『姉弟子』って、どういうこと!?
『ルナ』の父親は貴族家の跡取り息子だった。
そいつが街で評判だった花屋の娘を口説き落とし、孕ませ、今は身分のせいで一緒に暮らせないがいつか迎えに来るから俺たちの子供を頼むと言い残して――
まあ当然のようにそんな運命の日はついに訪れず、母はヤリ捨てられて終わった。
ちょうどルナが物心つく頃に、最後まで父を信じて待っていた母は病で亡くなり、身寄りのないルナは宿を追われて路上に打ち捨てられた。
痩せっぽちの小娘が貧民街で生きるには、変態相手に身体を売るか、物乞いになるか物盗りになるか、面影を頼りにワンチャン貴族の父を捜し出すか。
選択肢と言えるほどまともな道は残らなかったが。
奇跡が起こった。
なんと父のほうがルナを見つけ出し、喜び勇んで抱き上げたのだ。
「お前の魔法を売れば、売れば、売れば! ひっひひひ、一財産だ! 傾いた我が伯爵家を立て直すのだ!」
……訂正。奇跡ではなく悪夢の再会だったか。
父は一言で言えばクズで、二言で言えばド腐れのクズ野郎だった。
ちなみにその後、そのなんとかいう伯爵家は結局取り潰された。違法薬物の売買にも手を出していて、それで軍警察に捕まった父は獄中で死んだらしい。
ざまぁ。
ともかくルナが売られた先が暗殺組織『ダイヤル機関』で、それなりに波乱の10余年を経て、ルナ・ダイヤルは殺し屋として仕事を任されるまで生き延びた。
が、たちの悪い運命のシナリオが邪魔して暗殺の初任務は失敗。
あげく土壇場の正念場で異世界からのマレビトがその人格と魂に干渉・融合し――
忍び込んだ農家の馬小屋で夜を明かして、ルナは藁の上で身を起こした。
夢の中で夢を見るというのは奇妙な体験だった。
いや、もう諦めて現実を受け入れることにしたのだったか。
さっき見ていたもの、セピア色の回想は『ルナ』の過去の記憶だった。
もっとも、正確にすべて覚えていたのではない――人づてに、暗殺組織に聞かされていた、どうやら自分自身の生い立ちらしい。
「……まだ早朝かー」
空気の澄み具合、差し込む光の加減から察する。
休息はわずかでも活動を再開するには十分だ。
レポートを徹夜で仕上げて提出した次の日の反動、あれより断然マシってくらい。
暗殺者としての過酷な訓練の賜物だった――有り難いというよりは、ただ便利と思うだけだったが。
なんというか、ルナの中には間違いなく『ルナ』の思考と存在があるのだが、それはまさに影のようにおぼろな一部分なのだ。
推測だが悲惨な幼少期、暗殺者としての偏向教育のせいで、彼女の自意識はかなり未発達だったのだろう。
命じられた殺しにも躊躇や葛藤がないよう訓練、ないし調整された希薄な人格。
だからなのか、後付けで割り込んだ『私』の意識のほうが今はむしろベースになっているらしい。
ただし、各種の技術や技能は身体のほうで覚えているのか、ほぼ自由自在に操れる感触がある。
ちょうど昨日の、ロッソや憲兵隊との大立ち回りや、影魔法の行使のようにだ。
一度慣れてしまえば意識しなくても自転車は漕げる。
そんな感覚に近い。
その代わりなのか、記憶に関してはかなり集中しないと『ルナ』のものは掘り起こせないようだった。
靄がかかったように薄ぼんやりしていて、探ろうとしてもうまい具合にかわされてしまうような、はっきりしない手応え。
さっきの夢に見た風景にしても、歯抜けになっている部分も結構あるようだ。
贅沢は言うまい。
というか、暗殺組織での地獄の訓練をすべて追体験すれば、女子大生のメンタルが耐えられそうにない。
ちょうどいいリミッターだと考えるのがよさそうだ――ヤギの吐いたものを選り分けて食べる味とか、いちいち思い出したくないし。
「ま、要するにいいとこ取りよね。ふふん。コツを掴めばチョロそうね異世界生活」
調子づいて鼻を鳴らしたりもする。
ぶひんぶるるん、と隣の馬房から同意するような一夜の同居人のいななきも返ってきた。
良識的でなんでも
極限を超えた鍛錬によって培われた『ルナ』の技術に身体性能、鋼の精神力と。
これは理想的な相補関係であり、ベストマッチと言っていい。
加えてその出生から、この世界では貴族の特権と象徴である“魔法”の素養まで備えている――影魔法は制限こそ多いが、使いこなせば強力な切り札になるだろう。
スタートはあれだったが、滑り出しさえすれば結構いい線行くのではないか?
それこそ、自転車に乗るように。
漕ぎ出せればかえって安定して軌道に乗る。
勢いがつけば、逆境の坂道だって登れないことはないだろう。
やってやれないことはない!
それに、押しつける気はないが、これは『ルナ』にとっても悪い話ではなかったろう――ないはずだ。
あのままなら憲兵に捕まって死ぬところだったのが、ひょんな偶然から人生をやり直すチャンスになった。
昨晩ビアンカに言われたように、まだ彼女はその手を血で汚してもいない。
だったらなおさら、なにかルナの人生にも意味や価値を見出し、幸せを掴む権利だってあるだろう――あるはずだ。
哀れみではなく実感としてそれを噛み締めながら、ルナは藁の寝床から立ち上がった。
その瞬間だった。
「――なんだか優雅にご機嫌みたいね? 勝手に任務を投げ出した怠慢者《なまけもの》が――」
「!?」
不意に聞こえてきた声に、ルナは反射的にその場を飛び退いた。
そこになにかが突き刺さる。
目では決して追えない凄まじい速度、まさに一瞬前までいたその位置に。
厩舎の硬い土の上に、ナイフのようなものが突き刺さっていた。
というよりナイフそのものだ。
昨日失ったはずの、ルナの愛用の短剣だった。
柄の意匠、研いだ刃のクセは見間違えようがない。
だがここにあるはずがない。
憲兵隊が証拠と手がかりとして押収しているはずでは?
声が響いた。
「忍び込んで、取ってきてあげたわよ。せっかく先生からおそろいでもらったのに。あっさり使い捨てるなんて冷たいわって話でしょうよ――ねえ、ルナ?」
呼びかけられて、『ルナ』の記憶を探った。
さっき言った通り、それなりの集中を要するが。
そんな隙を晒す一瞬が、とてつもなく恐ろしいと肌で感じながら。
幸い、隙はその一瞬だけで済んだ。
思い出したのはそれだけ『ルナ』に馴染み深い相手だったのだ。
「ダイヤ姉さん……」
今度はこちらが呼びかけると、彼女は姿を現した。
早朝の薄明かりを、滑るようになめらかに、小屋の入り口から歩いて入ってくる。
その姿を見て、思い出してしまったことすべてをルナは絶望的に後悔した。
いや、それすら生ぬるくめまいまで覚えるほど、ほとんど物理的に脳が震えた。
ヤギの吐いたものを食うより最悪の事態だった。
――異世界なんて案外チョロい?
自転車に乗るようなもの?
やり直すチャンスだと?
そんな甘っちょろい余裕は一瞬で消し飛んで、ルナは再び地獄に引き戻された。
「顔色、悪いわね? 人の顔を見て失礼な。ぶっ殺すわよ? ていうか殺しに来たんだけどねえ」
ルナと同じ黒いローブ姿。
濡れたように美しい髪と、鋭くも艶めかしい瞳の輝き。
ルナより3つ年上の、それはちょうど前世の女子大生くらいの年頃で。
「馬鹿な妹。不出来な針。仕事から逃げた殺し屋がどうなるかなんて、あなたが一番よく知ってるでしょうがよ」
ダイヤ・ダイヤル――『ダイヤル機関』所属の姉弟子。
ルナのような殺し屋モドキではない。
一流と言って過言でない、実戦を経て練り上げられた本物の暗殺者だった。
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