第2話 新谷センター
幡宮停車場南口からほど近い場所に「Araya Center Hatamiya」という一際大きな複合商業施設がある。
今回初めて駅南を訪れた私は、ここ
早速、中に足を踏み入れてみると――
「『独創生活』に、『シマデラ電機』、『至誠屋書店』……」
生活雑貨屋や家電量販店、本屋、アパレルショップ、化粧品店、レストラン――
新谷センターには実にありとあらゆるお店が軒を連ねているのだが、どれも間違い探しのような名前ばかりだ。
「どこだか分からない時空の狭間にでも迷い込んだ気分だなぁ……。実際そうなのかもしれないけど」
案内板を見ながら、私は深いため息をついた。
午前十一時半ごろ――
祝日のせいか、店内は主に家族連れを中心に大勢の人で埋めつくされていた。
人混みの間隙を縫って進んでいくと、店内のとある一角で、しきりに腕時計を確認しながら周囲をきょろきょろ見回しているショートカットの女性がいた。彼女はジャケットにジーンズ、厚底ブーツというカジュアルなファッションだったが、スタイリッシュに着こなしていた。
「ハルちゃーん!
秋実さんが手を振りながら大声で呼びかけると、そのサングラスをかけた女性は瞬時にこちらを振り向いた。
「くん遅刻大将! 高校ん
彼女はサングラスを外しながらこちらへ接近してくると、秋実さんを鋭い目つきで睨みつけた。
「ざげん、
秋実さんは何度も謝っていたが、彼女はイライラした様子でブツブツ小言を言っていた。どうも秋実さんはこの人に頭が上がらないようだ。
二、三分の説教の後。
「
ついさっきまでの般若の形相はどこへやら、ようやく私に話しかけてきた彼女はにっこりと微笑んでいた。
「どうも、初めまして。佐藤幾多郎です」
未だに慣れない謎の二人称に違和感を覚えつつも、私は自己紹介をした。
すると、彼女はまるでアナウンサーのようにとてもハキハキした喋り方でこう言った。
「まー聞いちゅるて思うぜん、ウチが
春華さんは完璧な営業スマイルを浮かべながら、握手を求めてきた。
何だろう、この威圧感。
「あっ……、はい。カジヤさん。こちらこそ、よろしくお願いします」
私は少し警戒しながら、慎重に彼女の手を握り返した。この時、視界の端にいた秋実さんはなぜか唇を噛んでいた。
「シュンカで良せ」
春華さんはフランクな態度だった。
しかしこの特徴的な声、どこかで聞き覚えがあるような。
「春華さんは秋実さんとは高校の同級生だ、って聞きましたけど……」
デジャブ、あるいは錯覚にとらわれながら、私は間を持たせるために適当な話題を振った。
「さーさー。秋実たー、十年来ん付き合いざ。高校卒業すて後も、たまにくったすて会ぁちゅる」
「幡宮市にはずっと住んでるんですか?」
話の流れでそう聞いただけだったが、春華さんは首を横に振った。
「いや、実は十歳ん
へえ、秋実さん並みにバリバリの奈津崎弁なのに。
しかしここで、春華さんからイタい質問が。
「さー言や、新っし彼氏は高野県出身ざて聞いちゅってぜん、本当け? 実はウチも高野県出身なんざ!」
マズい。本物の高野県民だ。
「あー、うん……。たぶん」
慌てて秋実さんの方を見たが、彼女はバツが悪そうに目を逸らした。
おい、と言ったときにもう時すでに遅し。
「同郷ざね? 嬉っせなー」
春華さんは手を叩いて、大層喜んだ様子だった。
「へ、へー、そうなんですか……」
「久しぶりに高野弁でしゃべってみてもええか? もう長いことしゃべってないもんで、だいぶ忘れてまったけど」
奈津崎県三峪町の民家に潜伏中の不法滞在者、佐藤幾多郎は答えに詰まった。
「えーっと、そのぉー……」
「まだ一か月前に来たばっかなんずら? 奈津崎はどうよ?」
「ま、まぁ、普通ですかね……」
「敬語はやめりん、って」
「や、やめりん?」
「佐藤くんも早く津州弁覚えにゃかんな……。ウチも最初にここに来た頃は、津州弁ができんくてド困っただよ」
こんな方言が現実の日本でもあったような気がするのだが、具体的にどこの地域なのか分からない。
「連絡先交換しとくで、分からんことあったら何でも聞きない。まだしばらく奈津崎におるら?」
私は身バレを防ぐべく、春華さんのしゃべり方を何となく真似して喋ってみた。
「そ、そうらー」
すると春華さんは怪しそうな視線を私に向けて一言。
「いや、それは違うな」
やったぜ、一瞬でバレた。
私は必死でごまかそうとした。
「じ、実は高野県じゃなくて広岡県の出身なんですよ! アハハ!」
半信半疑な様子で私を見つめる春華さんを前に、次に何を聞かれるのかヒヤヒヤしていた時。
「……佐藤くんが正体はさておき、まー昼ざし
春華さんはそれ以上の追及をやめた。さっきから「腹減っけ……」とひもじそうに呟いている秋実さんを見かねたらしい。
よかった。
私は胸をなでおろした。
「飯食わー!」
お腹が減ってご機嫌斜めの三十歳児に根負けした我々は、上階を目指して歩き出した。
それにしても、休日のショッピングセンターというのはこうも騒がしいものか。
行きかう人々の足音やそこかしこに溢れる話し声、加えてそれぞれの店が違うBGMを大音量で垂れ流しているせいでどこにいてもゲームセンターの中にいるようだ。
「『Flowers! ちっさい花、おっきい花、みんなええ匂い~♪』」
どこかから男性アイドルグループの歌声が聞こえるのだが、キャッチーな
「それ、なんて歌なの?」
エスカレーターに乗って上のフロアへ向かう途中、私はその曲に合わせて鼻歌を歌っている秋実さんに尋ねた。
「『Flowers』ざ。OMGん曲なんて、まっさ古せな」
秋実さんはさも当然と言わんばかりに答えた。どうやら昔の流行歌らしい。
「オー・マイ・ゴッド?」
私がユニット名を聞き返すと、春華さんが解説してくれた。
だがしかし。
「O. M. G. Boyzざい。SBCん『OMG News World』で司会やっちゅるヒロんグループ」
そんな、全てを知っている前提で語られても。
全く聞き覚えがない固有名詞の乱舞に私は眩暈がしてきた。
「……誰、それ?」
私の反応が悪いせいか、秋実さんは何やら必死に訴えてきた。
「今
ジャニーズとKポップアイドルを混ぜたような名前だこと。
私が何も言えずにいると、春華さんが付け加えた。
「OMGはウチらより一世代前んグループざぜん、Pop Studio Japanとかで良う流れてくるげん、ウチでも知っちゅる。確か、メンバーカラーがOrangeがorange、Melonがgreen、GrapeがpurpleでOMGなんざっぱ? ヒロが何色?」
すると秋実さんは「ウレンヂ!」と元気よく答えた。秋実さんはさらにこんなことを言った。
「ヒロも最近ぜぁTV番組ん司会ばっかしやっちゅるげん、ウチも元々歌手ざて知らんざって……。大体、Flowersむ
苦笑する秋実さんを見て、春華さんもうんうん、と頷き、「さーざな。『バテバテ』なんて下ネタ……」と言いながら含み笑いした。
「え……、あの歌のどこが下ネタなの?」
困惑している私をよそに、秋実さんと春華さんの二人はいかにも懐かしそうに「ちっさい花、おっきい花、みんなええ匂い……」とFlowersの歌詞を口ずさんだ。
並行世界のアイドル事情なんて知ってるわけないだろ。
楽しそうな二人を前に、自分だけ置いてけぼりにされて私は不意に孤独を感じた。
秋実さんたちと話すたび、自分が異邦人であるのだと自覚してしまう。これだけたくさんの人に取り囲まれているにも関わらず、私だけが全く違う世界からやって来たのだ。
元の世界に帰ることがかなわないのであれば、せめて私の知っているあの日本のことを知っている人が一人でもいればいいのだが。
正午を回った頃、店内のフードコートにやってきた私たちは各自昼食を買い、三人でテーブル席に腰かけた。
私の目の前には今、フルーツたっぷりのカラフルな南国風パフェが鎮座している。
「紅芋アイスのパフェってのも、中々うまいな」
レストラン街には洋食から中華、和食までなんでも揃っていたが、ディナーのために予算をセーブしようということで選んだのがこれだった。紫色のアイスクリームが上に乗ったこのパフェは奈津崎県の定番スイーツらしい。
「奈津崎ぜぁ普通ざて」
レモンステーキ定食を頼んだ春華さんは肉を切り分けて頬張っていた。
「なーなー、食事ん
一方、秋実さんは青唐辛子やトマト、空芯菜の入ったスープをごはんに掛けて食べていたのだが、よほどお腹がすいていたのか五分ほどで平らげてしまい、今は追加で頼んだデザートのタピオカと黒蜜の入った豆腐を飲んでいる。
ちなみにこれは杏仁豆腐とかではなく、本当に豆乳を固めたものらしい。豆腐をデザートにしてしまうとは、奈津崎県民はクリエイティブだ。
「いかん。休日まで職場に行きたーねー!」
「なぜ?」
「いかんたらいかん!」
二人はまるでケンカでもするように、この後の予定について大声で話していた。
「お二人は仲がいいんですね」
私は皮肉を込めてそう言うと、春華さんはハハ、と高笑いした。
「うん。毎年
あれ、ということは。
「えっ? じゃあ、一ヶ月前の十月六日も
一応確認してみただけだったが、春華さんは待ってましたとばかりに答えた。
「おったも何も、ウチん声覚えちゅらんけ?」
そう言って彼女はマイクを握りしめるフリをすると、
「『ああー! みんなんヒーロー、レモン戦士シュワッチャーが
と、高めの声で叫んだ。これには私もさすがに思い出した。
「この声って……、まさか、ヒーローショーの司会のお姉さんですか?」
すると春華さんはニヤリと笑った。
「ビンゴ!
後で知ったが、春華さんは普段は幡宮市内にある「
「へー。あんな大きなイベントだと人が多くて大変でしょ?」
それを聞くなり、春華さんは怒りを滲ませて拳を握りしめた。
「
「こわ」
確かに、あの日を思い出してみると、割と強引にまとめていたような。しかし、ああでもしないと暴徒と化した群衆は手に負えないのだろう。
「ちっくし化粧室行ってくる」
水分をとりすぎたのか、ここで秋実さんが少しの間離席した。
こうして、私は春華さんと二人きりになった。
なんだか気まずいな。
こちらから話を切り出せずにいると、向こうから話しかけてきた。
「実際、佐藤くんて何歳なんざ? OMG知らんなんて、まさかケンディ世代け?」
またもや意味不明なワードが飛び出してきた。
「ケンディ世代って何ですか?」
すると春華さんは少し考え込んだ。
「
春華さんの話によると、先ほども登場した音楽番組Pop Studio Japanは放送開始当初Pop Holidayと呼ばれ、メイン司会を務めたCandy Catsという双子ユニットが当時爆発的な人気を誇ったらしい。
「『キャンディーズ』じゃないんですか? それとも『ザ・ピーナッツ』か」
すると春華さんはやたら発音の上手な英語で突っ込んできた。
「The Peanutsはスヌーピーざっぱ?」
それは確かにそうだけど。
「っていうか、それって何年前ぐらいの話なんですか?」
「まー五、六十年前ぐらい?」
おい。
「ケンディ世代でもねーてなりゃ、OJ世代け?」
春華さんは相変わらず茶化した様子で聞いてくる。
「OJ??」
「Orange Juice世代ざげん、OJ」
自分で言ったことがよほど面白かったのか、春華さんはひとしきり一人笑いしていた。
なんでこの世界のものの名前は何でもかんでも甘いものなんだ。
「あんまりふざけないでくださいよ」
私がきつめの口調でそう言うと、彼女はとうとうからかうのをやめた。
「冗談、冗談。Occupied Japan、アメリカ占領下ん日本ちゅう
そんなに古いわけないだろ。
「……私は今年で三十歳ですが」
私は断じて五、六十のジジイではない。
「すれぜぁ、ウチより一個下ざね」
「春華さんって、秋実さんより年上だったんですか?」
「まぁまぁ、一歳ぐらい同じざ。ファーヴィドゥショック経験すちゅる正化生まれ世代同士、仲
なんだそのリーマンショックもどきは。
私がチンプンカンプンという表情でいると、諦めたのか春華さんは話題を変えた。
「さっきから聞きたさってげん、秋実つ関係はづった?」
彼女はそう言って、テーブルの上に身を乗り出してきた。
関係はどう、ということか。
「まぁ、仲はいいですよ。付き合ってるのか、付き合ってないのか、微妙なラインですが」
秋実さんとの関係を一言で言い表すのは難しく、私は明言を避けた。
最初は行きずりだったが、今は奇妙な信頼関係が出来上がっている。
「やっぱし、ウチん目に狂いはなさっけな~」
春華さんは満足げに意味深な笑みを浮かべた。
「……どういうことですか?」
すると春華さんはだしぬけにとんでもないことを告白し出した。
「いや、あん日、秋実に『佐藤くんに声掛け』て言うてがはウチざい」
「え!?」
驚きを隠せない私を前に、春華さんは平然と続ける。
「いやー、
最後の方が
春華さんはイラついた表情でさらにこんなことまで暴露した。
「
あの事件の舞台裏でそんなことがあったなんて。そんな無茶ぶりを実行してしまう秋実さんも秋実さんだが、私からしたらとんだとばっちりである。
「『青い恋の唄』って、何ですか?」
少し気になったので、一応質問してみた。
「アレ、昔、鈴木ランカが主演やって恋愛映画。秋実はミーハーざげん、ああいう切ねー映画が好きなんざ」
その昔、奈津崎県が舞台になった有名な恋愛映画があるらしい。作中では実際の五神送りの映像が使われ、ロケ地の一つだった山明大社は毎年多くの観光客が訪れるそうだ。
「とにかく、あん映画ん中で、ヒロインが古なじみん連れと再会するシーンあるっぱ? あれざ、あれ」
ネタが局所的過ぎる。しかしなるほど、私と秋実さんとの出会いにそっくりな恋愛映画のワンシーンがあるとは。
私はこの世界の大衆文化についてもっと知る必要があるのかもしれない。
「どうして私に目をつけたんですか?」
まだここが分からなかった。すると春華さんはフフ、と笑った。
「さーさー。佐藤くんがステージの近くで話しちゅって
マジかよ。
「『今日初めて奈津崎に来て、今晩泊まる場所も決まってない』とか言うちゅってんざっぱ? 外地っ
その言い方はないよな。
このようなキョーアクな人間の掌の上で踊らされてしまっていたとは悔しい。
「……もしかして、秋実さんに私の名前を教えたのって、春華さんですか?」
春華さんのご両親と話した時、話の流れで名前を名乗ったかどうかは記憶が定かではない。
だがあの後、何らかの目的で私を執拗に追いかけまわしていた人物がいたとすれば、スーツケースについた名札を見られていたということは十二分にありえる。
しかし、そこまでする必要があったのだろうか。
「さぁ?」
春華さんは笑顔のまま、外国人のように両腕を横に広げるジェスチャーをした。
とぼけやがって。
「……あなたは何がしたいんですか?」
思わず、そんな言葉を口にしてしまった。
「別に。秋実が彼氏欲っせて言うちゅってげん」
春華さんは悪びれる様子もない。そして逆に、彼女は私に疑いの目を向けてきた。
「佐藤くんこそ何なんざ?」
春華さんは責めるような口調で問いただした。
「さっきから話聞いちゅる限り、佐藤くんも相当
彼女は真顔だった。私たち二人はただのショッピングセンターのフードコートで睨み合い、静かに火花を散らしていた。
春華さんは私が異世界人だと気づいているのだろうか。
「……まあ、私はちょっと経歴が複雑なんで、日本のことをあんまり知らないんですよ」
今この問に誠実に答えるべきなのかどうか分からず、私はあくまでもはぐらかした。
「いずれにしても、誰でもいいからナンパした、っていう割には手が込んでて、楽しませてもらいましたよ」
私は表向き気丈に毒を吐いてみせたが、春華さんは余裕の笑みを見せつつ即座に切り返してきた。
「『誰でもいい』て
彼女はそう言ってウィンクした。
「……具体的にどこが?」
「んー、顔とか?」
顔だけかよ。
「褒められてるはずなのに、全く嬉しくない……」
私が春華さんの二面性に翻弄されているところへ、秋実さんがトイレから戻ってきた。
「ただいまー!」
秋実さんは元気よく挨拶したのだが、咄嗟のことで私はちゃんとした反応ができなかった。
「おっ、おかえりー……」
私はそう言ったきり、秋実さんの目をじっと見つめたまま黙り込んでしまった。
秋実さん、こんな人と友達なの?
心の中でそう問いかけて、私は口をつぐんだ。
秋実さんは不思議そうに私を見つめ返すのみだった。
「うめえら、づったすてん?」
あの時、秋実さんが見せた恨みがましい表情の意味が分かってきた。
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