第9話 アイスブレイク

 たとえば、暗がりで不意に聞こえた物音に“だ、誰だッ”なんて叫ぶ映像作品のワンシーンを思い出す。謎に包まれた不正アクセスの文章に直接、「君は誰か」と聞いてみようと提案した現状ではあるが、流石に素直に回答を期待できるかどうかは、怪しいところだ。


 ・・・もう少し丁寧に聞いてみるべきだろうか。


「お世話になります、私一般社団法人 雛坂研究所職員、新橋と申します。お忙しいところ大変申し訳ございませんが、其方様はどちらの怪奇現象様でしょうか。・・・なんて聞き方じゃあ、ダメですよねやっぱり。」


「あまりふざけた提案をしないで下さい、採用したくなるじゃないですか。あと、一応ウチは財団法人です。ついでに言うと、先方がお忙しいとは思えないです。」


 PCのスピーカーから届いた指摘に、己の浅はかさを省みる。そういえば、うちの所長殿はそういう性格だった。下手な案を採用されない様、慌てて話をそらす。


「財団法人ってことは、それなりの財産があったんですね、弊研究所には。」


「まあ、同族経営で形だけの部分もありますけどね、一応、私は理事も兼任しています。他の役員であったり監査の皆さんは名ばかりというか、普段研究所との関わりはありません。なので、たまに顔を出すお母さん以外、新橋さんと関わることは無いと思いますよ。」


 話をそらすつもりで投げかけた話題から、想定していた以上の情報が帰ってきて困惑する。夜風が人間では無いという点を別にして、上司の親類縁者と言うだけで積極的にお会いしたい属性では無いだろう。家族経営のようなモノであれば、仕方ない事なのだが。


「さて、もうすぐ待ち合わせのお店なので、紹介するまで新橋さんは黙っていて下さいね。」


「ですね、承知しました」


 PCのマイクに向けて了承の意図を伝え、音声入力デバイスをオフにする。いつもと違う新鮮な職場の空気と供に、淹れ立てとは言い難い30分モノのビンテージコーヒーで喉を潤す。


 現地に向かうのは夜風の方で、僕がリモートでサポートするという世にも珍しいフォーメーションとなった現状には、やむを得ない事情があった。


 ターゲットに直接聞いてみるという提案を小路ちゃんを介して伝えたところ、古見さんの同意は得られた。同時に、小路ちゃんからは、彼女が不安だと思うので同席して欲しいとの提案を受けることになる。実はこれも想定済みであり、むしろ此方から依頼しようとしていた形だった。


 そんなわけで、古見さんのお宅にお邪魔する事になる。聞くところ、訪問メンバーには三久島君と部長さんも居るらしい。古見さんの印象から男友達を連れてくると言うだけでも珍しいだろう。そこに一人成人男性が混ざると言うのは、ご家族への説明を難しくする要素しかなく、いっそお留守番を買って出たという次第だ。


 「おーい、ひなな~ん、こっちこっちー。」


 モニター越しに小路ちゃんと分かる声が遠く聞こえる。どうやら、夜風が店舗に立ち入ろうとしたところをテラス席から呼び止められた様だ。


 「こちらでしたか、お待たせしました。皆さん、初めてお目に掛かる方もいらっしゃいますね。はじめまして、雛坂 夜風と申します。よろしくお願いします。」


 相変わらずの洗練された“よそ行き”の仕草に、お嬢様?お嬢様なの?!と、どよめきともとれる声が聞こえる。このテンションは柑凪さんか。彼女については過去の会話を傍から聞いていただけだが、エピソードが強烈過ぎて忘れようが無い。


 「さて、事前に伺っていたお話からですと、貴方が古見 紗菜さんですね。この度は力及ばず申し訳ありませんでした。こみちゃんから聞いていると思いますが、協力頂くことで何か分かるかもしれませんので、改めましてよろしくお願いしますね。」


 「は、はいっ、ふ、古見ですっ。こちらこそ、お手数をお掛けしてすみません、なんというか、その、恐縮です・・・。」


 「あははー、紗菜ちゃんそんなに緊張しなくてもいいよぉ。ひななん私たちと同い年なんだからー。」


 小路ちゃんがフォローするが、今のは無駄にプレッシャーを纏う夜風が悪い。実は同年代ではないことも含めて正体を知っている立場からは、故意にやっているのではないかという疑惑すらある。


 「こみちゃんの言うとおり、そんなに畏まらないで下さいね。切っ掛けこそ相談を受けての調査でしたが、今は私自身純粋な興味のもと知りたい事がありますので。」


 元来、夜風は世のため人のために動く性質ではない。友人の相談とはいえ、普段なら深入りはしなかっただろう。ここからは本人の言うとおり純粋な興味による関与だ。かませ犬気分を払拭したい、という面もあるかもしれないが。


 「さて、他にも初めてお会いする方がいらっしゃる様なので、紹介頂きたいのですが。よろしいでしょうか。」


 普段と言えば、普段の口調の夜風なのだが、自称同い年の学生の集まりなのだからもう少しくだけた言い方があるだろう。ギクシャクした空気が流れるそのままに、まったく気にしない小路ちゃんがメンバーを紹介し始めた。


 「うん、いーよー。えーっと、ミクちゃんは前に会ったよね。じゃあまずは部長さん。佐治原 健太郎君、ですっ。」


 「あ、えっと。佐治原です。部長って言ってもこういう難しいことは剛健、副部長の三久島にしか、どうにか出来そうに無いんですよね。ただ、男子一人だけってなると変に誤解されないかってことで、数あわせみたいなもので。あまり役には立たないかもしれませんが、出来ることがあれば言って下さい。」


 佐治原君はそれほど緊張はしていない様だが、自己紹介でそこまで自分を下げなくても良いだろうに。とは言え、明朗さが声色から伝わってくる。自己評価が低いだけで前向きな印象だ。


 「あとはー、もう一人、柑凪 かなぎちゃんですっ。今日は渓ちゃんはお休みだよ-。」


 「ご紹介にあずかりましたーっ。かなぎちゃん、ですッ!。部長と同じく頭数だよー。男子より女子が多い方がいいだろってね。よろしくね、ひーななんっ。」


 「佐治原さんと、柑凪さんですね。よろしくお願いします。」


 古見さんを怯ませた夜風の雰囲気を、気にする素振りもない勢いの柑凪さん。そしてそれにもまた触れることなくペースを崩さない夜風。音声だけでは分かりにくいが、動と静の混濁した空気が場を混乱させていることだろう。古見さんは大丈夫だろうか。


 「おい柑凪、初対面の場ぐらいもう少し空気を読めないのか。」


 「いやいやミッキー、ここは場を和ませるためにあえての普段通りなのだよ。かなぎちゃんは空気読める子元気な子、組織の潤滑油に、使える歯車かなぎちゃんだよ?」


 「どこの企業の面接を受けるつもりか知らんが、もう少しおとなしくやれと言っているんだ。」


 たまりかねた三久島君が柑凪さんを制する。しかし、これが普段通りという点は否定しないんだな。


 「私は構いませんよ?むしろ私の話し方が気になる様であれば、せめて私からも皆さんのお名前を同じように愛称で呼ばせて頂きましょうか。とりあえず、三久島さんはミクちゃんでよろしいですかね。」


 「・・・すみません、気に入ったのであれば構いませんが、積極的にそうして欲しいわけではないので、ひとまず現状維持でお願いします。」


 慮った相手であるはずの夜風に後ろから刺される形になり、三久島君が白旗を揚げた。ごめんな、こういう人なんだよこの子は。


 「なるほど。気に入ったのであれば使って良いのですね。それでは、相応のタイミングまでこの案は暖めておきましょう。」 


 「おっとひななん、話分かるねぇ。やはりかなぎちゃんの目に狂いはなかったのだ。」


 そうだった。動と静、表面でこそ対極にいるこの二人だが、根底の部分ではどこか似ている何かを感じていたのだった。もはや諦めたらしい三久島君からは抗議も無く、遠くからは古見さんの緊張が解けたことが分かる笑い声も聞こえてきた。


 「そういえばー、ひななん、今日は新橋さんは一緒じゃないのー?」


 「あ、はい。その件なのですが、新橋さんはこちらになります。すぐにご紹介するつもりだったので、マイクがONになっています。お伝えするのが遅くなり申し訳ありません。」


 小路ちゃんからの確認に、夜風は言葉とは裏腹に悪びれもせずに答えると、通話中のままストラップで首からさげていたスマートフォンを手に取る。そのまま画面を彼女たちに向け、音声出力をスピーカーに切り替えた。


 「はじめまして、雛坂さんの研究所で職員をしている新橋と言います。本日はこちらから遠隔でサポートさせて頂きます。よろしくお願いします。」


 画面にはリモートで通話中の僕の姿が映っているはずだ。こちらのマイクもオンに戻し努めて簡潔に挨拶を済ませると、夜風が呆れたような表情を見せる。


 「まったく新橋さんは堅苦しいですね。学生の皆さんにプレッシャーを掛けてどうするのですか?」


 「お代官様ほどじゃございませんよ。というか、あなたに合わせた様なものでしょう。堅苦しく行くのがウチの流儀ってことで良いんじゃないですか?」


 僕としては当然の指摘をしたつもりだが、それを受けた小さな上司殿は、意に介する事なく今度は得意げに反論する。


 「私の場合は仕方が無いでしょう。こみちゃんの様なやわらかい口調も似合うかもしれませんが、やはり作り物では魅力が半減するというもの。ありのままの私こそが真実にカワイイのですよ。」


 「やれやれ。ではそのカワイイ雛坂所長にお願いなんですが、映像を内側のカメラに切り替えてもらって良いですかね。皆さんの顔を見て話したいのですが、こちらではクルクル変わる所長の表情だけが全画面で展開されているので。」


 やはり、カメラが切り替えられていない事には気付いていなかったらしく、夜風はばつが悪そうにメインカメラを手で塞ぐ。しばらくして、解像度は下がったものの見晴らしの良い映像が帰ってきた。


 「ありがとうございます、所長。みなさんの姿がよく見えました。そちらからは僕の映像は何も変わっていないとは思いますが、みなさん、改めましてよろしくお願いします。」


 かくして、クライアントとの接触は成功裏に完了し、所長のうっかりミスのおかげで初対面のメンバーとも距離が縮まった。


 この調子でターゲットからも情報を引き出せれば良いのだが、如何せん相手の正体は不明。想定段階ではIOT時代のサイバーパンクな心霊現象説まで飛び出す様なヤツを相手に、どのように振る舞えば良いのやら。


 また一方で、距離が縮まりすぎるという結果にも問題が付随した。この後古見さん宅にお邪魔するまでの間、柑凪さんから“なぜ初対面で自分と古見さんと見分けが付いたのか”そして小路ちゃんからどの様な特徴を聞いていたのか、について延々と詰問されることになる。


 勿論冗談交じりではあるが我ながら上手く凌いだもので、短かったかつての社会人生活で身につけた“話をはぐらかす能力”を存分に発揮することとなったのだった。

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