Ⅲ.今日の私に「なる」アタシ

 アタシはテーブルの上に置かれた携帯端末を拾い上げると、画面に指を軽くわせる。 

 すると、ロックが解除され、流れるような動きでホーム画面が表示される。

 ふう、と軽く息を吐くと、指先を何度か軽く折り曲げ弛緩しかんさせる。


 この瞬間は、何度経験しても慣れない。


 気を取り直すと、まずは通話、文章のやり取りなどが出来るコミュニケーションアプリを起動する。

 記憶にないやり取りを見るのは、まるで他人のそれをこっそりのぞき見している感覚と、と向き合わなければならない感覚が複雑に絡み合い、妙に顔が強張こわばる。

 だが、そんな機微きびみ取ることのないアプリは滑らかに画面遷移せんいし、一覧を表示する。


 ――いた。


 予想していた通り、先程の全裸男の顔が丸いアイコンになって、一番上にあった。

 一時間ほど前にメッセージも来ているようで、暗澹あんたんたる気持ちになる。

 あの事件後に送られてきたものであろうことは、一目瞭然いちもくりょうぜんであった。

 名前のところは「カズキ」となっていた。

 胃が重くなるような感覚と戦いながら、意を決して中を開ける。

 そこにはあったのは、他愛たあいもない言葉のやり取りだった。

 だが、その一つ一つに愛情が多分に含まれており、ハートやキャラクターを散りばめた絵文字スタンプがおどる。

 また、お互いがお互いをいたわっており、会うタイミングを丁寧ていねいに調整している。

 普段仕事で忙しくしていることもよく理解しており、定期的に励まされ、私はそれをかてに日々を精力的にこなしているように見える。

 それは一言でいうと、とても幸せそうなカップルそのものだった。


「やっぱりかあ……」


 一度ふるい立ったアタシの心は、再び低空飛行を始めそうになる。

 ただ、今度は自責の念が膨らんでいく。

 全裸の男、つまりカズキにまたがっていた0時ちょうど。

 私はアタシになり、あまりのふしだらな状況に頭がついていけずわれを忘れ、手元にあったつばさの生えたファンシーなネコのぬいぐるみで何度も叩きつけ、全裸のまま服ごと追い出したのだが……。

 私がアタシになった、なんて分かろうはずもない彼にとってはこくな状況だったと思う。

 愛をわしていたはずの相手の急変ぶりに、彼は恐れをなしたかもしれない。

 ともすれば、これがきっかけで私との関係がギクシャクしてしまうかもしれない。


「ごめん、私」


 あやまってどうなるわけではないのだが、立てかけてある鏡の向こうの私に向かって頭を下げると、はあ、と再び深い溜め息がこぼれ落ちる。

 先程見た段々と腹立たしくなるほどの仲の良さを思い出すと、なおさら気が重くなる。


 ――なんとかしなきゃ。


 落ち込んだゆえに冷静さを取り戻したアタシは、とにかく挽回ばんかいのためにと、カズキの情報を集めた。



 カズキはやはり、私の彼氏のようであった。

 やり取りと部屋の荷物から察するに同棲どうせいはしていないようだけれど、付き合ってからそこそこ長そうな雰囲気も、スクロールしながら流し見る会話の端々はしばしから垣間見かいまみえた。

 そして、直近の内容は今日行われる花火大会の話題だった。慌ててスケジュール管理のアプリを開いて確認する。私の場合、ここに大事な予定は入れてあるのだ。


「え。ヘアメイクはいいとしても、……そのまま浴衣ゆかたの着付け?」


 物凄いものが出てきた。

 確かに浴衣とはいえ、着付けを一人で綺麗きれいに行うのは少々ほねのいる行為だ。

 だが、たかだか花火大会である。

 そもそも、普段着でよいのでは……と思ったのだが、私とアタシが基本的な根っこの考え方でズレているということは今回に至るまで一度もない。

 つまり、逆に考えると、この花火大会は「私がどうしてもそうしたいと思えるイベント」なのだ。


 いよいよもって、今回やらなければならないことが明確になってきた。


 これは未だに確認が出来ないことではあるので、あくまで推測のいきを出ないのだけれど、おそらく明日からはまた本来の私がこの人生を続けていくのだと思う。たとえ一日だとしても、自分自身であるアタシがその邪魔じゃまになるのはあってはならないことだった。

 幸せになれるのなら、なおさらだ。


 更に調査を進めていく。

 SNSにはあまり情報が無かったけれど、画像や映像が大量にあったのでそれを片っ端から見て、アタシにとって「今日だけの彼氏」であるカズキを頭に叩き込む。

 最後に彼から届いていた最新のメッセージ、アプリを開けた直後は見るのが怖くてすぐさま飛ばしていたそれを確認する。

 そこには、


『さっきはごめんね、何か気にさわることしちゃったかな、本当にごめん』

『花火大会、ダメそうならキャンセルでもいいよ』


 という言葉が、翼の生えた可愛いキャラクターの犬が全力で謝罪しているスタンプと共に届いていた。


「そんなことないよ、謝るのはこっちの方だよ……」


 怒っていたらどうしようという心持ちだったので、とりあえずは胸を撫で下ろしたが、その代わり、彼の優しい言葉に強烈な罪悪感がこみ上げてくる。


 アタシの方こそごめん、花火大会、楽しみだね。


 そう、返すだけなのに五分ほどかかり、送り終えると途端とたんに疲れが全身へ行き渡り、すぐさま眠りへと落ちていった。

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