第16話 ヴィンテージ(2)


「アリカ、ちょっといい?」

「ん?」


 アイスコーヒーを飲み終えて、そろそろ帰ろうかと話していると水希が困った顔をしてやってきた。


「店長が10分でいいから、時間くれないかって……」

「え?でも……」


 そろそろ仕事に戻らないと


「今後のバイトについて大事な話なんだって」

「大事な話?」


 大事な話とは何だろう。

 ちら、と先生の方を見ると彼は肩を竦めた。


「行ってこいよ。俺に構わなくていいから、終わるまで待ってる」

「すみません。ちょっと失礼します」


 そう言い残してから席を離れ、水希と一緒に店長のいるカウンターキッチンに向かう。


 この『純喫茶 浪漫』は店長一人と私と水希二人のバイトでやってる喫茶店だ。今年の春までは店長の奥さんも働いていたが、両親の介護で今は田舎に帰っている。

 元々常連客が多く、そんなに繁盛しているお店では無いので問題無くやっていけているそうだ。


「お疲れ様です」

「お疲れ、東屋さん。……ごめんね、デート中に」

「あ……違います。彼は私の上司なんです」


 彼に聞かれているかも知れないので余り調子に乗らないでおこう。私がデートだの、好きだの、言うたびに先生は困った顔をしてしまうし、何よりこの気持ちは私の片思いなのだから。少しは大人らしい振る舞いを心がけなくては先生の弟子に相応しくない。


「上司?そっかぁ……そうだよね!アリカには水希がいるもんね?」

「どういうこと?」


 うふ、と水希はあざとく上目遣いに私を見て目を瞬かせた。丸眼鏡をかけた店長は私達のお決まりのやり取りに、笑いながら磨いていたコーヒーカップを棚に戻している。


 私がここに働くようになってから、店長の影響を受けてヴィンテージの食器に詳しくなってしまった。店長は海外の古い食器を集めるのが趣味で、それが高じて喫茶店を営むことになったらしい。


 アラビア、グフタススベリ、フィッギオ、クレイユモントロ、サルグミンヌ、クイストゴー、カールトン、メイソンズアイアンストーン、ローゼンタール、スポード、スージー・クーパー……エトセトラ


 生産国、製造時期も違う様々なヴィンテージの食器たち。見ているだけで異国情緒を感じることができる。

 だけど、水希は一体いくらするのか一番気になったらしく、バイトが暇な時に一緒に計算してそのエグい総額にドン引きしたのも良い思い出だ。


 その中でも特に私のお気に入りはイギリス製のホーンジーというメーカー。


 そのホーンジーの作っていた『ブロンテ』というシリーズは、イギリスの作家、シャーロット・ブロンテをイメージして作られたとされていて、艶のある飴色に酸化銅で模様が描かれているのが特徴だ。


 セージグリーンで描かれた魚や波飛沫、泡沫のような模様がこの街の穏やかな海を表しているようで愛着が湧いた。共感してもらおうと水希に話すと彼女は「確かにこの街の海って緑っぽいよね」というロマンのカケラもない共感をされてしまった。


「それはそうと、話ってなんでしょうか」


 私と水希は客のいないカウンター席に腰掛けると、店長は申し訳なさそうに二人を交互にみた。


「北川さんにはさっき話したんだけど、実は店を畳まないといけなくなっちゃったんだ」

「えっ⁉︎」


 隣に座る水希は「そういうこと」と相槌を打った。


「今、嫁が介護しに田舎に帰ってるだろ?それが、その嫁も腰を悪くしちゃってね。まぁ、一人じゃ大変だって前々から連絡が来ててどうしようか悩んでたんだけど……これを期に僕も田舎に帰って手伝おうと思うんだ。急な話で本当にごめん」

「そう、ですか……早く助けに行かないといけないですね」

「凄いショックー」


 突然の話に動揺した。バイト先は探せばいくらでもあるが、私はここでの仕事がとても好きだったので店が無くなると聞いて酷い喪失感を感じた。あの活発で元気だった奥さんは大丈夫だろうか。


「明日から臨時休業にして落ち着いたら引っ越しするよ。本当に申し訳ない二人共。バイト代の振込はちゃんといつも通りするから安心して……今までありがとう」

「はい、お世話になりました……」

「気に入ってたのになぁ~」


 ふと、気になったことがあった。


「このお店、どうしちゃうんですか?売るんですか?」

「うぅーん……まだちゃんと考えて無いんだけど、古い店だからねぇ。断熱性もあんまり良くないし。かといって売ったり壊したくはないんだよねぇ」


 店長は腕を組み考え込む。


「もうこの街に帰ることは無いだろうけど、それでも形として残しておきたいんだ。この店は僕と嫁の宝物だから……だから、誰か格安でいいから使ってくれるのが一番いいんだけど」


 店長の話を聞いて思わず席から飛び上がる。水希が訝しげに私を見た。


「どした?」

「ちょっ!ちょっ!ちょっと……!」


 急いでソファー席に戻ると窓の外を眺めていた先生の腕を掴んで引っ張っていった。

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初恋の人とずっと一緒にいるために、恋するのをやめました 吾妻ワタル @ant_ant

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