第6話 東門市場
「ウチが払う!」
「いや、
先ほどから屋台の前でどちらがおごるかで大声でモメている秋実さんと春華さんの二人。
「……割り勘にしたらいいじゃん」
私が冷静に突っ込むも二人とも耳を貸そうとしない。
激しいなぁ。
だが、ここではこれが普通なのだろうか。
ところ変われば品変わるというが、私はこのエスニックな食べ物以外にも文化の違いをひしひしと感じていた。
東門市場は名前の通り幡宮城の東側にある食品市場で、ストリートフードの屋台がひしめき合っている。駅の方へ歩いて戻る途中にたまたま立ち寄ったのがここだった。
時刻は六時半を過ぎ、辺りは晩ごはんを食べに来た人たちで賑わっていた。
「日が暮れると寒いなぁ……」
夜になって冷えてきたので、温かい食べ物が恋しくなってきた。
とっぷり日が暮れたナイトマーケットに煌々と光る提灯の灯り――あちこちから立ち上る湯気と香りが食欲をそそる。
「どれどれ、どんなものが売ってるんだろう」
白いこんにゃくや魚のすり身の揚げ物、肉入りお焼き。この辺は普通だ。
しかし、そのすぐ横にはにょろにょろした謎の緑色の物体や真っ黒な血のソーセージ、豚の丸焼きなんかがデンと並んでいる。テイクアウトのお弁当も売っているのだが、こちらはご飯が黄色だ。
「サフランライスみたいだな……」
私はインド料理のようなその黄色いご飯を見て、ここが日本でないことを再確認した。
「ああ、くれけ? う祝い
私が不思議そうに眺めていると、秋実さんが教えてくれた。
「それは赤飯じゃない?」
そんな話をしていると、ある屋台の前で春華さんが悪そうな顔で笑いながら手招きした。
「佐藤くん、これ食うけ?」
彼女は店先に並んだ一見ごく普通のゆで卵を指さした。
「……卵、ですよね?」
何か珍しい動物の卵なのだろうか。
首を傾げつつ、私はそう尋ねた。
「精がつきゃすで!」
店員のおじさんが笑顔でそう言って、目の前で割って見せた。すると中から産毛の生えかかったヒヨコがコンニチハした。どうやらこれは孵化直前の卵を茹でたものらしい。あまりの光景に私は戦慄した。
「ひぇー! こんなもの食べられるか!」
飛び上がって逃げる私を見て、春華さんはアハハ、と大笑いした。
「あー! せらかすな、て!」
私の異変に気づいた秋実さんが怒ってくれた。
「外地っ
春華さんはさも可笑しそうにニヤニヤ笑っていた。
奈津崎県民はこんなものまで食うのか、恐るべし。
ここに来てからというものカルチャーショックが続いて大分驚かなくなってきてはいるが、それでもまだビックリしてしまう。
結局、私が飯にありつけたのは七時半だった。値切り交渉と誰がおごるかでモメたせいで大分時間を食ってしまった。
「今日は豪華だな」
月明りの下、屋外の折りたたみテーブルの上に並んだ料理の数々――
平たい餃子もどきに豚足の甘辛煮、イカとサザエか何かの貝の和え物、そして白玉団子などのデザート。
春華さんがおごってくれたのが悪い気がしてしまって、私も少し別のものを追加で買ったのだった。
ちなみに、私の今晩のメインは東門市場名物の韮やネギがたっぷり入ったモツ煮込みうどんのような料理だった。
「やっぱりここは博多だったんだな……。そうに決まってる」
そう自分に言い聞かせて食べていたが、これは味噌の味が微妙に違うのに加え、麺も細麺でコシがない。果たしてこれを本当に「うどん」と呼んでいいのかイマイチはっきりしない。
一方。
「……タニナ、嫌い」
自分の取り分を食べ終わってからそれぞれのおかずをシェアしたのだが、秋実さんはそのクルクルとした巻貝を前にあまり箸が進んでいないようだ。
すると、相変わらず肉食系の春華さんが、
「好き嫌いすな、て」
と言ってその貝を無理やり食べさせようとした。
しかし、秋実さんと来たら顔を顰めて一言。
「……不味せ」
結構大きな声だったので、私は思わず周囲をきょろきょろ見回した。
「秋実さん、そんなこと言っちゃダメだって。お店の人に聞こえるよ」
「
「だから!」
秋実さんはいつも周りの目を気にせず自分の思ったことはっきり言ってしまう。
「
春華さんはとても美味しそうにその貝を食べていた。
食事を終えると段々体が温まってきて、気分が良くなってきた私はついこんなことを言った。
「今日は、お酒でも飲もうかな」
しかし。
「いかん」
秋実さんは即答した。
「なぜ!」
思わず奈津崎弁になってしまった。だが、秋実さんは子供を叱るように、
「
「はぁーい……」
完全に尻に敷かれている私を見て、春華さんが笑った。
「ナイスカップルざね」
「夫婦漫才するにはまだ十年早いかな」
私がそう切り返すと春華さんはますます笑ったが、秋実さんは「マンザイ、て何?」と尋ねてきた。
「ホラ、二人でやるお笑いだよ。ボケとツッコミの掛け合いが……」
「
「その発想はなかった」
意図せずノリツッコミを繰り広げていると、春華さんが化粧室に行くと言って離席した。
その間に、私は秋実さんにあれこれ聞いてみた。
「春華さん、『十歳の時に高野県からこっちに来た』って言ってたけど、秋実さんは高校の時に初めて春華さんと出会ったんだよね」
「うん」
「春華さんって、高校生の頃はどんな感じだったの?」
すると秋実さんは意外なことを言った。
「うーん……。まぁ、最初は割かし暗さっけ」
「暗かったの? あの春華さんが?」
「うん。まぁ、
「え?」
「きっちゃんが
秋実さんの話では、孤児だった春華さんは十一歳で今の両親に引き取られるまで児童養護施設にいたらしい。
「あん
彼女には十歳以前の記憶がない、とも語った。
普通なら深刻な児童虐待か何かを疑うところだが、私はもう分かっていた。
「まぁ、ハルちゃぬゎちっくし変ざげん、根は優っしええ子ざ。きっちゃんみてーに」
秋実さんは穏やかな表情で慰めるようにそう言った。
それにしても秋実さん、この様子を見るにこれ以上何かを隠しているようにも見えない。
となると。
「……それって、遠回しに俺がおかしいって言ってるの?」
「いやっ、さー言うワケぜぁ……」
するとそこにトイレから戻ってきた春華さんが、突如話に参加してきた。
「さーざ、佐藤くんは
彼女は楽しそうにそう言って、
「ま、ウチはまっさええ子ざげんな」
と、ニッコリほほ笑んだ。
「話聞いてました? っていうか、自分で言うか」
他愛無い応酬――くだらない言い合いでしかなかったが、それでも学生時代に戻ったようで不思議と楽しかった。
そんなこんなで時間は瞬く間に過ぎ、八時半を過ぎた。
「そろそろ帰りますか」
終電に間に合わなくなりそうなので、本日の幡宮市観光ツアーはこれにてお開きということになった。
駅へ向かって三人で夜道を歩いている途中、隣を歩いていた秋実さんが飲み終わったタピオカミルクティーの容器を道端に投げ捨てた。
「何てことするんだ!」
私はビックリして秋実さんを咎めた。しかし、春華さんはあまり動じる様子もない。
「ウチはやらんぜん、さー言う衆も多いげんな……」
彼女はため息をつきながら、その辺の道端を指さした。
そこには夜空に浮かぶきれいな三日月に照らし出され、溢れ返るゴミ山が見えた。
この何とも言えないコントラスト。
「みんな町を清潔に保とうとする意識が低いのかな……」
最初は秋実さんだけがいわゆる心無い観光客なのかと思ったが、ポイ捨てする人は割と多いようだ。
のどかというかなんというか。
何の罪悪感もないのか、私の隣で機嫌よく「恋はラムネ色」の鼻歌を歌う秋実さんに尋ねた。
「秋実さんって、ミーハーなの?」
「……何すれ?」
あの時の秋実さんは憤慨しているというよりも、単に意味が分からず困っている感じだった。
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