後編
第6話 あっ、軽い人々
託されたものがあった。
厨房の裏、隠された通路を抜けると、地下へと続く階段がある。
時代錯誤な削り出しの手すりに手をかけながら、ゆっくり下階へと足を運ぶ。
獣のような交わりの最中、ロメオはデバイスの接触回線を開いていた。
明け渡されたのは膨大な量のデータだ。
ザラが来る以前、ロメオはこの離宮に監禁されていた。地下深い独房の中、体の自由を奪われて。
その際、あるものが一緒に運び込まれていた。彼が秘密裏に建造していた最新兵器だ。死の星と化していくベスパから、惑星サーバーと共に拾い上げられた唯一の物体。身動きできない状態で、ロメオはそれを延々と見せつけられていたのだという。
エレベーターを避け、螺旋階段を下る。息を殺して、周囲に気を配りながら。
地上からの光源はとうに途絶え、今は
不意に、床材が変わった。
足音が少し大きくなり、慌てて周囲の様子を窺う。どうやらこの辺りは完全に無人のようだ。
一息ついて扉をハック。認証コードは百年以上変わっていないらしい。
そうして抜けた先に、それはあった。
――R59-80HX『レイゼーン』
セーフR搭載型、試作ヴァンパイアドール。白磁の装甲に真紅のラインをあしらった、王族専用の機体だ。
肩に刻まれたセントラル王家の紋章は、しかしシリウスの手により✕のマークで上塗りされている。機体に乗り込むことすらできず、癇癪を起こしたのだという。
ロメオが機体にロックをかけていたのだ。
レイゼーンが見ているのは、血筋ではない。
接触回線を通し、兄は言った。
――「あの機体は、乗る者の覚悟を見ている」
国を背負うべく産まれた王族に相応しい、過去への誇りと国民を守る覚悟を持つ者だけが、この機体に選ばれる。
――「私は王家を……追放されたとはいえ、確かに一度は国を捨てた身。扱えるとは思えません」
――「かつてのお前はそうかもしれない。だが、お前がベスパの地に再び下り立ったのはなぜか。危険を承知でやってきたのは、かつて自分を育んだ大地に、思うところがあったからではないか?」
――「それは……」
――「僕はもう兄に逆らえない。この先朽ちることもできず、ただこの国の奥底に存在し続けるだけだろう。だが、お前なら……お前のその、不屈の精神なら……兄の野望を打ち砕くことも、できるかもしれない。そのために必要な力を……僕はお前に託すよ」
託されたものの大きさを、ザラは改めて噛み締めていた。
身の丈の二十倍を越える、その機体の大きさではない。
自らが背負うこの国の未来を、改めて感じたのだ。
(国を救えだとか、そんなこといきなり言われても……)
自分はあくまで蚊帳の外だと思っていた。
ここに居るのもなりゆきだ。憂さ晴らしに喧嘩を挑み、負けて仲間を人質に取られた上での苦渋の選択だ。
「兄上、やはり私には……」
思わず弱音を漏らしかけた、その時。
「危うく出し抜かれるところだった」
シリウスだ。ふたつの麻袋を引きずりながら、一歩、また一歩とザラの元へと近づく。背筋が凍るのと同時に、どこか安心している自分が居た。
これで、使命ともおさらばだ。
仕返しはしてやりたかったが、国の命運まで背負いたかったわけではない。自分は、とにかくスッキリしたかったのだ。不愉快な言動を繰り返すこの長兄に、一泡吹かせてやりたかっただけなのだ。
シリウスは言った。
「これを見ろ」
乱雑に投げ出された麻袋は、妙に水っぽい音を立ててザラの眼前へと落下した。
「不出来な妹にプレゼントだ」
恐る恐る紐を解き、中を確認する。
「……ひっ」
人間だ。
それに、この顔は――
「ミランダに……アカシア?」
「へ、ぁ……」
「いひゅ……」
五年前に別れたはずの二人が、麻袋の中で惚けている。人類の再生能力は驚異的だ。継続的に薬物を投与でもされなければ、こうはならない。
今もビクビクと身を震わせる二人を見て、ザラは叫ぶ。
「なぜですか兄上!!」
約束が違う。ザラが軍門に下る代わりに、二人は解放されたのではなかったのか。
「お前がいずれ私に逆らうのは目に見えていた。だから、先に罰を与えていたのだ」
「……は?」
「察しが悪いな。お前を飼う裏で、その二人も飼っていたのだよ」
なるほど。
とどのつまり、最初から騙されていたわけだ。
冷静に考えてみれば、この男とマトモな交渉などできるはずがない。これはザラの落ち度だ。あまりにも迂闊だった。
だが、しかし。
「……別に、まるきり信じてたわけじゃあないけど」
許せないものがある。
看過できない存在がいる。
「こんなのってないよね」
一歩踏み出したザラの背後で、なにかが動く。
王家の紋章が、鈍い光を放った。
「レイゼーン? なぜ、今動く」
シリウスが眉をひそめる。
「そりゃあ、私がブチギレてるからでしょ」
「貴様!」
シリウスが右手を上げる。ザラの動きを封じるつもりだ。だが――
「残念でした!」
セーフRは、使用者の概念を保護する。使用者の身に刻まれた、望まない概念――それを自由に無効化できるのだ。
今のザラを阻むものはない。
愚かな兄の思惑を無視し、ザラは跪いた巨人の胸へ飛び移る。そのコックピットは、自らを操るにたる人間をを厳かに迎え入れた。
「なぜだ、貴様……! 飼い犬の分際で、なぜ王家の椅子を!」
「くだらないことで悩むのはやめたからね」
今この瞬間、目の前にいる鼻持ちならない男が、一番嫌がることはなにか。考えるまでもない。明白な答えが、ここにある。
そのためなら。
「国の未来ぐらい背負ってやるわ」
麻袋を抱え上げ、壁を乱暴に蹴り上げる。あまりの衝撃に尻餅をつき、逃げ出すシリウス。
内壁を殴りつける。何層にも貼り合わされた鉄板が、いともたやすくねじ曲がった。機体出力も申し分ない。
「さて、と……」
反撃開始と洒落込もうか。
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