『最強の敵』って、どういうこと!?

 ダイヤ・ダイヤルはその名の通り、宝石細工のように美しい娘だった。


 調律したように完璧な美貌、ぶ厚いローブ越しにも分かるメリハリあるスタイル、なにより、魔性を思わせるその瞳だ。

 花のように鮮やかで、飴のように甘く、だがガラスのように鋭く尖る――誘惑とスリルを併せ持った輝き。

 触れれば裂け、口にすれば毒、刺し、刈り取れば凶器にもなる。

 なのに見る者を惹きつけてやまない。一瞬たりともだ。


 逆なのだ。人が彼女を見るのではない。ダイヤが誰かを見定める。そしてそれが最後、そいつはもう射程圏内だ。

 目を離した瞬間に殺されることを本能で察知するから、誰も彼女から目を逸らせない。


 それはちょうどそう、今のルナのように。

 身体が、麻痺したように動かない――


「思うんだけど。ルナ、あなた今かーなーりー失礼なこと考えてない?」

「な、ん……」


 乾いた唇が言葉を求め、さまよった。

 冗談めかしたように、ダイヤが肩をすくめる。


「私を見て固まるやつは、だいたいふたつのことしか考えてない。ひとつはやらしーこと。もうひとつは、どうすれば一瞬でも苦しまず楽になれるか、ってこと」

「…………」

「家族にそんな目で見られるのは心外だわあ。前者はまんざらナシでもないけど。あなたがもし後者なら、たとえいっときでもダイヤル機関の同輩だったのは残念――」


 パチリ、とダイヤがウインクする。

 それで呪縛が解けた。


「――――!」


 ルナが求めたのは逃げ場ではなく、武器だった。

 さっきダイヤから『返された』愛用の短剣に飛びつき、拾い上げる。


 そうして向き直ると、ダイヤは動いてもいなかった。

 ルナの動きは隙だらけだったはずだが、それをニマニマ笑って眺めているだけだ。


 前世の最期、大型トラックに轢かれた時のような、濃密すぎる死の予感。

 ダイヤが総身から放っているのはまさにそれ、『死』そのものの気配だ。

 ただ数秒向き合っていただけで、ルナの全身からどっと汗が吹き出していた。


「ビアンカ・サマサを殺しなさいな」


 そしてダイヤは言った。

 出し抜けに、しかしある意味予想通りのことを。


「そうすればなにも問題ない。裏切りの事実はなかったことに。可愛いルナを粛清する必要もなくなる。一度襲撃に失敗して警備がついてるだろうけど、まああなたなら突破できるでしょうよ」


 軽く言ってくれる。ビアンカの持つ魔法の希少性を思えば、最低でも騎士の一部隊ぐらいは護衛についているはずだろうに。

 『ルナ』の記憶を見るに、ダイヤなら――組織のエリートである義姉なら言うように簡単だろうが、こっちにまで同じ基準を求められても困る。


 そう思いながら、しかし、反射的に言ったのはそれとは少し違う反駁だった。


「……ビアンカは殺さない」


 口にしてからぎょっとする。それが『ルナ』の声だったからだ。

 深層心理から彼女の意識が急浮上し、押しのけて切り替わる。


 影に潜んでいたはずの寡黙な冷徹。

 それが、今は気炎を上げて吠え猛っていた。

 獰猛な強い意志が言うのだ。

 『私』の意見をきっぱり無視して、聞きもせずに。


「彼女は殺させない。私が死ぬつもりもない。私は暗殺者には、ならない」

「ムシのいい話ねえ。組織と、依頼人と、なによりお姉ちゃんを裏切ってタダで済ますつもり?」

「別の方法を探す。短絡的に殺す以外の選択肢を」

「んま。生意気。反抗期かしら?」


 言葉とは裏腹に、ダイヤは特に気分を害した様子もなかった。

 代わりに懐に手を入れた。


 胸元をまさぐり、取り出したのは一体成形のナイフだ。

 柄から刃まで一繋がりのスローイングナイフ。

 それが両手に一本ずつ。


 だらんと両手を脱力して垂らしながら、ダイヤが続ける。


「そんな方法、あるわきゃーないでしょうよ。そりゃあ手を汚すのは嫌でしょうよ。でも殺すしかないでしょうよ? それがお仕事なんだもの、逆らったら怖ーいお姉さんがお仕置きに来るでしょうよ。怖くて綺麗なお姉さんがね」

「それでも、私は……!」

「じゃあ直訴してみるとか? 依頼主のネーロ・オルニティア公爵令嬢に。ただし」


 言葉とともに、ダイヤのプレッシャーが膨れ上がる。

 あの目に見定められる――魔性の宝石の瞳に。

 凝縮された殺意の眼差しに囚われる!


「ただしその前に、まずは私があなたを殺すって話でしょうがよっ!」

「…………!」


 選択の余地はなかった。

 『ルナ』に身体の主導権を明け渡す。

 このままのルナでは、ましてようやく現実を受け入れたなんて段階の『私』では、あの暗殺者に対抗できない。なにをどうしたところで絶対に。


 大蛇に睨まれたカエルのように、あの瞳に射すくめられれば、為す術もなく呑まれて殺されるだけだ。


 ルナがその場から跳ぶと同時に、背後の壁に刃が突き刺さった。同時にふたつ。

 ダイヤの投げ放ったスローイングナイフだ。

 冗談のように馬小屋の建材を貫通し、柄の近くまで深々とめり込んでいる。


 当たれば肉の層どころか、骨まで貫きそうな途轍もない威力だった。


「まーだまだ行くわよー!」


 それに戦慄する暇もあればこそ、ダイヤの手にはまた同じ型のナイフが握られていた。

 いや。

 抜く手も見せずに構えたその2本を投げ放った直後、ジャグリングするように真上に投げていた別の2本を、さらに上から落ちてきたまた別の2本まですぐさま捕まえ、一瞬でそれらすべてを投げつけていた。


 合計6本。

 曲芸めいた早業で、しかし確実にルナの逃げ道を塞ぐように面制圧で攻撃される。


「ちぃ――!」


 全力でルナは離脱した。

 地を蹴り、フェイントを入れる余裕もなく右に跳んでナイフの群れをかわす。

 その位置へ誘導されているのを覚悟して、だ。


「――ビンゴ、っと!」


 まったく同時に踏み込んできたダイヤに、強烈な掌底打ちを叩き込まれる。

 両腕でガードしたのに、背中まで突き抜けるような衝撃がルナを打ちのめした。


 息が詰まる。酔ったように内臓が震えるのが分かった。


「……ぁあああ!」


 それでもなんとか、ダイヤが手の届くところにいるうちに反撃した。

 突き出された腕を片手で掴み、力ずくで動きを封じた上で、もう片方に握った短剣でダイヤの胸元へ突き込む。


 首を狙えば必殺だが、胴体を狙ったほうが的が大きく、かわすにはさらに大きな動きを強制できる。

 そして掴んだ片腕が、跳んで|退しりぞく選択肢を奪っていた。


 片手を抑えて強引に反撃。

 無手になっていたダイヤに防ぐすべはなかったが。


「バーディー――」


 ぞっとするような囁きを間近で聞く。

 パンっ、とあっさり手首を蹴り上げられて、右手から短剣がすっぽ抜けていった。


 ダイヤは止まらず、ぐるりと身体を回転させ、その勢いで掴まれていた腕を振り切った。

 至近距離からさらに踏み込まれ、最接近、密着する。


 そして0距離で、再び掌底の打撃が炸裂した。


「か、は……っ!?」


 今度こそまともに食らった。

 真後ろに吹き飛ばされて、背中から壁に激突する。

 狂ったように胃の腑がよじれ、横隔膜が痙攣して息が吸えなくなった。


 生理的に浮かんだ涙と唾液が、硬土の中に染み込んでいく――なにがどういう体勢で倒れたものか、ルナはうつ伏せで地面に這いつくばっていた。


 息も絶え絶えに顔を上げると、歪んだ視界の中でダイヤの口が動くのが見えた。


「――これでターキー。きっちり3手で詰みね。それとはい、これ忘れ物」


 どさ、と倒れ込むルナのすぐ近くになにかが放り置かれる。

 首を動かして見やると、さっき蹴り飛ばされたルナの短剣だった。


 ……圧倒的だった。

 隔絶的な力量差があった。

 これが完成された暗殺者、ダイヤ・ダイヤルという怪物だった。


 早く、隙なく、そして強い。

 ダイヤの打撃を評するなら、完璧か理想的かのどちらかだろう。

 年上とはいえ、積んできた鍛錬内容はルナとほとんど変わらないはずなのに、強さの次元が星ひとつ隔てるほどに違うのだ。


 優劣を分ける決定的な差がある。

 その正体はそのもの、暗殺者からすれば自明の理だった。


「てんで駄目ね。殺す気のない暗殺者は」


 吹き飛んだルナを追うでもなく、打った手をプラプラさせながら、ダイヤ・ダイヤルはつまらなそうに言ってきた。


「踏み込みが甘いのよ。さっき言ったでしょ、ルナ? 私のこと、やらしい目で見たやつは固まるって。取ってつけたような不殺主義、邪念、雑念、そんな不純な目を私に向ける限り、あなたは私の影さえ踏めない」

「うる、さ――」

「別にいいのよ? ルナに殺されるなら、私はそれはそれで。でもこんな程度じゃねえ。あなたってこんなにやらしかったかしら。ひょっとしてあなた、ルナ・ダイヤルじゃないんじゃないの?」


 息を詰める。

 なんの気なさそうに、まるで真実を言い当てられたように聞こえたのだ。


 さすがにそんなわけはなかったが。

 ダイヤはヒョイと肩をすくめると、あっさりした風にあとを続けた。


「ま、なんにせよ、これで分かったでしょうよ。ビアンカを殺してきなさい。弱いあなたには選択肢も、分岐路だってないでしょうよ。強くなって出直して、私に仕返しするにしてもそれからでしょうよ」


 宝石のような目を、刃物のように細めて、ダイヤ・ダイヤルは猫のように笑った。


「――殺人未経験者ドーテーじゃ私には敵わない。それだけの話でしょうよ」

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