016:白い部屋

 ライカに連れられて、4人はライカの部屋へと向かっていた。ライカが貰ったお菓子は結構な量があるようで、助けてくれたお礼にと振る舞ってくれるとのことだった。避難民たちで溢れる倉庫で食べるのもなんなので、彼女は自分の部屋へと4人を案内してくれている。

 一行は一度倉庫をでて、《研究セクター》と書かれた扉をくぐる。普段であれば厳重な警戒が敷かれていたと思わしき扉は空いており、扉の向こうには白衣を纏った研究員たちがせわしなく動いていた。


「すごい施設ですね……というか、僕たち普通に入っちゃいましたけど、いいんでしょうか……?」


 扉をくぐり、スチュワートはそうつぶやく。周囲には研究員たちがいるが、4人のことを咎めるものはいない。


「確かに。いいのライカ? ここって関係者以外立ち入り禁止とか、そういうのじゃないのかしら?」


 先頭を行くライカにアリッサは声をかける。ライカはあたりを見つつ、


「うーん、わかんない……け、けどボクがみんなを呼んだんだもん。何か言われてもボクが説得するから、平気だよ」


 ライカはそういい、にこりと笑う。どうやら、自室に人を招くのが楽しみなようで、彼女の尻尾は楽しそうに揺れている。そんな3人を他所に、タイヴァルドとルナは研究員たちの方を見つめていた。


「あの様子。まるでどこかに引っ越しでもするかのような慌てぶりですね」


 ルナはガラス張りのオフィスを覗きながらそういう。彼女の視線の先には、ガラスに隔たれたオフィスの中で研究員たちが資料などを纏め、箱に収めている姿が映っている。


「外はあの荒れ模様。彼らに戦う力があるとも思えませんし、どこかに別の逃げ口でもあるか、それとも……」


 タイヴァルドは思案顔で研究員たちを眺めている。彼らの作った箱の数は一つや二つではない、あれを別の拠点へ安全に移すのは不可能に近い。


「みんな、こっちこっち! ボクのお部屋はね、この階段を下りたさきにあるの!」


 ふと意識を戻せば、ライカは階段の前に立っていた。その階段は地下へと続いているようだった。


「……なるほど、地下ですか」


 アリッサやスチュワートがライカと共に下っていくのを見つつ、タイヴァルドはそうつぶやいたのだった。



 階段は長く、ライカの自室はかなり地下深くにあるようだった。大量の物資を移動できる巨大なエレベーターなども設置されており、さながら地下の秘密基地といった様相だ。ライカは楽しそうに話しながら、自室に向かって進んでいく。途中、幾つもの研究室や、重厚なゲートをくぐりつつ、ようやく目的地のライカの部屋へとたどり着いた。


 ライカがカードキーを魔動機にかざすと、音もなく扉が横へスライドする。その扉の向こうをみた4人は、息をのんだ。


「……これは」


 そこは、真っ白なキャンバスのような、色のない部屋だった。真っ白な壁、真っ白な床。無機質な机と椅子。飾り気のないベッドが設置されており、部屋の隅に衣装棚が置いてある以外には、家財道具と呼べるものが見当たらない。あまりにも寂しく、異常な部屋だ。


 とてとてとライカは部屋に入り、机の上にプレゼントを置く。


「ごめんね、ボクのお部屋椅子が一個しかないんだ。ベッドの上とかに座っちゃってね」


 ライカはそういい、プレゼントの箱を開け中からお菓子を取り出し、「あっ」と、思い出したように声を上げた。


「そうだ、飲み物! こういうときって、飲み物がいるんだよね。ボク、研究所の人に何かもらってくるから、ちょっと待っててね!」


 声をかける間もなく、部屋を飛び出していくライカ。廊下をかける彼女を目で追いながら、4人はその部屋へと踏み入った。


「……何もない……わね」


 真っ白な部屋に入り、困惑した表情を見せるアリッサ。


「これは、そういう趣味……とかではないですよね」


 どこか落ち着かない雰囲気のスチュワートは、座るべきか立ったままでいるべきか悩み、結局壁の側に寄り添うようにして立っていた。


「どう考えても普通ではないでしょうねぇ……さすがに、年頃の女の子の部屋とは思えませんよ」

「そうですね。部屋もですが、服装も今どきの子にしては大人しいというか……味気のない服を着ていますし」


 ルナは部屋の隅に置かれた衣装棚を、ちらりと横目で見てそうつぶやく。衣装棚の一つが少しだけ開いており、そこからライカのものと思わしき服が見えている。だが、それは無地のシャツや飾り気のないものばかりであり、今流行りの服装からは大きくかけ離れていた。

 また、棚の一番上には手の届きやすい所に、幾つか魔動機の部品らしきものが置かれている。綺麗にそろえておかれているのはライカの性格だろうか。どうやら、メンテナンスなどに使う工具や、留め具のようなものらしく、彼女の首に巻かれているチョーカー型の魔動機に酷似した部品であった。


「どうしてこんな部屋なのかしら。やっぱり何か事情があって……」


 アリッサは小さな机の上を見つつそうつぶやく。机の上には、先ほどライカがおいたプレゼントの箱ともう一つ、小さな袋が置かれている。


「これって……薬袋かしら? ちょっと悪い気もするけど……」


 そういい、袋の中から薬を取り出した。そこには、小さな錠剤とカプセルが数種類入っており、朝昼晩にと小分けにされていた。


「ライカさん、お身体が悪いんでしょうか?」


 側で見ていたスチュワートは、心配そうな声でそうつぶやく。しかし、タイヴァルドとルナの表情はもっと険しい。


「一つ、失礼します」


 ルナはそういい、アリッサのもつ薬の一つを手に取る。


「これは……」

「えぇ、そのまさかですね」


 ルナとタイヴァルドはそういい、元の袋に薬を戻す。


「ど、どうしたんですかお二人とも……もしかして、ライカさんは相当に悪いご病気に……?」

「いえ、これらの薬は処方が禁じられているものばかりなんです。つまりこれは……」

「危険性の高い薬物。劇薬、ということです」


 タイヴァルドとルナはそう言い切った。


「彼女の頸部のチョーカー……あれも、一目では判別しにくいですが、魔動機のようですし。普通の獣人リカントというわけでもなさそうですね」

「なんと……ライカさんも、もしかしたらルーンフォークなんですかね。マスター」

「ルーンフォークに似た何か。もしくは、改造人間ってところかしら……?」


 その言葉に、真っ白な部屋は静まり返る。奇妙なことに外の世界を知らず、常識はずれな部分を持つ少女。首には魔動機が埋め込まれ、獣人のような獣耳と尻尾を持ちながら、人間と同等の知能と感情をもつ者。地下深くに与えられた真っ白な部屋は、その異常性をより際立たせている。


 そんなとき、部屋の扉が開きライカが入ってきた。トレイの上には、人数分のカップに暖かなコーヒーが淹れられていた。


「おまたせー! あのね、研究員さんに言ったら、何か黒い飲み物くれたの。……これ、飲めるんだよね?」


 ライカは訝し気な様子でコーヒーの入ったカップを手にし、匂いを嗅いでいた。


「それはコーヒー、飲み物よ。ライカには……ちょっと苦いかもだけど」

「(しかし子どもにブラックコーヒーを出すとは、随分な対応ですねぇ……)」


 アリッサはそういい、ライカの持ってきてくれたカップを受け取る。それを横目に、タイヴァルドはコーヒーの香りを楽しみつつ、あたたかなコーヒーを口にしていた。


「こうやって、誰かとお菓子食べるのって、ボク、おじちゃんとドクター以外は、はじめてなの」


 ライカはお菓子の包装を破りながら、それを口に含む。柔らかな頬が、お菓子を齧るたびにもちもちと動いている。


「このお菓子も、おじちゃんと一緒に食べたの。……ボクがこれ、好きだったこと覚えててくれたのかな」

「きっと……そうだと思います。あの人は、あなたのことを強く想っていたようでしたから」


 同じく、ライカからお菓子を受け取ったスチュワートはそうつぶやいた。あの警備員とは、ほんのわずかな間しかやり取りをしていないが、ライカを想う気持ちに嘘偽りがないのは確かだった。


「でも、避難した人の中に、年の近い子もいるでしょう? 今後はもっとみんなで、一緒に食べれるようになるわ。あたし達もいるしね」


 アリッサは、ベッドに腰かけたライカの隣に座りながらそう言う。


「うん……でも、その……同じくらいの子と、しゃべったことなくて。何をしゃべったらいいのかもわからなくて……」

「子どもたちの話は……私は専門外ですね。タイヴァルドはどうですか?」

「うーん、私もなかなかにいい年ですからねぇ。普段相手をするのも、ライカのような可愛らしい子ではなく、もっと小生意気な学生たちですし」


 そういい、タイヴァルドは肩をすくめる。


「ところで、ライカはこの騒動の前までは、ここでどんなことをしていたのか、聞いてもよろしいですかな?」


 タイヴァルドはライカの方に向き直り、静かな言葉でそう聞いた。ライカはぱっと明るい表情で、


「ボクのこと? いいよ!」


 と元気よく答えるも、すぐにその表情は陰りを見せる。


「……あ、でもここのことは、あんまりしゃべっちゃダメって言われてるから……。でも、みんなはボクのこと、助けてくれたから。ボクの話すこと、秘密にしててくれる?」


 ライカは4人を見上げながらそうつぶやいた。


「約束するわ、友達だもの」

「僕もです! お友達の知られたくないことを言ったりはしません」

「その通り、他人のことをぺらぺらと喋るような真似はしません。約束しますよ」

「私は約束や契約といったものは、少々うるさいですから。口外しません」


「ともだち……! うん、じゃあボクがここで何をしてるか、みんなに教えてあげる」


 ライカはそういい、きらきらと輝くような眼を向けて、4人に語り始めた。彼女が、ここで一体何をしていたのかを。



「────あのね、ボクは“ソラ”に行くために、ずっとここで訓練をしてるんだ」



「“ソラ”……?」


 スチュワートはライカの言葉を繰り返し呟いた。


「うん。ドクターたちはね、すっごい魔動機を造ってて、ヒトが初めて“ソラ”に行くっていう願いを叶えようとしてるの」


 ライカは、嬉しそうに微笑みながら手元のお菓子を眺める。


「……ボクはね、初めて“ソラ”に行くヒトとして、ずーっとここで練習してるんだぁ。ドクターに引き取られてから、ずーっと」


 そうつぶやくライカの顔は、幸せそうだった。誰かの願いを、おそらくは“Drメテオール”の願いを叶えることができる。それが、彼女の原動力なのだろう。


「……ソラ、ですか。人は大地を離れては、生きられないというのに」


 そのライカを見て、ルナはぽつりとつぶやいた。悠久の時を、森と、大地と共に生きるエルフの一人として、思うところがあるのかもしれない。


「逆に、私なんかはわりと親しみのある話ですね。……空の果てに至るお伽話もありますしね」

「そうなの? タイヴァルドも“ソラ”を目指してるの!? なら、ボクと一緒だね!」


 ライカは嬉しそうにタイヴァルドを見て言う。


「私とご先祖様たちは、そう……“空の果て”と呼んでいたりしましたが。こちらでは洒落た呼称なのですねぇ」


 タイヴァルドは自身の翼を見て、そうつぶやく。“竜の子孫”を名乗る、彼らリルドラケンにとっても、空へ飛び立つというのは、深い意味のあることなのかもしれない。未だ誰も見たことのない、“空の果て”。そこにたどり着くのは、悠久の時を生きる竜種ですら難しいことなのだろう。


「ずーっと高くてね、蒼くて、そのさきはもっともっと暗くなっていく空。どんなところなんだろうね……」

「“ソラ”ですか……僕には想像もできません」


 ぎゅっとカップを握るスチュワートは、ライカの言葉から想像する。あの青い空のさらにその向こう側。考えたこともない、知らない世界。彼女はそこに行こうというのだ、それも、大切な人の願いを叶える。ただそれだけのために。


「ライカさん、二つほど質問があるのですが。ライカさんはここで生まれたのでしょうか? 今は何歳ですか?」


 ふと、スチュワートは気になっていたことを質問する。見たところ10才に見える彼女だが、もしスチュワートと同じくルーンフォークのような存在であれば、生きている年月は見た目に比例しない。


「えっとね、ボクは10歳……ぐらいだと思う。ごめんね、実はここの施設に来る前の記憶がね、あんまりないの」

「それって……」


 ライカはスチュワートの方を見て語りだす。


「ボクね、ずっと昔に酷い事故にあって、一人になっちゃったんだって。その後、ボクはドクターの元に引き取られて、それからここでずっと、訓練をしてるの」

「そう、なのですね……。いえ、僕と似たような境遇なのかと思って、気になってしまったのです。その、お気を悪くしてしまったら申し訳ありません」


 スチュワートはライカに向かって謝る。奇妙だとは思っていたが、彼女の両親は既に存在していないらしい。Drメテオールはライカの親代わりとなって、彼女の世話をしているようだった。


「ううん、いいよ。スチュワートとボクは友達……だもんね!」


 スチュワートに向かってそうほほ笑むライカの表情は、純粋なものだった。スチュワートもまた、ライカに微笑み返した。


「ライカのやってる訓練っていうのは、どういうものなのかしら?」


 隣でにやにやしながら見ていたアリッサは、ライカにそう質問する。


「んっとね、大きな魔動機の中に入って、魔動機を動かすっていう訓練なの。って言っても、ボクはほとんど寝てるだけなんだけどね」


 そういい、ライカは首元のチョーカーを指でこつこつと叩く。


「魔動機を操作するときはね、この首のところに、魔動機と繋ぐためのプラグを挿すの。そうすると、ボクが思った通りに魔導機が動いてくれるの。すごいでしょ?」

「念じるだけで動く魔動機ってことなのかしら。だとしたら、すごい技術よね」

「えぇ、もし実用化されているとしたら相当高度な技術ですよ、それは」


 聞いていたタイヴァルドも頷く。魔動機術マギテックは日々進化し続けている。数年前までは実現不可能だと思われていたことも、技術ソフトの蓄積と、部品ハードの更新によって、不可能を可能に変えてきた。大陸を制覇した人族は、海路を築き上げ、大陸同士を結ぶ空路すら作り上げた。大都市間を結ぶ瞬間移動装置テレポーターなどは、実用化されて既に久しい。ライカの言う技術も、もはや不可能な領域ではなくなっていたのだ。


 先ほど言っていた、『“ソラ”に向かうための訓練』というのも、この空の果てに向かうための、魔動機を操作する訓練なのだと理解できる。


「……ボクね、いままで誰の役にもたてなかったから。“ソラ”に行って、みんなの願いをかなえたいんだ」


 ぽつりとライカはつぶやく。


「ヒトは“ソラ”に行けるんだぞって。そしたら、ドクターもみんなも、もっと喜んでくれるから……」


 そういい、ライカは手にしたお菓子をぱくりと食べ、にこりと笑った。


「……その願い。叶うといいわね!」


 アリッサはそういい、手元のお菓子を同じように食べた。甘い、チョコレートの味が口いっぱいに広がる。3人も同じようにお菓子を食べて、少しだけ空気が緩んだのだった。


 ライカはそれからも、4人のことを聞いてきた。生まれた場所、今まで行ったことのあるところ、普段は何をしているのか、どんなものを見てきたのか。それらは、ほとんど外の世界を知らない彼女にとっては、かけがえのない冒険譚だ。他人にとっては、大したことのない日常の風景すらも、彼女にとっては魔法のような一日に見える。

 ライカもまた、普段の生活を4人に話す。Drメテオールと一緒に食堂でご飯を食べる事。こっそりと警備室に忍び込んでは、警備員のおじちゃんたちと一緒に、お菓子を食べたり、遊んでもらったりしたこと。太陽が水平線に沈むころ、Drメテオールと一緒に展望台に行って、燃えるような海とゆっくりと暗くなっていく“ソラ”を見つめたこと……小さいけれど、かけがえのない思い出を彼女は教えてくれた。


「それでね、ドクターと一緒に展望台で“ソラ”を眺めてね。『いつかライカも、あの“ソラ”に行く日が来るんだよ』って言ってくれてね────」


 ライカが展望台に行った時とのことを話してくれていると、無機質なアラーム音が鳴り始める。それに気が付いたライカは、獣耳をぴょこんと立てて、


「あ……ごめんね。ボク、これからドクターと会わなきゃいけないの。ボク、もう行かなきゃ」


 ぴょんとベッドから降り、ライカは立ち上がる。


「では、私たちもお暇しましょう」


 ルナはそういい、それに倣って皆も立ち上がる。ふと思いついたのかライカは、


「あ、そうだ。みんなもドクターのところにくる? ドクターもみんなと会いたいと思うし!」


 と、名案顔でつぶやいた。それに頷いたのはルナとタイヴァルドだ。


「えぇ、特に当てもありませんし、伺いましょうか」

「そうですね。────すこし聞いてみたいこともありますし」



 そういい、4人は真っ白な部屋を後にしたのだった。

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