Ⅴ.穏やかなひと時にも「不安」はあって
カランカラン、と軽やかなドアベルの音を立てアタシが店に入ると、ちょうど前のお客さんの会計を見送った直後で、少しだけ
「
「
「あら、
乙姉こと
アタシが中学の頃に大手の美容室でスタイリストとして働いていた彼女と出会い、毎回指名しては
彼女自身の
この生活が始まってから、アタシにとって家族よりも頼れる存在だった。
当然、さすがにこの状況を明かすことは無いのだけれど、私だけでなくアタシのことも分かってもらえる年上の姉のような存在は貴重で、髪をいじる必要が無くても定期的に会いに行くほどだった。
あれは10回ほど前のことだったか。
連絡もつかなくなり、店が無くなっていたのを確認した時、アタシは
そんな
*
店内にはいつも通り、軽やかで明るいジャズのテーマが流れる。
雑談を
「そういえば。カズキ君とは最近どう?」
「あっ、えーと……」
「あら、上手く行ってないの?」
「その。昨日ちょっと色々あって……」
「珍しいね。いつもあんなにおのろけされるのに」
乙姉がカズキを知っているのにまず驚いたが、どうやら私はここに来る度に彼のことを話しているようだった。今日はあまりにそのトークが出てこないから、思わず聞いてしまったのだろう。
「大丈夫よ。ほら、今日の予約だって、私、びっくりしたんだから。沙希ちゃんがまさか『浴衣の着付けして下さい』なんて言うなんて、ねえ」
「ですよねー……」
思わず他人事のように同意してしまう。
アタシもいまだに信じられなかった。
鏡に映る自分は普段とは違い、セミロングの黒髪を浴衣に合うようにアップにしている。
そのためか、卵型の
「でも、本当にどうしちゃったの? まさか、
「うーん、アタシがちょっと
内容が内容だけに、何ともバツが悪い。
ヘアピンをさらに差し込み、まとめていく作業を続ける鏡の向こうの乙姉は、優しい笑顔のままだ。
「そういうこともあるわよ。ふとしたきっかけで、何気ない一言で相手を傷つけちゃったり、ギスギスしちゃったりで、……そのまま、なんてこともあるし」
「……」
「でも、今日の花火大会はこのまま行くんでしょう?」
「はい、それは、
「それなら、きっとうまく行くわ。私が沙希ちゃんの魅力を限界まで引き立たせちゃうから。カズキ君はますます
「そういうものでしょうか……」
アタシは恋愛に自信が持てない。
雰囲気だけで付き合ってばかりで、まともな経験をしないままここまできた。
社会人になった頃には、人を好きになるという感覚が分からなくなっていた。
実際、既に両手では数えきれないほどの「今日」を迎えているが、付き合っていると思われる例は数度しかなく、本気だ、と確信出来るのは今回が初めてだった。
それも、アタシが感じているというよりは、この身体の本当の持ち主である私が、それを全身で
飲まれてしまいそうな甘さが、そこにはあった。
「勢いは大事。私も応援してるから」
私みたいになっちゃダメよ、とそう小さく
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