第4話
「いやぁ勝った、勝った。まだ投げ足りないぜー」
ゲームセットのサイレンが収まり、俺達のチームはベンチを離れ、凱旋報告の為に学校への帰路の支度を始めていた。球場内のエントランスは悲喜こもごもだ。
『四球と死球が二つ余計だ』
ヘッドホンで耳を塞いで音楽でも聴いていたいが調子に乗る藤宮は、捕手の仕事の一環として叱咤しておかねばならないのだろう。キャッチャーの仕事は実に多い。
「結果オーライじゃね? 一人は打たせて取った訳だし」
反省の薄い藤宮聡一郎の世話ほどに苦労する仕事も無いが。
『獄落で散れ』
「まぁまぁまぁよ、喧嘩すんなって、おまんら」
諦めの境地に居た所、呪いの文字を書き綴った俺と楽天的な藤宮の雰囲気が険悪に見えたのか声を掛けて俺の肩を片腕で抱いたのは先輩の小金井さんだった。
「お。ガッネーイ先輩、お疲れっす」
「その呼び方ヤメロ、タコスケ」
俺の肩を抑えつつ、スパイクの刺々しい十文字蹴りを藤宮へ小金井さんは送る。
「いてて。先輩、さっきの打球処理サイコーっした。あざます」
「ありゃ静山がサイン送ってたんだよ。そっちに打たせるってな」
小金井さんは、少し馴れ馴れしい。チームと後輩に気を遣ってフレンドリーに接しているつもりなのだろうが、わしゃわしゃと人の髪をくしゃくしゃにするのは止めて頂きたい。
そう俺が迷惑そうに親戚のような手を振り解くと、
先ほどの小金井さんの言葉を拡大解釈した藤宮聡一郎がキメ顔を魅せる。
「なるほど。つまり俺のコントロールがバッチリ決まったって事ですね」
キリリっと、臆面もなく顎に手を添えて。
「「……」」
死ねばいい、と思ったものだ。たかだか一回の攻防で死球と四球で無様を晒した男の言い分では断じてない。どうやら、小金井さんも同じ思いだったようだ。
「おーい、全員集合。藤宮が勉強したいってよ」
《ういいい》
俺の肩から腕を離し、屈強な体をした他の野球部員を呼び集める。
「は。なんでっすか。ちょっと‼ ちょっと‼ イジメ反対! 反対!」
「……」
しかし、藤宮の言にあるようなイジメの陰湿なイメージとは違い、行われたのは勝利を喜び合うような朗らかな反省会。押して圧されて、全員が笑い合っている。
俺は少し、離れた場所でそれを観ていた。
そして馬鹿馬鹿しいなと思いながら、文字を書く。
「静山。ちょっと良いか」
このヒゲ監督が近寄ってくる気配を感じ、対応する為だ。
『嫌ですニャー‼』
簡易的な猫の似顔絵は、無機質に見えやすい筆談と仏頂面の表情を紛らわす為にギャップ萌えとして使うことにしている。割と本気で言い辛い事を伝えたい場合に使用するが、往々にして他人には知る由も無い事だ。
「そう言うな。今日の藤宮は、お前から見てどうだった」
「……」
無論、この監督も例外ではなく、俺の密かな本音を踏みにじって無神経に話を進める。
いや、この場合、鈍感力と評するべきか。
仕方のない。俺はつらつらとメモ帳に二ページに渡って短い文章を描いた。
『危ない場面で使うのは止めた方が良い』
『ウチは投手層、厚い。多少、球速が劣っても制球が良い方が面白味ある』
藤宮聡一郎が、監督が期待を寄せるだけの将来性のある投手である事は俺だって認めている。しかし、如何せん性格と制球力は現時点では諸刃の剣に近しい。
他にインパクトのある投手こそ見当たらないが、安定感は他の投手陣の方が段違いだと、自分なりの評価をハッキリと示す文章を次々に監督へと手渡しつつ、俺は捕手として組みたくない投手、藤宮を貶められる言葉が他にないかを脳裏で探した。
すると、である。
「面白味、か……キャッチャーが板についてきたようだな」
それは余りに不本意な評価だった。思いもよらなかった言葉が、満足げに監督の口から放たれて。俺の動かそうとしていたペンが止まる。
「……」
『それでも、希望ポジはDHです』
俺は——否定をしたかったのだろう。直ぐそばで馬鹿騒ぎをする藤宮を始めとしたチームメイトや、今日戦った相手チーム同様に、野球というものを楽しみ始めている事を。否定したかったのだろう。
——くだらない。くだらない。
すると、そんな頑なな俺に対し、監督は徐に語り始める。
「……以前までのウチは守備寄りに重点を置くチームだった。守備の手堅さと機動力の高さには定評がある。無論、今でもその強さや方針を疑ってはいない」
「しかし打撃力と投手力に関して言えば、イマイチ物足りないと言われ続けてきた」
チームの事。これまでの歴史を振り返り、今のチームを傍観しながら省みる。
馬鹿馬鹿しいジンクスだ。たかだか三年しか在籍せず、入れ替わりと人材の優劣が激しい高校野球に明確な伝統など生まれるはずも無い、あるとするならそれは——妄執や呪いに近い部監督の凝り固まった指導方針のせいに他ならない。
『……俺や藤宮みたいな化け物に信念を曲げられて嬉しいという話ですか』
俺は皮肉を込めて、その文字を監督へと贈る。
しかし——、
「いや違う。信念とは直立不動のものでは駄目という話だ」
俺の嫌味など、この監督にとっては、まさしく児戯なのであろうさ。
「信念とは——一本の棒のような形ではなく、枝分かれして育つ大樹の如くあるべきだと私は思う」
「陽光を浴び、育つ葉が栄養を生み、大樹そのものも大きくしていく」
「お前や藤宮がチームに影響を与え、刺激となる。チームが強くなる。小さく纏まらず新しい形に変わっていく」
「そして、お前や藤宮もまた、チームの影響を受け、育っていく」
「変わることを恐れず、培ってきた力。これから培っていく新世代の力」
和気あいあいとじゃれ合うチームメイトの遥かその先を見るような瞳で、言葉だけを俺の耳に贈る。だが決して奴らの事を一切、踏み台になど考えていない気がして。
「私の信念は、その時に最も強いチームを作り、次へと受け継がせる事だ」
「一人で登れる空には限界がある。だが——人々が積み上げていく物に限界はない」
『……綺麗な事で』
空を駆けあがりたいと思った事は無い。登りたいと思った事も無い。
自転車にだって、興味すら持ったことは無い。
けれど、言葉とは凶器に等しい。弁舌を磨けば言葉には力が宿り、徳を積めばその切れ味は鉛のような心をも裂く。
雄弁だ。嫌味の如く。その切っ先を俺に向ける事そのものが。
「今日の試合、捕手の仕事も良く出来ていた」
「全てをお前に任せるつもりは無いが、これからもよろしく頼む」
「……」
不器用な面構えでベタ褒めしてくる監督の言葉を白々しく聞き流し、俺は一筆をしたためて。面倒だ、コミュニケーションの何もかもが。
『期待が重い。先に帰る、タクシーで』
「分かった」
恐らく財布の中で一番大きな力を持つ切り札を使う事になろうが、俺は直ぐにでもその場の喧騒を離れたかった。
冗談を言い合って笑い、喜びを分かち合うチームメイトの顔も、渋いヒゲ監督の顔も、嫌がらせのように口を大袈裟に動かして見える。急いで帰りたい。
モヤモヤと湧き立つ粘り気のある感情に、疼く指先。
自慢げに、得意げに、わざとらしく、白々しく、素っ気もなく、意図もせず、忙しなく、興味なく、適当に、無遠慮に、無作法に、雑多に、省みず。
喋るな。喋るな。喋るな。喋るな。喋るな。
「あ、静山くん。東都新聞の者なんだけど、少しお話聞かせてもらえない?」
——嗚呼、叫びたい。叫べない。
「……」
『すみません。急いでいるので』
俺は、そう筆談で文字を書き起こして手渡し、頭まで深々と下げる。
頭まで下げたが——、
「少しだけ! 歩きながらで時間は取らせないから」
記者は英雄譚を欲するが如く、欲深な声を煌かせる。とても醜い、嘘に近い困り顔。
先生に叱られるから夏休みの宿題を手伝って欲しいと懇願するような怠惰な匂い。
時間は取るんだよ。
それに歩きながらの筆談は歩きスマホと同じ危険行為だと言ってやりたい。そんな短文すらも、喉を揺らす事が出来ない俺には声にする事が叶わない。
指の付け根が、どうしようもなく疼いて。
疼いて、疼いて、疼いて、文字を書くのすら煩わしい。
「しっずやまー、ひとりで先に帰んじゃねぇって‼」
そんな時、藤宮聡一郎が俺の肩にぶつかるくらいの勢いで飛びかかってきた。
後追いで奴が背負っていた鞄がドシリと背中を殴打する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます