姉なるもの(ダイヤ視点)

「うわあああ、俺の馬小屋がボロボロの穴だらけに! 誰がこんなイタズラを! おいあんた、そこの娘さん、なにか見なかったかいったいなにがあったんごげぇ!?」


 駆け寄ってきた農家の家主とおぼしき男を、ダイヤは見もせずに裏拳一発で黙らせた。

 男はあっさりぶっ飛んで、藁の布団の上で目を回して昏倒する。


 小鳥の鳴く静寂の戻った朝に、日の光がそろそろ足元に影を生み始めている。

 ダイヤはその小鳥と歌うように、晴れやかに伸びをした。


「んー! いい目をしてたわねえ、ルナは。未経験どうていだなんてもう言えないわね。どこかでいい男でも捕まえてきたのかしら? やだもー」


 そんなわけはないだろうけれど。

 でもまあ、あのロッソとかいう王子様にも一度負けてるし、それが“死”に近い経験になって、それで一皮むけたのかもしれない。

 と考えて「それってつまり恋じゃない?」なんて考え直したりもする。


 なんにせよ、あのまま戦いを続けていたら、勝負は案外分からなかっただろう。

 10回やればダイヤがすべて勝つが、その次はもう予想がつかない。

 次の一戦が“たまたま”その11回目になる、そんな予感をダイヤは覚えていた。


「若いっていいわねえ。歩くだけで強くなる理由がいくつも拾ってこられる」


 犬も歩けば棒に当たる、だ。それが吉であれ凶であれ、きっかけさえあれば人は変わる。それを努力と呼び、成長と呼ぶのだ。

 なんとなくそれが、ダイヤの人生哲学――いや。反面哲学だった。


 ダイヤ・ダイヤルはほぼ完成された暗殺者だ。

 ダイヤル機関ではその名の通り、時計の針になぞらえて位階とランクを表現するが、ダイヤの『5時』はほとんど教師級の実力を意味する。

 足りないのは経験と実績だけ。そんなものは巻いたネジが勝手に時刻を進め、惰性で出世していくだけと分かっている。


 だから、変化は時計の針のように不可逆、一方通行。回るだけで、高みへ向かうことはできない。盤面を飛び出すことも。

 行き着く先の姿が分かっているのでは、頑張る理由だってないわけで。

 理由が必要なのだ。犬が歩くには。目的地がいる。どこかへたどり着く意志が。


 それはダイヤが、ついに可愛い妹に与えてあげられなかったもので――


「そうでなくとも貴族の血筋。魔法なんてズルい抜け道を持ってる時点で、あの子の伸びしろって組織でも随一のはずなんだけどねー」


 裏社会では最大規模に近いダイヤル機関だが、それでも魔法の素養を持つ者は多くない。

 ダイヤだって持っていない。

 必要ないでしょ、とはっきり言える完成度だと自負してはいるが、素直に格好いい羨ましいって気持ちはあるのだ。


 今回の依頼では、その貴重な素質に目をつけられた。

 あるいはそれは不運だっただろう。

 ダイヤは教師の補佐として、まさにビアンカ・サマサ暗殺依頼を組織が請け負う現場に立ち会ったのだが……


 先方の、お忍びの高位貴族とおぼしき男は、奇妙なことを要求したのだ。


「……この暗殺には“魔法が使える殺し屋”を使え。あの愚かで美しい娘を。見合った報酬は支払う。決行の日時も追って知らせる」


 耳を疑ったが、それより驚いたのは、組織の重鎮がそれを聞いてうなずいたことだ。


 組織は通常、こうした依頼を拒否する。当然だろう。選びたいというならフリーの殺し屋から勝手に見繕えばいいわけで、一大組織が素人に指図されるいわれはない。

 適した者を選んで任務の確実性を上げるため、などと細かい理由もあるが、一番大きいのは組織が“舐められない”ためだ。


 舐められれば足元を見られる。

 脅しに来る馬鹿も出てくるだろう。

 そしてもし公的機関、騎士団にでも尻尾を掴まれれば、組織をあげての戦争に発展しかねない。


 自分たちのような暴力組織は決して舐められてはいけないのだ。それは報酬などはもちろん、時として組織の存続そのものより重要な意味を持つ。


 にもかかわらず、その依頼は受理され、あまつさえさも当然のように『オルニティア公爵家からのもの』として処理され始めた。

 事前の取り決めがあったのは明らかだった。


 ダイヤル機関はその“貴族の男”を特別視し、格別の上客として扱っていた。

 みな、ルナやダイヤたちの師ですら、貝のように口をつぐむだけだった。


 そして同じく、奇妙なことは続くものだ。

 任務に失敗して逃亡したルナを、しかしダイヤが命じられたのは始末ではなく“暗殺任務への復帰”を促すこと。

 組織の顔に泥を塗ったルナに、再び機会を与えるというものだ。


 絶対にない話ではない――希少な四大を外れた魔法の価値を思えば、なおさら――だが、それを命じたのがまた“謎の貴族”だったことが、ダイヤの疑念を加速した。

 もちろん、その命令自体はダイヤにはむしろ望むところだったのだが、裏があるのは間違いないだろう。


 あの貴族は何者か。考えられる可能性はふたつ。

 組織の最上層部、長老クラスと繋がる直通のパイプがあるのか。

 あるいは、単純に圧倒的な家格を持つ大貴族であるかだ――それこそ貴族の最高位、オルニティア公爵家そのものか、それと同等以上の。

 そんな名家がこの王国にいくつあるのか、ダイヤは知らないしさほど興味もなかったが。


 これ以上勘繰るのは危険だろう。それは確実だ。

 真相を知ればダイヤであろうと消されかねない、大きな陰謀が動いていた。


(ルナは切り抜けられるかしらねー……)


 望み薄だろう、とダイヤは半ば諦めていた。

 仕方あるまい。あの幼く未熟で、技術はつたなく、ついには“殺す選択肢”まで捨てた甘っちょろい妹では。

 ダイヤが手助けすることもできない。上層部は適当に誤魔化して言いくるめるにしても、期限は3日が限度だろう。


 それを過ぎれば、今度こそ自分はルナを殺さなければならない。


「まっ、なるようになるでしょうよ。私のやることは変わらんでしょうよ。この場は退散退散、ごめんね農家の人ー」


 まだ気絶してうんうん唸っている男に手を振って、ダイヤは歩き出した。

 あんまり長居してたら、今度は夫の帰りが遅いのを心配した奥さんまで殴って失神させることになるかもしれない。


 ぽてぽて道を行きながら、ルナの顔を思い出す。

 あの意志の輝きに照り映えるような、強く美しい瞳を。


(私も恋のひとつもしてれば、あんな風になれたのかしら。殺しに手を染める前に)


 そう思ったら、なんだか妹に妬けてしまった。

 そしてさっきと逆のことを思い浮かべた。自分が彼女の立場なら、どうしようもできずにビアンカを殺すか自分が死ぬかするだけだっただろうが。


 あるいはルナなら、小さな歯車であることを拒否した妹ならば、時計の盤面を飛び越えて新たな可能性を刻みつけられるかもしれないと。

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