第5話 フィードバック

 声が、聞こえる。


 「キミは・・・キミか?」


 暗闇の中、微かに光が見える。ディスプレイの光だろうか。機械的なブルーライトに頼りなく照らされた空間の中で、老人が問いかける。


 その問いは、画面に向けられているのか、その手前か。

 全容を掴むことの出来ないまま、何かをつぶやき続ける老人の声。内容は聞き取れないまま、最後にもう一度だけ問いが繰り返された。


 「改めて問おう、まだ・・・キミは、キミか?」


 問いかけは、自分に投げかけられたものなのか。それすらも判別出来ないまま、やがて記憶は遠くなり・・・


 「話が重いよ!!!」


 少女の悲痛な叫びに目を覚ます。夢でも見ていたのだろうか。


 周囲を見回すと、どうやら学校の教室内のようだ。ただここは・・・理科室だろうか。普通の教室ではなさそうだ。叫びを上げていた少女に見覚えはないが、周辺には見知った顔も見える。


 「なんで文化祭の作詞の相談した結果でドロドロの略奪愛がテーマになっちゃうのさ?ちゃんと相談に乗ってくれてるんだよね?ねぇ?!」


 三久島君たちから聞いていた、例の文化祭の話しだろうか。見回すと、談笑の輪の中には先ほど相談に訪ねてきた3人の姿も見える。


 「どうしたんですか新橋さん?何かぼーっとしていましたけれど。」


 まだ頭が混乱しているが、特に聞き慣れた声が耳元から聞こえてきたので、周囲に気付かれない様、小声で返す。


 「いえ、ちょっと妙なことが。というか、ここは?」


 「こみちゃんの学校です。今ちょうど放課後ですね。あ、詳しいことは追々説明しますので、今は周りに話しを合わせて下さいね。」


 「追々、ではなく何かあれば事前に説明を下さいよ!」


 小声のまま語気を強めたものの柳に風。耳元から聞こえる夜風の声に反省の色は見られない。


 「説明というのは長くなりますからね、現実世界で行うと時間が勿体ないじゃないですか。あ、ほらほら今は大人しく。何か話し掛けられても適当に話しを合わせて。」


 夜風が言うには、偽装現実を構築する上で彼女自身はペレーションを行う必要があり、直接偽装現実に介入することが出来ない。そこで別の人物、つまり僕を送り込む必要があるらしい。


 一応サポートとしてナビゲーション用のアバターを展開出来るのだが、これがプチサイズのマスコット形式なわけで、おそらくは今、僕の左肩にでも鎮座しているはずだ。


 「今回はなんと、新橋さんの要望も強かった介入機能の強化実装をしました。名前が無いと不便なので、存在性迷彩などと呼称しています。迷彩の機能はいくつかありますが・・・。とりあえず新橋さん、右手人差し指と中指を揃えて、頸動脈を押さえてください。」


 言われたとおりにすると、視界に違和感。世界から色が消えた。モノクロの世界、体が若干重く感じる。そんな中、左肩から目の前に姿を現したプチ夜風だけが彩色されていた。


 「はい。ただいま通信モードに入りました。この状態なら、声を潜めないでも大丈夫ですよ。現在、偽装世界のシミュレーションが一時的に中断していまして、私との会話だけが出来る状態です。」


 「それはまた便利なものですね。でもここまで凄いことが出来るのであれば、僕としてはスタート地点の混雑具合を解消・・・ああ、してくれたんですね。」


 偽装世界は現実をほぼ誤差無く再現している。そのため、そこに居なかったはずの人間を介入させるためには、ある程度ごまかしが効く状況でなければならなかった。この制約のせいで、以前は満員電車の急停車中、人混みが押されて空いた隙間に無理やりねじ込まれたものだ。


 今回は部活の集まりらしい教室の中。人口密度は劇的に改善されている。最高級のゲーミングチェア並に快適だ。残念ながら試したことは無いが。


 「まあ、実際のところ新橋さんのためというよりも別の事情があったんですけどね。前回と違って介入年代が直近も直近、コロナウィルス騒動の最中なので、そもそも国内であのレベルで混雑する場所が存在しないのですよ。」


 「なるほど、危うく感謝するところでしたよ。」


 「えー、なんでですかっ。良いじゃないですか褒めてくれても。ちゃんと改善したんですからー。」


 「はいはい、偉いですね。それじゃ説明の続きをお願いしますよ。」


 僕の心からの感謝の気持ちが届いたらしく、プチ所長は渋々説明を再開する。


 「存在性迷彩というのは、存在感を誤魔化すことが出来る機能です。この機能により、その場に居たかどうかも覚えていない様な、存在感の無い人物として介入することが出来る様になります。」


 それだけを聞くと、いたたまれない気持ちになる。もう少し表現をマイルドにしてもらいたいところだ。


 「一応制限がありまして、同時に4人以上が認識されている空間であること、点呼など個を識別する行為が行われていないことが前提になります。とはいえ、それでもかなりハードルは低くなりますね。」


 「ええ、十分助かりますよ、あの時の苦行を体験しなくて良いってだけで。今のこの状況じゃなければ、スタンディングオベーションをお送りしたいところですよ。」


 おそらく、拍手のために右手を離してしまったら通信モードとやらも終了するのだろう。


 「しかしそうなると、偽装世界に入った瞬間の最初のイメージは副作用か何かですか?まさかプレミアム会員にならないとCMが挟み込まれる、ってわけでも無いんでしょう?」


 結局、感謝の言葉を贈ってしまったので、あまり得意がられないうちに話しを替えるつもりで質問を投げかける。その問いに夜風から返された反応は、こちらの期待とは若干異なり、しかし想定していた通りではあった。


 「CMですか?そういえば、偽装世界への介入直後、新橋さんの様子がおかしかった様には見えましたが。何かあったんです?」


 なんとなく、そうじゃないかとは思っていたが。やはり夜風も預かり知らぬことだったらしい。少々不安を感じながらも、冒頭に僕が見た“イメージ”について夜風に説明をした。


 「ふむ・・・。CMというよりは、白昼夢の様な感じですかね。新橋さんもご存知の様に、偽装現実から現実への、というか、現実の“記憶”へのフィードバックが可能です。“記録”の改ざんは不可能ですけどね。今回は何らかの理由で新橋さんの記憶へフィードバックが発生したようです。ですがなんと言いますか、まあ新橋さんに危険はないですから、ひとまず安心して下さい。」


 「なんだか引っ掛かる言い方ですね。僕以外の危険なら、ある様に聞こえましたけど。」

 

 「えっとですね、偽装世界の仕組み上“危険”は発生し得ないんですよ。インパクトが大きなフィードバックが発生すると、偽装が剥がれて強制的に現実に戻ってしまいますので。つまり、新橋さんの健康その他に影響がある様な現象は発生し得ないのですが・・・。」


 そう言いかけると、夜風はその表情に、プチ状態に似合わない若干の陰りを見せて一呼吸置き、言葉を続けた。


 「偽装が剥がれると私が大変なんですよ。復旧作業は軽く見積もっても30時間ほど必要かと・・・。」


 「あぁ、そういうことでしたか。納得しましたし、たしかに安心ですね。」


 「何を言っているんですか新橋さん、そんなことになったら、2,3日私の機嫌がわるくなるのですよ?」


 なるほど、そりゃあ大ごとですねと話を合わせたものの、この人の場合機嫌が悪くても他人に当たり散らす事はまず無いんだよなぁ。むしろ、機嫌が良い時の方が余計な事を思い付く分、手間が掛かるのだが。余計なことは言わない方が良さそうだ。


 と、ここまで一連のやりとりで謎の現象に伴うリスクが無いに等しいことは明らかになったものの、結局件のイメージが何を伝えようとしていたのか、何故発生したのかは謎のままだった。


 どうにも気には掛かるが調べようもなく、今は古見さんに関する依頼の解決が優先される。夜風とタスクの優先順を確認し、通信モードを終了した。


 さしあたり最初タスクは、如何にかしてこの場を目立たずに離れるかだ。夜風が言うには、あまりこそこそするのも却って悪目立ちするらしい。


「空き家の引き出しとか、押し入れなんかから出入りするわけには行かないんですかね。」


 ため息交じりに、声を潜めて上申する。


「残念ながら、誰も居ない空間では構築した偽装世界に“認識”されないのですよ。あくまで紛れ込むために、気付かないうちに、いつの間にか居る、という絶妙な調整が必要でして。結構難しいんですよ?これ。」


 こんな仮想空間を構築しておいて、今さらそれ以上に何が難しいのか僕には分からないのだが。どうやら、未来の猫型ロボットほどスマートには解決出来ないことは間違いなさそうだ。

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