第二部 幡宮市観光
第1話 龍川寺
大音量でお経が鳴り響く中、目を閉じて祈りを捧げる秋実さんの横で、私はただぼんやりと時折風に揺れる赤い蝋燭の炎を遠目に眺めていた。
現在、私佐藤幾多郎は秋実さんともに幡宮市にある
熱心に拝んでるなぁ。
先ほどから秋実さんに合わせてとりあえずそれっぽい動作を真似しているのだが、実際は自分が何をしているのかよく分かっていない。なんだか、お焼香のやり方が分からないまま葬儀に参列しているかのような気分だ。
若いのにこんなにお寺に来たがるなんて、秋実さんも物好きだな。
信心深くない私はそんなことを思いつつも、せめて秋実さんの信仰を妨げないようにそばで見守っていた。
十一月一日月曜日、朝九時半――
ロータリーを出入りするタクシーと路面電車、そして道を行きかう黒髪の人々。
停車場北口を出ると、そこには私が初めて奈津崎県にやってきた時に見たあの景色が広がっていた。一か月ぶりに訪れた幡宮停車場は、普段の落ち着きを取り戻していた。少し前に来たばかりなのに、なぜだかひどく懐かしく感じる。
どう見ても、日本のどこかの町にしか見えないんだけどな。
この中に私と同じ世界から来た人が一人もいないのだと思うと、改めて不思議な気持ちがして、そして少し寂しくなった。
「秋実さん」
私は特に理由もなく秋実さんを呼び止めた。
「
彼女はくるっ、と振り向いた。
「……何でもない」
私がそれだけ言って黙ると、秋実さんは腑に落ちないというふうに首を傾げて、また歩き出した。
今の私には、頼りになる人が秋実さんしかいないのである。
秋実さんが友達のハルちゃんと会う前に寄りたい場所があるということで、私たち二人は路面電車の
車内に入ってまず気がついたのが、直接床に座っている子供がいたことだった。今朝も幡波線の電車の中で、床に腰かける若者たちをちらほら見かけたような気がする。
「行儀が悪いなぁ……」
私は吊革につかまりながら、小声で苦言を呈した。
「普通ざて、普通」
しかし、秋実さんは驚く様子もない。
そんな話をしている時、「観音町商店街」を宣伝する車内広告が目にとまった。
「へー、『
この間は気づかなかったが、あそこではナイトマーケットもやっているようだ。
だがここで、県民からまたもや厳しいツッコミが。
「『カンノン』ぜぁらんで、『カンオン』ざい」
秋実さんがあまりにも真剣な顔でそう言ったので、私はフッと笑った。
「そんなバカな――」
すると、秋実さんは無言で頭上を指さした。同時に車内アナウンスが聞こえ、私はよーく耳を澄まして聞いてみた。
「『
微妙に奈津崎訛りはあるが、その車掌は確かに「カンオンマチ」と言っていた。
「マジかよ……。こんな、ひっかけ問題みたいな……」
ショックを受けている私に、秋実さんは困惑気味な様子で更に追い打ちをかける。
「『観光』ん『カン』に、『音楽』ん『オン』で『カンオン』ざっぱ? なぜ読み間違える?」
そりゃそうですけど。
いずれにせよ、現実の日本ではこのような地名は絶対に存在しないだろうし、どうでもいいか。
悔し紛れに、私は秋実さんをからってみた。
「秋実さん、今日は『オ』が発音できるんだね。ハハッ――」
この時私は、ここでは自分の方がおかしいということを思い出して、笑うのをためらった。
もしかしてこの日本では「観音」を「カンノン」と読む人は、私以外にいないのだろうか。
むくれる秋実さんの横で、私は新たな疑問に頭を悩ませていた。
幡宮停車場から奈津電で二駅、「龍川寺」で下車し、歩くこと五分。
この日は天気も良く、風も涼しかった。真っ青な空にド派手な色合いのこのお寺はよく映える。龍をあしらった精緻な彫刻が随所にほどこされた屋根は、まるで道教の寺院を彷彿とさせる。ここ龍川寺は毎年、五神送りの会場の一つにもなっているそうだ。
旧字体で「龍川觀音寺」という
「随分古そうなお寺だね」
お寺の中をきょろきょろと見回して悠久の歴史を感じていると、参拝客の子供と思しき男の子たちが柱の装飾の一つを指さして「あっぷ!」と言いながらゲラゲラと笑っていた。
何だろうと気になって目を凝らしてみると、とぐろを巻いた龍の尾が見えた。
「『あっぷ』って何の意味なの?」
私は何の気なしに秋実さんに聞いてみた。すると秋実さんはブッ、と吹きだして、
「知らんでけ?」
と言いながら、その場でトイレで踏ん張るようなジェスチャーをしてみせた。ちなみに、今日の秋実さんの秋コーデはチェックシャツにシックなベージュを基調としたロングスカート、という年齢相応の落ち着いたもので、よほど強調しない限りはボディラインが目立たない……はずである。
「あれざ、標準語で言う
何のためらいもなくその言葉を口にしようとした秋実さんの口を、私は思わず手で封じた。
残念な美人だなぁ。
雰囲気がブチ壊しだと思いつつも、私はいつも通りの秋実さんになんだかほっとした。
「『
どこからともなく聞こえる伸びきったカセットテープの
壁に掛けられた絵と、その前にある髭を生やした老人の木像。設置された台の上にはお供え物の食べ物が置かれている。龍川寺は観音様以外にも多種多様な神々を祀っているようだ。
秋実さんは台の上にお菓子をお供えすると、しばらく木像に手を合わせていた。
一体、何をお願いしているのだろう。
「秋実さんって、お寺が好きなの? ほら、こないだも行ったじゃん?」
ふと気になって、私は秋実さんに尋ねてみた。
「あ? いや、別にすったん
秋実さんはひどくびっくりしたように、素っ頓狂な声を上げた。
「そういや、そもそも何の宗教信じてるの?」
私はついでに素朴な疑問を口にした。
このお寺も見た目日本っぽくないし、やはり奈津崎県には我々日本人には想像もつかないような宗教があるのだろうか。
しかしこれにも。
「いや、特に
仏教なのか、神道なのか、それすらもはっきりしない。
だがこれで、秋実さんが実は奈津崎県に
「でも、それじゃあなんで来たの?」
それを聞いた秋実さんはその場で固まったまま、難しそうな顔で考えこんでしまった。
「うーん……」
ただの歴女なのか、はたまたお寺巡りが趣味のスピリチュアル系女子なのか。
あれこれ妄想を膨らませてみたが、結論は出そうになかった。
去り際に、私は秋実さんに聞いてみた。
「さっきのアレ、何の神様だったの?」
すると秋実さんは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「……
その後、出口に近づくとお土産コーナーがあった。小さな売店ではあったが、様々な商品が棚や壁一面にビッシリと陳列されていた。
「奈津崎県のお寺にもお守りは売ってるんだな……」
こんな見た目なのに、日本の神社やお寺で売っているものとソックリな普通のお守りが売られていて、逆に少し違和感があった。
「あぁーっ!!」
私がその他のお土産を色々物色していると、後ろから秋実さんの悲鳴が聞こえた。
何事かと思ってそちらを振り向くと、二つに割れた赤いお皿のような何かの前で秋実さんが地面にへたり込んでいた。彼女は眉間に大きく皺をよせ、まるでこの世の終わりのような大変悲壮な表情だった。
「……どうしたの?」
私は急いで秋実さんに駆け寄った。すると、秋実さんはなんだかバツが悪そうに視線を逸らした。
「いやっ、別に……」
秋実さんの前には半月状の小さな二つの欠片が落ちていた。私は一見おもちゃのようなそれらを拾い上げ、注意深く観察してみた。
「何、これ? 壊しちゃったとか?」
最初は何かが二つに割れたのかと思っていたが、どうやらこれらはもともとこういう形状にカットされているらしく、二つでセットのようだ。辺りを見渡すと、他の参拝客たちが地面に向かって同じものを投げていた。
何かの占いの道具だろうか。
秋実さんはスカートについた土を軽くはたいて立ち上がると、無理やり笑顔を作った。
「
いや、何かあったでしょ。
そう思ったものの、秋実さん以外に聞ける人もいないので、あの時結局彼女が何をしていたのか分からずじまいだった。
秋実さんは例の道具を返却すると、私の手を引いてお土産売り場に戻った。
「何買うんざ?」
あまりの切り換えの速さにしどろもどろになりながらも、私は彼女に合わせた。
「あ、あぁ……。まぁ、色々あるなぁ、って思って」
すると秋実さんは数あるお土産の中からバラ売りの月餅をひょい、と持ち上げた。
「
彼女は月餅を片手に微笑んだ。
どうやらこれは幡宮市のご当地商品として有名らしく、他にも「五神」というラベルのついた饅頭や大福のようなお菓子や関連グッズが売っていた。
「へえ、これ買おうかな」
これ一つなら値段もそんなにしない。
購入しようと手を伸ばしかけた時、ふとある疑問が浮かんだ。
「そういえば、この間も思ったけど、『
すると秋実さんは当然とばかりに答えた。
「『
「ぐしんせん?」
すると「きっちゃぬゎ、
「えーと、なになに、『五神仙とは、毘沙門天、大黒天、吉祥天……? 弥勒菩薩に達磨』だって? これってもしかして、『七福神』のこと?」
それにしては数が少ない。
「毘沙門さんと大黒さんは分かるけど……、ダルマが神様なんて初めて聞いたな」
弁天さんや布袋、寿老人、福禄寿もいないとは妙な感じである。
しかし、となると、「五神送り」はこちらの世界でいう「七福神祭り」に当たるのだろうか。
「七福神祭りって、お正月じゃなかったっけ?」
私が訝しげに尋ねると秋実さんは一笑した。
「『七福神』て! 『八仙祭り』なら旧正月にあるに、奈津崎ぜぁらんぜん」
「なんだそりゃ」
どうやらこの日本での常識の違いは、こんな細かい数字にまで及んでいるらしい。
それにしても、あっちの日本で十月六日にやるお祭りなんて何かあったっけ。
調べようにもスマホもSiriも使えないので悶々としていると、秋実さんは腕時計で時間を確認するなり急に慌て出した。
「あいっ、まーくったん時間ざ!」
気がつくと、もう約束の十一時になりそうだった。
「待ち合わせ場所って、停車場の南口出てすぐのところなんでしょ?」
のん気にそんなことを言う私をよそに、秋実さんは大急ぎで必要な買い物と会計を済ますと、
「さーざぜん、ハルちゃん、時間に厳っしげん!」
と言って出口へ小走りで向かって行った。
ハルちゃんって、どんな人なんだろう。
この時になってようやく、私はこれから会う秋実さんの友達について考え始めた。
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