夜のひとりごと

きき

夜のひとりごと

夜風が心地よい季節になってきましたね。

ああ、でもヒトとして生きているみなさんは、少し肌寒いのでしょうか…すみません、如何せんそういった事があまり良くわからないものでして。

でも、「何となく」はわかるんですよ。暖かいとか寒いとか、心地よいとか痛いとか。

何しろ、一日に何人ものヒトのみなさんと触れ合っているのですから。



この季節になると、僕のところにも沢山のヒトが近寄ってきてくれます。

ああ、ほらまたやって来た。制服姿の男の子。

この子、実はこの間までランドセルを背負っていたんですよ。この春から中学生になったのでしょうね。まだジャケットもズボンもぶかぶかです。

だけど夏休みが終わる頃にはきっとぴったり…いや、小さい位になるでしょう。彼みたいな男の子を、私は沢山見てきましたからね。


今日はいつもより荷物が多いですね…ほら、私に預けて、ついでに休んで行きなさい。

ああ、これはテニスのラケットですね。部活、テニス部にしたのですか。袋からぴかぴかのラケットを取り出して…おやおや、一人なのに笑顔が零れてしまっていますよ。嬉しいのですね、良い事です。

そのラケットと一緒に沢山の試合で活躍できるように、練習、頑張るんですよ。

ほら、そろそろお帰りなさい。お母さんが夕飯を作って待っていますよ。



おや、彼女もまた新しい生活が始まったヒトの一人なのでしょうか。

新しいスーツに身を包んで、こちらに向かって歩いてきます。彼女はこの間までとても長い髪の毛を明るい色に染めていて、可愛らしい服装で僕のところに来ていました。

今は髪を黒く染めて、しかもそれを肩くらいまで切ってしまって、はじめはびっくりしましたね。だけどきっちりとしたスーツを着た姿を見ると「大人の女性」という感じがして、こちらもとても似合っていると僕は思います。


今日は何だか疲れている表情ですね…馴れない環境で頑張っているのでしょう。

僕の上でぼんやりと遠くを見つめていたかと思うと、おもむろに携帯電話を取り出して、画面を真剣に眺めています。そして、深いため息。何かあったのでしょうか。


そういえば最近、いつも一緒にいる彼の姿を見かけません。休みの日だけでなく、平日の夜にもこの二人は僕のところにやってきて、他愛の無い話で笑い合って過ごしていました。

この二人の笑い声が僕は大好きなのですが…元気がないのは彼の事が原因なのでしょうか?

ああ、携帯を鞄にしまうと、ふらふらとした足取りで家の方向へ歩いて行きます。大丈夫かな…とても心配です。



おっと!あの男性、足元が危ないなあ。ふらふらとしていて、今にも転びそうだ。

う~ん…あの様子だと、相当酔っているなあ。そして僕の方へ近づいて来て…う、やっぱり酒臭い。ほらほら、夜風にあたって酔いを醒まして行きなさい。


この季節は、新しい環境に向かっていく人も大変だけど、それを迎える人達も大変なものだとよく耳にします。この男性はきっと「迎える側のヒト」なのでしょう。一人で会社の愚痴らしきものをぶつぶつ呟いています。気を遣ったり、どんな言い方をしたら分かりやすいか考えたり…それは心に色々なものが溜まりますよね。

でも、きっと大丈夫。今は大変かも知れませんが、もう少ししたらお互いに馴れてきて、良い関係性を築けると思いますよ。


うん、顔の赤みも落ち着いて来ましたね。今日はゆっくりお風呂に入って、休むんですよ。

帰り道、転ばないように気を付けて。



だんだん夜も深くなってきましたね。

この時間になると人通りも大分減って…あれ?あそこに見えるのは、先程来ていたスーツの女の子ではないですか。今は部屋着のようなカジュアルな格好になっていますね。そして隣には、いつもの彼だ。でも、どこか二人とも硬い表情です。


そのまま二人は僕の上に腰を掛けました。しばらく沈黙の時間が流れます。なんだか、僕まで気まずい。

すると、彼の方がぽつりぽつりと話を始めました。

それを聞いて、彼女も言葉を発しています。


盗み聞きは良くないと思いつつ、嫌でも耳に入ってきてしまうので、失礼して話を聞かせてもらうことにしました。

ふむふむ、新しい環境になって、なかなか連絡を取り合えていなかったのですね。

色々な事を覚えたり、人に気を遣ったり、それだけでいつもより体力を使うのでしょう。

だから、自分の事に必死になりすぎてしまって、二人の事を考える時間が無くなってしまっていたのですね。彼女の表情が暗かったのは、やはりこれが原因でしたか。


二人は静かに自分達の想いを話し合っていました。

二人は、連絡を取り合っていなかった間もずっと相手の事を考えていたようです。だけど、若さならではの不器用さというか、それを上手く伝えられていなかったようです。

お互いの気持ちを知る内に、次第に声色が明るくなっていって、以前のような笑い声も聞こえてくるようになりました。


そうしてどれくらいの時間が経ったのでしょうか。

二人は互いの手を取り合って、家路へと進んで行きました。その手は固く結ばれています。

ああ、良かった。もう大丈夫でしょう。僕は二人の後ろ姿を見てそう思いました。




二人が居なくなると僕の周りは急に静かになって、ヒトの気配は全く感じなくなりました。

聞こえるのは、もうずっと僕の傍に居てくれている大きな木の、葉がこすれ合う音だけ。彼は強い日差しからも雨からも雪からも僕を守ってくれる相棒です。彼が居てくれれば、僕は寂しさを感じることはありません。


そして、静かな風が流れるこの時間が、僕はとても好きです。

街の匂いを感じながら、今日僕のところに来てくれたヒト達に想いを馳せます。


皆、変化を続けている。

そんな事を、この時期は特に強く感じます。

それは寂しい事かも知れませんが、僕は嬉しくも感じるのです。だって、その人の新しい表情や姿を見る事が出来るのだから。

まあ、それはこの街に長く住み続けている僕ならではの考え方かも知れませんが。



気が付くと、空が白み始めていました。

夜が明けます。

僕はこの時間の空が一番美しいと感じます。


ああ、こんばんは…ではなく、おはようございます、の時間ですね。

彼女は三毛猫のモモさん。

この時間になると、必ず僕のところに来てくれるんですよ。誰よりも早く彼女に朝の挨拶をするのが、僕の日課です。


どうぞゴロンと横になってください。

僕は木で出来ているからちょっと堅いけれど、でもお腹の温度にすぐ馴染む事ができるから心地よいでしょう?

ふふふ、早くもモモさんの寝息が聞こえてきました。相変わらず眠りにつくのが早いなあ。



さあ、今日も新しい一日が始まります。

ちょっと疲れたり、休みたくなったら、僕のところにぜひいらしてください。


ベンチは皆の居場所なのですから。

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夜のひとりごと きき @rinaaa017

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