EP8「急転直下」
ヴィア・ラッテア郊外の研究所。
研究所の廊下を一つの足音が駆け抜けていく。
ジェームズはケイトとジンの待つ会議室の扉を勢いよく開け放つ。
事態は切迫していた。
「ケイト、ジン、状況を教えてくれ。何が起きている!?」
「社長。先ほど火のユニオンから連絡が……春間多々良が意識不明の重体で発見されたとのことです。情報によると、彼はこの街で元サラマンダーズ・ギルドの剣士、リカーを目撃したとのこと……彼を追って攻撃を受けたようです」
ケイトからの報告は考えうる限りで最悪の一つであった。
「リカー……なぜ彼がこの街に……」
「目的は不明ですが、彼はかつて牡羊座のアストロローグだったアレスを斬った
男。今回のハマルことも含め、依然、我々の敵に違いありません」
口元に手を当てるジン。
「しかし、彼は世界中にゾディアックの目がある中、この三年間逃げ回ってきたわけだろう。このタイミングで現れるなんて……何かおかしい」
「私もそう思います」
ジェームズは考えなければならない。ここから最善の一手を導き出さなければ命を落とすのは自分ではなく仲間なのだ。
「風のユニオンの方は?」
「現在、風斗兄弟がヴィア・ラッテアの北西部でネビュラの構成員と交戦中。こちらはすでに応援を向かわせました……ん、通信……? 水のユニオンからです」
ケイトのコールに応じて、ジェームズは通信を取った。
「こちら地のユニオン。どうした、ヨハン?」
「ジェームズ、大変だ……! オンディーヌ・ガーデン本部が襲撃されている!」
「何!?」
「それも、何か異様なんだ……! 職員が攻撃を受けて倒れているのに、敵の姿
が見当たらない。それに、子供達のアストラが次々に暴走していて……とにかく、ガーデン内は大パニックだ。僕たちだけじゃあ手に負えないっ!」
ヨハンの悲痛な声が響き渡ってくる。その彼の後ろからは子供たちの胸をえぐるような叫びまでが聞こえてきて。
「アストラの暴走だって……?」
ジンは困惑の声を漏らしている。
「ヨハン先生、西館の方で火災が! 子供達が逃げ遅れています!」
「なんだって!」
オルガとヨハンは対応に追われている。
「ヨハン。至急、応援を向かわせる。それまで持ちこたえてくれ」
水のユニオンの戦闘メンバーをこちらに呼び寄せたのが裏目に出ていた。同時にジェームズは既視感を覚えた。まるでこちらの動きをあざ笑うかのような襲撃。非戦闘施設を襲う残忍さ、どこかで覚えがあった。
「社長。シャルロットとセルゲイが、すでに向かっているとのこと」
「そうか……」
通信越しのヨハンはいまだに声が揺らいでいる。
「ジェームズ。一体、何が起こっているのですか? ここはただの孤児院なんですよ。襲われる理由が……僕には分からない!」
「落ち着け。襲撃の理由は私にも分からん……だが、現在、火のユニオン、風のユニオンも攻撃を受けているという状況だ」
「そんな……他のユニオンも同時に……? 狙われているのは、僕たちゾディア
ックだとでもいうのか?」
「確証はない。だが、何か、明確な敵意が我々に向けられているのを感じる」
ジェームズの言葉にケイトも頷く。
「ゾディアックに恨みを持った者の犯行でしょうか? 現に、ネビュラはリーダーであるビートル・ジュースを我々に捕獲されているという状態ですし」
「だとしても……分からん。我々は各ユニオンが世界中に勢力を伸ばしているんだぞ。民間の企業から、各国政府まで、その力は広範囲に及んでいる。我々を攻撃するということは、世界中を敵に回すことに等しい……なのに何故……」
「よほど……勝利の確信がある、ということなのだろうか?」
「今は考えても分からん。とにかく目の前の事件への対処を優先するとしよう」
ジェームズやジンたちが今ここで考えても、答えが出る問いではなかった。
急激にアストラ化し、暴走するアストロローグたち。ステラポリスに集中する事件。このタイミングでのリカー出現。ネビュラの逆襲。更にはオンディーヌ・ガーデン本部の襲撃。
何かが裏で動いている……ジェームズにはその確信があった。しかし、この蛇にでも睨まれているような感覚は一体なんなのか。正体の分からない悪意を前にジェームズは拳を握りしめるしかなかった。
そして、ここにも張り巡らされた悪意の罠にかかるものたちがいる。
時間は遡り、数刻前。
ヴィア・ラッテアの広大な街中を風斗兄弟は歩いている。
「へっへーん、見て見て、流星! このアクセサリーってボクに似合うと思わない?」
遊星が店頭に吊るされていた商品を耳にあてがう。そのままショップの店員さんと仲良さげにお喋りまでし始めた。
「遊星、はしゃぎすぎ」
流星が気だるそうに行って先を歩く。慌てて後を追う遊星。
「だってだってー、こーんな大きな街で自由行動なんて久しぶりじゃーん。カジノにも入れないしさー、こうやって羽目は外せる時に外さないとー」
「俺、早く仕事終わらせたいんだけど」
寄り道ばかりする遊星のせいで捜査はのんびりとしか進んでいない。半日外に出て分かったことと言えば、ニューヨークギャング「ネビュラ」のメンバーらしき二人組をこの辺りで見かけたという情報くらいだった。
「えー、聞き取りだってちゃーんとやってるよ?」
「だから聞き取りだけやればいいんだって」
「ねぇ、流星」
「なに」
「ネビュラの奴ら、今頃どうしてるのかな?」
「さあ。リーダーのビートル・ジュースがあんなことになって慌ててるんじゃない?」
「そうだよねえ」
遊星の声に流星は眉をくもらせた。
「まさか可哀そうとか思ってないよね」
「え」
「あいつらは確かに俺達と同じような境遇だし、ニューヨークじゃあ面識はあったけど……だけど、それだけだ。俺達はゾディアックであいつらは悪党なんだ」
「わ、分かってるってば! ただちょーっとだけ仲間が捕まって心配なんじゃないかなあって思っただけだしー」
ほら、全然分かってないと流星は思ったけど、もう言わないことにする。遊星の誰とでも仲良くなりたがるクセは口で言ったくらいで直るもんじゃあなかった。やっぱりユニオン・マスターである自分がしっかりしないと。そんな風に流星が考えていると、遊星がしきりに流星の肩を叩く。
「ねぇ、流星、ねぇねぇ」
「今度はなに」
「あれってさ、ネビュラのメンバーじゃない、ほら」
「えっ」
遊星が指差す先には、ビーニー帽をかぶった痩せっぽちの少年が歩いている。その少年の姿を二人はニューヨークで何度も見たことがあった。
流星たちは慌てて建物の陰に隠れる。
「間違いないよ、ネビュラのメンバーだ」
「ハル君に連絡しよう」
流星は通信機を取り出した。しかし遊星は建物の陰から出て、歩き始める。
「ちょ、遊星」
「ボク達で追いかけようよ、大丈夫、こっちにはボクのアストラ《カストル》があるんだからさ」
そういって遊星は流星の手を引っ張る。そのまま建物の壁の中へと潜った。遊星のアストラ《カストル》は物体をすり抜けることができる能力を有している。対象は遊星本人と遊星が手で触れている対象にも同様の能力を付与できる。コントロールをミスると壁に埋まったり、地面を延々と落ちてしまったり、扱いは難しいけど、遊星は持ち前のセンスでそれをなんなくこなしている。
遊星たちは建物をすり抜け、時には地面へ身を潜めながら、ネビュラのメンバーを追いかける。
「やっぱりまずいって。せめて応援が来るまで待とうよ」
「えー、そんなこと言ってたら、勘づかれて逃げちゃうかもしれないじゃん」
「だけど」
「それにあいつらのアジトとかも分かるかもしれないし、チャンスだって」
遊星はそう言ってどんどん進んでいく。少年もそれなりに警戒をしているのか雑踏を抜けて路地裏へ入り、姿をくらまそうとしている。
「ほらっ、見失っちゃう!」
「あっ、遊星!」
尾行を続けていくと、やがて人ごみを離れて倉庫街にまでやってきた。ヴィア・ラッテアの北西部に位置する倉庫街はマッガズィーノと呼ばれる地中海に繋がる大きな運河に面した区画だ。深夜から朝方にかけてトラックなどを運転する作業員などが出入りするだけの閑散とした場所。
追いかけている少年が倉庫の中に入っていった。
「あそこがアジトかな」
「遊星、いくら何でも能力の使いすぎだよ」
「大丈夫、大丈夫っ! ちょっと中を見るだけ」
二人はカストルを発動させたまま、建物の壁から中を覗き込もうとした。
その時。
「かかったな、ゾディアック……!」
遊星たちの頭上から怒りに満ちた声が降りかかった。
「えっ」
「しまっ」
「くらえっ! 《アプス》!!」
ビーニー帽をかぶった痩せっぽちの少年が巨大な鎌を構えて振り抜く。すると鎌の刃先から幾重もの風の刃が生まれて、遊星たちが潜っている建物の壁をずたずたに切断した。
間一髪の所で壁から抜け出した遊星と流星。
「や、やっばぁ、今のはかなりヤバかったあ」
「こちら流星! ごめん、ネビュラの連中に見つかった! 今から戦闘に入る……!」
通信を短く切って、流星は身構える。
相手は鎌を巧みに操り、空中に風の刃を発生させ続けている。あれらが同時に襲い掛かってきたら、いくら流星たちでも無事では済まない。
「さあ、ゾディアック……! リーダーをやってくれた借りを返させてもらうぞ……!」
ネビュラの少年は、憎しみに支配された瞳で遊星たちに告げた。
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