第6話 インスピレーション

奪い奪われを繰り返された略奪愛の行く末は、果たしてどちらのヒロインを選ぶことになるのか。その答えは・・・、日本人らしく次の国会まで先送りにされることになった。


 「柑凪かんなぎ、おまえ本当にこの歌詞で提出するのか?」


 三久島くんが、先ほどまで頭を抱え苦悩していた少女、柑凪さんに対し、ある意味当然の疑問をぶつける。


 「ふっふっふ。私は気付いてしまったのだよミッキー。どうせどんな歌詞を書いたところで、歌うのは自分じゃない、って事にね!」


 教室を抜け出すタイミングを伺っていた間、思わず作詞の課程を垣間見てしまった訳なのだが、いや、マジでアレを提出するつもりなのか、この子は。


 志摩波さんによると、“不良部員”たちによる自習サークルみたいなもらしいとは聞いていたが、どうやら今はこの妙にテンションが高い女の子、柑凪さんの宿題を手伝う流れらしい。


 室内には雛坂研究所を訪れた3人と柑凪さんの他に、男子生徒が2名。柑凪さんはショートカットで活発な感じなのだが、この場に居ると言うことは、運動部では無いのだろう。


 男子生徒の1人は痩せ型で眼鏡を掛けている。三久島君も眼鏡を掛けているが、生徒会長のイメージだった彼とは対象的に、こちらの彼はオカルト研究会のイメージがしっくりくる。


 もう1人は良くも悪くも、どこにでもいる普通の男子生徒という印象だ。学園モノの主人公には最適な逸材とも言えそうだが、実際主人公では無さそうだというだけで、申し訳無い気がするのは何故だろう。


 この場に紛れ込んだ僕を除き6名。夜風から伝えられた条件は満たしている。


 「すごいねー、圧倒的オリジナリティ、だよー。」


 柑凪さんの“作品”に対して小路ちゃんが感嘆の声をあげる。


 「坂倉さんさぁ、無理に褒めなくていいと思うよ?」


 痩せ眼鏡の少年が呆れた様に、評価への疑問を提示すると、柑凪さんから当然のように抗議が寄せられた。


 「ひどいぞオダちゃん。こみっちは純粋に褒めてくれてるんだよ?苦難を無理矢理乗り越えた私の、ささやかな癒やしを否定しないでくれたまえ。」


 柑凪さんには悪いが、僕も小田くんと同じ感想だ。


 「オダじゃねえよ」


 オダちゃんと呼ばれた男子が軽く抗議の色を示す。小田じゃねえのかよ。


 どうやら柑凪さんからの情報は、額面通りに受け取るには注意が必要の様だ。機嫌が良い日の夜風程度には警戒しておこう。・・・となると、面倒くさい子だな。


 「ごめんねー。わたしも最初のころ、小田部こたべくんの名前読めなかったよー」


 小路ちゃんからのアシストが入り、彼の名前が小田部君であることが判明した。なるほど、それで柑凪さんが付けたあだ名が小田ということか。


 ようやくこの場の登場人物をあらかた整理でたかという頃に、僕の混乱を招いた張本人であるところの柑凪さんが、疲れた切った様子で愚痴をこぼす。


 「でもさぁ、なんで私だけ曲が先に出来ちゃってるんだよぉ。みんなと一緒にボツってさ、恥ずかしい詩集に歌詞だけ掲載してくれれば良いじゃないのさ。」


 「恥ずかしいとか言うなよ!恥ずかしいだろ!」


 すかさず残る1人の男子からツッコミが入る。話しの流れから察するに、どうやら作詞活動はクラスの大半が参加しているということか。すべてを採用出来ないから、詩集のような形でまとめているのだろう。


 学級単位でバンド演奏というのは奇策にも思えたが、なるほど、それなら教師受けも良さそうだ。参加したくは無いが。

 

 「いやあ、部長のアレは見事に恥ずかしかったよねぇ。もう見返すのも怖いぐらいにさ、見てる方が恥ずかしくって。」


 「だからやめてくれ!思い出すなっ。」


 柑凪さんに部長と呼ばれた男子生徒が、頭を抱え理科室の天上を仰ぐ。というか、君が部長だったのか。


 「健太郎には感謝しているわ。正直言って、私も恥ずかしかったもの。」


 「あー、確かにあの衝撃を冒頭に持ってこられたら、他の作品は良い感じに霞むよねぇ。」


 離れて本を読んでいた志摩波さんも輪に加わり、柑凪さんがその一言を受けて部長殿にとどめを刺した。もはやリアクションを起こす気力すら無くなったらしい部長をよそに、心のこもっていなさそうな労いの一言を掛けた後、柑凪さんが議題を戻す。


 「でさぁ、結局なんで私だけ採用前提になっちゃったのさ、志摩りん?」


 「運が悪かったのね。本来であれば、製本まで終わってしまった以上参加は見送り。転校生のあなたには、申し訳ないけど今回はお客さんとして楽しんでね、という流れだったのよ。ただ、曲を先に作っていたチームの作品が1本余ってしまって。」


 なるほど、この騒がしい子は転校生か。貴重な情報をくれた志摩波さんに、今度は三久島君が続けて説明を補足する。


 「担任や“友達思いの”生徒からすれば、全員で参加できる最高のチャンスを神様がくれた様な気がしたんだろうな。」


 「くそぅ、他人事だと思って冷静に分析してくれるじゃないか。」


 「説明を求めたのは君の方だろう。」


 「そうなんだけどさぁ。えーい、こうなったら八つ当たりついでにミッキーの作品も朗読しちゃうぞっ。部長作品の衝撃が強すぎて、全部読めて無かったんだよねー。」


 「別に構わんが、非難や抗議は受け付けないからな。」


 動じない三久島君に対し、言ったなと遠慮無くページをめくり始める柑凪さん。和気藹々とした雰囲気で大変結構なのだが。この空気の中で、自然に目立たず退室するにはどうすれば良いのだろうか。


 「話、盛り上がっちゃってますねぇ。一人か二人、先に帰るねーって人が居れば、じゃあ私もって感じで自然に出て行けそうなのですが。」


 夜風の言う通り、今、ガラリと戸を空けたりすれば、誰か来たかと注目を集めるだろう。しかし、存在性ステルス機能とやらは想像以上の性能らしい。目の前に僕が居るというのに、その「居る」という事実だけでは、周りの生徒たちからは気にされていない様だ。


 結局、隙を見いだせないままに、柑凪さんの朗読劇が始まってしまった。


 “覚えているよ、キミの言葉、伝えたかった本当の意味を”


 “キミにだけ辿り着けた答えがそこにはあったんだね”


 あの三久島君が書いた歌詞と考えると、少々意外に感じる。なんとなく事務的で分かりやすいものだろうと想像していた。曖昧で抽象的な気はするし、正直何が言いたいのかも分からないが、思いを込めた、という印象を受けている。


 “きっと本当の僕はどこにも居なくて、この思いでさえもまぼろしで”


 おっと、サビに入ったのかな。こういうフレーズは、あとで見返すと恥ずかく感じるモノだが、当の三久島君は泰然自若としている。高校生らしい歌詞とは別に、本人はおじいちゃんのような振る舞いだ。本当に彼が作詞したのだろうか。


 彼の印象から不正をするようには思えないが、一方で疑問は拭えないまま、柑凪さんが最後のページに手を掛け、その小さな物語は終演を迎えることになる。


 “瞳を開けて、そうだねと微笑んだ君。その一言で世界に喜びが広がるよ、般若心経”


 「般若心経かよ!」


 般若心経かよ!・・・思わず思考が柑凪さんとシンクロしてしまった。


 「般若心経って、こんな意味だったかしら?」


 「さあな。少なくとも真面目に翻訳しようとはしていない。というか、正しく翻訳できてしまったら、それはそれで盗作になってしまうからな。あえてはっきり調べないことで、あくまでインスピレーションを受けるだけにとどめている。」


 志摩波さんの疑問に、当たり前のように答える三久島くん。しかし、これはなんというか。


 「くそぅ、なんかズルいぞミッキー。」


 そう、たしかにズルい。というか、上手いこと考えたな。


 「すまないな。正直やる気が起きない中で、手間を掛けずにそれなりに参加しているポーズをとれる、良い方法を思いついてしまってな。」


 まあ、実際誰に迷惑を掛けている訳でもない。ただ、噂の恥ずかしい歌詞を書いてまで正直に表現をした部長さんが可愛そうではあるが。


 「俺だって、一応恥ずかしい思いはあるから最後にネタばらしをしている。だから最初に断った通り、非難や抗議の類いは倉庫にでもしまっておいてくれ。それに、そうだな。心を落ち着かせたいのなら渓の作品を読むと良い。」


 「ちょっと剛健!なんで私を巻き込むのよっ、もうっ!」


 「おー、たしかに志摩りんがどんなの書いたか気になるっ。ヒーリング効果期待大だねっ」


 志摩波さんは三久島君に抗議はしつつ、自分だけ逃げるのは良しとしないのだろうか、柑凪さんを止める事は無く、ただ耳を塞いでいる。


 柑凪さんも、流石に嫌がる本人を前に朗読することは無かったが、目を通しているらしいその間、こちらから見ていても分かるほどに表情が変わっていく。いや、正確には、その表情から感情の色が消えていくのが分かる。


 読み終わったらしく、冊子を閉じた柑凪さんには、もはや数刻前までの活発な印象は残っていなかった。


 無。


 完全な無表情。虚空を仰ぐかの様に、かろうじて何かに焦点が合った様に見える彼女に対し、三久島君が訪ねる。


 「感想は?」


 「無難。非の付け所が無いぐらいに、完璧な無難が、そこにはありました。」


 評価なのか、批判なのか。おそらくそのどちらも受け付けないであろう無難さだったのだろう。逆にどんな内容だったのか気になるところだが、少なくともヒーリング効果とは違った様だ。


 「落ち着いたか?」


 三久島君の問いに、今度は言葉はなくただ頷く柑凪さんだった。


 「やれやれ、じゃぁ、今日はもう解散でいいよな?」


 小田部君が呆れたように切り出す。結局、最後まで壮絶なコントに付き合ってしまったが、ようやく自由に動き出せそうだ。


 「所長、もしかしてこれ、全員分の作品を確認する流れになってたりしたら、危なかったんですか?」


 周囲に気を掛けながら、声を潜めて夜風に問いかける。たしか説明では、点呼など、個を識別する場に居ないことも条件だったはずだ。


 「正直、危なかったです。走って逃げてもらうという訳にもいかなかったので。もしかしたら私たち最大のピンチだったかもしれませんね。次回からは気をつけないと。」


 おそらく、世界ピンチ史上稀に見る、最上級にゆるい“最大のピンチ”だったと思われる。

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