020:やくそく


『“攻撃衛星”イグニスからの、無差別攻撃の開始』


 ────魔導知能『カルディア』は、静かにそう宣告した。今からわずか、1時間後にはこの星ラクシアすべてを焼き尽し、僅かに選ばれた者を除き、人族の敵対者ごと殲滅する。狂気に満ちた計画が動き始めたのだ。


“神”の代弁者を気取る魔動機は既に崩れ、その計画を止めれるものは既にいない。この場に居合わせた、“英雄たち”以外には。

 アリッサは、先ほどDrメテオールから受け取ったものを取り出す。それは小さなマギスフィアで、Drメテオールが命を賭して託したものだ。その表面には、生々しい血の跡が残されている。


「Drメテオールの残したこれなら……施設を掌握して、止めることができるかもしれない」

「魔動機……ですか。そういったものの操作は、お任せします。私は少し、休憩させていただきましょう」


 ルナは静かに腰を下ろし、そう呟いた。魔力を大幅に消耗したうえ、僅かながら銃撃の外傷ダメージも残る。そんなとき、立ち上がったのはライカだ。


「ドクターの残したマギスフィア……アリッサ。それをボクに見せて」


 マギスフィアを持つアリッサに声をかけたのは、ライカだ。その目は赤く泣きはらし、酷い顔だったがしっかりと自分の力で立ち上がり、凛とした声でそう告げる。ライカはアリッサからマギスフィアを受け取り、手際よく機能を立ち上げていった。


「Drメテオールの言葉では、魔導知能カルディアの一部を切り取ったと言っていましたが……施設の掌握が可能なんでしょうか」

「それはわかんないけど……あった! これで機能を立ち上げて……起動!」


 ライカは小さく声を上げる。彼女が操作を終えると、空中にいくつもの情報が投影された。立体映像ホログラムのそれには、幾つものコードが実行されている画面が映っていた。しばらくすると、マギスフィアから合成音声が響く。


『……コード実行。アル・メナスネットワークへの接続……失敗。ローカルネットワークで再起動。構成を確立』


 無機質な声が響き、そしてその声はこう名乗りを上げた。


『……再起動完了。魔導知能『カルディア』より分断された、当機『カルディア・グレイス』の初期化が完了しました。命令入力オーダーを待機中……』


 カルディアより分かたれた魔導知能、「カルディア・グレイス」はそう告げる。それにいち早く質問をしたのはアリッサだった。


「ねぇ、今ラクシアを狙って放たれた……その弾道ミサイルをどうにかすることはできないかしら?」


 その質問に、カルディア・グレイスは静かに返答する。


『回答。射出されたミサイルは完全に独立したものです。射出後、外部からの干渉は受け付けません。それゆえに、こちらからのコントロールは不可能です』


 カルディア・グレイスの回答に、全員の言葉が詰まる。さらに、カルディア・グレイスは言葉をつづけた。


『また、弾道ミサイルは一定時間、衛星軌道上を周回し特定ポイントに到達後、無数の子弾頭に分裂し、任意の目標地点を攻撃することが可能です。故に、残り3320秒以内に衛星軌道上を周回中の弾道ミサイルを破壊してください』

「……狙ったかのような答えですね。“英雄”の仕事は放棄させない、と」


 タイヴァルドは沈痛な面持ちでつぶやく。スチュワートはマギスフィアに詰め寄るようにしてこう言った。


「そんな……空の遥か上を飛ぶものを落せだなんて。何か方法はないんですか!?」

『提案────カルディア・グレイスはこの事態を解決するものとして、有人魔航船“ルミエル”の衝突による“自爆攻撃”を提唱します』


 冷静に、淡々とカルディア・グレイスは提案する。その言葉に、全員が言葉を失った……が。


『……この手法であれば、搭乗員を死傷させることなく、現在巡行中の弾道ミサイルを破壊可能と計算されます』

「ど、どういうことでしょう?」


 カルディア・グレイスの言葉に、動揺が走る。スチュワートが慌てて問いかけると、再び淡々とした声で説明を開始した。


『有人魔航船“ルミエル”は、その胴体部分に動植物の種子等を保管し、魔術的に保護される休眠装置を備えた、大規模な箱舟カプセルである『プラネテス』と呼ばれるユニットを装備しています。これは、宇宙空間でも数百年遊泳するに足る耐久性と、大気圏へのをもつよう設計されています』


 カルディア・グレイスは全員に見えるよう、立体映像を投射する。そこには有人魔航船“ルミエル”と思わしき円錐形の物体が映し出されていた。それは、ラクシアを模した球体から発射され、その周りを周回している弾道ミサイルと思わしき物体に接近していく。


『衛星軌道上を周回する弾道ミサイルに接近後、パイロット「ライカ」を『プラネテス』ユニットへと移乗。その後、ルミエルと切り離しを実施し、ルミエル本体を弾道ミサイルへ衝突させます。パイロットを乗せた『プラネテス』ユニットは、その後大気圏に突入し、ラクシアへと帰還します』


 弾道ミサイルに接近するルミエルから、箱のようなものが分離されていく。これが恐らく『プラネテス』と呼ばれるカプセルなのだろう。ライカを乗せた『プラネテス』は、そのままラクシアへと戻っていくアニメーションが再生されている。


『……以上が、カルディア・グレイスが提案するプランです。いずれにせよ危険は伴いますが、人命保護を最優先にしたプログラムとなります』


 カルディア・グレイスは静かにそう告げた。タイヴァルドは安堵の声を上げる。


「それは……! なかなかにいいことを聞けましたね。年甲斐もなく喜んでしまいますよ」

「でも……ルミエルに乗れるのは、ライカだけ、よね」



 アリッサはライカの方を見る。いや、アリッサだけではない、4人がライカのことを見つめている。その表情は、安堵と同時に心配や、不安や、恐れも含まれていたのかもしれない。4人の命を、この星に住まうすべてのものの命を、彼女に託す。それは想像を絶する重責だ。大切な人を失い、ひどく傷ついた少女にそれを任せるべきか。


 だが、ライカは4人を見つめ返す。その顔は、凛としていて、それでいてどこか嬉しそうな様子だ。


「だい、じょうぶ。……ボクなら、行けるよ。そのために、今まで訓練してきたんだもん」

「ライカさんにしか……できない役割、なんですよね」


 そう呟いたスチュワートの表情は、複雑なものだった。ライカは小さく首を縦に振る。


「うん。……でも、スチュワートが、みんながチャンスをボクにくれた。ボクは何にもできないけど、今だけは皆を助けることができるかもしれないから。そのチャンスを、ボクは大切にしたい」

「……わかりました。どうか、ご無事で……!」


 すっと、スチュワートは手を差し出す。ライカは小さく頷いて、スチュワートの手を握った。ルーンフォークと人造の生命体。二つの造られた者たちの手は、誰よりも温かかった。


「我々4人の勝利を、キミに託します。あとは貴方を信じます。頼みましたよ、ライカ」


 タイヴァルドはそういい、手にしていた盾神イーヴの聖印をライカに託す。


「気休めですが、これをどうぞ。きっと貴方を守ってくれることでしょう」

「ありがと……タイヴァルド。絶対にボク、もどるから……その時は、一杯いろんなことを教えてね? まだ見たことのない所も知らないことも、いっぱいあるんだ!」

「えぇ。約束です」


 ライカはタイヴァルドから聖印を受け取る。まだ、彼の暖かさが残るそれを、ぎゅっと大切に握りしめて。


「ライカ……あなたが、命を懸けてくれるっていうなら、あたしは外で待ってるわ」


 アリッサは、ライカをぎゅっと抱きしめながらそう囁く。初めてあったころのライカなら、その行動に戸惑いを覚えたことだろう。だが今は、迷うことはない。小さな手、細い腕でライカもアリッサのことを抱きしめる。


「今度は、美味しいお菓子を作って食べようね」

「うん……ありがとう、アリッサ。約束、だね!」


 ライカはそういい、静かにアリッサから手を放した。そして、傍に座っているルナの元へと歩んでいく。


「その……ありがとう。ドクターのこと」

「いえ、大したことはしていません。彼は彼の道を全うしたのですから」


 ライカは突然かがみ、ルナの耳元へと顔を近づけ小さな声で囁いた。


「あ、あのね……お願いがあるんだけど。ボクが戻ったら、魔法をおしえてくれる……? その。ボクもあんな風に、いろんなことができるようになりたいなって……」


 突然のお願いに、ルナは静かに目をつぶる。その表情にライカは一瞬困った顔をするが、ルナが小さく微笑んだのを見て、そっと立ち上がる。



「じゃあ、行ってくるね。みんな!」


 ライカは4人の顔をそれぞれ見つめる。アリッサ、スチュワート、タイヴァルド、ルナ。わずかな間だったが、彼女にとっては大切な“友達”だ。そして彼らも、ライカのことを見つめる。手を振って駆けだす彼女を、4人は見送ったのだった。



    **



 数分後、彼らは研究所の外にいた。南から吹く風が、潮の香りを運んでくる。空は、薄っすらと晴れ間が見え、いつもの青い、蒼い空が顔をのぞかせている。研究所の近く、見晴らしのいい高台に赴いた彼らは、海を見つめている。

 不意に、海からゆっくりと塔のようなものがせりあがってきていた。それは、鋼鉄でできた黒鉄の塔だ。見つめていると、それは中央から割れ始め中からは見たことも無い、巨大な魔動機が姿を現した。

 白い、流線型のフォルムをした巨大な魔動機。それは、遥かな天へと顔を向け、黒鉄の塔に鎮座している。人を乗せ、未知の領域を切り開く魔航船“ルミエル”だ。


 不意に、手にしていたマギスフィアからカウントダウンの音が聞こえる。その音に混ざり、ライカの声が聞こえていた。魔航船“ルミエル”と通信回線を開いているのだ。

 カウントダウンがゼロを刻み、轟音と共に魔航船の尾底から激しい光が放たれる。巨大な黒鉄の船が船体を浮かせながら、ぐんぐんと高度を上げていった。


《……き……える……、きこえる……?》


 マギスフィアから声が聞こえる。ライカの声だ。


《……きのうね、ボク。初めて外にでれたんだ。そこで、みんなと出会って……すっごく短い間だったけど、いろいろお話しできて》


 通信越しに聞こえるライカの声は、うれしさと、不安が入り混じった声だった。その声を4人は静かに聞いている。


《────ボクね、すっごくうれしかったんだ!》

「……どう、空から見ると“世界”って広いでしょ?」


 アリッサはマギスフィア越しに、ライカへと語り掛ける。


《うん! すっごくひろいの! 空がどんどん近づいてきて、蒼くってね、でもどんどん暗くなって……》

「青い部分を超えると、暗くなるんですね……知りませんでした」

「なるほど、天上はそのようになっておりましたか」


 ライカの少し、興奮した声にライヴァルドとルナはそう呟いた。彼らが見上げる“ルミエル”は、もう点のようにしか見えない。彼女が飛び立った軌跡が、真っ白な煙となって空の果てまで続いている。


《蒼い色と、暗い色の……ソラと宇宙のさかい目みたいなところからね、振り返ると、地面が見えるの! すごいね……こんなに、ひろかったんだ……》


「そうよ。世界ってとっても広いの。全部終わったら、いろんなところに連れて行ってあげるわ。……友達、だからね」


 アリッサはそう呟く。遥か空の果てへと飛び立った友達は、元気よく「うん!」と答えている。


「すごい……想像がつかないけれど、きっと、とってもきれいな景色なのでしょうね」


 スチュワートの声に、マギスフィアの向こうからライカは嬉しそうに答える。


《うん! もどったら、このことを誰よりも、一番最初に教えてあげる。ボクが一番最初に見た景色を!》


 手元のマギスフィアには、“ルミエル”が既に成層圏を抜け、衛星軌道にまで到達したことが表示されている。もう間もなく、作戦が動き出す。


《……そろそろ目標だ。じゃあ、また後でね! ボクは『プラネテス』に移るよ》

「幸運を祈りますよ。イーヴ様と、この私がね」


 タイヴァルドの言葉が送られてすぐに、マギスフィアにカウントが表示される。


『……システム正常に起動。全管制オールグリーン、“ルミエル”は衝突コースに入ります。「プラネテス」ユニットの分離を開始……』


 ほんの一瞬の出来事だが、時間が引き延ばされたように長く感じる。しばらくすると、マギスフィアからは『「プラネテス」ユニットの分離に成功』と声が上がった。その言葉に、4人はほっと息をつく。既にライカの乗る「プラネテス」は、“ルミエル”から切り離され、ゆっくりと衝突コースから離れはじめていた。


『衝突カウント 10、9、8……』


 無機質な声のカウントが始まり、とうとうその時が訪れる。カウントは3、2、1と続き『直撃……今』と、マギスフィアから音声が流れた。


 その瞬間、空が明るく光り輝いた。まるで、巨大な花火でも打ちあがったかのように、白い閃光が大空を埋め尽くしたのだ。その圧倒的な光景に、誰もが息をのむ。


『衝撃波を観測。プラネテスとの通信回復まで、約30秒』


 光が収まると、空からは無数の流星が煌めき、大地へと降り注いでいる。まるで雨のように降り注ぐそれは、真っ赤な尾を引いて次々にラクシアへと墜ちているようだ。青い空に、無数の光の尾をなびかせて、流星たちがラクシアへと還ってくる。


「まるで……流星群のようです……」

「えぇ、すごい……光景だわ」


 スチュワートとアリッサは、ぐるぐると回りながら空を見つめる。空を埋め尽くす流星の雨は、今が大災害の真っただ中であることを忘れさせるほど、神秘的な光景だった。


「ここでこうなのですから、空からの眺めはきっと、素晴らしいのでしょうね」

「えぇ……」


 タイヴァルドとルナもまた、空を見つめる。ルナはそっと瞳を閉じて、静かに立ち尽くしていた。




『警告……爆発衝撃の影響により、「プラネテス」の進路を再算出』


 マギスフィアから、声が聞こえる。


『現在、進路を再算出中……最短進路へと軌道を緊急修正』


 その声に、4人が気が付いた。彼らはそれに、目を向ける。




『爆発余波により、「プラネテス」が予定進路より逸脱。予定の周回軌道より、+32.195度の誤差が発生』


 マギスフィアから流れる、無機質な声はこう告げた。




『ラクシア地表までの再突入時間は……────312年 4か月 12日と54分』




 ただ淡々と、それは事実を告げる。


『……プラネテスとの通信回復』


 その音声が聞こえたと同時に、ライカの声が聞こえる。


《……っ、すっごい衝撃だったね! ねぇ、地上からもみえてる!?》


 ライカの声は、楽しそうにマギスフィアから響く。彼女は遥かな空の上から、明るい声を伝えてくる。


《一杯破片が落ちてっちゃったけど……これ、大丈夫なのかな?》


「見えてるけど……ッ」

「こ、れは……」


 遥か空を仰ぎ見る二人。その声は震えていた。マギスフィアの向こう側から聞こえる声は、その事実に気が付いていないのか楽し気な声を響かせていた。


「────私が、話しましょう」


 静かなこえで、タイヴァルドはそう言った。彼はマギスフィアを手にし、優しい声でライカに語り掛ける。


《……ねぇ、どうかしたの?》


 マギスフィアの向こう側から、異変を感じ取ったのか少し不安そうなライカの声が聞こえる。


「……ライカ。キミの本来の任務の内容は、聞いたことがありますか?」

《ううん、“ソラ”に行くことだって……ねぇ、なにかあったの? みんな、無事なんだよね?》


 ライカの声は、確実に不安を孕んだ声へと変わっていった。マギスフィアの向こう側で、不安そうな顔で見上げるライカの顔が思い浮かぶ。


「話してしまいましょう。今、キミが止めたミサイルは、本来ラクシアに降り注ぐはずだった。それは、元からあった計画だったんですよ」


 タイヴァルドは息をつく。マギスフィアの向こう側からは、ライカの息遣いだけが聞こえてくる。


「……本当は、キミはミサイルとすれ違うようにソラの果てへと進み、ラクシアの周りを永遠に漂う保管庫となって、我々の敵が滅ぶまでの間、時間を稼ぐことが任務だったんです」


《……ボクが……そんなことを?》


「そうです。そして今君は、ミサイルとぶつかった衝撃によって、その本来の任務で漂うはずだったルートと、ほぼ同じ状況になりました」


 ちらりとマギスフィアに目を落すタイヴァルド。


「プラネテスが、本来そのために造られたものであるとすれば……確実に助かるために、計算済みのルートを選択したのかもしれません」


 マギスフィアの向こうで、ライカの小さな声が聞こえる。まるで、初めて会った時のような声で、彼女は語り掛けてくる。


《じゃあ……だって……また、“会えるよね”……タイヴァルド?》


《ねぇ……聞いてる、よね。ルナ、アリッサ、スチュワートも……っ!!》


《ボクたち、また……あえる、よね……?》


 ライカの声は、しぼむようにして徐々に小さくなっていく。不安、恐怖、絶望……顔を見ずとも、彼女の表情が目に浮かぶ。


「……あなたは、何歳でしたか?」


 不意に、沈黙を破ったのはルナの声だ。静かに瞳を開けた彼女は、静かな声で語り掛ける。


《たぶん……10さいぐらい……》

「私はそろそろ、二百と六十五歳になります」


 ルナはそう言い、一呼吸おいて言葉をつづける。


「永い間、私はこう考えていました。人は大地に生まれる、そうである以上、二本の足で歩き、大地に生きて死ぬのだと。地を離れれば、人は生きられないのだと」


 彼女はそういい、マギスフィアを見つめる。


「265年も生き続けた私には、もはやそれは常識です。常識とは、鎖です」


 ルナは遥かなる空を見上げる。空には、幾つもの流星が煌めいていた。


「貴方は10才にして、“空の色”を知った。天上の色を知った。……凄まじいことです。そのころの私は、森を出たこともありませんでした」


 マギスフィアの向こう側からは、押し殺したような声が聞こえてくる。くぐもった、泣き声のような。


「────羨ましい。貴方には、可能性がある。私の知らないことを、貴方は学べる」


《ねぇ……おねがいだからぁ……一言でいいからっ、言ってよ。また、会えるって……!》


 ライカの崩れた声が聞こえてくる。その声は、泣いていた。必死に感情を押しとどめようと、こみ上げるものを食い止めようとしている。


「……こちらのことは気にせず、学びなさい。人はいつでも、どこでも、幾つになっても、学ぶことはできるのだから。貴方には、それができる」


 ふふっとルナは苦笑いをしながら、


「さて、貴方が帰ってくることには、当代の魔女は私ではなく、私の子孫や孫かもしれませんね」


《やだよっ……ルナ! ボク、だって……全然まだ、みんなのこと、知れてないのにっ……こんな、気持ちになるのならボクは……》


「ライカさん……」


 悲痛な声が、マギスフィアから流れ出す。その声に、スチュワートは苦悩する。ドワーフのアリッサ、エルフのルナ、リルドラケンのタイヴァルド。そして、ルーンフォークのスチュワート。この中で唯一、例外的に彼だけは「300年」という時の壁を越えられる可能性があるからだ。

 彼らルーンフォークの稼働年数は約50年。だが、適切な処置を行い、休眠状態に入れば、数百年の時を眠りながら過ごすことができる。「プラネテス」に乗り、独り眠りにつくライカと同じように。


(マスター……ルーンフォークである自分は、休眠機能が搭載されています。この機能を使えば、自分だけはライカさんと再会することができるかもしれません)


 一人、静かにスチュワートは自らの心と、アリッサマスターに語り掛ける。だが、答えは出てこない。


(本音を言えば、自分はマスターと離れたくありません。けれど……けれど、自分はマスターに従います。……ごめんなさい、自分で決めることができなくて)


「ライカ」


 マギスフィアにアリッサは声をかける。


「私はやらなくてはいけないことがあるの、だから……また会えるって、約束はできない。……けどっ! 貴方が目覚めたときに、独りになんてさせないわ!」


《アリッサ……》


「今、世界は大変な危機に陥ってる。あたしは……できるかぎり、沢山の人を救いたい」


 アリッサは、芯のある強い声でそう語り掛ける。


「貴方が帰ってきたとき、世界が平和でいられるように。戻ってきたときには、きっと……あたしの、孫たちが貴方を迎えてくれるわ!」


 その声に、マギスフィアの向こうのライカが、無理にでも笑おうとしているのが、声で伝わってくる。にっこりと、もちもちとした頬を上げて。獣耳を楽し気に動かしながら、笑うライカの顔が思い浮かぶ。


《……っ、ボクもね、ずっとまってるから……! みんなが、世界を平和にして、もどったときに、一緒にお菓子を食べられるような……そんな世界を!》


 マギスフィアに警告の文字が表示される。どうやら、「プラネテス」は速度を上げてラクシアから遠ざかっているらしい。『通信可能時間、残り180秒』と無機質な文字で表示されている。


「……ライカ、残り時間が少なくなってきました。私から説明をしましょう。いいですか、今から告げることはとても……残酷なことです。落ち着いて聞いてください」


 タイヴァルドはマギスフィアに表示された時間を見て、語りだす。


「キミがラクシアから切り離され、漂う時間は、おおよそ312年です」


 その言葉に、マギスフィアの向こう側で息をのむ音が聞こえる。


《さんびゃく……じゅう、に……》


「アリッサに続いて、受け売りのような感じになりますが……私も、これだけは約束しましょう。蛮族に支配され、全てが破壊されているような。そんなラクシアに、貴方は帰ってはこない」


《タイヴァルド……》


「大丈夫。まぁ、平和まで行けるかはちょっと怪しいですが……もしかしたら、312年我々と蛮族は、対等に戦い続けるかもしれませんね」


 タイヴァルドは遥かな大空を見上げる。その“空の果て”に、今ライカはいるのだ。


「……きっとその時、ライカの学んできたこと、貴方の可能性も、プラネテスの積み荷も。そのすべてが、希望の光となるでしょう」


 マギスフィアを通し、タイヴァルドの言葉がライカに届く。遥か先の未来で、未だ誰も知らぬ未来を信じて彼はそういう。


《どうしてそんな────》


 ライカの声がマギスフィアから聞こえた時だ。激しい爆発音が研究所から響き渡る。4人が振り返れば、研究所の周囲に無数の人影が見えていた。


『警告。“ヒュブリス・ベース”周辺に熱源を探知。敵性勢力と判断。防衛システムにて対応中……稼働率は68%』


 警告音と共に、“カルディア・グレイス”はそう告げる。その言葉を聞かずとも、とうとう蛮族たちの本隊が襲い掛かってきたことは目に見えていた。研究所の上には有翼の蛮族が飛来し、周囲には大きい物から小さいものまで、無数の人型の蛮族たちが取り囲んでいたのだから。

 そして、その爆音は通信中のマギスフィアを通して、ライカの元へと伝わった。


《なに……今の音。ねぇ、そっちは……みんな大丈夫なんだよね!? ねぇっ!!》


「……すこしお客様がお見えになったようで。先に私がお迎えいたしましょう」


 ルナはマギスフィアから聞こえるライカの声を背にし、静かに研究所へと歩み始めた。


「────ライカ、いずれは私の森にいらっしゃい。では、お先に」

「大丈夫、貴方のおかげでみんな無事よ。ライカ」


 アリッサはルナの背を追うようにして歩き出す。


「貴方は、貴方の使命を果たした。だからあたし達も頑張らないとね」


《ルナっ……アリッサ!》


「……私も、行かなくては。さぁ、まだ見ぬ未来さきの約束のために、為すべきことを為しましょうか」


 タイヴァルドは、スチュワートにマギスフィアを渡し、先陣を切った二人の方へと歩んでいく。


《タイヴァルドっ!!》


 一人マギスフィアを渡されたスチュワートは、3人の背を見ながら、姿の見えぬライカに語り掛ける。


「……僕は、マスターが戦い続ける道を選ぶなら、最期までマスターの側で、お供するつもりです」


 スチュワートは、マギスフィアを握りながら一歩、また一歩と前へと歩む。


「ライカさん、ごめんなさい。……でも、絶対に帰ってきたときには、今よりももっと良くなっているはずです」


《スチュ……ワート……。うん、うん……っ、信じてる、待ってる。どれだけ離れても、時間が経っても、忘れないよっ……》


 マギスフィアの向こう側から、嗚咽交じりのライカの声が聞こえる。


「だから……僕が言えることがあるとしたら……孤独に負けないで……僕がアリッサマスターに拾われたように、ライカさんがずっと一人なんてこと、ありません」


 ざらざらと、ノイズ交じりの音が聞こえ始める。そろそろ通信範囲から「プラネテス」が離脱するのだろう。とぎれとぎれになった通信から、ライカの声が響き渡った。


《ボクは……一人じゃないよ。どれだけ星を離れても、どれだけ星を跨いでも。みんなからもらったこの気持ちも、“やくそく”も忘れない》


《ボクは……みんな……あえて、うれしかった……!》


 涙に負けないように、声を上げるライカの声がマギスフィアから聞こえてくる。その声はノイズ交じりで、ところどころ途切れている。


《だからっ、みんなのずっと先の……未来で……、待って……から──》


 ライカの声が途切れ、あとには耳障りなノイズの音だけが響く。4人の“英雄”たちは、いつまでも響くノイズを背に受けながら歩み続けた。


 後の世の、平和を築くために。誰も知らない、彼らだけが知っている友達との約束を果たすために。


    **


 幾つもの、星が降る。


 遥か空の果てで、誰も知らない。────いや、4人だけが知っている。星の大海へと漕ぎ出した一人の少女は、静かに旅路を歩み始めた。


 無数の星屑が大地に降り注ぎ、願いの数だけ星々は輝くを増すだろう。だが、その星々の中に一人の少女がいることは、誰も知らない。


 かくして、少女は星の大海を征く。

“惑うもの”の旅路は、まだ始まったばかりなのだから。

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