第16話 2003年、9月
バンギャを自称する人種というのはミーハーなものだと思っていたが、どうやら違っていたらしい。
あれは・・・戦士だ。
「バイタルえぐい、テンションやばい、タフネスにもほどがある。ライブに“参戦”するって言葉の意味を思い知らされましたよ。」
風雨の中泥にまみれ、汗とも雨とも付かない滴を額から拭う。帰りの人混みの中、周囲に聞こえない程度に感想を漏らした。
偽装世界への介入条件は緩和されたはずだが、夜風によると“たまにはご褒美に”として、今回はライブ会場の盛り上がりの中に“紛れ込まされた”のだった。
「ちょうどいいタイミングで有名なライブが行われていてラッキーでしたね。これだけの人混みだと偽装のコストも低くて済むし、貴重な体験もできて一石二鳥でした。」
“戦場”を経験していないアバター状態の夜風は、他人事としか思えない気軽な感想を述べる。
「ライブって言っても、いきなりラスボス、しかも完全にハードモードじゃないですか、台風の中開催なんて、元の年代に戻ったら炎上案件ですよね?」
9月とは言え月末にさしかかり、台風の雨風に晒されれば体感の気温は相当に下がる。ぶっちゃけ寒い。めちゃ寒い。
「まあまあ。そこはアレですよ。どうせご褒美なら一番凄いところを選びたいじゃないですか。実際、新橋さんもお楽しみ頂けたでしょう?」
「そりゃまあ、20年近く前とは言え僕でも知っている様な曲ばかりでしたし。というか、あの人達がまだ現役ってのも、よく考えると異常ですよね。」
この2003年時点で15周年らしい。ということは、2022年時点から考えるとまだ“折り返し”の前と言うことになる。
「とは言え、流石に凄かったですね。ライブって行ったこと無かったですけど、バンドやりたくなる人たちの気持ちが少し分かった気がしますよ。」
「あ、じゃあカラオケ行きますか?大丈夫です、私、新橋さんがどんなに音程を外してもちゃんと聞いていてあげますから。」
なぜ音痴であることが前提なのか。まあ、そうでなくても“本物”を魅せられた後で付き合わせるのも気が引ける。そして、それ以前に。
「いや、今はとにかく身体を休めたいです。」
2003年9月21日、台風接近の中行われた大型屋外ライブに“紛れ込んだ”僕たちは、初っ端から体力の9割を消費すると、最寄り駅から最速で宿泊予約をとった。
ライブで周辺の宿泊施設が埋まっている中でどうにか予約を確保できた部屋は、偶然キャンセルが出たまま穴埋めが難しいほどのグレードだった。
必然、手元の福沢先生達が軒並み巣立って行ってしまうことになる。
夜風によると、数ヶ月前までハンバーガーが59円などというデフレまっただ中らしいのだが、このクラスの価格帯になるとそうそう影響は無いと言うことか。
「残りの手持ちで、事件の日まで生活持ちますかね。」
「大丈夫ですよ新橋さん、近くで競艇か競輪が出来ますから。あ、オートレースというのもありますね。」
「分かりますけど、ギャンブルで身を滅ぼすタイプの台詞ですよそれ。」
もはや公営ギャンブルでの金策が常套手段になってしまった。未来の情報を知っている以上、世界の認識に影響を与えにくい最適解だというのは分かるのだが、それでも的中すると嬉しかったりする。この感覚で現実世界に戻ったら破綻する自信がある。
「わたしは別に、新橋さんが質素倹約を貫きたいというのであれば止めはしませんよ?」
「近いのは浜松ですね、オートレースと競艇場があります。」
誰も不要だなどとは言っていない。ただでさえ不便を感じる過去での生活に潤いは必須なのだ。
「わかって頂ければ良いのですよ。今後の作戦では多少の必要経費を見込んでいますので、少々荒稼ぎと行きましょう。」
必要経費ということは、結局のところ質素倹約では解決しないという事だ。またしても僕は、この小さな上司の手のひらで踊らされていたのだった。
暴風吹き荒ぶライブで体力を消耗した結果、もはや抗う気力はなく、大人しく白旗をあげ回復に務める。だが残念なことに、慣れない超高級な寝具一式は気力までは回復してくれなかったのだった。
平日開催の公営ギャンブルを渡り歩いた僕たちは、“荒稼ぎ”との言葉通り百万単位で勝ち越しを決めた。初日の収入で手配した鞄の中には、かつて別れを惜しんだ福沢先生の束達がぞんざいに放り込まれている。
「こんなに集めて何に使うんです?僕の好きに使って良い、ってわけじゃ無いんでしょう?」
「当然です、以前にもお話したように、贅沢に慣れてしまうと現実で苦労するのは新橋さん自身ですから。今回集めたお金の主な用途は取材費用です。」
「取材?」
思わず何のひねりも無くオウム返しする。嫌な予感しかしない。
「今回のターゲットはもちろん仮称卜部さんと同じ顔を持つ人物、薪坂 優さんです。ですがおそらく、この方の情報は今ここで調べ回ってもそれほど得られないでしょう。なので必然的に、彼と同居していた三ヶ木氏にフォーカスします。」
「薪坂・・・さんは、現在11歳でしたね。確かに、彼のことを聞き出そうにも同級生も小学生か。保護者や教師に印象を聞いて回るというのも難しいでしょうね。」
小学生男児の人となりを聞いて回る20代とみられる男性。言葉にするだけで十分すぎるほど怪しい。
「はい。一方の三ヶ木氏は彼の保護者と見られる人物、実子では無い薪坂さんを預かっている経緯はわかりませんが、同時に消息が絶たれている事も含め、氏の情報はあらかじめ得ておく必要はあると考えます。」
「なるほど。わかりましたが、何故そこで取材費用なんですか?」
なんとなく想像は付いてきたものの、改めて確認をする。
「つまりですね、新橋さんには今からフリーのルポライターを名乗って貰います。そして三ヶ木氏と旧知である人物にインタビューとして情報収集を試みるのです。」
「そんなコミュニケーションスキルがあれば別の職業についてますよ。」
嫌な予感というやつは、何故かよく当たる。感想には個人差があるだろうが、対面のやり取りというのは想像以上に疲れる。以前の“ミッション”でもターゲットとされる人物に何度か接触を試みたのだが、世の中には正直関わりたくないタイプの人間が居ると言うことを思い知らされた。
「まあまあ、所詮一時的なものですよ。新橋さんが苦手な面倒なしがらみも残りませんし、ちょっと探偵っぽくてワクワクしませんか?」
「断ったところで、他に手段も無いわけですよね。」
実際のところは本気で考えれば代案はありそうだが、簡単には思い当たらない。その場限りの演技で情報を引き出すだけ、と自分に言い聞かせ、仕方なく了承する。
「決まりですね。ではここ浜松を起点に、三ヶ木氏の大学同期の面々にアプローチを掛けましょう。彼の専門は脳科学・神経学の分野らしいのですが、関わりがあったと思われる人物は東西でそれぞれ大学で教授や助教授の地位に居る方が多いのですよ。」
「関東に戻るのではなく、ここを拠点にする理由はそれですか。」
それにしても、知り合いに教授職が多いというのはまた随分と偏った交友関係だ。
「この時期はすでに大学の予算が削られ初めて居ます。結果を出すために論文数も増やしているでしょうから、相当忙しいはずです。それなりの報酬を提示しないと時間は割いてもらえないでしょう。まあ、それでも生活が変わるほどの金額は提示出来ませんけどね、偽装剥がれちゃいますし。」
「費用が必要なのはわかりましたけど、流石に現金そのまま持ち歩くっていうのはちょっと緊張感がありますね。」
「突然スリが現れるイベントなんて発生したりはしないのでご安心下さい。新橋さんがうっかり鞄を忘れることがなければ、こんな大金が入った鞄に偶然狙いを付ける犯罪者には遭遇しないことが、因果により証明されています。」
なるほど、僕から何かしない限りは、偽装現実の世界が実際の過去と異なる経緯をたどることは無い、と言うことか。
「おおかた理解出来ました。それじゃ、そのスリの話にあやかって最初の取材対象はサイコロで決めてみますか?」
などと、我ながら余計な提案をしたものだ。こういうケースで運に任せると、一番引きたくないはずの目が出ると言うことを忘れていた。
「では新橋さん、さらにそのサイコロつながりと言うことで、移動手段はもちろん深夜バスですよね。」
自身はアバター状態で、そうそう疲れることの無い上司殿は、止める間もなくウキウキしながら深夜バスの予約を進める。
目的地は・・・博多。せめて出発地点が東京ではなかったことに感謝しよう。
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