幕間
幕間 崎池マーケット
「っらっしゃいやせぇー……。ふぁあ……」
私はレジの前であくび交じりに挨拶した。しんと静まり返った店内で私の呼びかけに答えるものはない。
「もう十月も終わりか……」
秋も深まり、気候的にはエアコンを使わなくてもちょうどいい涼しさになってきた。
時刻は午後二時半。平日の日中このド田舎のスーパーに来る買い物客など、時間を持て余したお年寄りか下校途中の小学生ぐらいだった。
そんなわけで、たまにこうして独り言でも言っていないと昼寝してしまいそうになるのだ。
「ホント、閑古鳥が鳴くって言葉がぴったりだな……」
私は一人ぼっちでそうぼやくと、ため息をついた。
奈津崎県に来てからもうじき一ヶ月になる。
相変わらず元の世界に帰ることはできず、住所も身分証明書も何もなしで普通の仕事に就くのもハードルが高そうだったので、私は不本意ながら秋実さんの家にお世話になり続けていた。
あれからたまにレモン狩りの手伝いはしていたが、もちろんそれも毎日あるわけではない。
それで最近、私は秋実さんのヒ……木中家の居候というポジションから早く脱したい、という一心で、小遣い稼ぎに
「しっかし、こんな素性の分からないヤツを履歴書も見ずに即採用って……、大丈夫なのか?」
秋実さんの親戚のツテで始めたこのアルバイト(時給五百円)。
確かに、業務内容も品出しやレジ打ちで言葉が分からなくても何とかなるし、昼間は客が少ないせいで楽なのだが、逆にそれが仇になってヒマ死にしそうだった。この時間帯になると店内を歩き回って仕事しているフリをするぐらいしかやることがない。
「道理で押しつけられたワケ、か……。『社畜生活から解放されたと思ったら異世界スーパーでアルバイトしてました』なんて、たーのしー」
陳列棚の前で牛乳バッグを片手に再び独り言を言うも、店長も外出中で話し相手もいない。最初は奈津崎県の白いゴーヤーや紙パックではなくビニール袋に入った牛乳などに一々ビックリしていていたが、それももう見飽きた。
「俺、もう元の世界に戻れないのかなぁ……」
元の世界での生活が特別楽しかったわけではない。しかし、私の知る日本とはちょっとずつ何かが違うこの不思議な世界に囚われたまま、もう二度と故郷の土を踏むことは敵わない、と考えるとやはりホームシックになる。
不安を紛らすように手を動かしていると不意に、秋実さんの顔が浮かんだ。
「それにしても、秋実さんもテキトーというかなんというか……」
あの時は秋実さんの笑顔に免じて許してしまったものの、彼女も大概である。
あの日から私たち二人の間には「この話題については触れない」という暗黙のルールのようなものができてしまった。もちろん私もあれで納得するわけもなく、口に出さないだけでわだかまりは募るばかりだった。
要するに、私はあてがわれただけじゃないか。
そりゃ確かに、元婚約者と別れた後もお互いの家族が親戚づきあいを続けていたら居心地は悪いだろうけど、だからってその辺でナンパしてきた男を連れ帰って彼氏の代役を務めさせようとするとは恐れ入った。
「所詮、誰でもいいわけか……。都合よく利用されてるだけなのかな」
考えてみれば、レモン狩りの時も私に仕事を押しつけて自分はどっかへサボりに行ってしまう、というのも随分身勝手な話である。そこまでしていとこの
なんだか腹立たしくなってきたが、ここで私は再び思い直した。
「でも、こっから出てくこともできないんだよなぁ……」
そう、なんだかんだこの異世界で行き倒れずにすんでいるのは他でもなく、「大家族ざげん、一人ぐらい増えてん
女の嘘を許すのが男だ、とか誰かが言っていたが、まず
「なんていうか、ヒッジョーに宙ぶらりんな状態だな……」
どうしてこんなことになってしまったんだろうか。
私はもう一度盛大にため息をついた。
午後三時半を回った。
この時間になると、よく近所の子供たちが店の横の空き地で遊んでいる。彼らとは顔見知りで、今では「ルンルン!」とか言いながら指スマする仲である。
このところあまりにも暇なので毎日観察していたのだが、奈津崎県の子供たちは地面に三角形と四角形を描いてその周りで片足飛びしたり、五個のおはじきをお手玉のように上に飛ばしてはキャッチして遊んだりと、何だか独特な遊びをしていた。
私はそんな彼らを遠くから見守りつつ、店の前をほうきで掃いていた。しかしこの可愛らしい子供たちと来たら、私を視界に見とめるなり口々に、
「あ、ラカンさんざ!」
「ラカン
と、親しみを込めて呼びかけてきた。ちなみにこれは最近つけてもらったあだ名なのだが、「働かない」をもじった「
田舎だから噂が回るのが早いのか、最近では知りもしない人に「ラカンさん!」と呼び止められることもある。
「こらー、お兄さんにそんな口を聞いちゃいけないんだぞー」
私は張り付いたような笑顔でそう言いながら一人の男の子に近寄ると、割と本気で締め上げた。
「きゃー!」
「
「シュワッチャーみてえざ!」
日に焼けた子供たちが私を取り囲み、キャアキャアとはしゃいでいた。しばらく子供たちとじゃれ合い、あるいはただのケンカを楽しんだ後。
「いいか、今のお兄さんは無職じゃないんだ」
私は小学生相手に必死な顔で懇願した。
しかし、一人の女の子がもじもじしながら言い返した。
「ざぜん、
「だ・か・ら、お兄さんはこのスーパーで働いてるんだよ、バイトだけど」
すると男の子たちがすかさず突っ込む。
「『スーパー』て! すれ言うなら『マーケッツ』ざい。スーパーメンぜぁあるめーし」
「『バイト』? クンピュータん話け?」
なんでこいつらはことごとくカタカナ英語が通じないんだ。
「……まあ、いいや。とにかく、お前ら喉乾いたろ? お兄さんがジュースを買ってやるぞ!」
私はなけなしの金をはたいて何かをおごることで、己の財力をアピールすることにした。すると子供たちは途端に態度を翻し、
「
「あっさー!」
「ありがたー、
などとパッと明るい表情になった。
フン、ガキが。
私は内心ほくそ笑んだ。
それから私は「Boom Boom Grape」と「Boom Boom Orange」というファンタのパチもんのような数十円の炭酸ジュースを買ってあげた。子供たちは合成着色料の塊のようなドギツい色のジュースを嬉しそうに飲んでいた。こんなもので買収できるなら安いものである。
子供たちに「俺がこの二週間汗水たらして働いて得た金で買ったものだぞー、大事に飲めよー」と恩着せがましく言っていると、後ろから声を掛けられた。
「佐賀くん、
振り向くと、そこには白髪の眼鏡のお爺さんが立っていた。崎池さんのお父さんだった。最近知ったが、「気の毒」というのはこの辺りの言葉で「ありがとう」という意味らしい。
「あ、店長……。もう戻られてたんですか?」
サボってるのがバレるとまずい。
私は慌ててほうきをサッサカ動かし、猛烈に掃除をしているアピールをしつつ答えた。
「うん、
「佐藤」というのがよほど発音しづらいのか、それとも単に覚えづらいのか、崎池店長はいつまでも私の苗字を憶えてくれなかった。
「『佐賀』じゃなくて『佐藤』です」
「あー、すまん。佐部け?」
それはもう一人のバイトだ。
「いや、だから佐藤です」
「シュガーん
「惜しいけど違う!」
私が躍起になって名前を訂正していると、子供たちが店長に向かって元気よく一斉に挨拶した。
「あっ、店長さんがある! こんにちは!」
すると店長は優しい目で子供たちを見守りながら、ゆっくりと手を振り返した。
店長さんが「いる」じゃないか?
ツッコミ不在の恐怖を感じつつ、もうすぐ四時になるのに気づいた私は子供たちに別れを告げ、そろそろ店内に戻ることにした。
今日のシフトも終わりに近づいて、レジで今日の売り上げを熱心に確認しているフリをしていると、店長が話しかけてきた。
「
答えに詰まった私は愛想笑いをした。
「はい、まあ……。田舎ではありますけど、水も空気もキレイだし、静かでいい場所ですね」
毎日レモン畑に囲まれた
「ざなぁ……。
もう少し褒めるようなことを言った方がよかっただろうか。
そんなことを考えていると、店長がいきなり私の顔を覗き込んだ。
「うめえ、くれからづったすんざ?」
「?」
「
この世界の日本でも公務員安定なのか。
私は思わず苦笑した。
「いや、まだ決まってないです。っていうか、まずはお金を貯めて自分で家を借りないと」
「さーけ」
店長はフッ、と笑うと、フサフサの白髪を撫でつつ遠い目をした。
「
店長は私の肩を軽く叩くと、何をひとり合点したのか、若干潤んだ目を閉じてうんうん、と頷いていた。
なんか……、誤解されてない?
世話好きなのか、崎池店長は「実際、日中ヒマざっぱ?
しかし、本当のことを言ったところで信じてもらえそうにもないので、私は何も言い返さなかった。
「……お気遣いありがとうございます。今はここでできる限りのことしたいと思います」
善意だろうが憐れみだろうが、雇ってもらえてるだけ感謝感謝。
優しい店長はさらにこんなことまで申し出て来た。
「さー言や、ムーター車貸したるけ?
そう言って、店長は店先に置かれた古ぼけた
しかし、笑顔の店長を前に私はまたもや困ってしまった。
「いやー、実は今免許ないんですよ。更新し忘れちゃって……」
不思議がる店長を前に、私はハハ、と笑ってごまかした。
くそー、何でもいいから身分証明書がほしい。
実は以前、運転免許証なら試験に受かりさえすればどうにかならないかと淡い期待を抱いて、二回目のレモン狩りの時に貝久保さんに相談してみたのだが、「
いずれにせよ、このままでは色々不便過ぎる。そもそも、その辺のことを秋実さんに相談できないのが一番の問題なのだが。
すると、少し考え事をしていた店長が何かを閃いたようだった。
「すれなら、
そう言って店長はあろうことかその場で電話をかけ出した。
どうしてこの世界の人はみんな真っ当な手段で免許を手に入れようとしないんだ。
「いやいやっ、さすがにそれはよくないんじゃ――」
私が店長を止めていると、入店音と共に入り口の方からドドッ、という足音が聞こえた。その客はいつものように何も買わずに真っ直ぐレジの方へ向かって近づいてきた。
すっぴんにジャージ姿のその若い女性は視界の端に店長の姿を見とめると、適当にひっつかんだ豆乳をカウンターにドン、と置いて満面の笑みで私に話しかけた。
「きっちゃん!
やっぱり秋実さんだった。
●
初めに秋実さんが声を掛けてきた時から、何かあるのだろうなとは薄々感づいていた。そして、どんな雑なドッキリにも乗ってしまうお笑い芸人みたく、逆にこんな下手な誘いでも受けてやろうという面白半分な部分もあった。
しかし、あの時の私はまだ分かっていなかった――田舎の女性と付き合うというのは、
外灯も少ない田舎の道は、六時にもなると日が落ちて視界がとても悪い。私は自転車を押しながら、秋実さんといっしょに暗い夜道を歩いていた。
木中家とその近所の家が近づいてくるにつれて、私は段々足取りが重くなってきた。
「づったすてん?」
先を歩いていた秋実さんがきょとんとした顔でこちらを振り向く。最近ようやく分かってきたのだが、「どうしたの?」という意味らしい。
私は一瞬ためらったが、正直に答えた。
「最近、秋実さんの近所の人によく呼び止められるから……」
この頃在宅ワークが続いている秋実さんは私がバイトに出ている日、こうして必ずわざわざ迎えに来てくれる。おかげで家路につく頃には、大体近所の人たちに取り囲まれてしまう。
「気にすんな、外地っ
秋実さんはこちらへ近づいてくると、さっき買った豆乳を飲みながら涼しい顔でそう言った。
「いや、そうじゃなくて……」
「?」
「おばさま方の視線が……」
おばさんたちが噂好きなのはどこの世界も同じようで、隣人の詮索に余念がないようだ。
秋実さんはケラケラ笑った。
「あー、東橋さんけ? ありゃ
そこも親戚なのかよ。
秋実さんを中心にねずみ算式に増える木中ファミリーに感服し、私は大きなため息を漏らした。
「秋実さんも大変だね、これじゃ、四六時中誰かに監視されてるみたいで、俺は気が休まらないよ」
秋実さんがここから逃げ出したいと思った気持ちが、今なら少しは分かる気がする。
すると秋実さんは、
「『
と、前置きしてから、
「まぁ、
そう言って情けなく笑った。
これが「始終」、つまり「ずっと」じゃ、プライバシーがなくてさぞ大変だったろう。
生まれた環境って、人間形成に大きく影響するよな。
そんなことを考えていると、秋実さんが突然一言。
「……月曜日、
私は自分のシフトをもう一度思い返してみた。
そういえば、明々後日の月曜日はなぜか一日休みをもらえていた。
「うん。明日から三連休らしいけど、何かの祝日なの?」
「
「『文化の日』じゃなくて?」
「『
秋実さんは普通に私と話を続けつつも、いやに慎重にこちらの様子をうかがいながら切り出した。
「……
これは……、デートのお誘いだろうか?
急展開に少しドキドキしてきたが、秋実さんはなんだか少し不安げな顔だった。
しかしここで、私はふと冷静になった。
「どっか、って……。ここ、何もなくない?」
私は辺り一面のレモン畑を思い浮かべてそう言った。
すると秋実さんはちょっとむくれた顔で、自転車のハンドルを反対側から掴んだ。
「……いや、ざげん、
「『
「さーさー」
私が秋実さんの真意を測りかねていると、彼女はこんなことを付け加えた。
「
なぁんだ、デートじゃないのか。
落胆しながらも一応尋ねる。
「『ハルちゃん』って……、友達?」
すると秋実さんはくるっと背を向け、一旦私から離れた。
「うん。高校ん同級生」
「女の子?」
「うん。まー結婚すて、今幡宮市に住んぢゅる」
本人の口からはまだ確認できていないのだが、秋実さんは私と同じ三十らしい。
その年にもなれば友達も結婚してるよな。
さっきからどうも、女友達のショッピングに付き合って、荷物持ちをさせられる三十歳独身男の図を想像してしまう。
「まぁ、行ってもいいけど、お金がなぁ」
私があいまいな返事をすると、秋実さんが調子よく言う。
「一万ありゃ足りるっぱ?」
いや、だからそれが全財産なのが問題なんだって。
そう言いかけて、私は初めて幡宮市に来て右も左も分からずただやみくもに町を歩いた時のことを思い出した。
この間は結局お祭りを見た以外は特に観光もできていなかったので、多少興味はあった。
そういや
これはいい機会かもしれない。
「……分かった。行くけど、足りなくなったら、秋実さんが払ってよ」
こういう話には素直に乗っておくかということで、私は承諾した。
私の返事を聞いて、秋実さんは迷惑そうな、それでいて同時に嬉しそうな絶妙な表情をした。
「
まったく、ここに来てからというものの、秋実さんにずっと振り回されているような。
そう思いつつも、私は秋実さんが笑顔に戻ったのを見てほっとした。
「いや、冗談だから! 『
私が手持ちのお金を全部使い切る覚悟を決めた矢先。
「あいあい、
待ち構えていたかのように、パーマ頭のおばさんがどこからともなく飛び出してきた。
ゲッ、例のおばさんだ。
「こ、こんばんはー……」
機嫌を損ねない程度に挨拶するも、その近所のおばさんを皮切りに誰だか分からないお爺さんやお婆さん、子供たちや犬までやってきて、私たち二人は完全に包囲されてしまった。
「うめえら、
「ヒューヒュー! ナイスカップル!」
「ステンバーイ! ステンバーイ!」
お前らゲームのNPCか。
毎度のことなのでいい加減慣れ……るはずもなく、私は助けを求めて秋実さんに熱い視線を送ってみた。しかし、秋実さんはなんだかまんざらでもない顔で照れ笑いをしているだけで、役に立ちそうになかった。
私は恥ずかしさを隠そうと咳き込んだ。
「散れ散れ、見世物じゃないんだから!」
皆が囃したてる中、私は秋実さんの手を引いて足早に木中家に駆けこんだ。
そこからはいつものように、木中家の親戚たちに囲まれて騒がしい夕食を取った。
疲れるといえば疲れるが、それでも、毎日ただ機械みたく働いて、孤独に飯を掻っ込んで寝るだけの今までの人生よりは大分マシだった。
そして何より、秋実さんがただ可愛かった。
とにかくそんなわけで、私は秋実さんとその友達のハルちゃんに連れられ、幡宮市観光ツアーに参加する運びとなった。
あの時私は単純に、やっと秋実さんとデートらしいことができると喜んでいて、この「ハルちゃん」というのが一体どういう人物なのか、ということに全く考えが及んでいなかった。
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