第2話 鰹節

 春、うららかに桜の散る頃。空調そよかぜに揺れる僕の想いは、キミに届いただろうか。


 花鰹とは良く言ったものである。ごはんが遅れたお詫びを込めて、大いに盛ったタンパク質の花弁は、その形容の通りこれまた盛大に・・・舞い散った。


 「わぁっ、べっちゃんくしゃみ?だいじょーぶー?」


 応接のソファーから、友人に向けて打ちかけたメッセージを止めて、小路ちゃんが駆け寄る。


 スン!と皿の上で大きくくしゃみをした僕の偉大なる先輩は、気にする様子もなく猫まっしぐらに食事を続けていた。


 「これは、なんでしょう、千秋楽ですか?いよいよべっちゃんも千両役者ですね。」


 飼い主にして家主の夜風は随分と余裕である。この場合、紙吹雪ならぬブシ吹雪の掃除をするのは僕だから、なのだろう。


 「あー、こらこらベター、床に落ちたのは食べちゃだめだぞ。」


 お客さんの対応を待っていた時のお行儀良い先輩はどこへ行ったのか。床に落ちた鰹節も食べようとしたところを僕にとがめられ、何かを訴えかける様にこちらを覗き込んでいる。


 「どうやら鰹節を気に入った様ですね。そういえば、べっちゃんの食事は栄養バランスと手軽さ重視でしたね。たまに贅沢するときは、もっと凝ったものを用意していたのでした。」


 猫に鰹節というのは一般的な感覚だと思うのだが、見た目が猫なだけで実態は高性能の生体推論機構、というヤツらしい。それを最も理解している夜風からすれば、猫の嗜好を試すこと自体が盲点だったのかもしれない。


 「お詫びの品が気に入ってもらえたのは何よりなんだけど、小料理用に残ってた分を使っちゃったからね、悪いけど、おかわりは無いんだよベター。」


 散らした花鰹のひとひらを猫の額にのせながらも、聞き分けの良い先輩は少し寂しそうに返事をしながら食事を再開した。


 「あ、じゃあ私、友達に鰹節買ってきてもらいますね。」


 やりとりを見ていた小路ちゃんは、そう言うと止める間もなくメッセージを送ってしまった。


 「なんか悪いね、手間掛けさせちゃって。」


 「いえいえ、私たちにとっても、ちょうど良いんですよー。ミクちゃんもケイちゃんも、こういうとき何か手土産とか用意しちゃうタイプなので、こちらからのリクエストがあってちょうど良いかとー。」


 随分とお気遣いの出来る友人の様だが。


 「高校生には、もう少し気軽に交友関係を広げて欲しいところだけどなぁ。」


 「ですよねー。」


 小路ちゃんも少し困った様に同意する。確かにそういう話なら、鰹節程度でこちらからリクエストが出来るのはちょうど良いのかもしれない。


 二人の新たなお客様を迎えるに当たって、僕が13階のエレベーター手前に迎えに行くことになった。研究所の入り口が少し分かりにくいので、エレベーターから案内が必要なのだ。加えて、入場するためには正規職員の同伴が必要である。


 小路ちゃんの二人の友人が到着する頃、あらかじめ準備していた僕は、階下からエレベーターの表示が登り、13に至るのを確認した。


 扉が開き、2名のお客様を迎え入れる・・・つもりだったのだが、一瞬ためらいが出る。


 名前の出ていた友人、ミクちゃんとケイちゃん。小路ちゃんの雰囲気から想像する二人の友人像と、たった今、目が合った二人のイメージとは乖離がある。


 ふわっとした小路ちゃんのイメージとは対照的に、静かな鋭い印象。生徒会の会長と副会長といった空気を感じる。何よりそのうちの一人、生徒会長とおぼしき人物は、眼鏡を掛けた長身の、男子高校生だ。


 「えーっと、君たちが、坂倉さんのお友達、なのかな?」


 違うと考えつつも、他には話しかけようもない。小路ちゃんの相談事というのは、生徒会にマークされるような厄介なものなのだろうか。本人からは、その様な雰囲気は感じなかったのだが。


 「ああ、そういうことか。」


 逡巡の内に出した問いかけに対し、生徒会長風の男子が、一つため息を交じえた後答えを返す。


 「戸惑わせてしまいすみません、その坂倉の友人です。柳曲りゅうきょく学園2年、三久島みくしま剛健ごうけんと言います。」


 まさかのミクちゃんだった。と、いうことは。


 「志摩波しまなみ けいです。よろしくお願いします。」


 こちらも眼鏡の比較的長身の少女。彼女の方は言葉を交わしてもイメージ通りではあるが、ミクちゃんに関しては、人を見かけで判断出来ないという事実を久しぶりに体験した。


 「こちらのスタッフの新橋と言います。失礼な反応をしてすまないね、ご想像の通り、二人の愛称しか聞いていなかったもので、少々意外というか。」


 「いえ、こちらこそ。どうにも紛らわしい友人で、お手数をお掛けします。」


 どうやらこの手のやりとりは良くあることの様で、慣れた対応と言った空気を感じさせる。

 「うちの所長、坂倉さんの友達のね。彼女も変わった子だけど、仲良くしてくれると嬉しいよ。それじゃ、案内しようか。」


 新しいお客さんをお迎えし、応接室は稀に見る人工密度を呈していた。おそらく、今までも来客は想定していなかったのだろう。未開封のコーヒーカップが残っていて良かった。


 テーブルを囲むソファーには、先ほど向かい合っていた小路ちゃんが夜風の隣に移動していたので、志摩波さんとミクちゃ、三久島くんを向かいの席に促した。


 僕は立ち聞きでも構わないのだが、気を遣わせてしまうだろう。飲み物を用意する傍ら、隣の部屋からスツールを見繕ってきた。


 「では、新橋さんも戻りましたので改めまして。雛坂 夜風です。当研究所の所長をしています。高校には通っていませんが、こみちゃんと同学年の様なものですので、その様に接していただければと。」


 用意されたコーヒーに一言礼を挟んだ後、夜風から自己紹介を始めた。それに応じるように、二人もエレベーター前の時と同様に名前を告げる。


 「ああ、ではあなたの方がミクちゃんだったのですね。」


 「あー、そっかぁ。男の子だってこと、わかりにくかったねー。」


 今気付いた、という様子で小路ちゃんがパン、と軽く手を合わせる。この子の言動には以後油断しないように努めよう。


 「そっかぁ、じゃないだろ。既に何度か同じやりとりをしているはずだ。呼び方は好きにすれば良いが、初対面の人には補足ぐらいしておいてくれ。」


 三久島くんが呆れた様に、おちついた声でたしなめる。軽く反省の色を見せる小路ちゃんをよそに、志摩波さんから当然の質問が挙がる。


 「研究所、なんですね。同世代で、なんだか想像も付かないです。どんなことをしているんですか?」


 そりゃあ、そこは聞かれるよな。まさかオーバーテクノロジーな説明も出来るはずもないが、僕一人の時に聞かれなくて良かったと安堵する。さて、当の所長はどう答えるか。


 「高齢者向けのインターフェイスに関する研究が主ですね。アフォーダンスの高いデザインや、意図的な操作自体が不要な仕組みを追求しています。」


 夜風の隣で、小路ちゃんが口に出さずとも疑問符を浮かべている。適当なことを言って誤魔化す算段なのかと思ったが、夜風は説明に補足を続けた。


 「例えば、お二人が通ってきたエントランス。施錠はされているのですが、スタッフである新橋さんが同行していることで自動で解錠されています。このように、特に意識しなくても活用できるテクノロジーや、昭和の家電製品のような操作のわかりやすさの実現を目指している、というのが建前ですね。」


 「建前、ですか。」


 三久島くんが言葉尻を捉える。鋭い指摘、というよりは、夜風の方が話を誘導しやすい様にわざと表現に含みを持たせた様に感じる。


 「私自身は好きなテーマに没頭したいのですけれどね。出資元を生き字引といえる様な御歴々が占めていますので、この方々に有用な成果を提供しつつ、というのが実情です。」


 この出資元というのは夜風の“親類”の皆さんだろうか。もしかして、誤魔化すための話ではなく、本当のことを話しているのか?


 「この辺りの事情は、スタッフである新橋さんにもお話していなかった内容ですね。」


 どうやら、事実らしい。


 「ウチの財政事情が安定しているのは、そういうからくりだったんですね。それじゃ、自己紹介も済んだみたいだし、早速だけど小路ちゃんから聞いてる相談内容について、詳しい話を聞かせてもらえるかな。」


 おおよその事情は察したことを伝え、自分がボロを出さないうちに話を切り替えようとした。すると、三久島くんが彼の印象からは意外と思える程度に、少し言いにくそうに別の議題を挟む。


 「あ、その前にですね。一応坂倉から事前にメッセージをもらって、持ってきたのですが・・・、どうしましょうかコレ。」


 話の流れから、事前に小路ちゃんがお願いしていた鰹節のことだと思うが、何か申し訳なさそうに見えるのは気のせいだろうか。おつかいに出した様で申し訳ないのはこちらの方だが、もちろん支払いもするつもりだ。


 疑問に思いつつ見守っていると、彼はこちらの予測通り、お願いしていた鰹節を鞄から取り出してくれた。応接室のテーブルに置かれたのは間違いなく依頼の品である。


 間違いは、無い。見事な枯れ節である・・・削る前の。

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