EP6「輝く悪、その名はイルミナーレ」

 マフィア「イルミナーレ」が所有する屋敷。18世紀初頭に建てられた館を居住できるよう改修した豪奢なその屋敷の名は【ヴィラ・スペランツァ】


 屋敷を囲う煉瓦の壁を越えてまず目に入ってくるのは広いガーデンだ。庭師により手入れされた庭木と花々が美しく咲き誇っており、ピカピカに磨かれた石像がいくつも連なっている。その奥には噴水が流れていて、大きなプールも設置されている。かつてのイルミナーレであればさぞ盛大なパーティが開かれていたことであろう。


 庭を抜けてようやく辿り着く豪勢な屋敷。獅子や騎馬や天使などを模した精巧な飾り細工が施された扉に、美術家の手による壁画や天井画。ステンドグラスランプが広間や通路を輝かしく照らしている。しかし、人間賛歌の粋を集めて贅に贅を凝らしたような屋敷内はどこか寂しくがらんどうだ。


 屋敷の最奥部。対人兵器やセンサーの類い、それにイカツイ警備たち。ほかのどこよりも厳重なセキュリティによって大切そうに守られたその寝室で、イルミナーレのボス、ブライト・スペランツァは病床に伏しているのであった。


 真っ青になってうなされているブライトの傍には、エイブルが心配そうに寄り添う。


「パパ……」


 ブライト・スペランツァ。表の顔は実業家であり、ホテル王として国の観光業を支えている大物財界人だ。そして、その本当の顔は政府や警察組織すらひれ伏し、ヴィア・ラッテアの全てを支配し、栄華を極めた首領イルミナーレ。


 老若男女問わず人々を魅了し湧かせ、酔わせ、恍惚とさせたはずのカリスマがブツブツとうわ言を呟き続ける。


「ゴホッ、ゴホ……ああ、エイブル。我々、イルミナーレは人々の希望なのだ。我々が希望であらねばならん。奴らをこの世から消し去り、人々に安らぎを……我が息子と愛する妻を殺した忌々しいアストロローグどもに死を……」


 とあるアストラによって全身を蝕まれたその姿。皺だらけの乾いた手。蝋白な肌には薄く血管が浮いていた。まるで生気というものが感じられず、黄金の時代を築き上げた男が今ではもう見る影もなく衰えている。それがエイブルには悔しくてたまらなかった。


「大丈夫だよ、パパ。俺と兄さんが上手くやっているから」


「エイブル、お前は賢い。お前とケインは私の大事な家族だ。血の繋がりはなくとも、私たちは家族なのだ。お前を心から信頼しているよ」


 ブライトが涙をにじませながらそう話す。どんな権力にも屈することはないと恐れられたあの首領イルミナーレが、だ。自分ごときの存在にこんな弱った姿を見せてしまっているのだ。


「ええ、必ず、アストロローグどもをこの世から消し去り、あなたに安らぎを……人々の希望を与えましょう」


「我々の勝利は近い。頼んだぞ、エイブル……ゴホッ、ゴホッ」


「パパ、もう休んで……後は俺がやりますから」


「ああ……ゴホッ、ゴホッ」


 エイブルは外に控えさせていた看護師や医者を呼ぶ。エイブルが部屋の外に出ると廊下にはケインが待ち構えていた。


「エイブル。パパの様子は……」


「あまり良くないね。急がなくっちゃあいけない。奴らはもう来てるのか?」


 通路を早足に歩くエイブル。ケインは慌ててその後ろを追いかける。


「ああ、ゲストルームにいるぜ。だがよォ、俺はちと心配だぜ。いくらパパの為とはいえ、パパが毛嫌いしているアストロローグを雇うなんて……」


「ケイン。俺たちはもう手段なんか選んでいられないんだ。パパはそう長くない。パパが生きている内に、奴らを葬り去らなくっちゃあいけないんだ」


 首領イルミナーレが死ぬ。その言葉にケインがいちいち息を呑む。


「そりゃあ分かってるが……俺はあのフードの男の話もイマイチ信じられねえしよォ。本当にあの棒切れは、アストロローグの力を消したりなんかできんのかよ」


 ケインが棒切れと呼ぶ杖。蛇を名乗る怪しいフードの男が持ってきたそれは、いかにもただのガラクタにも見えた。しかし、エイブルはその棒切れに可能性を見出していた。


「それはやってみれば分かる。力の片鱗なら確かにこの目で見た。だが、まだ完全じゃあない。あの杖に力を戻すためには、あいつらが持っているゾディアック・レコードが必要なんだよ……」


「ゾディアック・レコード……」


 秘密結社ゾディアック。彼らが所有するという記憶のレコード。レコードは歴代のアストロローグたちの記憶を当代に継承していくレガリアのような役割を果たしているらしい。もちろんエイブルにはそんなことどうでもよかった。


「俺たちイルミナーレは金こそあるが、ゾディアックに対抗するような戦闘力は持ち合わせていない。だが、奴らは色んな所から恨みを買っている。アストロローグにはアストロローグの敵対者をぶつけるのが一番だ」


「俺は頭は良くねえからよ。お前がそういうなら……従うよ」


 ケインの言葉を鼻で笑い、エイブルはゲストルームの扉を開く。


 エイブルは全てを失ったあの惨劇の日から決めていた。


 今必要なのは、ケインのようなうじうじとした態度ではない。誰もよりも強く輝かしく。大胆不敵に。すべての人々を魅了する首領イルミナーレのように振る舞わなければならない、と。


「やあ、皆さん。お揃いなようですね」


 エイブルが扉を開くと部屋にいた人物たちの視線が一気に集中した。


「随分と遅いじゃないの。アタシ、待たせる男、嫌いよ」


「それはそれは、大変失礼いたしました。お待たせして申し訳ありません」

「特にアンタみたいに顔がいいお坊ちゃんは気に食わないのよね。美しい者から死ぬべき、それがアタシの考えなんだから」


 そう話すのは派手な装いをしたけばけばしい男、デイジーカッターだ。いや、この人物を男と形容するのは少し違うのかもしれない。厚化粧に派手な装いはいわゆるドラァグクイーンを思わせる。虹色で極彩色の髪。スカーフやシュシュなど、服や小物すべてに何かしらの花がくっついている。動く度に花びらが身体の至る所からこぼれて、様々な花の香りが混ざりあい、ある種の異臭すら放っていた。


 デイジーカッターの唇に塗りたくられたルージュが妖しく光る。


「けど、ま……仕事の話だっていうなら聞いてあげる。アタシと……そこにいるリカーは誰を殺ればいいのかしら」


「ふふっ、爆弾魔デイジーカッター。そして、北国の剣士リカー。あなた達、プロの殺し屋には、火のユニオン、サラマンダーズ・ギルドを抑えてもらいたい」


「あら、それってリカーの古巣じゃあないの。やりがいありそうね」


 エイブルやデイジーカッターが話す中で、窓の外を見つめていた金髪の美しい男が意識だけそちらに向けた。エイブルはその男の背中に声を掛けた。


「リカー。元サラマンダーズ・ギルドであるあなたからの情報はかなり信頼できるものでした。お陰でゾディアックの事がだいぶ知れた……感謝していますよ」


 リカーと呼ばれたその男。漆黒のロングコートに身を包んだ、女性と見紛う美貌の持ち主はつまらなそうに声だけ返す。


「どうも。けど、リカも全部を知っているわけじゃあないから、注意は必要よ。まあ……サラマンダーズ・ギルドは単純な子たちしかいないから。あの子たちからゾディアック・レコードを奪うのは、そう難しいことじゃあないわね」


「何よりこのアタシと組むんだから、失敗するはずないじゃあないの」


 デイジーカッターが豪快に笑い、エイブルは微笑んだ。


「それは頼もしい。お二人の口座にはすでに手付金を送金しました。手段は問いません。牡羊座、獅子座、射手座のレコードをここに持って来れば、残りも払いましょう」


「あら、金払いが良くて助かるわん」


「それにしても意外ね。ドン・イルミナーレはアストロローグがお嫌いなんだと思っていたけど」


 リカーの鋭い指摘に、エイブルの肩がぴくりと揺れた。


「ええ、そうですよ。うちのボスはアストロローグがお好きでない。ですが、私は有能な者であれば、人間だろうがアストロローグだろうが構わないと思っているタチでして……」


「へえ……ということは坊や。これはボスからの依頼ではなく、あなたからの依頼ととっていいのかしら?」


「ええ、なのでくれぐれも弁えた行動をお願いしますよ」


 エイブルは相手を捻じ伏せるように冷たく言い放つ。リカーが振り向いた。しっかりとエイブルを見据えて、それからやはり退屈そうに鼻を鳴らすのだ。


「ふん、強かな坊やだこと」


「まあいいわ。ターゲットが分かったんなら、アタシ達はこれでお暇するわ。コイツらといると、陰気なのが移りそうだしね」


 デイジーカッターがそう言って、部屋から出ようとした。すると、今まで陰からニタニタと不快な笑みを漏らしながら黙って静観していた人物が初めて声を上げたのだ。


「おいおい、いきなり失礼なヤツだなあ。このオレのどこが陰気だっていうんだよぉ、デイジーカッター」


「アンタが連れてるのが陰気だって言ってんのよ、D.O.A」


 デイジーカッターは軽蔑を隠すことなく告げる。

 しかし、D.O.Aと呼ばれた人物は嬉しそうに口元を歪ませて手を叩いた。


「おい、アシッド。おめえ陰気とか言われてんぞ、ウケるな」


 Dr.アシッド。シンプルなシャツとズボンに白衣を纏ったアメリカ人の男。特徴がないのが特徴といえばいいのか。痩身で陰鬱な顔をしている。そのアシッドがやはり陰鬱な声で淡々と話すのだ。


「その意見、肯定します。私自身、陽気な方だとは思っていませんので」


 アシッドのいかにも陰気な喋り方にデイジーカッターが舌を出した。


「やだやだ、陰気すぎてカビが生えそうだわ」


「ところで、メキシコの犯罪組織『マイラ・カルテル』のD.O.A。アンタのその姿、正直驚いたわ。どんなアストラ能力か知らないけど、胸糞悪い力ね」


 リカーが鋭く告げる。その表情は今までと比べていささか険しい。


 D.O.Aはリカーがそういう風に文句を言ってくるのを待っていたと言わんばかりに明るい声ではしゃぐのだ。


「はっはー、随分な言われようだなあ。オレは別に能力を隠しちゃあいねえから、教えてやってもいいんだぜ。オレのアストラ《蠅座のムスカ》は他者の肉体を乗っ取る事ができる。この肉体はオレ自身、かーなり気に入ってんのよ」


「サラマンダーズ・ギルドの子達があなたを見たら、どう思うのかしらね」


 メキシコの犯罪組織『マイラ・カルテル』のボスであるD.O.A。マイラ・カルテルは【なんでもやる】ことで有名な裏組織だったが、7年前にゾディアックが決行した「マイラ・カルテル掃討作戦」で組織は半壊。ボスであるD.O.Aもその時に一人のユニオン・マスターの死と引き換えに倒されたとリカーは聞いていた。その事実は間違いない。


 何故なら他ならぬリカー自身も当時ゾディアックの一員としてその作戦に参加していたのだから。


 しかし、D.O.Aはこうして目の前にいる。それもリカーと関わりの深い人物の姿で。


「オレもあいつらの反応を見るのが楽しみだったんだけどなあ……残念ながら、ターゲットが違うらしい。オレらマイラがやるのは、水のユニオン、オンディーヌ・ガーデンだとさ」


「気をつけなさい。水のユニオン・マスターであるシャルロット、セルゲイ、ヨハンは元サラマンダーズ・ギルドの隊員よ。彼らは現行の火のユニオン・マスターよりはるかに強い……正面から戦うのはオススメしないわ」


「言われなくても正面から責めたりしねえよ。オレたちマイラは姑息な手を使ってこそ、だからなあ」


 D.O.Aが嗤う。

 デイジーカッターもリカーもD.O.Aと口を交わす気が失せていた。


「全く、そういうところが嫌なのよ。さ、行きましょ、リカー」


「ええ。それじゃあ、エイブル・スペランツァ。次はレコードを持ってここに来るわ」


「お待ちしていますよ」


 エイブルが恭しくお辞儀をした。

 D.O.Aはソファにもたれかかり、エイブルへと笑いかけた。


「そんで、どうだったよ。ビートル・ジュースのヤローは」


「ええ、見事にアストラ化して街中で暴れてくれました。素晴らしい効果でしたよ。あなたたちの開発したアストラ化促進剤『ルナティック』の効力はね」


 ルナティック。月齢あるいは発狂・月光の狂気。

 その言葉にD.O.Aは肩を揺らして邪悪に顔を歪ませる。


「そうだろう、そうだろう……あれの開発にはかなりかけたからなあ」


 アシッドが物足りなさそうに補足した。


「しかし、あれはまだ完成形ではありません。効力にばらつきが見られる……もっと、もっとデータが必要です。ビートル・ジュースの肉体も我々で解剖したかったのですが……」


 エイブルは肩をすくませた。


「アストラ化したビートル・ジュースは、ノーム財団の研究所に運ばれました。いくら我々でも、迂闊に手は出せませんよ」


「くくっ、それにしても滑稽だなあ。ネビュラの奴ら、てめえらのリーダーをアストラ化させたのはコイツだっていうのによぉ。すっかりゾディアックの仕業だと思ってやがる。おかしくって仕方がねえ……!」


「いやあ、彼らがバカで助かりましたよ。今頃、我々が与えた情報をもとにゾディアックの連中を血眼になって探している頃じゃあないかな。それより、あなた方もしっかりと働いて下さいね」


 エイブルはにこりと笑ってD.O.Aに釘を刺した。狂暴なアストロローグたちを前にしても一切物怖じをしないエイブルの態度にD.O.Aは愉快げに手を広げる。


「安心しろよ。すでにオンディーヌ・ガーデン本部に刺客を送り込んである。そうだなあ、アシッドよお?」


「バッドトリップとエンジェル・ダスト……我々の仲間の中でも、凶悪な能力の持ち主を送りました。ついでにルナティックの効果も試すよう伝えてあります」


「あそこはアストロローグの子供がたくさんいる孤児院だからなぁ……さぞかしいい実験場になるだろうよ。ふん、ゾディアックには個人的に恨みもある。イルミナーレがレコードを集めて何をしようとしてるかは知らねえが、奴らが潰せれば、オレたちは文句ねえぜ」


 まさしく反吐が出るような心意気だった。


「ええ。金なら掃いて捨てるほどありますから。利害が一致するうちは……まあ仲良くして下さい」


「なんだったら水のユニオンだけと言わず、俺たちマイラがあいつら全員の息の根を止めてやってもいいぜ」


「本当に頼もしい限りだ。働きに期待していますよ。D.O.A」


 エイブルは先ほどデイジーカッターたちにもそうしたようにD.O.Aたちにも恭しくお辞儀をしてみせた。


 爆弾魔デイジーカッター。

 北国の剣士リカー。

 マイラ・カルテルのD.O.A。

 ルナティックの開発者アシッド。


 凶悪なアストロローグたちを集めた。リスクは承知だ。奴らが自分の言うことを素直に聞くとも思っていない。しかし、それでも為さなければならない使命がエイブルにはあった。救いたい人が。救わなければならない人がいるのだ。


 その鍵を握るのは杖とゾディアック・レコード。

 アストロローグ同士で潰しあってくれれば好都合。

 我々はなんとしてでもゾディアック・レコードを手に入れる。

 栄光は俺たちイルミナーレの手に……

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