『モブ転生』って、どういうこと!?

「狼藉もここまでだ、悪党め! ビアンカは俺が守る!」


 というセリフを聞いた瞬間だった。暗殺者ルナ・ダイヤルが前世の記憶を取り戻したのは。


 目の前の美青年はロッソ・グランシーザー王子。

 公明正大な性格と熱いカリスマの持ち主で、多くの臣民から強く慕われ、まだ年若い今も既に次代の王にと大いに望まれている。

 そのロッソ王子は鋭い剣の切っ先をこちらに向け、紅蓮の瞳を愛と正義に燃やしていた。


 そしてその背後に庇われている少女が、ビアンカだった。

 ビアンカ・サマサ。

 ハーモニア魔法学園の1年生だが、こちらは肩書きとしては庶民の娘である。

 ゆるい金髪にふたつの花飾り、大きく丸い瞳が、今は不安げに揺れていた。


 身分違いで不釣り合いなふたりのはずが、その姿は不思議なほどになっていた。

 それはまるでそう、物語の名場面をそのまま写し取ったように。


 当然だ。なにせこのシーンは名作乙女ゲーム『ハーモニック・ラバーズ』終盤の、襲い掛かる謎の殺し屋から攻略対象が主人公ビアンカを守るという作中屈指の燃えイベントなのだから。

 攻略対象たちの格好いいポーズが一枚絵スチルで見られるという、プレイヤーにとってはご褒美とも言えるシーンである。


 そのはずなのだが……

 同時にそれは、この世界に生きる暗殺者の少女、ルナ・ダイヤルが知るはずのない光景だった。

 なのに知っている。目の前の世界を、人物たちを、その生い立ちや性格やプロフィールに至るまで思い出せる。あり得ないはずの知識がデジャブとなって押し寄せる。


 あろうことか、合コン帰りに交通事故に遭った女子大生は、今の今までそれを忘れて殺し屋として生きてきたのだ――ゲームそのままの世界の中で!


「…………!」


 驚愕と衝撃で声が詰まる。混乱と困惑が頭の中をかき回す。

 なんだこれは。どういう状況だ。一切合切サッパリ分からない。


 酔って寝落ちして夢でも見てるのか?

 いや、一時期ハマってたゲームの世界に転生って、夢にしてもなんてベタな。

 いやいや、それがなんで殺し屋になる夢?

 いやいやいやいや、そもそも自分はどうなった?

 あの最後の飲み会での自慢話の数々、トラックにはねられて死んだ記憶も生々しく、脳裏には痛みと衝撃が嫌ってほど残ってるのに――


 目まぐるしく動転しながら、しかし『私』は冷静に状況を俯瞰してもいた。

 ビリビリと手が痺れている……ロッソの剣に弾かれた短剣が、レンガで舗装された街路に転がっている。

 主人公ビアンカの命を狙った凶刃だ。


 その痛みと鈍い刃の輝きが、同時にこれが単なる『ゲーム』ではないと教えているのだ。

 ここが取り返しのつかない現実リアルであると。

 決定的に“詰み”の状況であると、否応なしに訴えてきて止む気配がない。


 夕刻の大通り、人の目の集まる街中である。刃物まで飛び出す騒ぎと大立ち回りに、家路を急ぐ人々も足を止めていた。そろそろ憲兵も騒ぎを聞きつけて飛んでくる頃だ。

 ここがもし夢(?)でも、状況がよろしくない悪夢なのは一目瞭然だ。


 なんとか逃げ道を……と片膝ついたまま周囲を見回そうとすると、突きつけられた剣がチキリと夕陽の光を反射した。


「無駄だ。逃がすと思うか、殺し屋? 洗いざらい吐いてもらうぞ、お前の雇い主も、どうしてビアンカを狙ったのかも」

「ぐ……」


 切っ先とともに言葉を突きつけられて、ルナは――あるいは、現代日本の女子大生は歯噛みした。どうやら本当に逃げ場もなければ、言い逃れできる状況でもない。

 混乱する頭を抱えることもできず、両手を上げて降参するだけだ。


 どうしてこうなった。胸の中で毒づく。なんかもう、なんかこう……色々とおかしいだろうこの展開。


 普通、転生す夢に見るとしたら主人公あっち側じゃないのか? それかルナの雇い主である、ビアンカの暗殺を指示した公爵令嬢ネーロ・オルニティアでは?

 なんでよりによって適当な立ち絵一枚しかない殺し屋、ゲームの本筋に関係ない顔無しモブなんだ!?

 この歳で厨二病でもあるまいに、なんだってこんなニッチな夢に巻き込まれなきゃならない!


 いやいやいやいやいや……もうこの際だ。

 百歩譲ってそれは認めるとしても、なぜこのタイミングなのか。

 せめて正気に返るのがあと10分早ければ、こんな馬鹿げた暗殺計画なんてどうとでもやり過ごせたのに。


 前世だか現実だかの記憶、ゲームの知識があれば、この襲撃が失敗するのは分かっていたのだ。

 どの攻略対象のルートでもイベントは起こるが、いずれも暗殺は未遂に終わる。

 好感度や選択肢による分岐もなく、襲撃者は各攻略対象に撃退され、テキスト数行であっさり退場するだけなのだ。


 ただただ馬鹿げている。茶番だこんなものは。

 だいたいなんだ、この穴だらけの暗殺計画ごっこは。やるなら標的がひとりの時を狙う。毒を使うのもいい。それか、夜道で背中から内臓を一突きするかだ。

 誰が好きこのんで、騒ぎになるのが分かっているこんな街中で殺しなどするか!


 シナリオが雑すぎてめまいがする。

 要するにこれは、主人公ビアンカとそれを守る攻略対象ロッソの構図を見せつけるための、それだけのイベントなのだ。


 なにがどうなってそれを殺し屋視点で見てるのか、多分、そこに大した理由はないのだろう。

 おそらく、暗殺者ルナや前世の女子大生、ひょっとして路地裏で寝こけてるだけかもしれない酔っ払い女の都合すら関係ない。


 自分だって画面越しのプレイヤーでいた時は、そんなこといちいち想像もしなかった。

 誰が書いて読んで得するんだ、こんな1モブの顛末と裏事情なんて。


 なにがどうでも、そして今現在。

 どうしようもなく追い詰められて、お縄になるのを待つだけの自分が取り残されている。ゲームの展開を覚えているだけに、逆転の可能性がないことも分かるのだ。

 このままルナは憲兵隊に引き渡され――今後、一切の出番はない。


 まあ処刑だろう。

 街中での殺人未遂、身元不明の木っ端屑こっぱくずの殺し屋、そして、主人公ビアンカはともかく王族ロッソに刃を向けたのだ。

 弁解の余地なしである。


(いーやー! 夢の中でも第二の人生でも、始まってすぐにゲームオーバーなんて! 冗談じゃないわ、認めないわよ許さないわよやってられないわよ助かれ私ー!)


 身も蓋もなく頭の中でわめくが、現実は無情だ。

 ほどなく憲兵の一団が駆け寄ってくるのが、剣帯と鞘のこすれる音とガチャガチャ慌ただしい何人もの足音で分かる……


 音がこの位置まで到着したら、いよいよもって本当に終わりである。

 このままなら。

 これが生前プレイしたゲーム、『ハーモニック・ラバーズ』であるならば……名無しの女殺し屋は、ここで人生の終幕を迎え、二度と朝日を拝むことはないだろう。


 けれど。


(違う――考えろ。そうじゃない)


 頭の片隅で冷静に、ルナが、あるいは前世の女子大生が、それとも利害の一致した両者の思考かが交錯する。


 そうだ。暗殺者の少女には本来、名前すらなかった。ルナ・ダイヤルなんてご大層な名前自体、ゲームでは設定もされていなかったのだ。

 元はただの名無し顔無しモブキャラクター。それが、なんの因果かまったく別人の魂が入り込んだことで設定が生えた・・・

 キャラが立って、歩き出したのだ。


 きっかけがなんであれ、どうであれ、夢の世界であれ……

 今の自分は、ゲームのシナリオに従う都合のいい駒じゃない!

 そんなつまらないタマで収まるものかと、全身全霊の魂の底から叫んでいる!


 爆ぜる思考。貫く衝動。弾けるような快感すら伴って、ルナは行動を起こした。

 伏せていた顔を上げると同時、大口を開けて、眼前に突きつけられた剣にがきりと喰らいつく・・・・・


「な……き、貴様!」


 噛みついて、上下の歯と顎で切っ先を捕まえた。唇がざっくり切れて血が溢れるが、一切構わない。

 ロッソは――剣の持ち主は、反射的に剣を引こうとしたが、ルナが地面についた四肢で跳ねるように身を起こすほうが早い。不意の勢いに押し込まれて、ロッソのほうが逆に大きくよろめいたほどだ。


 咄嗟に刃を突き出されていたら、こちらが自滅して串刺しになるだけだったが――

 殺人への忌避感か、その一瞬の判断の迷いが、ロッソの不幸の始まりだった。


 ブレた剣の切っ先が、頬の内側を切り裂いて口から抜ける。

 体勢の崩れたロッソの横腹に、ルナはそのまま強烈な回し蹴りを叩き込んだ。


 脇腹をまともに捉え、薄い肉越しに内臓を叩く生々しい感触。

 けれど、ロッソに与えたダメージはそれ以上のものだった。


「ぐ、ぁっ……!?」


 美青年の口からあえぐような苦鳴が漏れる。

 剣を取り落とし、二、三歩もよろめいてから、膝からその場に崩れ落ちた。


 ああ、知っているんだぞロッソ・グランシーザー第二王子――


「あんたのその左脇腹、今も痛む古傷があるんだろう?」


 10歳の時に、政権争いで継母が放った刺客の凶刃を受けて。今でも夜が来るたび傷痕が疼くんだ、なんて、画面の向こうから『私』に話してくれたものね。


 ロッソの目が驚愕に見開かれる。

 それは彼以外、誰も知らない事実。後ろで悲痛な声をあげる主人公ビアンカにすら、まだ打ち明けていないはずの。

 無論、本来なら、それはこの見も知らぬ暗殺者も例外ではなく――


 ――そして、唯一それを知る『前世のか弱い女子大生』には、この弱点・・に付け入るなんて真似はできなかったろう。心理的にも、身体能力的にも、発想の点においてもだ。

 身体を患った人間の、その急所を狙って打ち抜くなんて、まともな良識があれば考えもつかない。

 それこそ、暗殺者のような芯から凍った冷酷さがなければ。


 激痛で額に脂汗を浮かべ、弱々しく呼吸を乱すロッソ。

 無理もあるまい。王族貴族のボンボン学校にいたんじゃ、味わったこともないだろう? こんな本物ホンモノの暴力の味は。


 哀れに震えるその肩に、後ろから駆け寄ったビアンカが取りすがって声をあげる。


「ロッソ様! 大丈夫ですか、怪我を――!?」

「ビアンカ……! 駄目だ、やつは、危険だ、下がっているんだ……!」


 ああ、麗しきかな美男美女。実に画になるワンショットだ。

 傷ついた王子に寄り添うヒロイン、一枚絵スチルにして撮っておきたいくらい。


 皮肉に笑おうとすると、口の中でなにかが引っ掛かる。

 うがいでもするようにそれを吐き出すと、真っ赤な血と肉片がレンガの路面にべチャリと貼り付いた。

 さっき剣に噛みついた時の裂傷だろう。


 反吐のように薄汚いそれを見下ろすと、自然と笑っていた――暗殺者ルナ・ダイヤルは、裂けて開いた三日月のように笑ったのだ。


 そうだ。所詮これは一酔、一夜の夢。

 その中で、今や私と私はひとつになった。

 ならば踊りきってやろうじゃないか、最高に痛快な現実ユメにしてやる。


 皮肉にも、ひとりの力ではどうにもならない逆境が、本来交わるはずのないふたつの人格を速やかに統合して『完成』させたのだ。


 暗殺組織『ダイヤル機関』で、専門の訓練を受けてきたルナ・ダイヤルの格闘技能に、鋼のように冷徹な精神力と。

 この世界ゲーム重要人物四名攻略対象たち、そして彼らの意中の女性、主人公ビアンカ・サマサの個人情報を知り抜いた、もはや名もなき『私』の知識と。


 それはさながら、時計の長針と短針がピッタリ0時で重なるように――

 どちらがどちらという境界をも失くし、ただ己が身の置かれた窮地を打開すべく、全力で歯車を回し始める!


 ――とき、あたかもがれの時。

 逢魔おうまときに浮かぶ、虚ろな孤月の空の下で。


 名前を得た暗殺者『ルナ・ダイヤル』は、路面に落としていた愛用の短剣を拾い上げ、地を蹴り、宙へと舞い上がった。

 ロッソとビアンカが、恐怖に目を見開いて悲鳴をあげた。


 目には目を、歯には歯を、そして悪夢には悪夢をだ。倍返しで返杯してやる。

 “貸し借りなし”が私のモットーだ、散々ビビらせた礼をしてやろう。

 ここからは私が『主人公』だ。


 この異世界ユメに『私』を、『ルナ・ダイヤル』の存在を刻みつけてやる!

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