魔女っ子あらわる 4
「お望みのままに」
少女が杖をかざす。
木の棒切れが、ゆっくりと空を裂いた。
この時、理性の感じるものとは裏腹に、心のどこかで期待している自分がいた。もし本当にそうなったら面白い。そんな軽い期待だ。
少女がゆっくりと腕を下ろす。見たところ、何の変化も無い。
「終わりました」
溜息混じりの柔らかい声で、そう言葉を紡いだ。
何が終わったんだろうか。少女は杖を振っただけで、何も起きてはいない。ましてや俺が女になった訳でもない。
やっぱり、ただのお遊びだ。
「どういうこった?」
玲於奈が難しい顔で俺を見上げている。途中から現れたこいつには、解らないだろうな。俺は首を横に振る。俺にだって解る事は無いさ。
その動作に見切りをつけたのか、玲於奈は小さな魔女に視線を移す。
瞳を向けられた少女は、僅かに首を傾げた。
「どういうことだ?」
玲於奈が、同じ質問を投げる。その声は、懐疑の念で塗り固められている様に感じた。
そりゃそうだろう。自宅の前で、幼馴染と謎の魔女っ娘が意味不明な会話をしていたら俺でもそう思う。
「彼の望みが叶う、という事です」
少女が答えた。どこまでも澄んだ声で言葉は続く。
玲於奈は黙り込んでしまった。
「私は彼の願いを叶えて差し上げましょうと提案し、彼は了承しました」
「みぃや」
玲於奈が振り向く。
呆れたと言わんばかりの口調だった。傘の下からの視線が。
「この娘のお遊びに乗っかっているだけだ」
玲於奈が再び魔女っ娘を見る。
「そうなのか?」
問われた少女は、小さく笑いを漏らした。
「多くは語りません。真実は明日になれば解ります」
さも当然の事を言うようなその態度に、玲於奈の表情が歪んだ。
この時はこのコスプレ少女のいう事なんて全く信じてなかったし、本当に女になるとは思ってもいなかった。せいぜいなれたら面白いという程度だ。
深く考えるつもりはなかった。意地になっていたのも認める。
「一応言っておくが、取り消しておいた方がいいぞ」
念の為、と加えた玲於奈を、俺はスルーした。
「あなたが望むなら、それも可能ですが……今更、ですよね」
少女の隠れた目が俺を見る。試すような言い方に、少々むっときた。
取り消す必要なんかない。俺は目線でそう伝える。
常識で考えて欲しい。一晩にして性別が変わるなんて事はありえない。もちろん、この魔女っ娘に性転換手術の技術があるとも思えない。
「はー。いまどきの小学生ってのは、変わった遊びをするもんなんだな」
玲於奈に同感だ。家にこもっているよりかは、ごっこ遊びは幾分か健全かもしれないが、関係ない人間を巻き込むのは控えて欲しい。
「ま、いいか。俺は帰るぞ。みぃやも、キミも早く帰りな」
じゃあな、と玲於奈は速足で家の中へと消えた。
「それでは私も、これでおいとまさせて頂くとしましょう」
黒衣の少女が優雅にお辞儀をした。
ようやく帰るのか。まあ傘も差さずにうろうろしてたら風邪ひくから、その方がいい。
「それでは」
魔女っ娘は踵を返し、俺に背を向けて歩き去っていく。雨の中で小さくなっていく背中をただ見つめていて何故か不安になった。その小さな背中に何かを感じ、それが何なのか解らないまま俺は走り出す。住宅街の角に少女が消え、俺はすぐにその角を曲がる。
足が止まった。
「……あ?」
少女がいなかった。
この道は直線が続いていて、隠れる場所など無いというのに。道には少女どころか人影ひとつ見えない。
「言い忘れていました」
その声は背後から響いた。
咄嗟に振り返る。
魔女っ娘が佇んでいた。
俺は驚くことしかできない。
少女は控えめに笑い、言葉を紡いだ。
「色々変わっていて戸惑うことはあると思いますけど、あなたがいつも通りの生活をすることに何の支障もありません」
呆気に取られた俺に言う。
「ご心配なく」
年不相応な実に落ち着いた声。
「あ、ああ……」
少女は脇を通り抜け、雨の中に消えた。
今度は、少女を見送ることさえ出来ない。安物の傘の下で俺は口を開いたまま唖然としていた。
ったく、なんだってんだ?
理解できない事が連発しすぎてる。俺の頭がおかしくなったのか、世界がおかしくなったのか。
いや、俺は至って健全だ。そう信じたい。
もし明日になって本当に女になっていたら、今までの人生観を変えなければならないな。そうはならないことを願うが。
この時の俺は、止みかけた雨の中でそう考えていたのだ。バカバカしいと思っていた。
少しも期待していなかったと言えば、嘘だったが。
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