第9話 魔王会議のその後

 時はゼルトザームが魔王会議から退席した頃に遡る。

 魔炎王は遠隔で怒鳴り散らし、魔氷王は一言も発さずことの成り行きを見守っていた。


 誰しもが魔石碑という遠隔会話を使用して、ほぼ無人だった会議に参加していたのだが、たった一人忙しく行動している者がいた。


 魔剣を操る王と呼ばれた男だ。龍車と呼ばれる、馬車と同じ作りながら段違いの速度を誇る乗り物を飛ばして、ようやく宮殿に辿り着いた。

 沢山の龍車が止まる中、黄金色に光り輝く車が扉を開ける。


 中から出てきたのは、長い白髪と髭を蓄えた老齢の男だ。しかし、その体は大きく引き締まり、異様なほど眼光が強い。鼻息を荒くしながら宮殿内を進む。


 会議が開かれている石碑前にやってきて、思わず溜息が漏れる。やはりいない。あの男は勝手に退席してしまった。


「腑抜けた奴めが! ここまで役に立たないとはな。初めから、奴抜きで魔王軍を作り上げるべきだった」


 宮殿内を荒ぶる声が突き抜けていき、百体近くいる部下の魔物達が怯えてしまう。巨大な熊を思わせる魔物や、人間のように二本足で武器を持つ虎。彼らは皆、いつも魔剣王の顔色を伺っていた。


「……これはどうしたことでしょう。ボルゲ殿、なぜあなたがそちらにいるのです?」


 声の主は魔氷王。その異名どおりに冷たさを漂わせながら、男が会場に現れたことに違和感を示した。


「我は元々こちらに向かっていたのだよ。今宵、最初から奴を追放すると決めていた。そして……いや、まあいい。過ぎてしまったことは仕方ない。今後の話をしようではないか」


 赤い石碑が燃えるように輝き出した。


「あぁ。どうすんだぁよお! アイツは俺達の中でも、一際でっかい組織を作り上げちまったじゃねえか。だって国だぜ? よくもまあ簡単にほっぽり投げれるもんだ。つうかボルゲ。お前あいつを追放することを決めてたようだけど、魔創国はどうする予定だったんだ?」


 ボルゲは内心胸が高鳴っていた。これから自分がするべき提案が残った魔王達に許可されるのか、はたまた否定されるのか。


「決まっているとも。魔創国は我々三王のものにする。元々四人も必要なかったであろう。三人いれば事が足りる」

「……具体的にはどうされるのでしょう? 私達三王で、あの国を分割するという事ですか?」


 魔剣王は背中に背負っていた赤黒い剣を引き抜くと、宮殿の中心に思いきり突き刺した。何か強い決意を抱いた勝負の前には、こうやって自らを鼓舞する癖が彼にはある。

 そんな行為になんの意味がある? と疑問を持ちつつも、魔氷王は黙っていた。


「いずれはそうなる。だが、奴が治めていたあの魔創国シオンというのは、どうにも怪しいな。本当に機能していたのかどうか。単なる見かけ倒しの集団かもしれぬ。まずは我があの国を仕切ろうと考えている」

「……は?」


 魔炎王は気の抜けた声を出した。暗い宮殿内の雰囲気が徐々にきな臭くなっていく。


「一旦我が代理として治め、十分に強い魔王軍を作り直す。まあ、三ヶ月くらいあれば余裕であろう。あの若造の指導で腑抜けた連中では役に立たぬ。だが我が指導すれば大きく変わることだろう。その上でお前達と三分割だ。文句はあるまい?」

「……ふっざけんな!」


 即座に噛みついてきた赤い石碑の主に、魔剣王は微笑を浮かべる。今は余裕を見せる事が必要だ。


「てめえそんな調子の良いこと抜かしてるけどよぉ。全部自分だけのもんにしようとか企んでんだろ。んなこと許してみろよ。てめえっとこだけ豪勢な戦力になっちまうだろが! 俺は認めねえ。絶対に認められねえ」

「おいおい、魔炎王。お前はやはり理解しておらぬようだな。だから南方の小さな領土しか持つ事ができぬのだよ」

「ああ? ……今なんつった?」


 魔炎王は性格的にも熱くなりやすい。単なる世間話が一転、機嫌を損ねて殺し合いに発展することもあった。慎重に進めなくてはこちらも火傷してしまうかもしれない。ボルゲは心の中では必死だった。


「お前達の状況を考えてみるがいい。今、遥か遠く離れた魔創国に手を伸ばしている暇などあるのか? ん? 魔炎王は周囲を優秀な大国に囲まれ動けずじまい。魔氷王が治める銀世界など、今や上級冒険者達がのらりくらりとやってくるような危険地帯だ。明日を生きることにも精一杯。違うか?」


 魔氷王のため息が青い石碑から漏れた。


「おっしゃる通りですよ。私達が住む氷の世界には、今日も剣聖クラスの冒険者達が、私達を討伐するために徘徊していたようです。しかし、現在のところは脅威とは感じていません」

「け! 俺は怠いから相手にしてねえだけだっつーの。どうってことねえんだよ、あんな連中は!」


 馬鹿な奴らが強がりおって。内心魔剣王はほくそ笑む。


「聞いてくれ。我はな。あの魔創王は好きになれなかった。自分だけが至福を肥やし、のうのうと国なんぞを作りおった奴は、ただの臆病な卑怯者だ。しかしお前達は違う!」


 宮殿内に強く重い声が響き渡る。ここだ、ここで押すのだと彼は決めていた。


「お前達とは最後まで、この世界を支配してなお友でありたいと願っているのだ。我ら三人、ただ粗暴な底辺の魔族でしかなかった頃、お互いに助けあって今日まで上り詰めてきたではないか。あの日々、お前達に何度も救われていたことを、我は片時も忘れてなどおらん。だからこそ、これ以上無理などさせられんのだよ」


 赤い石碑と青い石碑は、声を発していない為か光が消えていた。しかし、魔剣王の声ははっきりと耳に届いている。


「幸いにして我の軍は、最も人間どもの脅威から遠い場所にいる。ならばこそ、我が体を張らずしてどうするというか。せめて今回くらい、骨を折らせてはもらえないだろうか。無論、三ヶ月を過ぎた頃には、必ずお前達が納得するだけの領土、軍力、富を分配することを約束する! 必ずだ!」


 堂々と胸を張りながら、魔剣王は力強く宣言をした。周囲にいた魔物達は、彼を讃えるように片膝をついている。青い石碑が微かに輝き始めた。


「良いでしょう。あなたの提案を受け入れます」

「……あぁ!? おいおい! 魔氷王! 本気なのかよ」


 涼やかな声色に戸惑いを隠せない魔炎王。いかに自分達が結成した当時仲間だったとはいえ、魔剣王を信じることはできない。魔氷王ほど冷静な者なら、当然の如く反対を続けると思っていたのに。


「ええ。私もあなた達との、あの這い上がることに必死だった毎日を覚えていますからね。もう随分と昔のようです。永遠に変わらないものがあるとするなら、それは我々同期の友情なのかもしれないと」

「魔氷王……我は今、お前の言葉に胸が張り裂けそうだ」


 涙声に変化した魔剣王の説得にも、物分かりが早すぎるお人好しな魔氷王の賛成にも、魔炎王は同意することが出来かねていた。


「俺は従うつもりなんかねえぞ。大体、何の証拠があるっていうんだよ」

「魔炎王よ。我らの仲に確たる証拠が必要か。ならば致し方ない。おい! 誓約書をここへ」


 トロル達の長にあたる魔物は頭を下げ、厳かに自らの王へ一枚の羊皮紙を差し出す。魔剣王は羊皮紙を二つの石碑に見えるように掲げると、


「もし。我が約束を違えるような真似をしたその時は……この命。我が軍勢もろとも、お前達の好きにするがいい!」


 と威厳溢れる声で叫んだ。魔炎王の舌打ちが微かに聴こえる。魔氷王の石碑からは何かを叩く音が聞こえる。それは拍手に違いなかった。


「良いでしょう。これで私達とあなたの約束は成立しました。それでは、よしなにお願いしますね」

「ありがとう魔氷王。魔炎王も、突然強引な提案をしてしまい申し訳なかった。だが、今はこれしかないのだ。分かってくれ」


 赤い石碑から返答はなかった。非礼にも無言のまま退席してしまったようだ。しかし、今宵限りは許そうとばかりに、颯爽と魔剣王は背を向けて歩き出す。


「では失礼する。早速だが、我はかの国へ出向かねばならん!」

「良い成果を、期待していますよ」


 魔氷王の青い石碑がゆっくりと輝きを失っていく。ボルゲは龍車に乗り込むまで耐え忍んでいた。笑い出したい欲求に。二人の魔王の滑稽さがおかしくて堪らない。


「ははははは! 馬鹿な奴らよ。何が誓約書だ! 何が同期の友情だ! そんなものが我々に毛ほどでもあったと考えるか」

「魔王様。それでは、魔創国へ向かいます」


 サイの顔を持つ巨大な怪物は、龍車の手綱を握りながら顔だけを振り向き、恐る恐る主へと発言する。些細なことで機嫌を損ない、文字どおり首を飛ばされることを恐れていた。


「おお、向かってくれ。これで我は二つの軍を従え、最強の魔王になれる。お前も喜べよ。今の主人は未来の覇者だ」


 魔剣王ボルゲの欲望は際限がなかった。いつかは自分と同格のように振る舞う二人の魔王も、屈服させてみせると腹の中で企んでいる。

 追放という形で去って行った魔創王のことは、ほとんど意識からも消え去っていた程であった。

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