築山唱子 3

「パラレルワールドっていうやつか? 世界が変わったんじゃなく、俺が別の世界に飛んできちまった」


「ちょっと違うわね」


「何が違うんだよ」


「平行世界は、同時に存在する齟齬のあるもう一つ、あるいは複数存在する世界、という見解が一般論でしょう」


 そうだな。SFならばおなじみと言ってもいい。


「事実、平行世界は存在するのよ。普遍的に知られる定義とは異なった形で、だけどね」


 ココアのストローをくわえて唱子の話に耳を傾ける。


「実際の平行世界は直線の上に存在する点のように無数に存在している。隣接する世界同士の齟齬はほぼ無いと言っていい。ヒトならざるの者が住んでいるわけでもなければ、宇宙を巻き込んだ大戦争が起こっているわけでもない。性別が逆転する世界なんてもっての外なの」


 だが現実に性別は入れかわっている。


「ここはパラレルワールドじゃないってこと?」


 頷きながら、唱子はテーブルの端に備えられた紙ナプキンを取った。ペンを抜き、そのナプキンの上を走らせる。つーかそのペンどこから出したんだ。


「見て」


 黒いインクで描かれたのは十字線。数学でよく目にするXYグラフであった。

 原点をペン先で突く。


「便宜上、ここが私達のいるこの世界とする。Y軸上にあるのが平行世界。理論の上では無限に存在するとされる。全ての世界は絶えずX軸の正の方向へと動き、それが時を形成しているの」


 なんとなく解るような気がする。


「でも、性別が入れかわるっていうのは」


「このグラフ上にない世界」


 唱子はナプキンを裏返してまた同じ十字線を書き込みながら、


「Y軸は世界の位置を表し、X軸は時の流動を示している。けど、平行と垂直の交わりからは全くかけ離れて位置する次元がある。決して重ならず、縫いこまれた糸の如く密接な関係を持つ空間。厚さを持たない紙の裏に描かれたもう一つの現実」

 原点をペン先で突く。


「表裏世界。二日前まであなたがいたところよ」


 なんとなく、言いたいことは解った。

 俺は自分の記憶だけを残して世界が丸ごと変わってしまったと考えていた。だがそれは間違いで、真実は俺の精神だけが唱子の言う表裏世界へと移動してしまったわけで、それは言わずもがな魔女っ娘の仕業である、と。性別があべこべになったこの状態こそ表裏世界。それもパラレルワールドの一種のような気もするが。


「一見、平行世界と大差ないかもしれないけどね。私達はその区別に重きを置いているの」


 らしい。私達ってことは、唱子の他にも何人かいるってことだよな、こういう奴、表裏世界の存在を知っている人間が。


「驚かないのね」


 同じ話を二日前に聞いていたら、にわかには信じられなかっただろうさ。怪電波に脳細胞をやられた可哀想な奴と思ったに違いない。

 だが現実問題として、俺は女になった。原因や過程はどうだろうと非現実的な現象が実際に起こったのだ。


「半信半疑」


 というのが俺の今の気持ちだ。


「そう」


 唱子はそこでふっと頬を緩める。ほんの僅かな変化だったが、今までの堅い無表情とは違った顔だった。


「今はまだそれでかまわないわ。むしろ上出来。あなたが賢明な人で良かった」


 そう言って微笑んだ唱子は、信じられないくらい魅力的だった。

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