『悪役令嬢』って、こんなだっけ……?
ネーロ・オルニティア。
王国有数の大貴族、オルニティア公爵家の長女。
と、分かってから見れば確かに、彼女の物腰には明らかな“並でなさ”があった。
簡易な部屋着で、お付きの者もなく、ただそこに立っているだけなのに、なのに彼女は誰がどう見ても“貴族”だ。
立ち方ひとつ、細かな仕草でもそれが知れる。
分かるし、感じるのだ。
ある種のカリスマ。
格別のオーラ。
貴き青い血。
貴族という
内面からにじみ出る矜持と振る舞いは、彼女がまさに生まれついての大貴族だと雄弁に語りかけてくるようで――
「――話がしたいのでしょう、コソ泥さん? そのように口をつぐまれては、わたくしも困ってしまいます」
と言われて、はっとルナは意識を取り戻した。
自分の正気を疑っていたのだ。
ビアンカとの二度の
出来すぎた偶然――で済ませていいものか? これ。
まあ異世界転生なんてあり得ない奇跡を我が身で体験してる以上、ご都合主義がうんぬんなんて今さら言うのもはばかられるのだが。
どうにか頭を振って気を取り直すと、ルナは口を開いた。
「……とんだ失礼をしたわ。写真でしかあなたを知らなかった」
「そのようで。まあいいですわ。それで、あなたの話とはどのような? 言いたいのか、聞きたいのか」
「まあ、一応その、両方だけど」
「長くなりそうね。では立ち話でなく、続きは部屋でよろしいかしら」
まったく当然のように言われて、ルナはぎょっと目をむいた。
どう考えても、突然押し入ってきた
もはや余裕を通り越して据え肝の域だ。
ただでさえルナはさっきのしくじりでバツが悪いのに、ネーロはまったく気にしてないどころか、気にも留めていない。
こんなのは慣れっこだとでもいうような、泰然とした物腰だった。
……悪役令嬢ってこういうものなのか?
なにかが間違ってる気がするが、指摘する暇もない。
「どうぞ」
返事を待つまでもなく、ネーロは傍らの自室のドアを開けていた。
まったく躊躇なくルナにも入室を促してくる。
どうにも逆らえずに上がり込むと、そもそも部屋は無人ではなかった。
「……あ」
考えてなかったのは迂闊だった。
公爵令嬢たる彼女の寮部屋となれば、たとえ外出中でも世話役のメイドひとりくらい残っているだろう。
美人だがどこか印象の薄い(ネーロの後に見るとなおさら薄い)メイドの女性が、口を開く。
「お嬢様? そちらの方は?」
「来客よ。紅茶を淹れてもらえるかしら」
「かしこまりました」
メイドさんは
主人の言動に異を挟む余地はまったくない。
せいぜいが平民だろう少女が上級貴族用の女子寮に現れても、眉一筋揺らさない。
めまいがした。
なんだ、この世界は。
異世界からまた別次元に飛ばされてきたみたいな気分だった。
「お掛けなさいな」
「あ、はい。どうも……」
なんかもう当然のようにネーロが仕切って、ルナにソファの対面への着席を促していた。
ソファは上等のもので吸い込まれるように座り心地がいいが、居心地は悪い。
どうすればいいんだ、この空気……
ソワソワしているルナに、ネーロが嘆息しながら言ってきた。
「早速用件を、と訊ねたいところですが。その前に親切心で教えましょう。あなたは馬鹿です」
「…………」
返す言葉もない。
黙ってうなだれる。
無計画に押し込み強盗を
馬鹿以外になんて表現したらいいのか分からないレベルの間抜けぶりだった。
が。
「あなたは今、自分の行動の杜撰さを振り返っているのでしょうが。違いますよ」
「え?」
まったくその通りに考えを読まれて、ルナは硬直する。
ネーロはこともなげに続けた。
「考えがすぐ顔に出る。それが交渉の場でどれだけ不利なのか、分かっていないでしょう。だから簡単に丸め込まれる。なぜ無警戒にその席に座ったのですか」
「え、いや、なんか圧倒されて」
つい答えると、即座に切り返された。
「その席に罠があったら? メイドにこっそり警備へ連絡させた可能性は? お茶に毒を入れる指示があったかも。あなたはいくつ見落としましたか?」
「…………!?」
「ご心配なく。すべて嘘です。ですが実行する用意はありました。あなたはおそらく暗殺の専門教育を受けてきたのでしょうが、この場に――貴族のフィールドに踏み込むなら、相応しい覚悟と準備が必要でした。まさかと思いますが、いざとなれば殺すと脅せば必要な情報は得られるとでも?」
恐ろしいほど平静に、ネーロは言う。
先ほどまで刃物を突きつけられて震えていた少女が。
しかし静かに続ける。
「一息に殺されれば、わたくしもどうしようもなかったですが。目的が分かってしまえば怯える演技でもして誘導するのは容易い。なぜか分かりますか? あなたが馬鹿正直に自分の目的を明かしたからです」
「な……」
「こんなこと教えるのも馬鹿馬鹿しいぐらい時間の無駄ですが。交渉術の初歩ですわ。基本は一問一答。相手が自分の知りたいことすべてを丁寧に教えてくれるとお思いですか? 情報の価値を知り、見極め、対等に会話を進める。そしてお互いに、自分が差し出したもの以上に価値ある情報を持ち帰るのが理想」
それが貴族の流儀――いや、最低限のラインであると、ネーロは告げた。
「さて。わたくしはあなたを警備員に突き出さず、どころか部屋に匿い、交渉の作法をお教えしました。甘く見積もってもこの時点で値千金の貸しが3つ。それに見合うものをあなたはわたくしに返してくれるのでしょうね?」
運ばれてきた紅茶のティーカップを、流れるような所作でつまんで一口し、ネーロ・オルニティア公爵令嬢は静かに目を閉じた。
子どもの遊びを笑って受け流すような、余裕と気品の仕草だった。
「…………」
駄目だ。と直感した。
『私』が口で勝てる相手じゃない。
『ルナ』の暴力をちらつかせてもネーロには通じないだろう。
器が違いすぎる。
貴族の最高位。公爵家の令嬢。その手腕と怜悧な頭脳、死すら割り切る覚悟の質。
比喩でもなんでもなく、ルナ・ダイヤルとは住む世界が違う。
違う世界の強敵。
いいや、釈迦の手のひらで猿回しされているようなものだった。
事によれば、あの姉弟子ダイヤよりよほど手に負えない怪物だった。
あるいは本気で勝負するなら、勝つだけなら“殺す”のが唯一の正解だろう。
ネーロを殺して、メイドも殺して、邪魔者はすべて薙ぎ払って突破する。
呑まれた空気を再びルナの側に引き戻す、本当に唯一で絶対の手段。
けれどそれは駄目だ。
ルナ・ダイヤルはもう暗殺者ではないし、ならばネーロが言ったように、必要な情報が得られないならそれは敗北と同義なのだ。
――いつの間にか、ルナの目の前にも紅茶のカップが置かれていたが、手をつける気にはなれなかった。
毒など入っていないのはほぼ間違いないが(その必要がどこにもない、当然だ、ネーロが圧倒している)、ネーロにもうひとつでも弱みを見せるわけにはいかない。
ネーロは言った。
ルナの知りたいこと、すべてに答えるつもりはないと。
なぜ学園に行かず寮にいるのか、なぜルナを匿ったのか、いや、そもそも最初からルナを知っていたのではないかという疑念すら、今は訊ねることを許されない。
たったひとつ。
ただひとつだけの、確実にネーロの関心を引き得る、価値ある言葉を告げねばならない。
できないなら、今すぐ窓をぶち破って4階から地上まで落下して逃げるしかない。
ネーロが、閉じていた目を開けようとして――
「――あなたはこれから数週の内に断罪される。ビアンカ・サマサ暗殺未遂の容疑で」
ルナの告げた言葉に、目を見開いた。
それが驚きによるものか、それとも別の感情によるものなのか、はたまた演技なのか。
その見分けすらつかないまま、それでもルナはじっとその目を見返した。
差し出す情報として、これが正解なのかどうか。
分からないが、賽は投げられた。ルナが投げ込んだ。
どの目が出るか、勝負しようか。
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