014:赤と黒

 Drメテオールに連れられ、研究所の内部へと踏み入る4人。研究所は外から見た通りかなり頑丈な建物のようで、大都市を壊滅させるほどの巨大な地震にも耐えきったようだった。しかし、机や書類が散乱しているところを見るに、混乱からは立ち直っていないように見える。

 研究所の内部は、避難場所を求めて集まってきた人々で溢れかえっていた。通路のいたるところに疲れ切った人々が座り込み、どこからか子どもの鳴き声が聞こえている。わずかに開いた通路の真ん中を、Drメテオールとライカはするすると進んでいく。


「いやはや、先ほどは助かりました」


 Drメテオールはそうつぶやく。緊張が解けたのか、彼は微笑みながら4人へと感謝の言葉を述べ始めた。


「本当に、危ない所を助けていただいて、ライカともども……あれっ、ライカはどこに行ったんだ?」


 ついさっきまで隣に立っていた少女は、一瞬目を離した隙にいなくなっていた。Drメテオールはおろおろとあたりを見渡しているが、大勢の人がいる中でたった一人の少女を見つけるのは難しい。


「ついさっきまでここにいたから、研究所の中にはいると思うけど……ともかく、あたし達の為でもありましたから」

「マスターの言う通りです、それに困っている人がいるなら、手を差し伸べるのは当然の行いだと思います!」


 アリッサとスチュワートはそういいながらも、Drメテオールの謝辞を受け取った。


「えぇ、それにこういう時の為に鍛えておいたようなものですからねぇ。役に立たないまま死ねれば、それはそれでよかったのですが……」

「何をいうのですタイヴァルド。……アリッサの言うように、この状況ではお互い様というものでしょう」


 タイヴァルドの言葉にルナはそういいつつ、周りを見渡して


「もうずっとこのような状態なので?」

「……はい、かれこれもう12時間ですかね。“最初”の揺れが街を襲った直後から、この研究所には徐々に人が集まりつつあります」


 そういうDrメテオールの顔には、深い疲労の色が浮かんでいる。しかし、それでも彼は微笑みつつ、4人へと傷の手当てと疲労回復の為、医務室にて休んでいくようにと場所を提供してくれる。だがその申しつけをタイヴァルドは固辞した。


「いえ、我々は魔力さえ回復できれば十分です。先ほどの戦闘では、さほど大きな怪我をしていませんから問題ないのですよ」

「……そうですか、それはよかった。実のところ、物資も人手も足りていない状況でして、私もすぐに怪我人の治療に行かなければいけなかったのです。……命の恩人である貴方がたに、なにもご恩をお返しできないのは歯がゆいのですが」


 Drメテオールはそういい、深々と頭を下げる。せめてものお礼のつもりなのだろう。


「そのように頭を下げないでほしい。それに、私らも手伝いましょう。魔法で治る範囲であれば、お力になれると思います」


 タイヴァルドは頭を下げるDrメテオールの肩を叩き、そうつぶやいた。Drメテオールははっとした顔で顔を上げ、さらに深々と頭を下げる。


「……それは、助かります! 貴方たちほどの魔法の遣い手がいらっしゃれば、救える方も増えるでしょう」

「僕も魔法は使えませんが、力仕事は任せてください!」

「あたしも、錬金術アルケミストの心得なら少しはあるし、野伏レンジャーの知識もあるから応急手当なら自信があるわ」


 4人の力強い言葉に、Drメテオールは何度も頭を下げる。


「こんな中で、貴方たちと出会えたことは幸運でした。ひとまず食堂へと向かいましょう、あそこにはまだ手当てができていない重症人たちが、多く運び込まれています」


 そういい、彼は再び通路を案内し、食堂へと歩み始めた。


「……こんなことを聞くのもあれですが、いずれ設備の容量そのものが足りず、受け入れができなくなる時が来るのでは?」


 タイヴァルドはDrメテオールの後ろについていきながら、そう尋ねる。


「仰るとおりです、ですがそれについては、“問題なくなる”でしょう」 


 その言葉にどこか引っかかるものを感じつつも、通路を進む。


「でも、それも仕方のないことじゃないかしら。こんなことが起こるなんて、だれも予想できないでしょう? 準備なんてできてなくて普通よ」


 通路に座り込んでいる、疲れ切った、もしくは絶望の淵に沈んだ人々の顔を見ながらアリッサはつぶやく。ここにいる多くのものも、ある日、ある時、日常が崩壊するなどと思っていなかったに違いない。それは、4人もまた同じだ。


「人間の医療は、今や魔動機術マギテック頼み。魔動機たちを繋ぐ《アル・メナスネットワーク》が断絶された今、頼みの綱もまた切れた」


 凛とした表情で前をみながら、ルナは語る。


「私たち一族エルフは、古くから野草に妖精魔法と……魔動機には頼りません。ですが、自然がなくなれば私たちも手がなくなるので、やはり終わりというものは存在するものです」

「医療、防衛、物流、技術すべてを魔動機頼みにしていたツケが、今になって回ってきた。というところでしょうかね、ははは……」


 ルナの言葉に、Drメテオールは力なく笑う。


「ですが、そのツケの代わりに発展していたのですから、仕方ありませんな」


 そういうタイヴァルドの顔は、歴史家の顔だった。魔動機文明アル・メナスが勃興してから、およそ1700年。いくつもの国が生まれは滅んでいくなかで、人族は次第に魔動機というものに依存していったのだ。大きな戦争や戦いのなかで、それは次第に大きなものへと膨れていき、いまやそれなしでは社会を維持できないところにまで来てしまった。そして、それを根底からひっくり返される時が来てしまったのだ。そうなった国や文明がどうなるのかは、想像するまでもなかった。



    **



 そんな話を交わしていると、Drメテオールは開け放たれた扉の前で止まる。その扉には《食堂》と書かれていた。

 食堂の中は、悲惨な状況だった。無数に並べられた机の上には、全身血まみれの人々が横たわり、苦しそうなうめき声を上げている。まるで地獄のようなその光景は、食堂を端から端まで埋め尽くしており、明らかにこの施設のキャパシティを超えるものだ。机の間を縫うようにして、白衣を着た医師たちが駆けまわり、看護師や治療師たちが回復術を行使しているが、彼らの疲弊もピークに達しているようだ。


「……このようなことを貴方たちにお願いするのは気が引けますが、《赤い布》がまかれた患者さんから順に処置をお願いします」


 Drメテオールは一人の患者の腕に巻かれた布の色を指差し、そう指示する。ここに運び込まれた患者たちはすべて識別トリアージ済みのようで、その布の色に応じて重症度がわかるようになっていた。緑、黄、赤、そして黒の順に怪我の度合いは酷く。Drメテオールが治療を指示したのは“赤”の患者だ。


「これは……想像以上に酷いですが、これが僕の役目であるなら」


 スチュワートは指示に頷き、沢山の治療品を抱えて進む。アリッサもスチュワートと共に、応急処置の必要な患者を診ていく。


「私とルナは、広域に治癒魔法をかけていきましょう。止血や細胞再生を早める程度はできるでしょうから」

「えぇ、細かな処置はあの二人に任せても大丈夫そうですからね」


 そういい、二人は再び聖印と宝石に魔力を籠め始める。


『────神よ、我らが盾神イーヴよ。どうか我が誓願を聞き届け給え────』

『────契約に従い、その力を解放なさい。煌めく色は白、司るは光────』


 二人の声は、うめき声の響く地獄へと響く。強力な魔力が部屋を包み込み、癒しの力を伝えていく。


『────同胞たちの血と傷を、痛みと苦痛を取り払え……“癒しの祈りキュア・ウーンズ”』

『────妖精神のささやきは、穢れを拭い、癒しをもたらす……“癒しの囁きウィスパーヒール”』


 タイヴァルドの祈りは神の奇跡の力を引き起こし、ルナの魔力は、妖精たちを通じて癒しの魔術で部屋を充たす。酷い手傷を負った者たちの表情は、苦痛にゆがんだ表情から、次第に落ち着いた表情へと変わっていった。


「スチュワート、あたしたちも行くわよ!」

「はい、マスター!」


 タイヴァルドとルナの魔術によって、止血や肉体の回復能力が向上している間に、二人は傷口の様子を見て必要な処置を施していく。開いた傷口を消毒し、清潔な包帯を巻き傷口が開かないよう固定する。骨折した者には、添え木を当てて患部が動かないよう処置を施す。

 強力な魔法を扱えない二人ではあるが、野伏レンジャーとしての知識を二人とも持っている。野外活動における不慮の事故などで、即座に応急処置を迫られることもある。そのため、二人とも実に手際よく応急処置を施していった。

 魔法は血を止め、回復を早めてはくれるが、傷そのものをなかったことにはできない。魔法が切れれば痛みは戻るし、折れた骨はしばらくはそのままだ。強力な魔法だけでなく、医術に基づく的確な応急処置の二つがそろって、初めて命を救うことができる。


「……私たちにできるのは、この程度ですね」


 妖精たちを無数に召喚し、部屋全体に魔力を滾らせ続けたルナはそうつぶやく。


「そうですね、痛みを取り除くのが一番マシでしょう。しばらくは痛みを忘れることができる」


 タイヴァルドも、祈りの聖句を読み終えてあたりを見渡す。赤布がまかれた患者たちは、容態が落ち着いたのか安らかな息を立てて眠りについている。


「そうね……でも、薬も機材も足りてない。こんなのがいつまでも続いたんじゃ……」


 アリッサは、血だらけの包帯を取り換えつつ暗い声を零す。既に多くの患者たちを診たのだろう、あたりには空になった薬瓶や、空になった医療キットが積み上げられている。このペースで怪我人が増えていったのでは、いつか救うことはできなくなるだろう。


 そんな暗い様子のマスターを、少し心配しながら見ていたスチュワートだが、何かに袖を引っ張られる感覚で我に返った。


「わっ」


 驚いてそちらの方を振り向くと、机の上に乗せられた患者の一人が、スチュワートの袖を掴んでいたのだ。体中に包帯が巻かれ、にじみ出た血でその体はどす黒く染まっていた。彼の表情は虚ろで、その瞳に輝きはない。おそらくはもう、何も見えていないのだろう。その患者の腕には“黒”の布が巻かれていた。


「す、すみません。もう少しまってくださ────」


 そう言いかけたスチュワートは、その黒布の患者が何かを呟いていることに気が付く。まるでうわ言のように、微かな声を発しながら唇を動かしていた。


「……」


 そっと、スチュワートは耳を近づける。黒布の患者は、喉から絞り出すようにして言葉を発していた。


「……て、……わた……くれ あのこに……して……くれ」

「あの子に……渡してくれ?」


 スチュワートは、黒布の患者の言葉を整理しながら言葉にする。


「嬢……ちゃんに ……わたして……くれ…… ぷれ……ぜんと……けいび、しつの……ろっかー、の……なか……に」

「嬢ちゃんに渡してくれ……プレゼントは、警備室のロッカーの、中に……?」


 黒布の患者はそうつぶやく。その患者をよく見てみれば、警備員のような服装をしていた。研究所を襲った蛮族たちと遭遇したのだろうか、その体は酷く損傷しており、彼の胴体は抉られたかのようして半分ほど失われていた。そうまでして息をしていたのは、執念ともいえる気力のせいかもしれない。


「……わかりました、必ず、お渡しします。ええっと、お嬢ちゃんというのは誰の────」


 スチュワートは黒布の患者へそういい、嬢ちゃんについて聞こうとする。だが、黒布の患者は小さく口角を上げて笑い、そうして二度と息をすることはなかった。



「……せめて、あなたの最後の望みは必ず叶えます。最後まで、“人と寄り添う”のが僕の役割、ですから」


 小さく、そうつぶやいたスチュワートは、名も知らぬ黒布の患者から離れていった。



    **



 それからしばらく、患者たちの処置に明け暮れた一同だったが、4人の活躍もありほとんどの患者たちの容態は安定に向かって言った。数名は赤布を取り外され、医師たちの元へと引き取られていく。反面、救えなかった命もあった。黒い布を巻かれた患者たちは、そのすべてが死亡した。


「……ふぅ、何とか峠は越えたみたいです。皆さんも、お手伝いありがとうございました。本当に、皆さんのおかげで掬える命が増えた。何と感謝してよいものか……」


 Drメテオールはぺこりと頭を下げる。


「いえいえ、我々の力が役に立てれば幸いというもの。……若い方は、こういう感謝はされ慣れていなさそうですねぇ」


 タイヴァルドはそういい、Drメテオールの肩に手を置く。


「さて……彼らの安らかな旅路の助けになれば幸いではありますが」

「まぁ、あたしたちも救える命は救いたいからね」


 ルナとアリッサもまた、やや疲れた様子ではあるもののできる限りのことを尽くしていた。そんな中、スチュワートはDrメテオールに、


「……あの、Drメテオール。あちらの方から、“嬢ちゃん”にコレを渡すようにと言付かったのですが……」


 と、鮮やかなラッピングが施された箱を持っていた。黒布の患者の言う警備室のロッカーの中から、置き去りにされていたものを持ってきていたのだ。ピンクのラッピングが施されたそれは、どうやらお菓子の詰め合わせのようで、ずっしりと重みがあった。


「“嬢ちゃん”……もしかしてそれは、警備兵の方が言っていたことですか? だとしたら……おそらく、ライカのことでしょう。私と一緒にいた、犬の耳をした女の子です」


 Drメテオールはその包みを見て、すこし暗い顔でつぶやいた。


「あぁ、あの子ですか。さて、一緒に研究所内に入ったところまでは見ましたが……」

「そういえば、ドクターと一緒にいるものだとばかり思っていましたが」


 ルナとタイヴァルドは思い返しながらそうつぶやく。はぐれたとしたら、研究所内へ戻ってきたあの時だ。沢山の避難民たちがいたので、その中に紛れてしまったのだろう。


「きっと施設内のどこかにいるとは思うのですが……多分、いろいろなものを見てしまって、混乱しているのでしょう。────何分、初めてのことですから」

「そうかもね、見回るついでに探しておくわ」


 Drメテオールの言葉に、アリッサはそう返す。その言葉に、Drメテオールは嬉しそうに微笑んだ。その瞳を、ルナは無言で見つめる。


「そうしていただけるとありがたい。私も、見かけたら貴方たちが探していたと伝えましょう」

「ねぇDrメテオール。そういえば、ここの研究所ってなんの施設なの?」


 不意に、アリッサはDrメテオールにそう尋ねる。その質問に、タイヴァルドとスチュワートもこくりと頷きつつ、


「ライカさんは、この施設に住んでいるものだと思っていたのですが……」

「言われてみれば、彼女は正規のスタッフではないんですね?」


 とそれぞれの疑問を口にする。


「あっと……ここは、魔動機の開発や実験を行う施設ですね。“ソラ”を目指す魔動機を研究しているのですよ」


 Drメテオールはそういい、少し息をついてから、


「ライカは……そうですね。仰る通り、この施設に住んではいるのですが、えーと。スタッフかといわれれば、まぁ、スタッフですかね」


 と彼は応える。その声音は少し震えており、守秘義務があるのか何かを隠しているようだった。


「……」


 そんなDrメテオールを先ほどからずっと見つめ続けるルナ。その視線に、Drメテオールは困った顔をしながら、


「あ、あの……なにか?」

「……隠し事のある目をしてらっしゃいましたので」

「はは、は……まぁこういう研究所に勤めていますもので、話せないことも、いろいろとね……」


 鋭い眼差しで見つめるルナに、視線をそらしながら答えるDrメテオール。彼の表情は明らかに隠し事をしており、そしてどこか怯えているようにも映る。


「……私に害為すものではなさそうなので、良しとしましょう。ただ、魔女は裏切りと契約の破棄には厳しいですよ」

「裏切り、ですか」


 その言葉に反応し、小さく彼はつぶやいた。


「えぇ、私は別段、人族の守護者というわけではありませんので。契約によって魔道を成す者、すなわち“魔女”です」


 ルナは静かに言葉を切り、一拍おいて言葉を続ける。


「────だから、私は必ずしも貴方がたの味方というわけでないのですよ」


 冷たい、刺すような言葉がDrメテオールを穿つ。彼は一、二歩後ずさりながら4人を見つめている。


「……これは私の独り言であって、邪推でもあるんですがねぇ。研究所の皆さんと警備員さんたちの中が良い、というのはあまり聞いたことはないんですよ」


 タイヴァルドは小さく囁くような声で語りながら、ゆっくりとDrメテオールの側に立つ。その巨体が静かに語るだけで、異様な迫力がにじみ出ていた。


「……幼い、というだけで“ただの”施設のスタッフが、一人の警備員からプレゼントをもらうほどまで、仲良くなるものでしょうかね。面白いですねぇ……」

「っ……なにが言いたいんです?」

「いえ、本当に独り言なので気にしないでください、ドクター」


 Drメテオールは踵を返し、4人に背を向ける。


「……私は、これにて失礼させていただきますよ」


 と、振り向くことなく通路を進んでいくのだった。


「“薄闇は誰にでも等しく訪れる”……お忘れなきよう」


 遠ざかるDrメテオールの背にルナはそうつぶやき、見送ったのだった。



「……まぁ、今の時代、そういう胡散臭い研究施設はいくらでもあるわ」


 Drメテオールの姿が見えなくなった後、アリッサはそうつぶやく。


「でも、そういう詮索は本人ライカに聞いてからにしても、遅くはないんじゃないかしら」

「そうですね、あの方から預かったプレゼントも渡さねばなりませんし、その時にいろいろ伺ってみてはいかがでしょう?」


 スチュワートはプレゼントを大事に抱えつつ、そうつぶやく。Drメテオールが何を隠しているのか、ライカという少女は一体何者なのか。奇妙な疑問が浮かび上がるが、生者はそれを隠し、死者は何も語らない。

 死者から託された願いを受け取り、4人は謎が取り巻く獣耳の少女、“ライカ”を探して研究所内を歩み始めた。

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