EP5「オンディーヌ・ガーデン」

病院や介護施設などが多い医療区画に面したホテル・ピアネータ。ホテルは水のユニオンの職員たちが宿泊する施設として確保されており、治療にあたっていた職員たちやこれから治療に入るメンバーが入れ替わり立ち代わりで出入りをしている。人の命を救護するその場は火のユニオンや風のユニオンとは違う、静かな緊張感に包まれていた。


 そんなホテルの一室でセルゲイとシャルロットはオンディーヌ・ガーデン本部と通信をしていた。


「と言うわけで……我々、水のユニオンは夜通し負傷者の治療にあたり、先ほどホテルに帰ってきたところだ」


 セルゲイが淡々とこれまでに起きた経緯を説明した。


「それは大変でしたね、二人とも。落ち着いたらゆっくり休んで下さい」


 本部から応答する青年ヨハン・N・アンデルセンはそう労う。穏やかで優しい声。ノースリーブの燕尾服に白のウィングカラー。ガーデンではピアニストとして子供たちに音楽や歌を教えているヨハンは画面に映るセルゲイたちのことを案じていた。


「先ほど風のユニオンもそちらに到着したようですし。僕たち水のユニオン『オンディーヌ・ガーデン』は、あくまで医療を担当するユニオン。いくら強いからと言って、兄さんや姉さんがわざわざ前線で戦う必要はないんですよ」


【オンディーヌ・ガーデン】

 シャルロット・アンデルセンが院長を務めるその組織は、ゾディアックにおける四つのユニオンの内の一つ、水のユニオンである。蟹座、蠍座、魚座のレコードを有する彼らは、身寄りのないアストロローグの子供達に手を差し伸べる孤児院や、医療施設の管理などを行なっている。そしてオンディーヌ・ガーデン本部自体もまた完全非戦闘施設の孤児院として運営されていた。


 シャルロットはレコードと共に師から託された責務を誇りに思っている。


「そちらは変わりありませんか、ヨハン」


 シャルロットの問いかけに物憂げに答えるヨハン。


「ええ、こちらはいつも通りです。何も問題はありません。こんなに平和なら、僕もそちらに行って、姉さん達を手伝えばよかった……」


「いいのよ、ヨハン。あなたのアストラ《パイシーズ》は戦闘には向かないもの。その力は子供達の為に使うべきだわ」


「けど……そちらで困っている人たちの力になれないのは、少し悔しいですよ」


 ヨハンが眉根を寄せて呟く。しかしシャルロットはやはり彼を現場に同行させなくて良かったと心の中で再確認する。


 セルゲイはそんな二人の様子を見て、彼にはとても珍しいことに職員たちや孤児院の子供たちがいれば目を丸くして驚くような、ほんの少しだけ暖かい笑みを浮かべた。


「ふっ……シャルロット。君の弟はずいぶんと優しい子に育ったんだな」


 その言葉にシャルロットはとびきりの笑顔とこれ以上ない自信をもって応じるのだ。


「ええ、優しくて、世界一美しい能力を持った自慢の弟よ」


「ちょっと、姉さん。兄さんも、あまり恥ずかしいことを言わないで下さい」


 ヨハンが顔を赤らめた所で、ヨハンの膝をよじ登るようにして一人の少女が画面に顔を覗かせるのであった。


「あ、ヨハン先生、ずるーい」

「わっ、モナ! いつからそこに……」


 モナと呼ばれた少女はえくぼが特徴的な女の子だった。ガーデンで暮らす子供の一人で笑うと口元のえくぼがつんとして可愛らしいが、今は顔をぷくぅーっと膨らませて怒っている。


「みんなに内緒でいんちょー先生とお話ししてるの? ずるい、ずるい、あたしもいんちょー先生とお話しする!」


 ヨハンは膝の上で暴れるモナが落ちないように慌てて身体を支える。


「ああっ、ごめんなさい、姉さん。もう切りますね」


「ヨハン、いいわ。モナったら、先生とお話がしたかったの?」


 シャルロットがそう聞くと、モナがぴたりと動きを止めて画面を食い入るように見つめ始める。セルゲイはシャルロットとモナのやり取りを邪魔しないよう静かに後ろへフェードアウトした。


「うん。ねえ、先生、いつ帰ってくるの?」


「うーん。そうねえ、お仕事が終わったらすぐに帰るわ」


「早く帰ってきてね。先生に読んでもらいたいご本があるの」


「帰ったら読んであげますよ。だから、いい子にして待っていてね」


「うん、約束よ」


 モナがようやく笑顔になった。口元のえくぼがつんと可愛らしくこぼれる。

 そこへ慌ただしく、オリバーとソフィアが入ってくる。


「うわーん、ヨハン先生! たすけてー!」

「待ちなさいよ、オリバー!」


 モナと同じく孤児院で暮らす男の子と女の子だ。オリバーは綺麗なグリーンの瞳をしたそばかすのある男の子で、ソフィアは目がくりくりとした活発そうな顔をした女の子。モナとオリバーとソフィア。三人はガーデンの中でも大の仲良しだった。


「まあ……」

「こら、オリバーにソフィアまで、どうしたんだ……!」

「ソフィアが僕のこと殴ったあ〜」

「あんたがモナのぬいぐるみを取るからいけないのよ!」

「取ってないよお。落ちてたから返そうとしたんだよお」

「あ、あたしのウサちゃんだ。そうだ。いなくなったの探してるんだった」

「ほらあ〜。たまたま落ちてるのを拾ったんだよお」

「そんなこと言って、本当はあんたが隠したんじゃあないの?」

「違うってえ〜」


 ヨハンを取り囲むようにして走り回る三人。シャルロットが微笑ましく眺めて、ヨハンは誰から止めればいいかと悩んでいれば、部屋に新たな乱入者がバタバタと現れた。ガーデンの職員、シスター・オルガである。


「ああっ、ヨハン先生、ごめんさない。私が目を離した隙に……」


「シスター・オルガ、あなたまで」


「お邪魔して本当に申し訳ありません。ああっ、シャルロット院長、セルゲイ先

生。ごきげんよう」


 ヨハンがシャルロットたちとやり取りをしている様子を確認して、シスター・オルガはとても動転してしまったが、シャルロットは優しく彼女をなだめた。


「ごきげんよう、シスター・オルガ。構いませんよ。私もみんなの元気なお顔が見れて嬉しいわ。私とセルゲイは長くガーデンを空けることになるかもしれません。二人とも、そちらは頼みましたよ」


 ヨハンとシスター・オルガが頷く。


「はい、もちろんです」

「お任せ下さい」


 子供たちがやってきてしまった以上、連絡もこれで終わりにするしかない。


「では、僕たちはこの辺で。二人とも、くれぐれも無理をしないように」

「ええ」


 ヨハンが最後まで念を押して、シスター・オルガや子供たちが画面から手を振った。


「ほら、あなたたちも先生たちにご挨拶して」


 ばいばーい、先生約束だからねー、すぐ帰ってきてねーなどと、モナたち三人が口々に別れの挨拶を告げる。それはシャルロットやセルゲイにとってこれ以上ない声援であった。


 シャルロットはガーデンのみんなに別れを告げた。


「では、みんな。ごきげんよう」


 そうしてモニターを切って通信を終えたら、隣でセルゲイだけ浮かない顔をしている。


「いやだわ、兄さんたら落ち込んでいるの?」

「いや……少し複雑だな、と思っただけだ。セルゲイ先生とお話ししたい……とは誰も言ってくれないのだな、と」


 セルゲイは表情を変えずに呟いた。見た目こそ変わらないがセルゲイが心の底からショックを受けていることがシャルロットには手に取るように分かったし、そのことでショックを受けてしまうセルゲイが少し可愛らしく思える。


「ふふっ、たまたまよ。モナは私のことが好きみたいなの。だから、そう言っただけ。小さい頃から面倒を見ているから、仕方がないわ」


「いや、いいんだ。俺はあまり子供達に好かれていないからな」


 きっぱりと告げるセルゲイだが、テーブルに置いてあったピルケースに錠剤を意味もなく詰め始めている。子供たちが好きなくせにこういう所で意地を張るのだからとシャルロットは苦笑する。


「そんなことありませんよ。あの子たちが嫌っているのは注射やお薬であって、あなたじゃあないわ」


「ああ、そう思うことにしよう」


 そう言いつつ、ピルケースへの錠剤詰めをやめないセルゲイ。

 シャルロットは気になっていたことを尋ねた。


「それより、体の方は平気なの?」


 セルゲイの答えはあらかじめ準備していたように淡泊で素早かった。


「問題はない。エクリプスも打っていたしな」


「兄さんの《スコーピオ》は破壊と再生を司るアストラ。毒を生み出し、肉体を蝕むこともできるし、回復させ生かすこともできる。昨日はかなりの数の負傷者を手当てしていたから、副作用がきついのではないかと心配だったのよ」


「これくらいなら大丈夫だ。君こそちゃんと休むといい。疲れた顔をしている」


 二人きりになるとすぐこれだ。お互いにお互いの心配をする牽制合戦。シャルロットとしては一人で全部抱え込もうとするセルゲイの気質を案じているのだが、セルゲイも中々甘えてはくれない。


「はあ……これくらいなんともないと思っていましたけど、私も衰えたのかしら。昔は兄さんとヨハンと三人で世界中を回っていたのに」


 シャルロットが昔を振り返るように話す。


「懐かしいな。レコードを継承してから、俺たちの使命は変わった」


 シャルロット、セルゲイ、ヨハンの三人は、かつてサラマンダーズ・ギルドに所属していた傭兵だった。それもそこそこ名の知れた。前線に立っていたあの頃は、もっと毎日が目まぐるしく、殺伐としていて、怪我が絶えなかったことを思うと、今の環境は二人にとってあまりに穏やかだった。


「兄さんは、これで良かったと思いますか?」


 ピルケースの蓋を閉める音がパチンパチンと響き渡っている。


「それは、どういう意味だ?」

「いえ、昨日久しぶりに戦場に立って、少し嬉しそうに見えたものですから」


 音が止んだ。


「そう……見えていたか?」


「ええ。サナンダ様に仕える身で、こんなことを言うのもおかしな話ですけど、ガーデンでの生活は、少し……静かすぎますね。サラマンダーズ・ギルドの死神と戦車(チャリオット)……そう呼ばれていた頃は、とても活力があったように思います」


「そうかもしれない。あの頃は何かにとても必死だった」


 セルゲイはビートル・ジュースとの戦闘を思い出す。かつての自分であったならばきっと奴を鎮静化させるのに二撃も必要とはしなかっただろう。それを弱くなったというべきなのか。セルゲイには分からない。それはシャルロットにしても同じであった。


「今に不満があるわけではないけれど、ああして戦場で兄さんに背中を預けていると、ついつい顔がほころんでしまう自分がいるわ」


「戦場での息遣いをまだこの体が覚えているのかと思うと、少し悲しくもあるが……気持ちは分かる。だが、ヨハンにとっては、ガーデンでの生活の方が性に合っているのかもしれないな」


「あの子のアストラ《パイシーズ》の力は、およそ戦闘には向かない美しい能力ですもの」


「ああ、何よりあの子は優しすぎる。連れてこなくて正解だった。事件の現場を見たらきっと心を痛めていただろう。汚れ仕事は……全て俺たちが引き受ける」


「ええ、そうね」


 二人の根底にはヨハンやガーデンの子供たちがいた。シャルロットやセルゲイが再び戦場に戻ってきたのは、守るべきものがあるからこそ。彼らは守るために戦い、醜い部分は全てを引き受けるという選択肢を選んだのである。

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