第17話 捜査の基本は脚とは聞いたものの、正直疎かにしたい。
スキージャンプの由来は確か、ノルウェーの刑罰だったろうか。
そしてこれはあくまで僕の推測に過ぎないが、深夜バスの長距離移動も室町時代あたりの重刑だったに違いない。K点は多分、300kmぐらいだ。
「これはもう、人間工学の敗北は決定的ですよ。深夜の長時間バス移動に耐えられるシートなんて、存在しないって思うんですよね、僕は。」
精一杯の軽口を叩くが、目の光は失われている確信がある。
「いやはや、他人事となればこれはなかなかのエンターテインメントですね。さあさあ新橋さん、ちゃきちゃきとお仕事をこなしちゃいましょう。これで次に東京の関係者を引き当てれば、いよいよあのキングオブ深夜バスにチャレンジ出来ますよ!」
「鬼ですか?うちの上司は。」
「いいえ、悪魔です。」
得意げな表情が若干腹立たしい。
嬉々として夜風が語る通り、博多ー東京間の深夜バスが最長だったはずだ。2022年時点では短縮されているらしいが、過去には約1160kmだったことがあるのを覚えている。
特別物覚えがいい方では無いが、自分の名前「周一郎」と同じリズムで、じゅういち、ろくと覚えやすかったせいだ。関係無いが、麻雀であれば親の4翻30符も同じ覚え方をしている。
「必要経費ですよね、これ。お金に困っちゃいないんですから、交通機関ぐらい最適解を提供して下さい。エンタメ要素は今回お付き合いしたので終了です。」
「ちぇー。新橋さんはノリがよろしく無いですよね。」
「こう見えて、腰や背中とは結構長い付き合いでしてね。ノリで犠牲に出来るほど薄情じゃ無いんですよ僕は。」
人の心を持ち合わせていない上司の無茶ぶりを軽く受け流しつつ、持ち込んだスマートフォンで時刻を確認する。
まだ時間には余裕がある。慣れないバス移動の疲れを癒やすため、ファミレスで休憩も兼ねて過ごすことにした。小腹が減るまでの間、これからのタスクについて確認する。
「えーっと、最初の"取材”対象は大学のお偉いさん、でしたっけ。」
「はい、教授さんですね。丁度担当しているコマの空きがあるとのことで、15時から喫茶店で待ち合わせとなっています。って、なんだか私、秘書みたいじゃないですか?」
「現状、所長の役回りは僕のサポートなんだから仕方ないでしょう。僕は僕で、慣れない役作りに集中しなきゃいけないんですから、変なところにこだわらないで下さい。」
役作り、といっても俳優業に適正があるとは思っていない。しかし、当該教授殿には今回"フリーのライター"としてコンタクトをとってしまっているのだ。
本来であれば、そんな肩書きの人物からのメールに大学教授が構っている暇など無い。しかし、夜風が手始めのターゲットにリストアップしていた対象者というのが、高額の報酬を確約すれば動くであろう人物らしい。相変わらず、他人のプロファイルを見抜く力には敬服する。
「別に不快ではないですよ?ただ、こんなに可愛い秘書がついて、お客様からお喜びの声のひとつやふたつ、上がってもいいと思っているだけなのですが?」
拗ねているのではなく、押しつけがましいだけだった。僕がそういうガラでは無いということも分かっているはずなのに、面倒な上司である。相手にする必要は無いので話を反らそう。というか、確認しておかなければならない事がある。
「そんなことより気になっていたんですが、取材なんかして大丈夫なんですか?これから火災を起こして消息不明になるのに、直前に三ヶ木氏の取材なんてしたら僕、かなり印象に残ってしまうんじゃないですか?」
「良い質問ですね。実は、新橋さんのご指摘の通りとなる一面もあります。ただ今回は、20年の歳月を遡っている、と言う点が影響しています。」
どうやら話題の切り替えには成功したらしい。ここでへそを曲げられない様に、大人しく傾聴する。
「20年も経てば人の記憶の表層にはほぼ残りませんから、少しくらい踏み込んだ印象を与えても、そういえばそんな取材を受けたなぁ、程度で済んじゃうんですよ。」
「なるほど。でも、事件の後で警察に聴取されたりするとまずいんじゃないですか?例の記事、未解決ってなってましたよね。流石に当時の警察もそれなりに動いているんじゃ。」
「そこはですね、ちょっと分かりにくいですが、火災が起きた時点で私たちは元の時間軸に戻る予定なので、問題なくなるんです。」
確かに分かりにくい。言葉には出さなかったが僕の表情から読み取ったのか、夜風はその理由を説明する。
「確かにこれから取材する皆さんには、事件後警察から何かしらの接触がある可能性が高いです。あるいは自ら届け出る人もいるかもしれません。しかし、実際の過去ではそのような事実は有りませんでした。そうなると、仮に、私たちがこのまま偽装現実のシミュレーションを続けた場合、調書が現実と矛盾してしまいますので偽装が剥がれる危険があります。新橋さんが懸念している事態はコレにあたりますね。」
「事件当日にシミュレーションを止めると問題なくなる、って事ですか?」
「その通りです。実際の事情聴取には、新橋さんが演じる胡散臭いライターの存在は記録されていません。でもこれって、教授さんに取材の記憶が残る事と矛盾はしないんですよ。」
余計な一言にツッコみたいところだが、ここで止めると話が余計に分かりにくくなりそうだ。大人しく本題に切り込むとしよう。
「矛盾しないってことは無いんじゃないですか?実際、違いが生まれていますよね。」
「本来はそうですね。でもここで、20年も前の記憶であるという点が影響します。20年前に受けた事情聴取の内容なんて、逐一覚えてはいませんよね?あくまで表層には、事情聴取を受けた記憶だけが残ります。となると、本人が“取材”を受けていた事を記憶していても、時事情聴取でも話しているはずだと、思い込むことが出来るのですよ。」
確かに、自分でも10年前のことを鮮明に思い出せるかというと、流石に無理がある。
「人間の記憶ってのは、結構いい加減なモノなんですねぇ。」
「あくまで表層の記憶についてはそうですね。深層では刻み込まれた記憶が正確だからこそ、過去再現の構成要素に適うので。勿論、べっちゃんの推論エンジンが有ってのことですが。」
なんとも都合の良い話である。とはいえ、夜風の説明を一通り受けたことで緊張が解れたのか、その後の取材対象との取引は成功裏に終わったのだった。
ある程度怪しまれたところで、多少のごまかしが効くというのは演じる側としては心強かった。
ただ、演技が上手くいったと言うところで、成果が十分であるかというと、別の話になる。
時刻は20時。世間では不景気が叫ばれて久しいこの時代でも、博多の街並みは活気に溢れている。
そんな中、まるでそれまでの記憶が抜け落ちたように、疲労困憊に陥った僕と、疲労とは無縁であるはずなのに表情に陰りが見える夜風は、再び昼と同じファミレスのテーブルを囲んでいる。
疲れを隠すつもりはない。ファミレスのソファーでようやく付いた一息に感謝しながら、一言、今日の感想が漏れる。
「教授ってのは、あんな感じの人たちばっかりなんですかね。」
「あれは特殊ですよ。言いましたように、お金で動くタイプの人物にターゲットを絞った結果ですから。というか、新橋さんだって大学出られてますよね?当時の教授さんもあんなのでしたか?」
あんなの、とは酷い言いようではあるが、確かになかなかクセが強い御仁であった。取材のアポイントメントは事前にしっかり取れているにもかかわらず、いぶかしげな視線を隠す素振りも無い。そして、第一声から上から目線で自慢話。結局、此方の求めていた情報、三ヶ木氏に関する話も参考になりそうなモノではなさそうだった。
曰く、三ヶ木氏を指して“とうとうあいつ、なにかやったのか?”、“自分と違って社交性なんてものとは無縁だったから”、“当時も研究室の中じゃ彼だけ相当浮いていたよ、それに比べると自分なんかは・・・”などである。
「ことある毎に自分語りが入る人っていますよね。幸い、僕の大学時代には無縁でしたよ。もしあのオッサンのゼミに放り込まれたらと思うと、ぞっとしないですね。」
「ホント、研究者としてどうなんでしょうね。自慢話の中身も学内政治の話題ばかりでしたし。まあ、それも含めて最初のターゲットとしては最適ではあったのですが。」
夜風が評する通り、人として好きか嫌いかは置いておいて、いち大学の教授にまで上り詰める人物で有ることには間違いなかった。なにより行動力が凄まじい。話の中身こそ無かったものの、今回の“取材”の報酬に加え他の取材対象への“紹介料”を匂わせると、そこからのアクションは異様に早かった。
紹介して貰いたい人物のリストを見るや、その場で電話。瞬く間に僕とのアポイントメントを取り付け、不在の人物には代理を立てさせてコンタクトを確約させる。
こちらとしては“三ヶ木氏が怪しい事件に巻き込まれているかもしれない、詳しいことは裏取り出来ないと話せないため、まずは話だけでもさせて貰いたい”程度のことしか言えないのだが、あっという間に予定が埋まってしまった。
「仕事が出来る人ってのは、引き換えに人として大事なモノをなくさなきゃいけないもんなんですかね。もしそんなルールが有ったとしたら、これもある意味悪魔の取引ってところですか。」
「えー。嫌ですよ、私。ああいう方とはなるべく関わりたく無いですねぇ。」
法に触れる要素は一切無く、残虐性や非道な行いもまるで無いのに“悪魔にすら忌避される人物”が存在するのだから、世の中というのは奥深い。
「僕、今日ほど所長が上司で良かったと思えた日はないですよ。」
「うーん、このタイミングで引き合いに出されたくはないですねぇ。」
「まあまあ。部下からの愛の告白ですよ、こくはく。」
「お互い視線も合わさずに死んだ目で成り立つ告白が有るとは知りませんでした。じゃあ新橋さんは、せめて私の元気が出るコーヒーでも入れて下さい。」
言葉を返す代わりに、店員呼び出しのブザーを押す。傍から見ると僕が何故か一度に2杯もコーヒーを注文しているように見えるところだが、きっとキッチンの中ではよく手入れされたディスペンサーがしっかりと愛情を注ぎ込んでくれることだろう。
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