EP2「サラマンダーズ・ギルド」①
昼下がりのヴィア・ラッテアはかすかに潮風を運び込んでくる。地中海や北海に面する地域も多いヨーロッパではそう珍しくない香りではあったが、観光客にとっては新鮮にも感じるだろう。もちろんこの辺りの出身である春間多々良にとっては、馴染みすぎて何とも感じない嗅ぎなれた匂いではあったが……。
昨日の事故現場はひでぇもんだけど、どうやら異常はなしっすね……。
スマホのアプリを開くとSNSでもニュースサイトでも動画でも。昨日起きた事件の詳細があることないこと報道されている。オリオン座のアストロローグ、ビートル・ジュースが起こした事件はステラポリス内に留まらず全世界へと発信されていた。
「なあ、この動画、見たかよー?」
通行人たちの話し声が耳に届く。
「あー、見た見た。SNSもニュースも同じのばっか流してるから死ぬほど見たわ。つーか、よく撮影する余裕あったよな」
「ね、俺さ、アストロローグ?ってちゃんと見た事ないんだけど、ヤバイ連中なの?」
「そりゃあ特殊な能力が使えるんだからヤバイヤツはヤバイっしょ」
「うわあ……しかも、見た目じゃ人間と区別できないんでしょ、怖すぎじゃない?」
「そんなこと言ったら、そのへん歩いてる奴がマフィアとか殺し屋かもしれねえじゃん。人間だってヤバイ奴はヤバイっしょ」
「そーだけどさあ……」
「昨日暴れてたヤツもニューヨークのギャングだったらしいじゃん?」
「は? なんでそんな奴がステラポリスで暴れてんだよ……」
雑踏から聴き取れる情報はこんなもんかな。思わず頭を掻く。
そーだよなあ……そう思うよなあ? うんうん、このハマルくんもよぉ、そこんとこが気になって仕方ねぇのよ。ビートル・ジュースはニューヨークギャング『ネビュラ』のリーダーだって、風のユニオンが言ってたし? アストロローグが街中で急にアストラ化するってのもおかしな話だぜ。っと言うか、案の定、街は昨日の話題で持ちきりって感じっすね〜。
次に向かいのカフェのオープンテラスで三段組みのパンケーキにフルーツを乗せてシロップをたっぷり垂らしたいかにも映えるスイーツを頼んでいる二人組の会話に耳を傾ける。きっとライアンなら「食べるのは勝手だが、俺の方に近付けるんじゃあねえぜ」なんて言うだろうな。
「ねぇ、あんたさ、ゾディアックって秘密結社の話、聞いたことある?」
「はあ? ゾディアックってあの都市伝説の? ネットで検索しちゃあいけないとか、深入りしたら消されるってヤツでしょ……あんたそんなんに興味あんの?」
「いやね、たまたまTLに流れてきたのよ。昨日の事件にそのゾディアックが関わってるって話がさぁ」
「ネットに書かれてる事なんて当てになんのぉ? そもそもゾディアックって本当にいるわけ?」
「んー、怪しい雑誌で特集されてたり、ネットの掲示板で見かけるくらいだけど、私は実在するんじゃないかなって思ってる」
「ふーん?」
「噂じゃ、世界を裏から操る悪の秘密結社だーとか、法では裁けぬ悪を狩るダークヒーローとかって言われてて……まあ、ただの慈善団体って説もあるけど、その何なのかが分からない感じがまた面白いって言うか!」
そこから一気に話題が変わって彼氏が優しい優しくないって話になったので、聞き耳を立てるのをやめる。つまりはあの子らにとっては、その程度の関心って訳っすね。
それにしても秘密結社か。あー、だよなあ……そーなるよなあ? うんうん、まあ、実際のところ、俺たちの全貌を知ってるやつなんて、身内以外にはいないワケだし? 世間じゃあそういうイメージになっちまうのも仕方ないっすよねえ……。
俺たちについての噂は色々だ。ヒーローとか言われると悪い気はしねえけどよぉ。全ては救世主って呼ばれてるマスター・サナンダの意思ってやつらしい。
俺は難しいことはよくわかんねえけど、ゾディアックはそのサナンダに師事した十二人の弟子が作った組織だってこと、ゾディアック・レコードと呼ばれる記録媒体を通じて、この数千年間アストラの能力と記憶を継承してきたってことだけは知ってる。
ちなみに、俺は先代から牡羊座のレコードを継承したおかげで、アリエスっていう最高にイカしたアストラを使えるし、過去の牡羊座のアストロローグたちの記憶を持ってるってわけだ。
にしても、だ。昨日の事件に俺たちが関わったって話よぉ、ちと出回るのが早すぎやしねーか? いくらSNSがあるとはいえ……これじゃあ、まるで最初からそう決められてたみたいな……って、あれは……?
ふと気になる光景が目に入った。
「だあから、アタシ、これから行くところがあるって言ってんの。アンタら、言葉通じてないワケ?」
語気がやたらと強い英語。赤い髪をなびかせる少女が男二人に向かって吠えている。この辺じゃあ見慣れた光景、いわゆるキャット・コーリングってやつだが問題はそこじゃあねえ。
「まさか……いやいや、そんな事あるはずねえ……よな」
「いいじゃん、ちょっとだけ、付き合ってよ。俺さ、前から日本の女の子っていいなあ〜って思ってたんだよね」
「お茶するくらい、いいっしょ、ね?」
「しつこいっての。触んないで!」
女の子が腕を掴まれた。その姿を見たら任務のことなんて頭からすっ飛んじまった。
「おい」
「あ? なんだお前?」
男たちを遮るように間へ立つ。いやいやいやいや、落ち着け、ハマルくんよぉ。お前はゾディアックに所属する火のユニオン・マスター春間多々良なんだぜ? それがこんな事件現場に近い場所でもめ事を起こすなんてちょっとまずいんじゃあないのぉ。
「その子、嫌がってるじゃないっすか。アンタら、ちとナンパのセンスがねえんじゃねえのか?」
「な、なんだと……」
だけど無駄だ。止まらねぇ。こいつらの面を見たら余計に頭へ血が上ってよぉ。この子はよぉ、こんな奴らが触っていいような娘じゃあねえんだよ。
「なあ、こんなセンスのねえヤツらより、俺といた方がよっぽど楽しいっすよ」
「は? アンタも何言って……」
「つーことでよぉ……この子は今から俺とデートすることになったんで」
にこりと笑ったら、その場にいる全員が訳が分からないという顔をしている。
「は?」
「え?」
「おい……」
「そんじゃあなっ!」
「へっ?」
少女の手を掴んで走り出す。
「おい、ふざけんな、てめえ! 横取りか!」
「カッコつけてんじゃあねえぞ!」
後ろから男たちの遠吠えが聞こえてきたけど無視した。
「あー、もう、なんなのよーっ!」
「いいから、振り向かないで走って」
「よくないっつーの! いきなり何? この手、放して!」
「あそこの角」
「え?」
「あそこの角を曲がったら放してやっから。ちっと、我慢しろよな」
「はあ……そういう事なら……」
噛みついてきそうなくらい騒いでいた女の子はそれで大人しくなった。うわあ……反射的に助けちまったけど、何してんだ、俺。流石にキザ過ぎんだろが! 漫画かっ!
ちらりと困り顔でついてくる少女の様子を窺う。燃えるような瞳と赤い髪、意志の強そうな顔。というか、この子、まさか……まさか……だよなあ〜。
ステラパークタワーにまで続く大通りを走って角を曲がる。
「はあ、助かった……」
女の子が息をこぼす。あんな典型的なキャット・コーリングもあしらえないなんてこっちの胸が詰まるっての。
「もうああいうのに構っちゃダメっすよ。アンタお人好しそうだからな。モノを尋ねられたりするとついつい話しちまったりするんだろ?」
「う……お見通しってわけ……」
「まあ、日本人って大体そうだよな。国民性っつーの? それにアンタみたいに可愛いと声もかけたくなるだろうから、気ぃつけた方がいいっすよ。んじゃ、俺はこれで……」
180度反転ぐるりと後ろを向く。それでおしまい、さようなら。
「あ、ねえ……」
「ん、なんか用っすか。あっ、マジにデートしたくなったとか?」
「バッカじゃないの。んなワケないでしょ。そうじゃなくて、アンタ、どこかで会ったことない?」
じろっとこちらを見つめる眼差し。
「えっ……さあ? どう……かな?」
思わず視線をそらすけど、そむけた顔を上から下までじろじろ観察される。
「うーん、どこかで会ってる気がするんだけどな……」
うっ、なんか嫌な予感するっす……。この、ゲームのエンディングからその後を延々と考察するような、描かれていないならそのままでもいいんじゃあねえかってところまで暴き立てるような感覚はよお。日本じゃあ蛇足っていうんじゃあねえの?
女の子はこっちの気も知らずに口を開いた。(やっぱりだっ!)
「ねえ、名前教えてよ。ああ、勘違いしないで。アンタは……なんていうか、妙に懐かしい感じがするというか……初めて会ったって気がしなくて……だから、知ってる人かもって思っただけ。名前を聞けば思い出せるかも」
「そ、そうか? 俺はその……多々良、多々良っていうんだ」
「へえ、多々良……面白い名前ね」
一気にホッとした。そのまま「苗字は?」なんて聞かれていたら多分言わなくちゃあいけなくなっちまっていた。
「あはは……珍しい名前だよな。けど、本名ってあんまり好きじゃあねえからよ、呼ぶんならハマルって呼んでくれよ。俺、牡羊座の生まれで……周りにはそう呼ばれてるんだ。ほら、牡羊座にあるだろ、ハマルって明るい星」
「ハマルか……オーケー。ところで、アンタ、日本人なの?」
「一応な。けど、生まれも育ちもステラポリスだから、日本には行ったことないっすよ。言葉も全然喋れないし」
「そっか……なんか懐かしい感じがしたけど、気のせいか。変なこと言って悪かったわ」
にこりと女の子が良い笑顔で笑うもんだから思わず聞いた。
「そういうアンタは? アンタの名前はなんて言うんだ?」
「ああ、アタシは春間明里。みんなはアタシのことアリーって呼んでる。パパが仕事柄こっちに住んでるんだけど、外国の人ってどうもアタシの名前、呼びづらいみたいなんだよね。だから、お手伝いさんとか、こっちの知り合いはみんなアリーって呼ぶの。小さい頃からそうだから、アタシもそれで慣れた」
………………ああ。
「そうか、明里……いや、アリー……いい名前だな」
「あっ、そうだ。パパと食事の約束があるんだった。それじゃ、もう行くね。一応、礼は言っておくよ。ありがとね、ハマル」
女の子は。いやアリーはそう言って走り去っていった。その後ろ姿を角を曲がって見えなくなるまで見つめ続ける。
そんな。まさかだろ。こんなことって……こんな場所で、偶然にも、出会っていいもんなのか? これは奇跡だ。奇跡が起きたんだ! 信じらんねえ! 俺はずっと……ずっとアンタに会ってみたいって思ってたんだぜ、アリー……なぜなら、アンタは俺の……。
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