『私は私』って、どういうこと!?

「――へえー?」


 ダイヤが軽く柳眉を持ち上げる。楽しげに。

 まさか、ゲロまで吐くほど弱った姿の妹から、そんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。


 それはそうだろう。『ルナ』自身では逆さに振っても出てこない疑問だったから。

 そのほころびを見つけた立役者、つまり『私』は内心でドヤ顔しながら、それを表には出さないまま言葉を継いだ。

 もっとも、演技するまでもなく痛みと吐き気で顔は歪みきっていたけれど。


「疑念は……あった。私に任務を伝えた先生が、どうしてオルニティア家からの依頼だなんて教えたのか。なぜ姉さんまでさっき、同じことを言ったのか。雇い主を余計な、リスクに晒す、なんて……情報の扱いが杜撰すぎる」

「どうかしらー? 捕まって拷問されても弱音を吐かないかとか、そのあたりの仕上がりをテストしたのかも」

「プロの殺し屋組織がそんな遊び、するわけない」


 『私』がネーロ・オルニティアを知っているのはいい。

 乙女ゲーム『ハーモニック・ラバーズ』での彼女の振る舞い、お手本みたいな悪役令嬢ぶりを見て知っているから、ロッソとビアンカの仲に嫉妬して殺し屋を放ったなんてお粗末な理由も納得できた。

 実際、その暗殺未遂事件が明るみに出たことで、ゲームのネーロは例のアレ、“断罪イベント”を迎えることになる。


 『ルナ』の記憶をのぞいても、まあそんなものかなと適当に聞き流していた。

 けれど、それをダイヤまで口にしたなら話は別だ。

 ダイヤル機関の殺し屋たちは、どうして繰り返し同じことをルナに伝えた――?


「情報が操作されてる――」


 この場合、『私』のゲーム知識は錯誤ノイズでしかない。

 真実を歪めて映す、余計な先入観だ。


 疑うことを知らない無垢な暗殺者――無知蒙昧に漂白された、ルナの心も同じだ。


「私が失敗することは、織り込み済みだった。あんな人目のある街中での襲撃も。捕まって雇い主の素性を漏らす可能性、そこまで計算して、強行された計画だった。だとすれば――犯人が悪役令嬢ネーロである必然性なんて、ない」


 誰かが彼女をハメたのだ。

 罪を被せて、おそらくは後で始末するための布石。

 『ハーモニック・ラバーズ』における、彼女に用意された破滅のシナリオだ。


「――私も。使い捨ての駒だった」


 信じて尽くして、忠誠と盲従を誓ったはずの組織に。

 こんなわけの分からない陰謀の捨て石にされた。

 どれだけの対価が支払われたのか、そこまでは分からないし知る気もなかったが。


 だが、その黒幕にも、組織にも予測できない事態が起こった。

 ルナ・ダイヤルの心変わり、裏切りと、離反だ。


 だからこうしてダイヤを差し向け、暗殺の続行かルナの抹殺、あるいはその両方にシナリオを修正しようとしているのだ。


「でも。今の私は、どこかの誰かが書いた筋書きに従う都合のいい駒じゃない。そんな、そんなの、あんまりじゃない。あんまりにも……」


 馬鹿みたいじゃないか? 馬鹿みたいじゃないか。

 こんな『ルナ』にとって残酷な話、まかり通っていいはずあるか。

 義憤に燃える『私』とともに叫ぶ。


「――だから! 私は殺さない。ビアンカも、利用されたネーロも死なせない。私自身の心も! 殺して、抜け殻の人形になんてなりたくない! 私は私だ。ルナ・ダイヤルだ!」


 操り人形じゃない。

 なにも知らない愚かな殺し屋でもない。

 産み捨てられ、路地裏でひとり泣いていただけの、無力で憐れな子供じゃあない。


 やり直すんだ。やり直すんだ!

 そのための知恵と力と、揺るがない魂が今は胸にある。

 まったく図らずも前世の『私』と、ビアンカがその機会を与えてくれた!


 痛む身体に活を入れる。

 刃を振り払って身構え、決然と吠えた。


「邪魔をするなダイヤ・ダイヤル! 立ちはだかるなら、あなただって倒す――私はもう諦めない。絶対にだ。かかってこい!」


 ――おい。

 おい待てっ。

 おい、待てってば、こら! イキりすぎだ馬鹿、さっきボコボコにされたばっかりだぞ!? そこまで上から目線で言ったら今度こそ本当に殺される――!


「――ぷっ。あは。あははははは!」


 そんな『私』の内心をよそに、ダイヤが笑った。

 両手でお腹を押さえて、大笑したのだ。

 こらえきれないとばかり、そう、はしがひとりでに勝手に転がり出したのをその目で見たように。


 逆に意表を突かれて呆然と見ていると、ダイヤがヒーヒー息を切らして言った。


「は――――――――笑った笑った、笑ったわあ。100点満点よルナ。あなたの推理はほぼ正解。限られた情報でよくそこまでたどり着いたものよ。ほんと、大したもんってやつでしょうよ」

「…………」

「いつまでも馬鹿だガキだと思ってたのに、これが鷹の爪ってやつかしら? ヒントとハンデありとはいえ、こうまでスパッと看破されちゃあね。今ここであなたを殴り倒したら、私、ただの格好悪い悪党でしょうがよ」


 殺し屋に格好いいも悪いもあるか……という言葉は、さすがに呑み込んだ。

 『私』が無理やり抑えつけただけだが。


 ダイヤはヒョイと肩をすくめると、お手上げという仕草で告げてきた。


「いいわ。お姉ちゃんの情けで、一回だけ見逃してあげる。組織での内申に響くから本当は嫌なんだけど……すっごくヤだけど。でもま、可愛い妹が脱いだもろ肌、それはんであげなきゃね。その成長と意気込みは素直に嬉しいもの」


 ダイヤはすっと手を下ろすと、そのまま目も瞑った。

 穏やかな微笑みを頬に浮かべて、続ける。


「だから、これは独り言オマケ――鍵を握るのは『黒鳥』。ネーロ・オルニティア公爵令嬢はまったくの無関係じゃない。クロでなくとも、おそらく叩けば少なくない埃が立つグレーでしょうね」


 それを探れと、暗にダイヤはそう言っていた。


 ――今、ダイヤは無防備だ。あえて隙を晒している。それはその細首に、ルナが刃を滑り込ませるのに十分な隙だった。

 行きがけの駄賃、殺していきなさい――後顧の憂いを断ちたいなら。ルナに殺されるなら、私はそれはそれで構わないし? そうすれば次の始末屋を手配するまで、ルナに組織の手は回らない――


 なんとも豪勢なオマケもあったものだが、ルナは短剣を懐に収めた。

 きっぱり無視して、その横を駆け抜ける。


「――ありがとう。姉さん」


 最後にそれを告げて、ルナはふらつく足を動かしてその場を去っていった。

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