第14話 手詰まり

「ちょっと新橋さん、この漫画の主人公さんずるくないですか?」


 真面目に調査に集中していた上司に、コーヒーでも入れてやるかと親切心を抱いたことを後悔したくなる。


 扉を開けた先にはスナック菓子を頬張りながら漫画を読みふけっている実家少女の姿があった。


 「所長、現実逃避が早すぎます。試験前の勉強に集中できない学生ですか?」


 「ちーがーいーまーすぅ。私は優秀なので、手を尽くすのも迅速なのですよ。即ち、問題が難しい場合は世界最速レベルで手詰まりに辿り着いてしまうのです。」


 夜風が先刻の打ち合わせの中で“私の方でも対策を練ってみる”などと表明してから、この様に自慢なのか愚痴なのか分からない駄々をこねるに至るまでの時間は、確かに迅速だった。


 小路こみちちゃん達、学生諸氏とは一旦解散としたのがつい6時間ほど前。その時点では、“某社の画像検索エンジンの結果がいまいちなのであれば、ちょっとリソースを借りて独自のシステムを組んでやりましょう”などと自信たっぷりにふんぞり返って居た。


 実際のところ、たいしたものだった。宣言通りにプログラムを完成させてしまったのがその4時間後。肝心の性能面は、僕の感性では良化したかどうかなど分からないと考えていたが、目に見えて改善していた。


 元の検索プログラムでは間違いなくヒットしていなかった、集合写真やスナップ写真の中の一人一人まで列挙されていたのだ。また、その個々人が、ことごとくサンプルである卜部少年に似ていたことは間違いない。


 ただ問題があったのは、あくまでも“似ている”だけだったのだ。


 結果手詰まりとなり、駄々っ子上司は終わりの見えない気分転換に突入したのだった。


 「勉強嫌いのお子さんをもった親御さんの気持ちが、少しだけ分かった気がしますよ。」


 「その評価は不当ですよ新橋さん。私はすでに打てる手を打った後なのです。ベストを尽くした結果ダメだったのでふて腐れているのですよ。」


 言っていることはともかく、現状ソファーに寝そべり漫画を読みながら足をパタパタさせている様子は、僕の感覚が正しいことを確信させる。


 「まあ、その評価は置いておいても、僕には所長をたしなめる理由なんか無いんですよね。何も協力出来ずにお茶汲みしていただけですから。ただ、目の前で写真に撮って飾りたいほどの“怠惰”のテンプレートみたいな挙動をされると、つい口をつくと言いますか。」


 「え。そこまでですか?」


 流石に多少は自らを省みたのか、夜風は寝そべっていたソファーから身体を起こし、姿勢を正した。


 「結局漫画は読むんですね。」


 頑なに現実逃避を続ける我が上司殿は、ここは譲れないとばかりに単行本から目線を離さずに言い訳を始める。


 「いやほら新橋さん、漫画の主人公さんも色々手詰まりな状況になるじゃないですか。その参考も兼ねてですよ。しかし・・・実際のところ何の参考にもならないですね。」


 「なりませんか?」


 「ええ、からきし。だって、日常の出来事や周囲の人たちの何気ない一言からヒントを得て解決の糸口をつかんじゃうんですよ?」


 「そりゃそうでしょう。その着眼点だとか、発想の転換みたいなところを参考にするつもりだ、という言い訳だったと思ったんですけどね、僕は。」


 僕としては当然の指摘だと思ったのだが、夜風は先ほどまであれほどこだわっていた視線を漫画本から外し、やれやれと言った仕草で僕の言葉を否定する。


 「仮に観察眼や発想が優秀であっても、その起点が偶然によるものである限り参考にはならないじゃないですか。新橋さんは、私の周囲で今調べている問題のヒントになりそうな出来事が発生すると思いますか?」


 「思いませんね、仮にそんなヒントが潜んでいたとしても僕なら見落とす自信があります。」


 「でしょー?だから所詮フィクションはフィクションなんですよー。まったくもう。」


 などと文句を言いつつ再び単行本に目を落とす。諸々理由を付けておきながら、結局のところ読みたいだけなのではないだろうか。どちらにしても、本当に手詰まりのようだ。


 仕方ない、僕も考えを整理するぐらいなら手伝えるだろうか。


 「所長、今さらですけど、人生120年以上の大ベテランなんですよね。」


 「人ではありませんが、はい。どうしたんです?突然。」


 「その120年の間に、今日みたいに手詰まりになることは無かったのかなと。いままではそういうとき、どうやって対処してきたんですか?」


 僕なりに考え方のヒントを提示できたつもりではあったが、問いかけに対する回答は想定からすこし外れていた。


 「ほぼ無かったですね。私はそれなりに優秀なので。大抵のことは力わざでなんとかなってしまうのですよ。あとはまあ、些末なことであれば諦めたこともありますが。」


 残念ながら夜風の人生経験は役に立ちそうにない。しかし、聞きおぼえのある自己評価に“それなりに”というオマケが付いてきた。どうやら相当今回の件は堪えていそうだ。


 「所長に人並みの苦労を期待した僕が浅はかでした。仕方ないので、そこまで優秀じゃ無い僕の経験をベースに考えましょう。こういうときはまず見落としがないか再確認していきましょう。いい年なんですから、うっかり見つかるヒントに期待してないで、地道に計画的に対処しましょうよ。」


 「おー、めずらしく新橋さんが乗り気ですね。あと、あまり年齢の話を出すのは良くないですよ?私は気にしませんが。」


 「ご心配なく、他所では言いませんよ。どうせあなたは自分が可愛いことを自認しているから気にしないんでしょう?」


 よく分かっている、とふんぞり返って肯定する。ようやくいつもの調子が戻ってきた様だ。また落ち込んでしまわないうちに、解決への道筋だけでも見つけたいところだ。


 「まずは最初の判断を検討し直しましょう。引き続き画像検索の可能性を探るか、別の方法を探すかですね。後者なら、通話があった時間帯に遡って、相手の通信をたどるとか出来ないですか?」


 過去の世界を再現する“偽装現実”の技術をもってすれば、遡ることまでは可能だ。あとは夜風に通信中の相手を探る手段があれば良いのだが。


 「望みは薄いですね。前回のサーバーへのアクセスは全く正体が掴めませんでした。映像付きの通話となれば普通は追跡しやすくなると思いますが、その様なリスクを犯す相手とは思えませんので。」


 「なるほど、となると3択ですね。画像検索、通話の追跡、さらに他の手段の検討。」


 「通話の追跡は除外しないのですか?」


 「今の考えでは望みが薄い、というだけです。それを補う何かが出来ないか、という視点で考えるのは大事だと思いますよ。」


 この辺りは、すぐ答えに辿り着けてしまう夜風には馴染みが無いのだろう。僕に天賦の才が無かったことに感謝してもらいたいところだ。


 才があれば素直に解決しているだろうことは置いておいて。


 「画像検索もそうです。一度失敗したところを、所長が改善したことで某社サービスでは対象にならないメディアも検索対象になったんですよね。」


 「これは自慢にもなりますが、ある程度なら顔の向きまで推測しての検索が可能になっています。実はべっちゃんの推論エンジンの応用なのですよ。まあ、それでも“当たり”の情報は見つかりませんでしたけどね。」


 結果は振るわなかったことを自覚しつつも、実に自慢げである。しかし、そうなると気になる事がある。


 「彼、仮称卜部君の画像はインターネット上に欠片も存在しないんでしょうか。」


 「なるほど、良い観点ですね新橋さん。確かに、今の世の中よほど特殊な人生を歩んでいなければ何処かに画像・映像の情報は残ると思います。一般に認知はされないにしても、集合写真や目的外の写真への映り込み、監視カメラやライブカメラの映像もありますからね。」


 確か、推論エンジンBETTERによる偽装現実の構築のベースの一部は、このような“記録”に関する情報の蓄積だったはずだ。


 「うーん、いっそベターが構築した偽装現実の“世界自体を検索する”なんて裏技みたいなことは出来ないものなんですか?」


 「出来たら便利なんですけどね-。あそこまで巨大な情報を扱うには一種の自己進化プログラムを使うしか無くて、応用が効かないんですよ。過去に公開されたライブ映像を検索対象に含める程度であれば可能ですが、これは既に実施済み。先ほどの結果は、映像まで対象に含めた上での“ハズレ”だったのです。」


 手を尽くしたと自認するだけのことはある。流石にここまでやった夜風の仕事内容から見落としを指摘するのは難しい事を痛感した。・・・したのだが。


 「実は、偽装現実を構築するソースにはあらゆる情報を使用しているので、暗号化された情報も使われています。しかし検索対象に含めるとなると、流石に暗号の解除が必要なのです。パスワードクラッキングは可能ですが、仮にそうしても情報があるとは思えません。少なくとも、過去に公開状態にあった“あらゆるメディア”の情報に卜部少年の画像・映像は存在しない、という状況です。」


 「あらゆるメディア、ですか。それにしては、新聞や週刊誌っぽい映像はありませんね。」


 夜風の言葉を参考に、改めて検索結果を確認し直すが、該当の検索結果はSNSなどWEB上の画像ファイルが8割、残りの2割はテレビなど映像の切り抜きといったところだった。


 「それはそうですよ。だって新聞や雑誌の写真なんかは白黒か2色刷で・・・あ。」


“うっかりしたミスは、案外簡単なところで起きる”。先般の卜部少年と夜風の会話の中で、一致した認識を改めて思い知らされた。


 検索に使用する画像、仮称卜部少年のポートレートを白黒の2色に加工して再検索に掛けたところ・・・“当たり”を引いたのだった。

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