双王子(ロッソ視点)

「報告します。黒衣の暗殺者も、さらわれたという学園生の行方も、いまだ有力な手がかりはなく……」

「そう、か」


 短く答えて、そのまま、憲兵の長と事務的なやりとりを交わす。

 取り乱した姿を見せるわけにはいかない。

 それは分かっていても、気分の落ち込みまでは完全に隠しきれないまま、ロッソ・グランシーザー第二王子は告げた。


「引き続き捜索を。周辺住民への聞き込みも欠かさず。まだ街の外へは出ていないはずだ、気をつけて行ってくれ」

「了解であります!」


 敬礼し、去っていく初老の憲兵長を、視線を下げずに見送って――

 人の目の気配がなくなったのを感じて、ロッソはうなだれた。


 気が気ではなかった。

 姿を消した殺し屋もだが、突然それを追って駆け出したビアンカの身を案じて。

 彼女もまた路地裏の闇に消えて、夜のとばりが下りた今ももどってきていない。


 学友とはいえ、平民の娘のためにここまで心を砕くことになるとは。以前の自分からは想像できない姿だったろう。

 そう遠い昔ではない。

 彼女と出会ってから、まだせいぜい半年ほどしか経っていないはずだった。


 ――初めはただ、面白い女だと思った。

 田舎育ちでイモ臭く、野暮ったくて垢抜けなくて。

 テーブルマナーもろくすっぽ知らず、そんなだから食堂やどこかでいつも不作法をしては、行きがかりの教師にでも叱られるような有り様だった。


 もちろん、その時は恥ずかしそうに頬を染めて、けれどビアンカは曇らなかった。

 無垢に透明に、知らないことを怖がるのでなく、生徒や教師たちのからかい半分の講釈を聞いては、生真面目なくらいそれを陰で練習して、馬鹿みたいに頑張って。

 人目を忍んだ校舎裏での、そんな姿をたまたま目にしたロッソが、気まぐれに声をかけたのが始まりだった。


 ――生まれや身分が違うからって、頑張るのをやめる理由にはならないですから。


 本物の王族を前にしても物怖じしない言い方に、ロッソは大いに笑ったものだ。

 その言葉にはなにか、痛快に胸がすくような気持ちだった。


 なんの気なしにマナーをひとつ教えれば、彼女は必ずひとつずつ覚えていった。

 言葉遣いを注意すれば、それも覚えてもう間違えなかった。

 次第に興が乗ってきて、淑女が一礼する時の角度や視線の配り方など、王子であるロッソ自身にはあまり関係ない、普段はされる側のことまで記憶を頼りに指導していて。


 そんな時間を、自分が楽しみ始めていると気づいた時――胸が高鳴る音を聞いた。

 この世に生まれ落ちた時の、きっとその瞬間のような、切なくも力強い鼓動が。

 ひたすらにひたむきな彼女の姿に、いつからか見惚れていた自分がいた。


 そんなビアンカが、今はいない。

 ロッソが弱かったせいで、あの謎の殺し屋に連れ去られてしまった。


 気が狂いそうだった。本当は今すぐ駆け出して、自分も捜索の輪に加わりたい。

 ロッソは、彼女のことが――


「なんて顔をしているんだ。ロッソ王子」


 まさに椅子を蹴って立ち上がりかけた時、冷たい声が横面を叩いた。

 憲兵詰め所の一室、ロッソのために急遽空けられたその部屋のドアが開いて、ひとりの男が入室してきていた。


 男といっても、ロッソと歳の変わらない少年である。

 そもそもがよく見知った顔だった。

 海のように蒼く深い眼差しは、ロッソの炎のような赤い目とは対照的だ。


「アズリオ……」


 その名をつぶやく。アズリオ・グランシーザー。

 ロッソの血を分けた異母弟だ。

 つまりこの神聖調和国家、グラン・シーズヴァニア王国の第三王子である。


 ロッソとは政敵とも言える間柄だが、ふたりは幼少の頃から馬が合い、同い年ということもあってまるきり双子のように育ってきた。

 ハーモニア魔法学園でも同級で、アズリオ自身もビアンカと親交がある――


「腑抜けた顔するなクソ野郎。どういう了見だクソ馬鹿。なんで兄さんが管轄違いの憲兵を指揮して、迷子と殺し屋を探してるんだとにかくクソが」


 顔を合わせるなり、いきなりボロクソ罵られた。

 思わずロッソは絶句する。


 曲がりなりにも対等以上の立場の第二王子ロッソに、こんなあからさまに蔑む視線と言葉を投げかけるなど、王宮で耳目に触れれば恰好の攻撃材料にされる。

 アズリオは油断ない男で、こんなところでつまらないボロを出すわけがない。少なくとも、本気でロッソと争おうとするまでは。

 誰にも聞かれないと確信した上での、鋭い囁きだった。


 優男のふりをした腹黒毒舌家、と、そんな本性を知る者はごく身近な数人だけだ。


 反射的に頭に血が上って、ロッソは声を荒げて反駁はんばくした。


「国の中心、街の中に暗殺者が現れて、学園の生徒が襲われたんだぞ! 俺も殺されかけた! 指をくわえていられるか!」

「大声を出すなよ。兄さんの声は夜気に響きすぎる」

「ビアンカがさらわれた! それを知ってもお前は――」


 言いかけて。

 アズリオの冷ややかな目に、我に返った。


 彼は最初に言った。なぜ殺し屋と『迷子』なんかを、王子が必死になって探しているのかと。それも、こんな場違いな大騒ぎまでしながら。

 それが本題で、当然の事実だった。


 アズリオも知っているのだ。


「……すまない。お前だって、ビアンカのことを」

「自分のものみたいに言うんだな――っと、言うんだね。彼女は誰のものでもないよ。まだ、ね」

「そうだな。そうだった」


 伊達に長年の腐れ縁ではない。

 アズリオもまた、ビアンカに強い想いを寄せるひとりであるのをロッソは知っていた。


 今日の件に至っては、ロッソが抜け駆けしてビアンカを街遊びに誘った帰りを狙われた襲撃だ。

 しこたま殴られても仕方ないところを、最初の面罵だけで済ませてくれたのはアズリオの情けだった。


 いや。と思い直す。

 アズリオがこだわっていたのはそこではない。


「……俺自身はともかく、憲兵たちの失態を街の住人に見られている。さらわれたのは四大属性を外れた生徒、希少な治癒の光魔法の候補生だ。失えば医療と魔法技術の発展、合わせて10年は遅れるかもな。学園外に情報が漏れてビアンカは狙われた。その失態は学園のものか、国家のものか? 他にもあるが、いずれにせよすべて王家の沽券に関わる――これでいいか?」

「そうだね。即興でそれだけ言えるなら冷静なほうだ」

「体面っていうのは面倒だな……」


 自分の肌には合わない。

 そういう意味では、次代の王にはアズリオのほうがずっと相応しいと思っていた。


 弟は、アズリオは細い顎に指先を当てて、少し考え込んでから口を開いた。

 相手の様子を観察する時の癖だった。


「なにかまだひとつくらい、引っかかっていることがありそうだね。兄さん」

「――敵は俺の泣き所を知っていた。脇腹の傷・・・・だ。俺とお前しか知らない。俺の自作自演じゃなければ、お前が糸を引いていたって筋書きが成り立つ」

「なるほど。思ったよりヤバいな。ぼくでもないなら、どうやら本当に王家の失態だ」

「クソったれ」


 アズリオを疑う気など毛頭なかった。まったく馬鹿馬鹿しい。仕組んだのが異母弟なら失敗するわけがない。

 あんな杜撰ずさんな暗殺の手口、誰が好きこのんで使うというのだ?


 なんであれ、公私混同は論外だった。

 強権を振るって憲兵隊を動かした始末はつけなければならないだろう。ただし、それは事態が解決に向かってからだ。

 図らずも弟の言った通り、王家の醜聞の回復なら大義名分も立つ。


 げきしやすいロッソにちょうどいい冷や水を浴びせてくれるのは、いつだってこの弟兼、親友だった。


「……ぼくの欲しいものは、なぜかいつだって兄さんのほうに惹き寄せられる」


 アズリオがつぶやいた。

 本性と建前、その中間のような声音だった。


「第二王子の地位。最高位の貴族、公爵家の令嬢ネーロ・オルニティアとの婚約。田舎の村娘とのデート権も。考えてみたら生まれた時からひとつもうまくいってないな」

「俊英ぞろいの魔法学園で、それでも地頭で主席を取ってるやつが言うか? 俺なんか唯一自慢の剣の腕が、得体の知れない変態殺し屋にボロ負けしたんだぞ……ああ、畜生っ」


 思い出したらまた怒りが湧いてきた。

 まったく無力にビアンカを奪われた不甲斐なさ、情けなさも。


 毒づく心地のまま続けた。


「――捜索自体は進んでる。下手人が消えた路地裏のまた裏、ぐったりした人影を抱えて歩くやつを見た、って目撃情報がいくつか。ただ、どれも遠目の上に夕暮れ時で証言が噛み合わない。建物の影から人が生えてきた、なんて言う男もいたとか」

「生える?」

「そこ引っかかるのか? 昼から飲んだくれてた酔いどれの寝言だぞ」

「あり得ない話じゃない。はっきり足取りが掴めないっていうなら」

「なんのことだ?」


 アズリオの言うことが分からず、訊き返す。

 弟は試すような面持ちでつぶやいた。


「魔法が使われた可能性はないかな?」

「なに言ってるんだ。あり得ないだろ、たかだか殺し屋が魔法を? どこの血筋で、誰が訓練したんだ」

「滅多な話だけど、表沙汰にできない貴族の隠し子とかがいたとして、その存在を“貴族的”に隠滅するなら。奴隷商人や新興の闇組織なんかに高値で売りつけるのは、貴族社会の闇ならないでもない話だ」

「胸クソ悪い……そんな仮定の話をしだしたら捜査なんか永遠に終わらないだろ。犯人もそうだが、ビアンカもまだ見つかってないのに」


 暗に『やめてくれ』と言ったつもりだが。

 アズリオは構わず続けた。


「足取りを追えないのは、その手口が想定外だからかもしれない。たとえば貴族の落胤らくいん、落とし子。自己流に近い魔法の発想と鍛錬。状況からすると土か風の魔法だけど、もしかしたらそのもの“影属性”の魔法かも」

「アズリオ、話が飛躍しすぎだ。四大を外れた魔法属性がどれだけ希少か分かってるのか? ビアンカの話をしたばかりだぞ」

「貴族の血筋にしか生まれない魔法の素養の、そのまた全体の2%以下。ものによっては王国の魔法省にうまく売り込めば一財産くらいの研究費と報奨金が出るね。逆に、暗殺屋や陰気な宗教団体なんかがいかにも欲しがりそうでもある」

「こんな事件に暗殺教団だかが絡んでるっていうのか? 正気じゃないぞ」

「王室の泣き所を知ってて、人目がある夕方に堂々と襲撃、そのまま影も掴ませず逃げ延びようとしてる。これがまともな相手か? ぼくのほうこそなにか引っかかる。暗殺者ビアンカ――なにかの作為か、さもなければ当てこすりみたいだ」

「…………」


 それこそ、冷や水を飲まされたような皮肉だったが。


 だが、確かにそうだ。例外はある。

 5代以上さかのぼっても魔力の痕跡がない、正真正銘の平民の魔法使い、ビアンカのような――

 奇跡か冗談のような存在を、自分たち兄弟はよく知っていた。


 すっと真剣に目を細めて、アズリオが言った。


「アランチョーネが警告してた。今回の事件、小さな歯車の見落としが明暗を分けるだろうって」

「……なんでここであいつが出てくる。あの学園の魔人、いや変人が」

「変態の手も借りたい事件だから頭を下げに行ったんだ。あのキテレツオレンジ頭はともかく、あいつの勘働きと直感力は尋常じゃない」

「お前も大概、アランのこと嫌いだよな……い、いや、それよりも。学園に寄り道したなら、ヴェルデのやつにも声を」

「もちろん声をかけておいた。ビアンカの危機と聞いたらあのカメムシ緑髪も『父上に掛け合って騎士団で内部の守りを固める』ってむさ苦しく噴き上がってた」

「お前、俺以外にちゃんと友達いるのか?」


 いちいち毒を吐く弟に、つい言ってしまう。

 和んでる場合じゃないだろ――そう叫ぶ前に、しかしその瞬間。


「――ロッソ王子! 連れ去られていたという学園生が見つかりました!」

「なんだって!?」


 まさにそのタイミングだった。降って湧いたような吉報が舞い込んだ。


 詰め所に駆け込んできた憲兵は、一瞬、アズリオを――第三王子の顔を見て、驚いて息を呑んだようだが。

 職務が優先とすぐに弁えたのか、形だけ非礼を詫びて報告を続けた。


「はい。郊外のほうから歩いてくるのを見つけ、捜索隊が保護したと。怪我らしい怪我もなく、無事とのことで」

「確かか? 名前を確認したか?」

「ビアンカ、という金髪に花飾りの少女です。はっきり聞きました」


 心底安堵した。

 もちろん、アズリオの刺した釘の手前、ちゃんと心の中だけで。


 そのアズリオは、身振りでその通り胸を撫で下ろす仕草を見せて、声を弾ませた。


「よかった……! 憲兵さん、ビアンカは大丈夫なんですね!」

「は……あ、アズリオ殿下も彼女を?」

「学園の友人なんだ。そうだな、ぼくが迎えに行くよ。兄さんはここでの後処理があるだろう?」

「あ、ああ」


 よどみなく口調と性格、顔つきまで変えてしまうアズリオに、勢いに押されてロッソはうなずいてしまった。

 ……この野郎、状況が好転するや否や、速攻で変わり身しておいしいポジションにつきやがった。


(いや。抜け駆けしたのは俺が先か。暴走したのも)


 それを思えば、この場は譲るしかないだろう。

 弟の言う通り、自身の独断専行の責任も取らなければなるまい。


「分かった。彼女を頼んだ、アズリオ」

「行ってくるよ。憲兵さん、案内をお願いします――」


 うなずき合って、部屋から出ていくふたりを見送って。

 しっかりドアが閉まる音を聞いてから、ロッソは息をついた。


 ――どうやらこれで、心配事の半分は解決した。

 本当はこの目で無事を確かめたかったが、この街の憲兵隊は優秀だ。

 アズリオも行かせたのならこれ以上ロッソにできることはない。


(問題は……残り半分だな)


 あの暗殺者だ。さっきの憲兵の報告では、やつに関してはなにも触れなかった。

 撃退したとも取り逃がしたとも、なにも。


 それも奇妙な話だが。ビアンカを解放してひとりで逃げたのか? そんなわけの分からないことがあるのか?

 命がけの反撃でロッソを退け、憲兵隊の追跡を一度は振り切ったであろう、あの恐ろしい殺し屋が?


(いったい何者なんだ……アズリオの言うような、裏社会の魔法使い? だとして、なぜ俺の古傷を知っていた? それも詳細に、傷痕を抉るほど正確な位置を)


 まるで傷口を直接見たことがあるように。そんなはずはないのだが。

 もっと言うなら、ならば最初からそこを狙ったほうが合理的。

 もうひとつ言えば、なぜ古傷を知っていることを、わざわざ誇示するようにロッソに教えたのだ?

 あれほどの手際で、まさか殺しの素人でもあるまいに――


 分からないことだらけだ。あの暗殺者の『男』については。

 黒いローブを目深に被っていて、人相すら判然としなかったのだ。


 結局その日は、ビアンカの無事を改めて確かめたこと以外、ロッソには大した収穫はなかった。

 蹴りつけられた古傷が疼くように痛む、冷たい夜だった。




 ――と、まあ、こんな初歩的で馬鹿みたいな勘違いミスリードさえなければ、のちの悲劇は防げたかもしれないのだが。

 この時のロッソにそれが分かるはずもなく、彼はまた暗殺者ルナの絡んだ不幸に見舞われることになる。

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