第2話 儀式の最中

 廃墟となった城の広間で、台座に乗せられた少女が震えている。


 月明かりだけが頼りの世界で、長い金髪が乱れ、白い法衣に包まれた華奢な体は鎖に縛られていた。彼女が逃げないように少し遠間から様子を見ているのは、三十人ほどの男達。真っ当には生きることができないはぐれ者であり、犯罪を遊びのように楽しんでいる。


 いずれも背が高く、肌は浅黒く日焼けしており、手には剣やナイフに斧といった物騒な物が握られていた。


「ボス。しっかりこいつはいいっすねえ。細い体のくせに胸はあるし、顔なんてもう」

「手を出すんじゃねえぞ。じいさんに差し出す時にバレたらまずい」


 ボスと呼ばれたスキンヘッドの男は、人一倍体が大きく腹が出ていた。筋肉の上に脂肪が乗っていて、腕っぷしには誰よりも自信がある。しかし、そんな野盗の代表であれ、今宵の依頼主を思うと警戒心が高まる。


「あ、あの……わたくしをここに連れ込んで、どうなさるおつもりですか?」


 彼女からすれば何度目の質問だったことだろう。男達は嘲笑い、適当な返答をすることしかなかった。


「お嬢ちゃん、答えの主がきたぜえ」


 ボスは口角をあげ、その老人を出迎えた。いつの間にか闇の中から生まれでたような黒いローブ。背が曲がりきった老人が、亀の歩みでこちらに近づいてくる。


「おいジジイ、てめえ早くしろってんだ。……ぶあ!?」


 隣にいた手下が急かしたてようとしたので、ボスは裏拳で顔面を叩いた。歯が飛んで体が吹き飛び、壁に頭をぶつけてうずくまる。笑う者はいても心配など一切なかった。亀のように思えた老人の足取りが、少女を見つけたことで速さを増していく。


「おお、おおお。大聖女シエナ様。まさか、まさか本当にこの場に」


 老人は大聖女と呼んだ少女が拘束された台座の側までたどり着くと、男達へ向けて手を振って見せた。


「ガグズさんよ。本当に俺たちに、望んだだけの報酬をよこしてくれるんだろうな? コイツを拉致んのは大変だったんだぜ」


 ボスの問いかけに、老人は笑顔で首を縦に振る。少女は顔を青くして、くの字に曲げられた体勢から顔だけを向けた。


「ガグズ? あなたはまさか、大呪術師ガグズなのですか?」

「おおお。あのシエナ様がワシのことなんぞをご存知とは。なんという名誉。なんと素晴らしい。では、では……ワシが今宵何を成そうとしているのかも、お分かりですね?」


 シエナは背中に氷を押しつけられているかのように寒気を感じた。聖職者ならば、呪術師ガクズを知らない者はいない。司祭でありながら、隠れて魔族と共に人間の子供を攫っては呪術の実験台にしていた男だ。そして悪事がばれた後逮捕されたが、沢山の人々を犠牲にして得た呪いの力で脱出を図り、姿をくらましていた。


 以来大陸内で指名手配になっていた存在。そんな男が、一体自分に何をしようというのか。


「あなた様の血が、新鮮な肉体が必要なのです。ワシの悲願、今こそ叶えることをお手伝いいただきたい」

「一体、どういうことなのですか。こうして人を縛るというのは、どのような理由があれ、許されるような行為ではないと思いますわ」


 しっかりと語っているつもりでも、声は震えてしまう。シエナはおおよその検討はつきながらも、何かの間違いだと思いたい。


 老人はとうとう聖女のすぐ側までやってきて、痛む体に顔を歪めながらも台座に上がる。そして懐から一冊の黒い本を開き、とあるページを彼女に見せつけた。


「生贄を用いて、百龍の王を呼び覚ます方法。ワシが遥か昔より多くの子供や女性にお手伝いいただいたのはこの為です。しかしながら、誰もが未熟で役立たず。好き勝手に悲鳴をあげ、だらしなくもすぐに事切れる有様です。ああ、嘆かわしい嘆かわしい」


 ガグズは心根の優しい司祭を演じ、多くの救いを求める女性や子供を生贄として殺し続けていた。その事実だけでもシエナが怯えるのは当然のことだった。運よく拘束が外れて身動きができるようになったとしても、ゴロツキ達に捕まってしまう。


 絶望という言葉が黒い影になって、彼女を覆い尽くそうとしている。老人は本を大事にしまうと、左手の指先を上へと向けた。

 まるで号令を受けたかのように、台座を囲っていた蝋燭台に火が灯る。


「あなたは、あなたは。間違っています」

「んん? どうなされましたか聖女様。人間ですから、過ちは致し方ないこと。しかし、今これからあなたに成すことは正しいのです。さて」


 ガグズは自然と顔が綻んでいた。もう一度懐に腕を伸ばすと、中から赤黒いナイフが現れる。一歩一歩、静かに確実に、聖女の首を見つめながら老人は近づく。


「いいえ。あなたは紛れもなく悪行に手を染めています。そして今も。何よりも大きな悪行は、あなたがかの魔王を呼び覚そうとしていることですわ」


 震えながらも必死に反論するシエナの姿を見て、男達は嘲笑った。今から老人の手によって何度もナイフで首や身体中を切り刻まれる恐怖を隠せない女。殺される人間はいつだって敗者であり、彼らにとっては愚かな存在という評価でしかない。


「おお、おおおお。聖女様、まさかワシの人生を、希望そのものを否定なさるとは思いませんでしたよ。しかし、この手は止められません。真に正しいのは、いつもこうやって生きながらえる者なのです。それでは、できる限り少ない回数で終わらせます、よ!」


 老人がナイフを両手に持って、聖女の眼前に立つ。両足は彼女を跨り、最初の狙いである顔はすぐそこだ。


 シエナの顔にはありありと絶望の色が浮かぶ。恐怖で歯がカチカチと震えつつも、それでも悲鳴をあげまいと必死だった。ガグズの思い描いた通りの光景であり、シワだらけの顔はいつしか満面の笑みを浮かべる。


 とうとう老人は、曲がった背の上に持つナイフを振り下ろした。シエナの瞳には一瞬だけ時が止まったように思える。降ろされたナイフから、すぐに地獄のような時間が———、


「しいいぃいい!?」


 ガグズは恐らく死ねとでも言い放ちたかったのかもしれない。しかし発言も行動も中途半端なタイミングで、轟音と共に何かがぶつかってきた。軽い老人の体などひとたまりもなく吹き飛び、慌てて野党のボスが彼を受け止める。


 城の壁が粉砕され外の景色が広がっている。野盗達は突然の状況に声も出ず、ただ持っていた武器を構えて立ちすくんでいた。聖女はまるで何が起こったのか理解できず、眼前に立つ男を見上げている。


「……悪い。思っていたより勢いがついてしまったようだ」


 男は全身を黒で染めたような風貌をしていた。髪の毛から鎧、ブーツのつま先に至るまで黒い。しかし、その瞳と背中を覆うマントは真っ赤に染まっていた。男の凶暴さが滲み出ているようでもある。


「あ、ああああ。まさか、魔王様。魔王様ではないですか?」


 ガグズは衝撃に吹き飛んだことも忘れて、痛む体をさすりながら歩み寄ろうとする。


「百龍を従えたとされる魔王様。まさかまさか、儀式を行う前に降臨なさるとは! これは奇跡、奇跡ですぞ!」

「いや、違う。俺は魔王ではない」

「へ?」


 今度は老人が呆けた顔で固まる番だった。しかし、数秒ほど経ってから慌てたように手を振り、


「いえいえいえ! 隠してもワシには解りますぞ。その風貌。その滲み出る底知れない魔力。凶暴さと知性が混ざり合う赤き瞳。誰が間違えましょう。あなた様は魔王以外の何者でもないのです」


 と熱弁を振るい出した。だが、野盗のボスはそんな老人を見てため息を漏らす。


「違うってじいさん。そこにいる兄ちゃんは、要するに聖女様を助けにきた王子様ってところなんだよ。てめえら、後をつけられてやがったな」


 部下達を睨みつけるボスの表情は、既に殺し合いを始めるときの顔になっていた。


「どうやら、みんな勘違いしているようだな。俺はただアルストロメリアまでの道を、」

「に、逃げてくださいませ! このままでは貴方まで殺されてしまいます!」


 背後からシエナが叫んだ。この人は勇敢にも自分を助けにきてくれた。しかし、犠牲になってしまう未来など見たくはない。ここから自分を連れて逃げることなど不可能であることは、子供だって理解できるのだから。


「ほら、大聖女様も言ってんじゃねえかよ。おいお前ら、ちょっくら掃除するぞ」

「魔王様でないのなら、呪ってもかまいませんかね?」


 野盗達は血に飢えた野獣のごとく目を血走らせ、一歩一歩台座に立つ男に迫る。ガグズは懐から黒き本を取り出し、呪術を使う準備を始めた。


 男は自分が標的にされていることを理解した上で、それでも顔に緊張感が見られない。


「そうか。大体分かった。俺に挑んでいるのか」


 男の姿は変わっていない。しかし、明らかに先程までとは異なる何かが全身から湧き上がってくる。

 彼は懐から二枚のカードを取りだし、ただ面倒そうにため息を漏らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る