萌え』が成立するの。恋と戦争に手段を選んでは駄目……男と勝利は、自ら勝ち取るものよ」

「しかしわたくしには公爵家を担う責務、みなの規範たる姿勢を見せる義務が……」

「そうね、その通り。あなたはそれでいいのよ。だから、その弱みを見せるのはロッソに対してだけ。ネーロの弱さを知っているのは自分だけだと、ロッソにそう印象づけるの。あなたは私の特別なんだと、だからあなたも私だけを見て、と。それこそがすべての男が夢見る『真実の愛』の本質なのよ」

「なんという駆け引き……! 恋と戦争が同義とは、なるほど言い得て妙ですわ!」


 猛烈な勢いでうなずき、感心どころか感動の気配すら漂わせて、ネーロは大興奮だった。

 さらに対抗心を煽る意味で、ルナは続けた。


「それはそう――立場は違えど、平民であるビアンカが、貴族学校でやってきたことと意味は同じ。ギャップ萌えよ。彼女のそれは故意でなくあくまで自然体だけれど、その結果としての逆ハーレムがある……」

「んな、な、なななな! 言われてみれば! ロッソ様や、他にもアズリオ様たちとお茶会でご一緒した時はいつも『ビアンカのがむしゃらに頑張る姿が見ていて面白い』などと!」


 そういうことだ。

 そういうところだぞ、ネーロ・オルニティア。


「誰も教えてくれないでしょうけど、これがおそらくロッソ攻略の最適解よ。もちろん機を見る必要はある。けれどロッソのビアンカへの想いが揺らぐ、その隙を見逃さずあなたの本当の魅力を伝えられれば、ここからの巻き返しは十分に可能――」


 貴族的かつ極まった合理主義者のネーロに、今すぐそれを実践するのは難しかろうが。


 けれど、今やネーロの目は輝いていた。

 心のどこかでくじけかけていた情熱に、今再び火がついたのだ。


「あなた様……いいえ、先生っ! わたくしはやります! 必ずやロッソ様のお心をビアンカから奪い返し、射止めてみせますわ!」

「いい目だわ。あなたならできる。きっと、いいえ絶対に。自信を持って、保証するわ……で、情報吐いてくれるわね?」

「洗いざらいすべてお教えしましょう、先生の知りたいことはすべて!」


 あり得ないほどチョロく、ネーロはちた。

 まさか前世の『私』がこんな役立ち方するとは夢にも思わなかった。

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