初夏色ブルーノート【青の魔女編】

さこゼロ

ブルーノートだ何だと言われても、そんなの分かるが訳ない!

「心地よい旋律の中で飲むあなたの珈琲は、やっぱり格別ね、メイプル」


 リズミカルな打撃音が響く、深い深い森の中。


 木製の椅子に浅く腰掛けた水色ロングドレスの女性が、白いカップに注がれた温かい珈琲を優雅に飲み込む。背中まで伸びた艶のある黒髪は、それだけの動作でもさらりと揺れる。


「お褒めいただき光栄です、ハツカ姉様」


 初夏ハツカの基準で中学生くらいだろうか。そばに控えていたメイド服姿の少女が、慎ましやかに頭を下げた。


「おいお前ら、いい加減に手伝えっ!」


 そのとき少し離れた向こうから、心地よい旋律を引き裂くように少女の金切り声が響き渡る。


 両目を閉じて口の中に広がる芳醇な香りに浸っていた初夏ハツカは、やや面倒臭そうにその目を開いた。サファイアのような青い双眸に、尻尾の生えたネコ耳少女の姿が映る。


 こちらは高校生くらいというところか。2メートルを超す緑肌の巨人の群れに囲まれたその少女は、ホットパンツ姿の長い足で、リズミカルに相手を蹴り飛ばしていく。


 とくに手助けが必要なようには見えないが…


「助けが必要なの、ミケット?」


「助けが必要なんじゃねえ! オレだけに戦わせるなって言ってんだ!」


 初夏ハツカはミケットの抗議にヤレヤレと肩をすくめると、左手に持つソーサーに右手のカップをコトンと置いた。


「美味しかったわ、メイプル。片付けておいて」


「はい、ハツカ姉様」


 メイプルは初夏ハツカからカップを受け取ると、そばの大木へと近寄っていく。それから、まるで戸棚でも開けるかのように木の幹をパカっと開くと、中に珈琲セットの諸々を仕舞い込んだ。


 何でも木の精霊と契約しているメイプルが言うには、木の中に広がる異空間は世界中の樹木と繋がっているらしい。何度見ても便利なものだ、羨ましい限りである。


 初夏ハツカは一度大きく伸びをすると、ゆっくりと椅子から立ち上がる。すると木の根で出来ていたその椅子が、ほどけて地面に引っ込んでいった。


 そのまま視線を右手に落とすと、開いた手のひらの上に、野球ボール程の青白い炎を創り出す。


「ちゃんと逃げてよ、ミケット」


「お、おい、ちょっと待て、ハツカっ」


 まるで投手のように振りかぶった初夏ハツカに気付いたミケットは、慌てて四つん這いで逃げ出した。


 そんな彼女の直ぐ真後ろで、巨大な青い火柱が立ち昇る。その凄まじいまでの豪炎は、天をも焼き尽くさんばかりであった。


 〜〜〜


 青の魔女。


 討伐不可能と云われていた獅子の魔獣を討伐し、その森の奥深くに棲むひとりの女性は、いつしか畏怖の対象へと移り変わる。


 やがて討伐隊が編成され、幾度となく、魔女の館への侵攻は繰り返された。


「また来たの⁉︎」


 ゆったりとしたソファーに腰掛けながら、初夏ハツカはメイプルの進言にげんなりとした声を漏らす。


「はい。ですが今回は、少々勝手が違うようです」


「どう言う事?」


「隣国で英雄視されている、勇者と呼ばれる存在のようです」


「はあ、勇者⁉︎」


 何とも厨二ちっくな話だろうか。初夏ハツカは思わず声を張り上げた。


「オレも聞いた事あるぜ。何でもオアシスに陣取ってた魔竜を、単身で討伐したとか何とか」


 ミケットが親指の爪をかじりながら、その表情に危機感の色をにじませる。


「さすがに正面からは戦いたくねぇな。メイプルがチョチョイとやってくれりゃあイイじゃないか」


 彼女のその物言いに、メイプルは不機嫌そうな視線を向けた。


 森はメイプルの領域である。


 情報収集はおろか、当然、生い茂る樹木を武器に戦う事も出来る。その場に居ずして殲滅する事も可能なのだ。しかし彼女は、その様な戦い方を極端に嫌う。


「森の木々は、鋭利な刃物ではありません」


 そんなメイプルだからこそ、木の精霊は彼女と契約したのだろう。


「だったら何で、この前は…っ」


「ハツカ姉様に直接危害が及ぶとなれば、それは別の話です」


「だから今まさに、ハツカに危険が迫ってんだろうがっ!」


 ミケットが噛み付くように身を乗り出すが、メイプルは澄ました顔でつーんとソッポを向いた。


「このガキ…」


「まあまあミケット、その辺で」


 初夏ハツカは二人の間に割り込むと、鼻息の荒いミケットを優しくなだめる。


「どうやら相手の勇者は、ブルーノートと言うようですね」


 そのときフッと顔を上げたメイプルが、やや虚空を見上げながら呟いた。


「ブルーノート⁉︎」


 初夏ハツカの声が、思わず上擦うわずる。


「はい。会話の流れから判断するに、おそらくそうだと思われます」


「よりにもよって、そんな名前…」


 口元に右手の拳を添えながら、初夏ハツカは引きずられるように瞳を閉じた。


 〜〜〜


「だからですね、明子さん。ブルーノートというのは…っ」


 ひとつ年下の智昭は、同じ大学の後輩だ。


 その上バイトも同じとあって、やがて二人で過ごす時間も多くなっていった。


 勉強も運動も、何ひとつ明子に及ばないくせに、こと音楽の話題になると、鬼の首でもとったかのように舌が回る。


 そんな彼が愛おしくもあり、そして少しばかり疎ましくもあった。


 しかしそんなある日のこと、智昭が流行りの感染症に罹患した。


 若い人は大丈夫という事だったが、いつしか蔓延しだした変異種によって、一週間と経たずに還らぬ人となってしまった。


 彼の話についていけるように、やっと音楽の勉強を始めたところだった。


 明子がドヤ顔で智昭にリベンジする機会も、永久に失われてしまったのだ。


 それからどうやって暮らしていたのか、あまりよく覚えていない。


 最期に覚えているのは、大きなクラクションと共に迫るふたつの眩い光。


 明子の記憶は、そこで途切れた。


 〜〜〜


「思い出したら、何だかだんだん腹が立ってきた」


 初夏ハツカの握る右拳が、力んでプルプルと震えだす。


「ブルーノートの物悲しい旋律がどうのこうの言われたってねえ、私に分かる訳ないじゃない! 私にとっての音楽の判断基準なんて、ただ気に入るかどうかだけ! それ以上でもそれ以下でもない!」


 初夏ハツカはドンと床を踏み締めると、突然、声を限りに怒鳴り上げた。


「ハ…ハツカ姉様っ⁉︎」


 その勢いに驚いたメイプルが、翡翠色の瞳を大きく見開く。


「メイプル、相手は何人?」


「え、あの、二十人くらいです」


「ミケット、周りの取り巻きをお願い出来る?」


「はっ、どうせ無理にでもやらせるんだろ? だったらオレに任せとけ!」


 ミケットは愉しそうにニヤリと笑うと、慎ましやかな胸をドンと叩いた。


 その姿を見届けて、初夏ハツカもゆっくり口角を吊り上げる。それから両手を腰に当て、すううっと大きく息を吸い込んだ。


「その勇者さんには悪いけど、一発殴って、ストレス発散の的になって貰うわ!」


 〜〜〜


 初夏ハツカは太い樹上の枝に腰掛けて、鼻唄混じりに足を揺らす。思い返してみると、それは智昭がよく口ずさんでいた歌だった。


 やがて進軍してくる兵士の集団を見つけると、右手の人差し指でクルリと空中に円を描く。


「て、敵襲!」


 突然、周囲を取り囲む青白い炎の壁に、兵士たちの間から警戒の声が湧き上がった。


 鉄製の胸甲鎧を身に付けた兵士たちが、各々腰の片手剣をシャキンと引き抜く。部隊の後衛に配置されていた三人の魔法士も、木製の杖を片手に呪文を唱え始めた。


 そうして三人がかりでもってして、何とか青白い炎の壁の一角を切り崩す。しかし次の瞬間、四つ足の獣の影が、その隙間から飛び込んできた。


 ミケットは一瞬で魔法士の頭上に躍り出ると、空中三段蹴りを三人の首筋に叩き込む。それは目にも留まらぬ早業であった。


 ドサっと倒れ込む三人の魔法士を背に、ミケットがゆらりと立ち上がる。


魔女の護人ガーディアンのミケットだ!」


 漸く我に返った兵士たちが声を上げ、包囲目的でジリジリと陣形を広げ始めた。


 その様子を眺めながら、ミケットはわずかに嘲笑を浮かべる。それから瞬時に踵を返すと、炎の隙間から逃げ出した。


「追えっ!」


 追いかける兵士たちの波に流されて、勇者ブルーノートも後に続く。しかし木の根が足首にまとわりつき、ひとりその場に取り残された。


 倒れていた魔法士たちの身体も、スルスルと何処かに連れ去られていく。


「ごめんなさいね、勇者さん」


 そのとき水色のドレスをはためかせ、黒髪の女性が空から舞い降りてきた。


「普通は優しく追い返してあげるんだけど、運が悪かったと諦めて」


 初夏ハツカは優雅な笑みを浮かべると、ゆっくりと勇者に歩み寄る。すると白い外套がいとうに包まれたその男が、驚いたように初夏ハツカを指差した。


「え、あ…明子さん⁉︎」


「は、誰よ…私を前世まえの名前で呼ぶのは?」


「あっと俺、智昭。日本で一緒だった…」


 言いながらブルーノートは、外套のフードを後ろにずらす。するとそこに現れたのは、少しクセのある黒髪の、とても懐かしい顔立ちだった。


「は…はあ、智昭⁉︎」


「そ、そう俺。まさかこんな所で明子さんと出逢えるなんて、こんなに嬉しい事はないよ!」


「そうね、私も嬉しいわ」


 初夏ハツカは満面の笑みで応えると、両手を振り上げ気合いを入れる。すると全身から白銀のオーラが吹き上がり、ドレスと黒髪を踊り狂わせた。


「まさかストレスの元凶に、直接発散する機会が来るなんて」


「あ、あのー…明子さん。俺、自国の国王にも顔が利くから、良かったら王都で一緒に…てか、その物騒なものを、一体どうするつもり?」


 ブルーノートは初夏ハツカの頭上に形成された、まるで太陽のような青白い炎の球体に目を奪われる。


「そうね、もしも私に勝てたら考えてあげる!」


 初夏ハツカは高らかに宣言すると、勢いよく両手を振り下ろした。


「だから、今日のところは出直しなさい!」


「ちょ…⁉︎」


 豪火球が着弾したその瞬間、縄文杉のような極太の青い火柱が天に向かって真っ直ぐ伸びる。ブルーノートの身体は凄まじい火勢に巻き上げられ、空の彼方に消え去った。


「…またメイプルに、手間をかけちゃうな」


 消し炭のように焼けただれた目前の景色に、初夏ハツカは苦笑いでポリポリと右頬を掻く。


 それから天高く澄み渡る青空を見上げ、優しい笑みを満面に浮かべた。


「流石は勇者。タフネスさならピカイチね」


 次に来たときは、もう少し優しくしてあげてもいいかな。


 初夏ハツカはクルリと振り返ると、楽しそうに歩き出す。


 無意識に彼女の口から零れたメロディは、やっぱり智昭がいつも口ずさんでいたあの歌だった。




 〜おしまい〜

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