第21話 宿にて

 「お待たせ、兄ちゃん」

 脱衣場を出て直ぐの待合室のような広間で待っていてくれたフーさんに声をかける。

 ひょいっと振り返る彼は、ほんのりと子供らしさを残しつつも大人びた雰囲気のある美形で、回りの目を引き付けている。

 自慢の相棒ではあるのだけど、兄ちゃん呼びはやっぱり慣れない!


 「おう、戻るか」

 「戻ってご飯だね!」

 のんびり、銭湯から宿へ戻る。

 誰が聞いているか分からないから、出来るだけ普通にしゃべろうとしているのだけど、口がむずむずする。

 「・・・・泡立たなかったな」

 「泡立たなかったねぇ」

 え?何が泡立たなかったって?

 石鹸である。

 お風呂セットの中にあった石鹸は、残念なことに泡立たなかった。


 「明日はダンジョンだな」

 「だねぇ」

 一度家に帰って、石鹸を追加する。

 それと、1階層の安全地帯全てに料理の入門書を平積みする。

 「冒険者がどういう反応するか楽しみだね!」

 「そうだな」

 隠す価値が無くなる程に、大盤振る舞いするのだ。

 「だが、平積みにすると、特定の者が大量に持ち帰らないか?」

 「あ、それ困る」

 1人に全て持って行かれると、隠されてしまいそうだ。

 色々と早めに広めたい私達の目的に合わない。

 「持ち帰り制限を付けれたら良いけど」

 それは、ダンジョンに帰ってからじゃないと出来るかどうか分からない。

 ま、ダンジョンの中だとダンジョンマスターって全能に近いから、出来るんだろうけど。


 「戻りましたー」

 宿の受付カウンターの奥に声を掛け、グレイから部屋の鍵を受け取る。

 「おかえり」

 「ただいま」

 「ただいまです!」

 うんうん、フーさん以外の人とただいまおかえりを言い合うのは久しぶりだけど良いものだ。


 「「乾杯!」」

 ベッドと机しかない簡素な部屋で、晩ご飯。

 椅子や机のある共同の広いスペースもあったのだけど、色々と人には見せられない物があるので部屋ご飯だ。

 言葉に気を付けなくても良い所も良いよね!

 部屋の外が賑やかとか、そんな事は気にしてはいけない。

 「ゴマドレをくれ」

 「はいはい」

 晩ご飯は、サラダうどん。

 フーさんはゴマドレ派なのだけど、私はいつもと変わらずめんつゆ。

 サラダうどんとは言え、うどんにゴマドレを掛けるとか違和感が凄い。


 「サラダには、ドレッシングだろ」

 「頭にサラダって付いてても、うどんはうどんやし!」

 フーさんの言い分も分かるけど、うどんにゴマドレを掛けるなんて文化は私には無い。


  どんどんどんどんどんっ

 「おーい、いるかー!!」 

 

 「「!?」」

 唐突に激しく叩かれるドアと、響き渡るダミ声。

 「ぐふっ」

 「げふっ」

 びっくりしすぎて、気管にめんつゆがっ。

 フーさんはゴマドレだから、それよりはましだけど辛い。

 「ごっ、がっ」

 「え”へっ、げっ」

 潰れたような咳が止まらず、ドアを叩き続ける不届き者に何も言えない。


 「気配はあるんだけどなぁ。おーい」

 「おいおい、やめろよ酔っぱらい」

 「そーだぞー!寝てたらどうするんだ、酔っぱらい」

 「酔っぱらいはてめぇらもだろうが!」

 「違いない!」

 大きな声と、賑やかすぎる笑い声。


 「ぐげっ」

 「けっ、けっ」

 部屋の外は楽しそうだけど、此方は地獄だ。

 気管に入り込んだ液体が、なかなか出て行かない。

 ドアを叩いていた者がいなくなって、大分時間が経ってからやっと落ち着けた。


 「・・・酷い目にあった」

 「・・・・ああ」

 揃って涙目で、項垂れる。

 「意味もなく人の部屋のドアを叩きやがって」

 「冒険者?絶対、奴らの飲みには混ざらん」

 ドアの外からは賑やかな声。

 楽しげのだが、初日から不可抗力とはいえ酷い目に合わされたのだ。

 あの騒ぎには混ざらないと、ドアを睨み付ける。

 「ああ」

 フーさんも同意見のようで、不機嫌そうにドアを睨む。

 

 しばし2人してドアを睨み、そろって溜め息を吐く。

 不毛な事をするよりも食事だろう。

 邪魔はあったけど、やはりうどんは美味しい。


  どんどんどんどんどん

 「おーい!」


 「「!?」」

 この部屋ではない、どこかの部屋のドアが激しく叩かれる。


 「うるせえ!」

 「いーじゃねぇか、飲もうぜ!」

 「またかよ。間違って他の部屋のドアを叩くなよ?」

 「もうやったぞ!」

 「またかよ!」


 ドア叩き男は、間違ってドア叩く常習者だったようだ。

 迷惑きわまりない。

 「「・・・・・・」」

 2人して、そっとドアの鍵を確認する。

 幸い鍵はきちんと閉まっていたが、部屋の内側に備え付けられている閂は掛けていない。

 用心のために内側から閂を掛けた。


 楽しそうな笑い声がドアに聞こえてくるが、あの騒ぎに混ざるのは危険だ。

 「早く食って、寝ちまおう」

 「うん」

 手早くうどんとチヂミを胃に治め、ベッドに入ってさっさと寝た。


 

 「ーーーっ!」

 夜中。

 何か、物凄い音を聞いたような気がして目が覚めた。

 部屋の中は、灯りが無いので真っ暗闇。

 夜中ということを考慮してくれているのだろうか、ドアの向こうの声は良く聞こえない。

 「なんやろ」

 「なんだろうな」

 「!?」

 独り言に返事があって、物凄く驚いた。

 フーさんも、私と同じタイミングで起きたらしい。


 良く見えないので、フーさんに先導してもらってドアに近づき、音を立てないように閂と鍵を外しそっとドアを開ける。

 フーさんと上下に並んでドアの隙間から覗き見る。

 「「・・・・・・」」

 体格の良い中年と若者が男女問わず、グレイから怒られていた。


 こんな時間まで騒ぐな、他の客の迷惑を考えろ、言い訳をするな、何度も同じ事を言わせるな、子供かてめぇら。

 等々。

 もっと言ってやって!とグレイを心の中で応援して、そっとドアを閉じる。

 

 「グレイには、差し入れをせんといかんな」

 「やね」

 それぞれのベッドへ戻って、小声で話す。

 「何がえいやろ。ダンジョンの物とか?」

 「あとは、屋台の商品」

 「結局食べ物か」

 「食べ物が一番無難だろ」

 「それはそうやねぇ」

 「「ふあ」」

 また、眠気がやって来た。

 「「おやすみ」」

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