第2話 五神送り
新幹線を降りて後ろを振り返ったとき、車両の色が違うことに気づいた。地域によってデザインに差異があるのは知っていたが、オレンジ色のものは初めて見た。
周囲の人混みが目障りそうに私を避けて通っていく中、私はその場に立ち止まって物珍しそうに車体をじろじろ見ていた。
そして構内アナウンスが流れてくると、私はますます違和感を覚えた。
「
知っている名前の路線が一つもない。何より、今自分が乗ってきた電車は「コウシンセン」で新幹線ですらないらしい。
自分が寝ている間に車両が入れ替わってしまうことは考えにくい。とすれば、寝ぼけたまま私は車両を乗り換えたのだろうか。いや、それこそありえない。
私はいよいよ本格的に自らの正気を疑い始めた。
「よーし」
私は深呼吸をして目を閉じ、再びゆっくりと目を開いてみた。しかし、景色は変わらない。そして次に、漫画でよくやるように自分の頬をつねったり叩いたりしてみた。やはり何も変化はない。
私はひどく焦燥に駆られた。
ほんの僅かな時間居眠りしている間に、私は一体どこに来てしまったのだろう。
私はその場に立ち尽くし、四方をぐるりと見回した。そこにはどう見ても新幹線の駅のホームとしか言いようがないごく普通の異世界が広がっているだけだった。
駅から外に出ようとしたとき、切符が違うせいで駅員と
やっと外に出た私は、駅ビルの建物の壁に「JR
「さて、どうしたもんか……」
私は駅の出口から辺りの様子を窺っていた。この日の
ここは、日本なのだろうか。
まだ混乱している脳が目の前の景色を勝手に自分の馴染み親しんだ日本の景色に変換しようとしているせいか、
手始めに観光案内所に行ってみたが、入り口の横に「
まず、日本には「
次に、私は外を歩いてみた。
しばらく周辺を散策してみたが、駅前にはロータリーがあり、路面電車が走っているのも見えた。そして駅のすぐ近くには「観音町商店街」なるものがあった。
観音町商店街はそれなりに栄えているようだった。しかし店先に下がっている看板はといえば、「奈津電百貨店」に「津州銀行・信用金庫」、そして「西京更紗佐々川呉服店」に「揚子フイッツ」、「元祖香山せん麺」、「スマイルマート」――という具合で、見たことも聞いたこともない固有名詞ばかりと来た。知っているファーストフード店はダンキンドーナッツとバーガーキングしかなく、他はどれもよく分からないお店しかない。
新しい情報の洪水に今度は寒気がしてきて、私は頭を抱えた。
とはいえ、景色があまりにも普通なので、いまだ自分が異世界に来てしまったという実感はなかった。
気分を落ち着けようと思って、私は駅近くのコンビニに入った。スマイルマートは、その名の通り黄色いスマイリーフェイスがトレードマークのコンビニだった。
しかし入店直後、立ち込める謎の臭気に私は思わず店内をきょろきょろと見回した。するとレジの横にたくさんの煮卵の入った大きな鍋が置いてあるのに気づいた。たっぷりの茶色い液体に浸かったそれは独特の匂いを放っていた。私は思わず鼻をつまんだ。
「おでんとかないのかよ……」
私はそのよく分からない煮卵を食べる気がしなかったので、とりあえずレジでアイスクリームを買うことにした。しかしここでも、お札に印刷してある人の顔が違うせいで百円硬貨しか使えず、買えたのはなぜか紅芋ソフトクリームだけだった。
ひょっとして自分は今、かなり危機的な状況にいるのではないだろうか。
駅前のタクシー乗り場の椅子に腰かけて紫色のソフトクリームを舐めながら、私はこれからどうするかを思案していた。
お札が使えないということはおそらくカードもダメだろうし、異世界の住所が書いてある免許証や保険証も何の証明にも使えないに違いない。スマートフォンは電源こそ入るもののネットも電話も使えず、公衆電話から思い出せる限り家族や知り合いに電話を掛けたがつながらない。
私は困ってしまった。
金もなく、知り合いもおらず、今晩泊まる場所もない。
「そうか、俺は今ホームレスなのか」
そう独り言を言ったとき、自然と笑いがこぼれた。元の世界にあまり未練がなかったのか、仕事がきつすぎて帰りたいとも思えなかったのか、見知らぬ街で行く当てをなくした文無しの私はただ間抜けに笑うことしかできなかった。
湧きあがってくる様々な感情に翻弄され、一人考え事をしていると、一台のタクシーが私の方へ向かって接近してきた。
「
運転手の男は窓ガラスを開いて首を出し、気さくに話しかけてきた。お爺さんは高齢のようで、日に焼けて肌がかなり黒かった。
方言のせいでお爺さんが何を言ったのかよく分からず、私は椅子に腰かけたまま全く別のことを尋ねた。
「なんで私の名前知ってるんですか?」
「へ?」
「私、
私は子供の頃「きっちゃん」と呼ばれていたことがあって、さっきお爺さんに「きーさん」と言われたときにそのことを思い出してしまったのだった。
すると、お爺さんは笑いながら顔の前で手を振った。
「
「きーさま?」
なんと失礼な。お爺さんの独特な言葉遣いに私はますます困惑した。困り顔の私にお爺さんは事情を察したのかこう言った。
「あー。
ガイチ、というのはたぶん他県という意味だろう。
私は分からないなりに返事をした。
「……はい」
するとお爺さんは目を丸くして大げさにリアクションした。
「はーん、ざげん変な語り方なんざ!」
いや、アナタの方が変な話し方ですよ。
内心苦笑しながら、私は今知りたいことを聞いてみることにした。
「とりあえずどこかホテルに行きたいんですが、駅の近くで安いところ知ってますか?」
さすがに野宿は嫌だったので、一か八かクレジットカードが使えるかどうかを試してみたいこともあった。
「フテルけ……」
お爺さんはそう呟いて、何かを思案していた。
「
「ぐしんうくり?」
耳慣れぬ言葉に私は思わず聞き返した。するとお爺さんはまた驚いたような顔をした。
「知らんなん?
そう言ってお爺さんはパンフレットを取り出して、私の方へと差し出した。
それは先ほどの観光案内所にも置いてあったもので、中には「レモンの形の
「あー、『
すると機嫌を悪くしたのか、お爺さんは
「まー、
しかし私は再び聞き返してしまった。
「しーじ? しちじですか?」
するとお爺さんはとうとう怒ってしまったのか、むすっとした顔で一言。
「……やかまっせ」
お爺さんは車の窓を閉めると、さっさと走り去ってしまった。私は一人、その場に取り残された。
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