015:ライカ

 4人は研究所内を歩く。その目的は、Drメテオールと共にいた獣人リカントの少女、ライカを探すことだ。研究所内にはいたるところに避難民が座り込み、見渡す限り人の姿で溢れている。目につく部屋を覗き込んでみるものの、そこに獣耳の少女の姿はなかった。


 座り込む避難民たちも多くいたが、それ以上に多くの避難民たちは流れるように施設の奥へと進んでいるようだった。4人もその流れに乗り、研究所内の奥へと立ち入る。巨大な搬入路を通り、《研究セクター:東側出入口》と銘打たれた扉を通過していくと、彼らのほとんどは広大な倉庫へと流れ込んでいるようだった。倉庫は広く、無数の物資が山積みにされているようで、そのそばに座り込むようにして、多くの避難民たちが休息をとっているようだ。確かに、ここなら通路で横になるよりかは落ち着けるかもしれない。

 そして、そんな物資の山の間をすり抜けるようにして、獣耳の少女があちらこちらに駆けているのが見えた。手には食料の缶詰を抱えており、避難民たちへ配り歩いているようだ。


「食料を配って歩いてるみたいね。ほら、あそこ」


 アリッサはそういい、ライカの方を指さす。


「そうみたいですね、見つかってよかった……」


 スチュワートはそういい、抱えているプレゼントの箱に目を落す。あの警備員から託されたものを渡さなければならない。


「スチュワート。受け取った以上はしっかりと渡しなさいよ」

「……はい、マスター。必ず遂行します」


 スチュワートはそういい、3人に見守られる中、獣耳の少女ライカのほうへと進んでいく。そして、意を決して声をかけた。


「ええと、あなたがライカさん……でしょうか?」


「────はいっ! って。さっき“ボク”のことを助けてくれた人たち!」


 スチュワートの声にピクリと反応し、その少女はこちらを振り向いた。ライカと呼ばれた少女は、明るいこげ茶の髪を後ろで二つ結びにしており、スチュワートの声に応えるようにしてその獣耳がぴょこぴょこと動いている。瞳はうっすらと桜色をしており、大きな目が彼女の活発さを際立たせていた。獣人リカント特有の獣耳と尻尾は犬のようで、三角の立ち耳とふさふさの尻尾が嬉しそうに揺れている。首にはチョーカーのようなものをつけており、やや大きめな白いシャツと可愛らしいカーディガンを羽織っていた。年齢は10歳前後だろうか、スチュワートと同じほどの背丈だ。華奢な体つきのようで、ちらりと見えた首筋からは、薄い鎖骨が見え隠れしている。


「あっ……その、まだちゃんとお礼をしてませんでした! その、さっきはありがとうございました!」

「いえ、人助けは“ルーンフォーク”として当然のことですから」


 ライカは勢いよく頭を下げてそういう。その所作はどことなくDrメテオールに似ており、再び顔を上げたライカはにっこりと笑っていた。


「ごめんなさい、ボクそそっかしくて。……えっと、それで、“るーんふぉーく”さん……は、ボクのことを探しに来てくれたの?」


 そう不思議そうな表情でスチュワートを見て、つづけて後ろに立っていた3人組を見つめる。そのどこかたどたどしい言葉遣いに、4人は違和感を覚える。


「えぇと、それで、こちらを……お名前は存じ上げないのですが、あなたのことを知っている方から、あなたへの贈り物です」


 スチュワートは手に抱えたプレゼントを、そういってライカへと渡す。ライカは何だろうと呟きながら、そのプレゼントの箱を受け取り、箱を開けて中身を見る。箱の中にはたくさんのお菓子が詰め込まれており、一枚のメッセージカードが入れられていたようだ。ライカは手に取って、それを読むと嬉しそうに顔を綻ばせた。


「わぁ……いっぱいお菓子が入ってる! これ、警備室のおじちゃんたちからだ!」


 無邪気に喜ぶライカを他所に、難しい顔をして沈黙するスチュワート。彼女はそれに気が付く様子もなく、にこにことした様子でスチュワートへ話しかける。


「えっと、“るーんふぉーく”さん。それで、おじちゃんたちはどうしてましたか?」


 ライカは箱の中のお菓子を手に取り、きらきらと輝くような眼で見つめながら、言葉を続ける。


「ちゃんとお礼しにいかなきゃ! あ、もしかして“るーんふぉーく”さんも、おじちゃんたちとお知り合いだったりするの?」

「ええと、まず“ルーンフォーク”は僕の名前ではなくて、僕の名前は“スチュワート”と申します」


 スチュワートはそういいながら、気まずい表情で、


「それを僕にたわしてくれた方は……ええと、その、適切な言葉が見つかりません。ネット検索が生きていれば、いい言葉がすぐ見つかるのですが……」


 歯切れ悪く言葉を探すスチュワートを見かねたのか、静かな声でタイヴァルドが言葉をつづけた。


「彼は……そう、殉職ですかね」

「そ、そうです。その、送り主の方は……そ、そう。殉職なされました。じゃなくて、殉職、してしまわれました……」


 二人の声音と表情を見たライカは、不安そうな声で、


「“じゅんしょく”……って、どういうことですか?」


 と困ったような顔でそう聞いてくる。先ほどまでの表情は嘘のように、その顔には暗雲が立ち込めていた。


「死んだってことよ。もう二度と、会えないの」


 静かな声でそうつぶやいたのは、アリッサだ。スチュワートもまた、アリッサの言葉に静かにうなずく。ライカの表情は、困ったような、不思議なものを見るような顔で、理解できていない様子だった。


「なくなった……“しんだ”?」


 ライカはそうつぶやき、


「────しぬと、もう会えなくなっちゃうの……?」


 と、彼女は不思議そうな顔をして言った。それは、言葉を知らないというよりかは、“死”というものがどういうものなのか、理解していないといった様子だ。

 アリッサも、スチュワートも、後ろで聞いているルナとタイヴァルドも、目の前の少女がどこか普通の少女と違うことに気が付いた。


「そう、ね。ええ、死んでしまうとその人とはもう会えない。動かなくなってしまうのよ」


 アリッサは丁寧な口調でライカにそう伝える。ライカは、アリッサの言葉を咀嚼するように一言一言を理解していっているようで、難しそうな顔で聞いている。


「ずっと眠ってしまう。……そういう感じかしら」

「……? ずっと寝てるの……なら、また起きてくるんだよね?」


 もはや、確定的だった。

 目の前の少女ライカは、不相応に物事を“知らなさすぎる”。それはもはや、純粋という領域を超えて、「歪」とすら言ってもいい。誰かの作為によって、この少女は普通の女の子なら知っているようなことを、全く理解していなかった。

 また、彼女が首につけているものはチョーカーのように見えるが、よく見てみれば硬質な部分が肉体に直につながっているようだ。まるでルーンフォークのように、体と直につながっている魔動機アタッチメント。それなりに見識のあるものでしか気が付けないほどの、高精度なものがライカの身体には埋め込まれていた。


「……人は皆、魂というものを持って生きております」


 静かな声で、ルナが語り始めた。その声に、ライカは純粋な瞳を向ける。


「死は亡魂、すなわち永遠の別れです。戻ることもありませんし、二度と動くこともありません」

「……もう、遊びにいけないの? もう、おじちゃんたちと、お話できないの……?」


 ライカの声は、少しずつ上ずっていく。ルナは変わらぬ声で、


「行けませんし、話せません。失われた魂は、失われたままです」


 そうつぶやくと。ライカは小さく震え、その桜色の瞳からぽろぽろと涙をこぼし始めた。彼女自身、そのことに気が付いたのはしばらくたってからで、自分の眼からあふれる涙に困惑し始めた。


「……ごめ、んなさい。なんかね、おじちゃんたちに、会えないって思ったら。なんか、目から、止まらなくって……っ!」


 ライカはぐしぐしと腕で目をこする。拭ったあとから、次々に大粒の涙は零れ、彼女はどうしていいのかわからない表情をしながら、さらに強く目をこすり続けた。

 その手をそっと包み、頭を撫でて静かに声をかけたのはアリッサだ。ぎゅっと抱き寄せながら、静かに頭を撫で続ける。


「大丈夫、それが普通よ。ライカ」


 ライカは、ぎゅっとアリッサに抱きよりながら、ぽろぽろと涙を流す。とめどなく、いつまでも。死を知り、感情の一つを知った彼女は、小さな体を震わせて嗚咽を漏らしたのだった。



 そんな様子を、少し離れたところでルナとタイヴァルドは見守っていた。


「知識レベルが一般人からは大きく劣る……とは思っていましたが、ここが研究所であることを考えると……」

「“ルーンフォーク”を知らない時点で違和感は感じていましたが、あたりでしたねぇ」


 二人の教授は、その純粋に歪んだ子どもをみてそうつぶやいた。


「……もしかしたら、実験動物のような扱いを受けていたのかもしれません」


 ルナはその可能性について指摘する。Drメテオールは何かを隠していた。いくつもの彼の行動や言動がそれを裏付けている。


「Drメテオールにとって不都合な会話をライカとしてしまった可能性がありますね。……もしもの時は、知らぬ存ぜぬで通しましょうか」


 タイヴァルドは深いため息をつきながらそう呟いた。なんにせよ、この施設で何かを行っているのは明確で、ライカはそれに関わっている可能性がある。


「となると、研究所と彼の素性を洗った方が良いかもしれません。長居する可能性がある以上、疑惑は消すにしかず」

「……やるなら、襲撃が収まっている今のうちにやりましょうかねぇ」



 しばらくして、ライカは落ち着いたのか泣き声は止んでいた。目の周りを少し赤く腫らしたライカは、プレゼントを抱えて4人を見上げた。


「……あ、あのね。ボク、まだお礼できてなかったから……その、よかったら一緒にお菓子を食べませんか?」


 ぎゅっと箱をにぎりながら、ライカは言葉を続ける。


「おじちゃんたちも、誰か一緒にお菓子を食べるお友達ができるといいねって……いっつも言ってくれたれたの」


 ライカは思い出すように語る。その言葉から、ライカには友達と呼べるものがいないらしい。


「その、“お友達”ってなにかはよくわかんないんだけど……」


 徐々に声が小さくなっていくライカ。だが、その声が消えてしまう前に、アリッサの声がライカに届いた。


「勿論、いいわよ。あたしでよければ、だけどね」


 その言葉に、ぱっと明るい表情でライカは顔を上げる。


「いいの!?」

「えぇ、貴方が思っているほど、“友達”って敷居が高いものではないもの。あたしはアリッサ、よろしくね。ライカ」

「マスターもこう言っておられますし、僕もよければご一緒いたします!」

「……お友達、ね。私もご一緒させてもらいましょう、いろいろと聞きたいこともありますし」

「ふむ、では私もご相伴に預からせていただきましょうかねぇ。糖分の補給は活発な活動に必要ですから」


 一人ぼっちだったライカの周りに、4人が集まる。未だ彼女は、親しいものを失った悲しみから立ち直ったわけではないが、それでも側には寄り添ってくれる者たちが現れた。少女は悲しみを正しく理解し、一歩前へと歩んでいく。きっと、彼らと共に歩めば、さらに多くのことを少しずつ理解していくのだろう。



 その果てに、どんな未来が待っているのか。この時は、まだ誰も。知る由は無かったのである。

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