第4話 聖アントニオ天主堂

 幡宮城公園を出た私たち三人は、春華さんの後ろについてどこかへ向かって歩いていた。道すがら、私は先ほど秋実さんのスマホで撮った記念写真を見ていた。

「何とも言えない表情だな……」

 天守閣の近くにあった顔ハメ看板で三人仲良く映ったのだが、シャッターが切られた瞬間私だけが目をつぶってしまった。おかげでシュワッチャーの体に半開きで白目を剥いた私の頭がくっついた変顔ヒーローが爆誕した。先ほどまで秋実さんはそれを見て「変なつら!」とずっと大笑いしていた。

 いい加減腹が立ってきたので、写真を削除しようと私が秋実さんとスマホの奪い合いを繰り広げている最中。

「ところで、今日きゅーが何日け、佐藤くん知っちゅる?」

 突然、春華さんが急に改まった様子でそんな質問をした。

「何の日、って……、『教育の日』でしょ?」

 私は喧嘩の手を止め、一生懸命知ったかぶりをした。すると彼女は、それもざぜん、と前置きしてから、

今日きゅー、十一月一日はAll Saints’ Day、『万聖節ばんせいせつ』ざ」

 と言った。

「……バンセイセツ?」

 また聞いたことのない祭日の名前が出てきた。

「それって、何のお祭りなの?」

リスト教ん全てん聖人祀る日ざ。五神送ぐしんうくりと同様、万聖節ばんせいせつも昔からん伝統ざげん」

「へぇ」

 キリスト教については全く詳しくないので、私は説明を聞き流していた。

「今からカテラル行くけ? どうせっけし」

 そう言って春華さんは遠くの山の方を指さした。

「あれ、って……教会?」

 彼女の指し示す先を見やると、民家の屋根の間から鐘楼しょうろうが伸びているのが確認できた。

「うん、聖アントニオ天主堂。幡宮市で一番っれ教会ざ」

 春華さんの話では、あの教会は幡宮市でも結構有名な観光地らしい。

 さっきからキリスト教の知識がなさ過ぎて、一体それが何の聖人なのかも分からない。

「『』って聞くと『』しか思い浮かばないな……」

 私は勢いよく、元気ですかー、と身振り手振りを交えながら物まねをしてみた。

 それを見た秋実さんはぽかんとした表情で、春華さんも困ったように口元を手で押さえるのみだった。

「……茶化してごめん。俺ももっとまじめにキリスト教について勉強しなきゃな」

 困惑する二人を前に、あの時の私はただ笑ってごまかしたのだった。

 

 幡宮城公園から徒歩十分。聖アントニオ天主堂は二つの灰色の塔に挟まれた古めかしい教会だった。

 礼拝堂の中では今まさに万聖節のミサが行われているようで、開かれた玄関の扉からはパイプオルガンの演奏に合わせて美しい聖歌が漏れ聞こえてくる。

主よロードどうかご慈悲をハヴ・マーシー

 神父の言葉に合わせて信者たちはその場に起立し、十字架を手に祈りを捧げていた。

「厳かな雰囲気だなぁ……」

 私たち三人は他の人に邪魔にならないように、玄関の外から中の様子を眺めていた。

「そういえば、春華さんは参列しないの?」

 私が何気なく尋ねると、春華さんはすまし顔でこんなことを言った。

「ウチはプロテスタントざげん、くりゃやらんな。ハロウィーンなら昨日きんぬやっけ」

 彼女は「絵ぇ見て来る」と言い残すと、教会のどこかへ姿を消した。

 私は自らの教養のなさを悔いつつ、躍起になって教会内に置かれた聖人の像やら何やらを見てもみた。しかし、いかんせんどれが誰なのかサッパリ見当もつかない。

「この頭の周りに描いてある丸い輪っかって何なんだろうな……」

 廊下の壁に掛けられた宗教画の前で私がそんな独り言を言っていると、

うれリス教はあんまし分からん」

 と、秋実さんが背後から話しかけてきた。

より、に乗りたさっけな……」

 秋実さんはそう呟いて残念そうな顔をした。

? ?」

 私はまた彼女の謎の言葉遣いに戸惑った。

「あぁ、ビッンドんくつ

 そしていつも通り、説明も分からない。

 退屈していた私は、そのまま秋実さんと適当なお喋りを続けた。

「春華さんって、昔からクリスチャンだったの?」

 すると、秋実さんは意外なことを言った。

「いや、さー言う訳ぜんせ。ハルちゃんがクリスチャンになっては最近が話ざ」

「そうなの?」

「ハルちゃん高校んつきゃ特になぁん信ずちゅらんでぜん、五年前結婚すてつきに旦那さんに合わせて改宗すてんざ」

 秋実さんは話をしながらスマホを取り出すと、春華さんの結婚式の写真を見せてきた。そこには教会をバックに笑顔で映っているドレス姿の春華さんと、その旦那さんと思しき男性の姿があった。

 この写真を見る限り、二人はとても幸せそうだ。

「旦那さぬゎ奈津崎人ざぜん、ランダっん血が混じっちゅんざ」

「へー、オランダ人の。でも、見た目的には日本人っぽいな」

 春華さんの夫は黒髪で、パッと見ではごく普通の日本人にしか見えない。

 ハーフかクォーターだろうか。

 すると、秋実さんは目をつぶって何かを思い出そうとした。

「何国人か忘れっけ。一ん二ん、『鍛冶屋かぢや』なんて苗字、戸時代ん頃ん外国人子孫ざっぱ?」

「……どういうこと?」

うれう分からねーぜん、昔、鸞台らんだい港に来て西洋人子孫がまだるらっしんざ」

 江戸時代の出島にオランダ人がいたという話は聞いたことがあるが、戦後ならともかくそんなに前から日本人と混血していた、という話は初耳だった。

 私は春華さんの夫をもう一度よく見てみたが、確かに少し色白で瞳の色が若干茶色っぽい。

「待てよ、『鍛冶屋』ってひょっとして――」

「ウチん噂話すちゅるんけ?」

 二人でスマホを覗き込んでいるところへ、何の気配もなく接近してきた春華さんが首を突っ込んできた。

「うぉっ、ビックリした!」

 私は反射的にさっと後ろに飛び退いた。

「人に隠れて内緒話はうなせっぱ?」

 春華さんは至近距離でイヤリングを鳴らした。

「……いや、別に悪口を言ってたワケじゃないですよ。人聞きの悪い」

 秋実さんのおかげでパーソナルスペースの近い女性にはもう慣れた私は、動揺を隠そうと一度咳払いした。

 春華さんは鼻にかかった声で笑った。

ふんね? 其処すくに告解室あるに。うめえら、日頃ん行い懺悔すにゃんね」

 彼女はそう言って、私と秋実さんを見ながら礼拝堂の方を指さした。

「神様はいつもきーさんがたった見て居られるんざす。例えづったん小っさなくつぜん」

 彼女のこの言葉に、はじめ私は反発した。

「何を言い出すかと思ったら。私が普段からどれだけ品行方正だと思って――」

 そこまで言いかけた時、不意にこの三十年で積み重ねてきた悪行の数々が走馬灯のように蘇ってきた。

 大をした後でも洋式便座の蓋を閉じず、漫画も古本屋の立ち読みで済ませて購入せず、スーパーで買い物をするときは必ず無料の箸とスプーンを余分にもう一つもらっている。

 言うまでもなく私のカルマは悪に振り切れていた。

「恥の多い生涯を送ってきました。神様は私のような罪深き者もお許し下さるのでしょうか……」

 私はあまりの罪の重さにその場に跪くと、懇願するように手を組んだ。

当然事たーぜんくつ。神はづったん罪人も許すんざす」

 春華さんは絶対の自信を持って断言した。 

「それはありがたい。今から過去の分の罪も懺悔しますので、どうかお許しを……」

 死後に天国の門の前で土下座してもきっと追い返されるに違いないが、せめてもの悪あがきだ。

 春華さんは偉そうに私の頭をポンポン、とタッチした。

「今からでも遅うなせ。悔い改めぃ」

 ここに、私のセコい地獄行き回避計画がスタートした。

 しかし。

「……まぁ、冗談ぬゎさて置き、くったん場所うめえらにゃ面白うむしなせっぱ?」

 春華さんはため息をついて、時刻を確認した。

「今は……、四時よじ十分け」

 幡宮城からこちらに来て、まだそんなに経っていなかった。

「中途半端な時間だな」

 春華さんは尋ねる。

「まだ夜まで時間あるぜん、づったする?」

 一応計画では、一緒にディナーを食べて解散、という感じになっていた。

「この近くって、何か見られるものありますか?」

「動物園ぐらいけ。まぁ、うめえらさえ良せりゃ行ってん良せ」

「私はいいですよ」

 これからどうするかについて、私は春華さんとしばらく話し合った。

「秋実さんもそれでいいよね?」

 私は秋実さんにも確認をとった。

「あ? あぁ、うん……」

 秋実さんは気のない返事をした。この時、秋実さんの表情は少し硬いようにも見えた。

 そういえば、さっきから珍しく静かだな。

「それじゃ、楽しい楽しい動物園へレッツラゴー!」

「レッツゴー、て言いな」

 私たちがそんな話をしている横で、秋実さんが小さくボソッと、何かを呟いたのを私は聞き逃さなかった。

「……うりゃ、罪人け」



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