EP3「ノーム財団」

ヴィア・ラッテア郊外。湖にも近く森豊かで閑散とした居住区に隣接した施設。表向きは製薬会社が所有している研究所とされているその施設は地のユニオン、ノーム財団が保持するラボであった。


「以上が昨日の事件の報告になります。ジェームズ社長」


 ケイトが画面越しに告げると通話の相手は書類とにらめっこを続けながら頷いた。


「ご苦労、ケイト君。相変わらずの手際の良さだ。私も残りの仕事を片付けたら、そちらに向かおう」


「お待ちしております。ホテル等は手配済みですので、きちんと仕事を片付けてからいらしてくださいね」


 語尾を強めて告げるケイト。相手はびくりと身体を震わせてついでに声も震わせた。


「あっ、ああ、大丈夫だ。ちゃんと問題なくやっているから……」


「確かサインをしなくてはいけない書類が山積みだったような……火のユニオンから追加の弾薬や装備品の申請が来ていましたし、水のユニオンからも医薬品の補充を頼まれています。早急に手配を頼みますよ、社長」


「もちろんだ。現在、火のユニオンには待機命令を出している。また街の方で何かあれば出撃させる。水のユニオンには負傷者の救護を、風のユニオンには情報収拾にあたるようそれぞれ伝えておいた。そちらは君とジンに任せる」


 的確な指示と正確な判断力だった。


「はい。これより我々、地のユニオン『ノーム財団』は、捕獲したビートル・ジュースをラボに搬入し、対象がアストラ化した原因の解明に当たります」


 立場上きつく言うことも多いケイトだが、この人物の優秀さは長年連れ添っている自分が嫌というほど知っている。組織を統率するという点では、彼ほどに秀でたリーダーを他に知らないとまでケイトは相手のことを、ジェームズ・アイゼンシュヴァルツという人物を評価していた。


【ノーム財団】

ジェームズ・アイゼンシュヴァルツが代表を務めるこの組織は、表向きアストロローグの研究や医療の分野に貢献する財団とされている。だが、その正体はゾディアックにおける四つのユニオンの内の一つ、地のユニオンなのである。牡牛座、乙女座、山羊座のレコードを有する彼らは、マスター・サナンダの築いた莫大な資産を元に、長い間、ゾディアックを経済的に支えてきた。実は、火のユニオン、サラマンダーズ・ギルドの資金源も彼らなのだが、その事実を知る者は少ない。


「ところで、ジンのやつはちゃんとステラポリスに到着しているのか?」

「ええ、室長なら既にこちらにいらっしゃいますよ」


 ケイトが告げると画面の端からフラフラと端正な顔立ちの男性が顔を覗かせる。彼の名はジン・イェン・ツィ。母国の言葉では、金艶翠と書く。組織の中でもアストラの研究や分析を一手に引き受けているアストロローグ研究の第一人者であり地のユニオン・マスターの一人。翡翠色のチャイナドレスの上に白衣をかけており、長く艶やかな髪を束ねて肩からさげている姿は女性的ですらあった。


 ジンは眠そうにまぶたをこすって笑う。


「やあ、ジェームズ。久しいな、元気にしていたかい」


 ジェームズが苦笑いを浮かべる。


「ああ、俺はこの通り元気だ。お前はやけに顔色が悪いな。寝ていないのか?」

「しばらく徹夜続きでね。飛行機の中では熟睡だったよ。それよりも時差ボケが酷くて」

「出張先から急にステラポリスに向かわせてすまなかったな」


 ビートル・ジュースの騒動を解決するにあたって、ジンとケイトは現場のサポートと調査をするべく、それぞれの勤務地からここステラポリスへと急行した。普通であれば数日とかかる渡航をノーム財団の力を駆使し、最速最短の経路で入国したのである。


 ジンは手持ちのデバイスを起動させてデータを表示する。そこには今回確保したアストロローグ、ビートル・ジュースとそのアストラ《オリオン》について記載されていた。


「いいんだ。元々こちらに調査に来る気でいたからな。今回の件は、僕も異常事態だと捉えている。通常アストラ化というのはゆっくりと進行するもので、今回のように発作的にアストラ化する例なんて、見たことも聞いたこともないよ」


 ケイトも頷く。


「事件の目撃者からは『大通りで急に苦しみ始めて、暴れだした』という証言が寄せられていますね」


「そんなことがあり得るのか?」


 声をくもらせるジェームズ。どうにも嫌な胸騒ぎを起こす情報だ。自然と眉間にしわが寄る。


「アストラ化が進めば目に見えて体に変化があるはずなんだ。それに、アストラ化の症状を手遅れになるまで放置するとは考えにくい」


「一度アストラ化した者が元に戻る可能性はゼロ。化け物と成り果て、自我のないまま暴れ狂うしかなくなる。人にもアストロローグにも戻れない。そんなこと誰だって知っているはず……ですよね」


 ケイトの確認を込めた言葉に、ジンはデバイスを操作する。


「何より、ゆっくりと体を蝕むアストラ化を抑制するために、我々の開発したアストラ化抑制剤『エクリプス』がある」


 『エクリプス』はノーム財団が長年研究していたアストラ化に対する抑制因子を、ジンが薬として完成形へと昇華させたアストラ化抑制剤である。


 アストロローグが能力を使うと副作用が身体に現れる。副作用の内容は個人によって違うが、ジェームズの場合なら能力を使用するごとに骨の密度が減っていき、老人のように脆くなってしまうのだ。酷使すれば肉体そのものがアストラ化して暴走する恐れもある。アストロローグは常に己のアストラに苛まれるリスクを帯びていた。エクリプスはその名の通り、月蝕や日蝕のようにじわじわとそのアストラの副作用を軽減することができ、ノーム財団はこの薬を全世界的に普及させた立役者でもある。この薬の普及によってアストロローグを取り巻く環境はかなり改善された。


 ジェームズは考えた。アストラの暴走とあってはノーム財団としても、そして一人のアストロローグとしても放っておけるような事態ではない。


「原因を解明する為にも、ビートル・ジュースの体を徹底的に調べる必要があるな。ノーム財団の優秀な研究者を世界中からステラポリスに招集した。ジン、お前が現場の指揮をとれ」


「ふっ、それは期待されてるって事でいいのかな。まあ、僕だけでは頼りないが、ケイトのアストラ《ヴァルゴ》の能力があれば、とても心強いよ」


「買いかぶりすぎですよ。私の《ヴァルゴ》は単に対象を分析し、数値化するというだけの能力。そこから真実を導き出すには、全員の協力が必要です」


ジェームズの指示に対して二人からは力強い声が返ってくる。


「ケイト君、学者でもないのに、研究班の手伝いをさせてすまないな」

「いえ、私自身は研究者ではありませんが、ゾディアック・レコードを介して研究者であった先代達の記憶を読めば、少しはお役に立てるかと」

「そうか……では、私は仕事に戻る」


 ジェームズは再び机に積みあがった書類へ目を向けた。


「ええ、では、数時間後にまた」

「ジェームズ。落ち着いたら食事にでも行こう」

「ああ、落ち着いたら、そうしよう。では」


 ケイトとジンの言葉に、ジェームズは軽快に言葉を返し画面を閉じた。

 ジェームズとの交信が切れた後、ジンはややためらいながらも言葉を告げた。


「君たちは相変わらずだな」


 首をかしげるケイト。

 地のユニオン・マスターの一人、ケイト・ウォン。ペールイエローの髪をバレッタでとめ、テーラードジャケットとテーパードパンツを身にまとった麗人。先の騒動、ビートル・ジュースの暴走では水のユニオン・マスターであるシャルロットとセルゲイの同行にあたるなど、地のユニオンとして、他のユニオンのサポートに回ることも多いが、決して彼女自身の戦闘力が他より劣っているという訳ではない。


「何が……ですか?」


 仕事と任務に忠実で堅実。

 そんな彼女をジンは心配していた。


「いや、相変わらず君はジェームズに厳しいと思っただけだ。もう少し打ち解けているものと思ったが……」


「それは…」


 ケイトは思わず口を開く。それから止まる。乙女座のレコードがうずくように歴代所有者の記憶を呼び起こしていた。その間もジンが心配そうにケイトを見つめているけれど、ケイトは考えあぐねる。この問題になると理知的な思考がひどく鈍ってしまう。それをケイトも自分で理解していた。だから彼女はあえていつもと変わらない口調でジンに答えてみせた。


「私はただの秘書ですから。タスクの管理を適切に行い、必要とあれば手足となって動きます。それ以上でも以下でもない」


「確かに、君達はビジネスパートナーだけど……それにしては、冷たいと感じる時があるんだよ。君、彼のことが嫌いなのか?」


 なおも食い下がるジンに、ケイトはそっけなく告げる。


「いえ、そんなことは。そう見えるなら、今後は態度や言動を改めましょう」


 ジンはため息をこぼす。この手の話は今日に始まったことではないが決まって結論はこのパターンで落ち着くのだ。彼女はあまり自分のことは話してくれない。


「はあ……つまらない話をしたね。そうだ、これから食事でもどうだい?」

「私はまだ仕事が残っていますので」


 早口で断るケイトだったが彼女のお腹からきゅるると音が鳴り響く。


「う……いや……コレはその……」


 これもいつものパターンといえばそうだった。


「ケイト、休息も仕事のうちだ。僕の方も美味しいものを食べないと、イマイチやる気が出なくてね」

「分かりました。ラボの設備が整うまでまだ時間がかかりそうですし、近場で食事をとりましょう」


 根を詰めすぎるケイトや常に重大な決断を迫られるジェームズに対してジンが柔らかく受け止める。地のユニオンは三人のそうした絶妙なバランスによって指揮系統を確かなものとしていた。


「せっかくステラポリスに来たのだから、美味しいワインが飲めると嬉しいが」

「まさか、室長。仕事の前に飲まれるおつもりですか?」

「あ。いや、そうだな……大事な仕事の前だ、控えよう……。それは夜の楽しみということで……」

「では車を出しますので。玄関でお待ち下さい」


 ケイトが立ち去り、部屋に取り残されたジンがひとりで項垂れる。


「く……僕の楽しみが……!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る