『やらかし』って、どういうこと!?
ちなみにだけれど、ビアンカがこんな非常時に街へ出て学校に通っていたのは『アズリオ王子』の提案だとか。
周囲や、特にロッソはビアンカの身を案じて、部屋で安全に過ごすように言ったのだが。
「事件を
鶴の一声とまでいかずとも、切れ者で知られる第三王子の言葉はかなり有効だったらしい。
最終的には兄のロッソも折れて、その結果――まあ見事に街中で当の殺し屋本人と出くわすに至ったわけだけど。
それでいいのか、
「なんて言ったかな、確か、“シュラーガー”さん……っていう人に依頼して、私の護衛を頼んだんだって」
「それって、昨日の騎士の隊長さん?」
「ううん、あの人はハンスさん。それからギュンシュさんにトマさん、ヨクサルさんとベノマルさんと若い人はヴィルヘルムさんっていって」
「一日で全員覚えたの……?」
「そりゃあまあ、事件が解決するまでお世話になるんだから」
ふとしたことで、ビアンカのものすごい陽キャぶりを見せつけられてしまったが。
その
ここでお別れだ。
「じゃあね、ル……コロナ。まだ街にいるようなら、いつでも遊びに来てね」
「ええ。“村に帰る”までに暇があったら、きっとまた」
護衛騎士たちが待っていたため、言葉を濁して言い交わした。
昨日と同じ騎士の面々にそれっぽく別れの挨拶をして、ルナも別方向に歩き出す。
朝日の昇り来る、街の東へ向かって。
この街に戻ってきた目的。
ネーロ・オルニティアから情報を得るために、彼女の住む『ブルーローズ』寮へ潜入する。
といっても、ビアンカと同じように、今の時間はネーロも魔法学園に登校しているはずだった。
寮生は既にあらかた出払って、巨大な館は今はむしろ閑散として見えなくもない。
当たり前だけれど、『ハーモニック・ラバーズ』はテキストゲームだったので、下級寮と上級寮の細かい住所なんて『私』は知らなかった。
だからそれが街の区画ひとつを隔てた向こう、3キロほども離れてそれぞれ建っているなんて予想してなかったわけで。
ゲームではただ別棟なんて曖昧に表現していたが、これが実物を見比べると完全に別物なのだ。
下級貴族の娘たちが住む女子寮『ホワイトリリー』は、まだしも前世の一般的な学生寮を彷彿させる慎ましい造りだった。
しかし、本館――伯爵位以上の血筋の者だけが入寮を許される『ブルーローズ』は、なんていうか、
見る者を圧する威容、細緻な壁細工に分厚い門拵え、敷地内にはバラの香りが漂っているほどで、まったく言う通り完全に住む世界が違う。
貴族階級の生々しい格差、身分差を嫌でも感じさせる大建築だが、忍び込むとなればその巨大さが穴になって意外と簡単だった。
無駄に多い装飾の影を伝い、影の中を泳いで進むと、内部まであっさり侵入できてしまう。
かえって拍子抜けを覚えながら、ルナは呼吸を整えがてら廊下の角に身を隠した。
「えーと、ネーロの部屋番号は……確か最上階の499だっけ?」
『ハーモニック・ラバーズ』では一度だけ、ネーロの暮らす部屋が出てくる場面がある。
とはいえその一度は共通ルートに含まれる展開で、ご丁寧にイベント選択肢が出てくるシーンでもあったため、うろ覚えながらも『私』はその部屋を知っていた。
生徒がひしめく学園内ではなく、この寮を接触の場に選んだのはそれが理由だ。
うまく機会をうかがえば、邪魔者なしの一対一でネーロと対面できるかもしれない。
いかにも
なんていうか、転生(憑依?)してからこっち、『私』の知識ってロクに役立ってないし。
チェーホフの銃って言葉もあるし、実際そこにあるからには活用しないと、道具も力も知恵も余分で不格好なだけだろう――
「あの。もし、あなた?」
突然だった。
まるきりなんの前触れもなく、後ろから話しかけられた。
「う、うわああっ!?」
身も蓋もなく、文字通りルナは飛び上がった。
驚いて振り返る。
品のある、落ち着いた部屋着姿の少女が、訝しげにルナを見ていた。
寮生、だろう。いかにも貴族的な面立ちと物腰でそれはすぐに察する。
まだ残っている生徒がいたらしい。
きちんと隠れていたはずが、まったく意味もなくあっさり見つかった。
侵入がバレた!
その少女、つややかな長い黒髪の彼女は優雅に小首を傾げて、訊ねた。
「どちら様ですかしら? 学園生……ではないようですが。迷われでもしたの?」
「あ、あのその、ええと」
予期せぬ出来事に完全に動揺して、言い訳ひとつ思い浮かばない。
おろおろ慌てていると、頭の中にため息が響いた。
……いつも余裕でお姉さんぶった顔してるくせに、情けないなあ。
――う、うるさいわね! じゃあこんなのどうやって切り抜ければいいのよ!
……代わろうか? 私、こんな状況ならどうとでもできるけど。
――ほんと!? 任せる! 警備員なんか呼ばれたら一巻の終わりなんだから、ちゃんと誤魔化してよ、頼むわよ!
……大丈夫だよ。ちゃんと声ひとつあげさせずに終わるから。
え? と『私』が疑問符を浮かべた瞬間。
「――――ぇ?」
とん、とルナの手が少女に触れると、その身体が床に座り込む。
かひゅ、ひゅー、と調子外れの笛の音のような呼吸がその口から聞こえる。
なにをしたのか、と遅れて『私』が気づくのと、突き出していた右手を『ルナ』が下ろすのはほとんど同時だった。
親指を寮生の少女のみぞおちにめり込ませ、肺と横隔膜の間を突いて麻痺させたのだ。
一瞬にも満たない刹那の早業、秘孔でも突くような尋常でない手際だった。
衝撃もダメージもなく、ただ少女の肉体から必要なだけの呼吸機能を奪う。
さらに『ルナ』は服の内側から短剣を取り出すと、少女の喉元に当てた。
囁くように言う。
「……黙れ。暴れたら殺す。499号室まで案内しろ」
まるっきり殺し屋の口調で言い切った。
少女が、ひっ、と息を引きつらせる。
しかし息はできても声が出せないのか、戸惑うように喉と打たれた胸元を交互に触って狼狽えている。
そして突きつけられた刃にも遅れて気づいてさらに慌てたが、やはり悲鳴はあげられず息だけが口から漏れた。
なんていうか。
止める暇もなく、やらかしやがった。
(って馬鹿か私はぁ! ルナぁぁぁぁぁおどりゃなにしてくれてんだぼけえええ!)
……状況はクリアした。声ひとつあげさせずに無力化したよ。後は煮るなり焼くなり。
――まずはあんたをコトコト煮込んでこんがり焼いてやろうか、この暗殺馬鹿ぁ!
繰り返すが、頭の中のやりとりはルナの妄想だ。
現実のルナは顔色ひとつ変えないまま、膝をつく少女を冷酷な目で見下ろしている。
少女は、しばしガタガタと震えていたが――
苦しいまでも痛みまではないのか、やがて半泣きながらも諦めたように立ち上がり、震える指先で廊下の先を指し示した。
どうやら案内してくれるようだ。
可哀想に……
少女は、か細い声をなんとか振り絞って訊ねてきた。
「ぁ、か――ぁの、そのおへや、って」
「そう。用があるのはネーロ・オルニティア公爵令嬢だけ。従えば解放する。従わないなら」
「…………」
無言で察して、少女がごくりと喉を動かす。
歩き出した。
ルナもあとに続く。
――ああ――もう――どうにでもなれ――
不幸中の幸いで、その先で誰かに遭遇することはなかった。
4階の一番奥の部屋の前にたどり着いたところで、黒髪の少女が目配せしてくる。
どうすればいいのか、と困ったように目で訴えてきた。
「……失礼する」
一応、一言断ってから、短剣をしまって少女の右腕を取った。
怯えるようにその身がすくむが、構わずルナはその手首と肘の間あたりをグッと押し込んだ。
「か――ぅ、ゲホッ!」
途端、少女の喉が詰めていた息を、咳とともに一気に吐き出す。
気付け。活法。ツボを押して呼吸の機能を回復させたのだ。
「ぅあ……? こ、声が」
「ネーロがいつ戻るか、分かる?」
やけくそで確認する。
『ルナ』のプランだと、殺さないまでもこのまま少女を殴って気絶させてクローゼットにでも押し込むつもりだったらしいが。
……なんでそうしないの?
――もし目が覚めたら大騒ぎされて待ち伏せどころじゃなくなるでしょうが!
……ここで解放しても同じじゃない?
――ああもう本当にその通りよ! 段取りめちゃくちゃよ! じゃあどうすればいいのよまったくもー!
表情は冷徹に澄ましたまま、ひたすらやけっぱちで脳内で叫ぶ。
どうしてこうなった。
しかし、どうにも意外なことに、道案内させた少女は困り顔でまだそこに立っていた。
この状況ならさっさと悲鳴をあげて逃げ出すか、めそめそ泣きながら死にたくない助けてって言いながら公爵令嬢を売り渡すかだと思うのだが。
焦れて、促す。
「早く答えろ」
「ええと……あなたは、その、ネーロとどういう関係が? 彼女を殺しに?」
――――?
不思議な問いかけだった。不自然というか。そんなこと聞いてどうする?
それに、貴族の最高位である公爵の娘を呼び捨てにするって、この少女はネーロの友人か、対等に近い家格の持ち主なのか?
微妙に迷いながら、ルナは答えた。
「違う。彼女と話がしたいだけ」
「そのためだけにわざわざ、こんなところまで押し込みを……?」
「時間稼ぎなら無駄よ。早く答えて」
さらに続ける。
それを受けて、少女が嘆息した。
……は? なんでため息をつかれたんだ、今?
舐めてんのかこのガキ、といい加減に苛立ってゴロツキみたいなことを考えていると、黒髪の少女は目の前で腕組みしてみせた。
とても偉そうな態度で――そして、妙に堂に入ったポーズだった。
「……時間の無駄はどちらなのだか。なんのことはない。ただの間抜けのコソ泥なのね」
「なんだと?」
「顔も知らない相手と、いったいなにをお話しになるつもりだったの?」
「は?」
言われ、はたと気がついた。
貴族令嬢の顔というのはどれもこれも整っていて、悪く言えば特徴がなく、見分けがつかないものだ。
まして余所行きの姿のほうが念頭にあって、髪のセットもしてないし派手なドレスも着ていない、スッピンの姿では。
ゲームの画面越しの立ち絵しか知らないなら、本物を目の前にしても分かるわけない。
「わたくしがネーロ・オルニティアです。ご用件をうかがってもよろしくて、コソ泥さん?」
「…………」
なんとも言えないという顔で、ルナは唸った。
本当に。どうしていつもこうなる?
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