第3話 幡宮城

 正直、春華さんが苦手だ。


 待ち合わせ時間に遅刻したせいで、午前中大して買い物らしい買い物もできなかったので、私たちは昼食後に新谷センターのたくさんのお店を回った。

 伊波県名物のココナツパイのお店「東洋屋」やら、かな入力しかないキーボードやら、店内に椅子が置かれているにも関わらず客があくまでも座り読みしている本屋やら、私の知っている日本との細かい違いが垣間見えて興味深かった。

 しかしその間、私は秋実さんと春華さんがどういう関係なのだろうということばかりに気をとられ、心ここにあらずという感じだった。


 午後二時頃――

「あっさー、二百点! またうれん勝ち!」

 高得点を告げる派手な効果音と共に、秋実さんは「光速SMASH」というゲーム機の前でガッツポーズをした。

 今、私たちはゲームコーナーにやってきている。春華さんにこの頃の体型の変化を指摘された秋実さんは急に「さっき食べてげん、運動すにゃんね!」などと言い出し、このモグラたたきもどきのようなアーケードゲームに熱を上げていたのだった。

「アキミ、容赦なせね!」

 二人プレイモードで春華さんも参加しているのだが、彼女らは高校生に戻ったように大はしゃぎしていた。

 そして、その場に一人取り残された私は、ゲーム機の後ろで腕を組んで立っていた。

 こうやって見てると、普通に仲は良さそうなんだよな。

 私は春華さんにどう接していいか分からなくなっていた。

 この世界に来て、本格的に悪意を向けてくる人というのに初めて出会った気がする。

 もちろん、これまで奈津崎県で知り合った全ての人がいい人だったとは思わない。

 しかしどうも、この春華さんというのはつかめない感じだ。

「こんなんじゃにはならないんじゃないかな?」

 私が後ろから二人に声を掛けると、まず春華さんが返事をした。

「運動にゃならんて思うぜん、たぬっさい」

 続いて、秋実さんもこちらを振り向いて楽しそうに笑った。

「人生、たぬっせりゃOKウーケイざ」

 テキトーだなぁ。

 初め私は少し呆れてしまったが、秋実さんはこんなに適当だからこそ毒のある春華さんとも仲良くできているのでは、と思い始めた。

「確かに人生なんて、とりあえず今を楽しむのが一番大事なのかもしれないな」

 今の私も大して立派な目標もないが、こうして秋実さんと出会えたおかげでそこそこ楽しく生きられている。そもそも秋実さんと出会えたのも、私が何の計画性もなく山明大社に立ち寄ったおかげだった。

 二人の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、私はシンプルな人生哲学に立ち返った。

「にしても、たどりついた場所が奈津崎県だったのは不幸中の幸いだったというべきか……」

 文化や生活習慣の違いは色々あるが、この通り奈津崎県と日本とで文明の程度が大幅に異なるということもない。クレイジーな状況に身を置いてきたせいか、どうやら逆にこの環境に慣らされてきてしまったらしい。

 もし完全に日本とは似ても似つかない世界に飛ばされていたらどうなっていたことやら。

「ヨーロッパみたいな世界はカッコいいけど、英語苦手だしなぁ。ここならギリギリとはいえ、言葉も通じるし――」

 私がそんな無知な発言をした矢先。

「ウラ゜ー、クムスタッヤー?」

「ビーンザイビーン、グラサス! ッヤー?」

 不意に、背後から何語かも分からぬ言語が聞こえてきて、私は思わず振り向いた。そこには黒く日に焼けた二組の親子がいた。

 彼らはここで待ち合わせをしていたらしく、しばらくその場で何やら騒がしくお喋りしていた。

「サ・ウンディ・行く?」

「リスト゜ラントゥンカイ・行く」

「ヌー・ミル゛? サ゜ク゜リ゜ト゜かゆ?」

「アヤー! ワ゛ー・グストゥ・ミル゛・バーブイじる!」

 その言語はたまに日本語の単語が混ざっているが、発音的には明らかに日本語とはかけ離れたもののように聞こえた。

 どこの国かまでは分からないが、おそらくアジアのどこかだろう。

「あの人たちって、どこの国の人かな?」

 しばらくして、ゲームが終わって戻ってきた秋実さんに聞いてみた。

 すると、秋実さんは涼しい顔で一言。

「ん? 伊波いなみ衆ざっぱ?」

 外国人じゃなかったのか。

「……伊波県って、奈津崎県の隣の県だよね? あんなに違う方言使ってるの?」

 何が何だか分からないが、すごいのとすれちがってしまったようだ。

 彼らが同じ日本人であるということに驚きを隠せない私を見て、秋実さんはただ陽気に笑った。

「うん。まぁ、うれさすがに高良たから族んは分からん」

 前言撤回。やはりここはだ。


 午後三時、スマイルマートで買ったを飲みつつ幡宮はたみや城公園に到着した私は、ありえない光景に目を疑った。

「そんなバカな……」

 その天守閣の屋根の上にあるものを見た私は、衝撃のあまり地面に崩れ落ちた。

「あぁ……、何てことをしてくれたんだ……!」

 私は拳を固く握りしめ、猿の惑星のラストシーンよろしく「畜生めダム・ユー」と叫びながら石畳の道を叩いた。

「……大事け、きっちゃん?」

 秋実さんはその場にしゃがみ込んで、心配そうに私を見つめていた。

は初めてけ? 立派ざっぱ」

 楽しそうにポーズを決めて幡宮城の写真を撮る春華さんに、私は必死で訴えた。

「いやいや、いくらなんでもはありえないでしょ? しゃちほこは?」

 私が指さした先にある異様な光景。

 その天守閣は、中国の仏塔のように屋根が八角錐で――百歩譲ってここまではいいのだが――その先端からなんとが突き出しているのだ。まるで木に竹を接いだようなこの無理やり感と比べれば、朽ち果てた自由の女神など可愛いものだ。

「まぁ、復興天守ざげん、実物はくったん立派ぜぁらんらっさい」

 春華さんはこちらに目もくれず、太陽の日差しに光り輝く十字架をバックにスマホで撮った自撮りセルフィーをSNSにアップしていた。確かにこのインパクト、観光客の誘致にはピッタリだろう。

「そういう問題じゃなくて、そもそもあんな目立つところに堂々と十字架建てて問題なかったの? ほら、禁教令とかあったじゃん?」

 私は立ち上がると、二人に日本史の常識を確認した。

「なぜ? クリスチャンがイエス崇めるは、当然事たーぜんくつざっぱ」

 秋実さんが首を傾げながら言う。

「北東道にゃねーかも知らねーぜん、南海道ぜぁなぁん珍しなせ」

 春華さんも続けて平然と言う。

 南海道では、屋根の上に十字架が生えたお城が普通なのだろうか。

「幡宮市を支配してた大名はきっと、織田信長みたくファンキーな人だったんだろうな……」

 私がそんな独り言をつぶやくと、秋実さんが「たれ、すれ?」と不思議がってきた。

 一体、どんなタイムパラドックスが起きたんだろう。

 特に歴史好きというわけでもないが、この世界の日本がどんな歴史を辿ったのかさすがに少しは興味が湧いてきた。


 幡宮城公園は通年無料で、天守閣や併設された国立博物館も含めて一般公開されていた。

「えーっと、この『霞浦かすみうらパウロ』? っていうのが幡宮城を築城した上津かみづ藩の藩主でクリスチャンだったんだね」

 博物館に入って展示された資料や説明を読んでいたのだが、漢字が私の知っている日本語と違うことがあって、たまに読むのに苦労した。

、ざ」

 春華さんが読み間違いを訂正してきた。するとそれを聞いた秋実さんがさらに訂正した。

「いや、カウラざっぱ?」

 二人は一歩も譲らなかった。

「カウラ!」

「カウラ!」

「どっちでもいいから! っていうか、そんなのどっかに書いてあるでしょ、ここ博物館なんだし」

 私が仲裁に入ってようやくこの二人は口論を止めた。春華さんは話を続けた。

「……まぁ、とにかく昔、南海道ん主な大名は大体みんなクリスチャンざってんざ」

「そっか」

「今でも奈津崎県人口ん三割はクリスチャンざに」

「結構多いな」

「ちゅうけ、ざ」

「そうなの!?」

 次々と発覚する新事実に驚きつつ、博物館の中を歩いていると茶色く変色した一枚の古い紙に目が留まった。それは昔の南海道の地図らしく、最南端の岬の横に「鸞台港」という記述があった。

「『鸞台ほにゃららだい』……? 何だ、この漢字」

 一々読めない漢字が多いな、とぼやいていると、秋実さんが助けてくれた。

「すりゃ『ランダイ』ざ、今ん伊波いなみん辺り」

 私はついでに他の漢字も聞いた。

「『津州しんしゅう』が奈津崎で、この『瀛州ほにゃららしゅう』っていうのは?」

「エイシュウ、伊波県全体んくつ

「へぇ」

 秋実さんは懐かしそうにこう言った。

「昔、旅行で伊波に行っけなぁ」

「楽しかった?」

「うん。ココナツパイパイナップルピッツァ、まーっさうまさっけ」

 食いしん坊かよ。

鸞南らんなん五島ごとうええ場所ざて聞いちゅる」

「ランナンゴトウ?」

 秋実さんは話しながら、額に手を当てて何かを思い出そうとしていた。

「『弥勒島みるくじまん戦い』て歴史ん授業で習ぁてっぱ? あれて……何処づくん国戦ぁてんざっけ?」

 すると、春華さんがさも常識と言わんばかりに秋実さんを窘めた。

「うめえ、すったんくつも忘れてけ? あれでポルガルがランダに負けて、居留地ん鸞南五島らんなんごとうから撤退すてんざ」

「……そんな歴史あったっけか?」

 このパラレルワールドの歴史はつくづく私の知っている日本と微妙に違う。

「なんかみたいな名前だな」

「すれ言うなら、ざっぱ? 九龍王国きゅうりゅうおうこくん」

じゃなくて?」

 奈津崎県で義務教育を受け直すべきか悩んでいると、春華さんが頼んでもいないのに更に解説してくれた。

「南海道が発展すて鸞台らんだい港んお陰ざ。津州しんしゅうん文化も、色んな国ん影響受けちゅる」

 彼女の話によると、かつてこの鸞台には東インド会社のオランダ商館が置かれ、港から持ち込まれた様々な舶来品が街道を通じて南海道全土に行き渡ったそうだ。

「まあ、たぶん長崎の出島みたいなもんか」

 私が簡単にまとめると、秋実さんがすかさず突っ込んできた。

「『ナサキ』て! 奈津崎ざ、奈津崎」

 春華さんはなぜか少し神妙な面持ちでこう言った。

「ようこそ、奈津崎へ」

 さっきから色んなことを丁寧に教えてくれるし、そんなに悪い人でもないのかもしれない。

 バカにしてくるかと身構えていたが、意外と親切な春華さんに私は素直に礼を言った。

「……歓迎ありがとう」

 猿の惑星に不時着したタイラーも、ガリバー旅行記で長崎にたどりついたガリバーも、私と同じような気持ちだったのだろうか。


 最初はあの十字架の据え付けられた天守閣に面喰ったが、その影には多彩な国々が織りなした歴史のダイナミズムと、あらゆるものを取り込む南海道人たちの懐の深さが秘められていた。

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