タイムマシーン

西田あやめ

タイムマシーン

骨と皮ばかりの黒スーツの男たちは皆一様にしかめっ面で、手入れの行き届かないPCからブルーライトを浴びて今日も一日を過ごしていた。

 特に、デスク列の上座に座る男の眉間のしわは、濃く、深く、明日さえ分からない現状にただ呼吸の浅いため息をつくしかなかった。この地域の貯蓄水分量はもう一月もたないかもしれない。家族の栄養失調の症状は悪化し、現状からの打破計画の糸口を探す目の前の彼らがいつ意識を失うかわからない。浅い呼吸を繰り返す肺は限界を訴え、腕を動かすたびに骨のきしむ音がした。

「大変な朗報です!!!」

 そんな中、体に響く大声がその場をつんざいた。

 無理をして駆け寄ってくるこの男は、1年ほど前から自宅のラボに引きこもり、職務放棄という重罪を犯していた。それが、こんな状況下で、血走らせた目を興奮でぎらつかせ、皆と同じ骨と皮ばかりの全身に汗ににじませながら「朗報だ」と何を言うのだろう。

「なんだお前は。よく無神経に本部に来れるじゃないか。自分の立場をわきまえているのか?」

上座に駆け寄るなり、男は両ひざを床につきぜいぜいと肩で息をした後に見たこともない笑顔で声高に叫んだ。

「所長殿、この世界を救う糸口が見つかりました!タイムマシーンです!」

所長と呼ばれた上座の男と、それを聞いていたその他の男たちも一瞬作業の手を止め、そして皆一様に小さなため息をつた。

「とうとう頭でもイカレたか。お前はもともと現実を見ないやつだったな。今すぐ職務にもどるか、目の前から失せなさい。」

「いいえ、所長殿。私はイカレてなどおりません。本当に完成したんです。過去に行けるタイムマシーンが。」

もともと体力の限界で、この男の狂った話には付き合い切れないと、所長は男の腹を蹴る。筋肉もない蹴りなど些細な威力なのだが、今の男にとってそれは確実なダメージとなり簡単に床に転がった。所長は転がる男から目を離し、自分が抱える課題に対して向き合い直した。偉大なる発明家がこんな男であっていいはずがない。偉大な人間というものはひたむきに日々を努力した者のことを言うのだ。

「私は、やりますよ。この世を救うのです。」

腹をかばってのろのろと体勢を整えながら、宣言のように男は呟いた。

「私が過去に出た後、環境が劇的に変化するでしょう、どうかその対応をしていただきたい。私はやります。」

男は半ば狂人の目のままで、そう言い残し、また無理をした駆け足で本部を後にした。


 所長からの蹴りを忘れたように、きしむ体を大きく動かし堂々と自分のラボに戻った男は、隣接する妻の研究室にちらりと視線を送った。

 自分が無事に帰ってくることはないかもしれない。妻は食料製造の研究に日々取り組んでいるが、近ごろはその研究に大きな一歩があったと嬉しそうに話していた。その「大きな一歩」と自分の研究の成果「タイムマシーン」が加わり、人類生存の偉大な成果を残せるに違いない。あの所長だって、きっと称えてくれるに違いない。

 

 男は、ラボ中央に鎮座する球体型のタイムマシーンに過去へ必要な道具類を詰め込んだ。重さのあるものを抱える際、関節は情け無く痛みはしたが、今はそんなことより興奮と使命感が男を動かしていた。

 これは、人類を救う大きな手立てだ。

 自分は、人類を救うのだ。

 貴重品となった「透明な水」で喉を潤した後、満を持して操縦席に腰掛ける。二点式シートベルをしっかりと装着し、平な胸にそっと手を当てた。

「今日、この日が歴史の記念日になる・・・いってきます。」

 そして、球体を白い光が包み込んだ。


 激しい揺れに気を失っていた男は自分の使命を思いだし、ハッと意識を取り戻した。ここはどこだろうか。自分は無事に過去にたどり着けたのだろうか。震える指先でシートベルトを外し、奇跡的に横転していないマシーンに安堵しながら身を起こす。

 まだ、外の世界は見えない。男は扉のオープンボタンに棒のような指を添え、力を込めて押す。扉は上から徐々に開いていき、地上へ降り立つための階段を作った。

 そして男は、目前に広がる光景に目を見開くことになる。

「・・・なんだこれは。」

 男の目に飛び込んできたのは、見渡す限りの緑だった。

「これは、確か草原というものではないか!」

 人生でこんな光景は誰も見たことは無いに違いない。男は状況把握のために草原へ降り立つ。どこまでも続く緑はこの世界の全てのように思えた。「草」にも種類があるようで様々な形をしたものがある。

そして頭上には、これまた見たことのない青い世界が広がっていた。

「なんてことだ。」


 なんてことだ。男は自分たちの住む時代の荒廃理由を確信した。

 

 怒りと使命感にかられ、男はマシーンにもどり未来から運んできた空中バイクを持ちだす。バイクの左右に緑色の液体ボトルを設置し、勢いのまま飛び乗った。

エンジンをかけ、浮かび上がる。


「こんなに草があっては、地球の養分を全て吸い取ってしまうじゃないか!!」


男の目的は「荒廃の原因となったものを抹消する」ことだった。

 空中からまんべんなく緑の液体をふりかけ、液体が触れた約1キロ四方、地上の緑が赤黒く変色していく様子を確認しながら、男は安堵にため息をついた。

 これで地球の栄養を吸い尽くし、自分たちの時代を脅かした原因は無くなるに違いない。

「なんだ・・・?」

 意気揚々と液体をふりかけ続ける男の視界に、なにやら動くものが入った。

 それは四つ足で動き、茶色い体に体毛を纏い、頭部には攻撃に特化したような鋭い角があった。一体だけではなく、よく確認をすると遠くのほうで群れを成しているようだった。

「恐ろしい・・・!人以外の生物が地上に存在していいはずがない。」

 男は一瞬恐怖で身をすくめたが、こちらは地上から離れた位置から確実に抹消できる立場である。使命のためにひるんでいてはいけない。

 念のため、抹消能力を高める添加物を緑の液体に加え、たちまち黒く変色したものをその動く四つ足に向かって振りかけた。全ては命中しなかったのもも、かすった個所からの効果はとてもよく、聞いたことものないようは恐ろしい鳴き声を発したあと、四つ足は倒れこんだ。

未来の栄光の勝利である。

男は安堵し、そして空中バイクを群れへと向けた。


 どこまでも赤黒い土地が続き、動くものは男と空中バイク以外ない。

 未来を吸い尽くしていた原因は男の手によって抹消されたのである。

 男は自分の功績を称えつつバイクを地上へと戻し、そして改めて「何も亡くなった」辺りを見回りた。

「かえろう。」

 未来のために。

 日々研究に勤しむ妻のために。

 タイムマシーンを眩い光が包みこんだ。




本部から帰ってきた夫の高ぶりようを心配していた妻は、自身の研究の大きな成果物の前にいた。男の妻は食料製造研究の代表で、約100年ぶりとなるこの地上での「発芽」を成功させたのだ。この地域に残る植物の痕跡から疑似的な種子を形成し、日々経過を観察し、育て、とうとうここまで来た。

 これで、人類が生存できる糸口がつかめたかもしれない。

これで、夫と穏やかに余生を過ごせる未来が来るかもしれない。

 妻が夫に声をかけようと席きしむ体で席を立ったその直後だった。

 夫のラボから見たことのない強烈な光が放たれた。




 激しい揺れから目覚めた男は、マシーンの示す時代がもといた時代であることを確認する。無事に帰還できたのだ。

 未来はどうなっているのだろう。

 地上を吸いつくす原因は痕跡も残すことなく抹消した。

 人類の、明るい世界が広がっているかもしれない。

 期待に胸を膨らませ、そして妻に一番に会いたいと。


 男は、扉のオープンボタンに手を伸ばす。








END



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